老いのとば口で老親を看取ること2015年03月16日 15時53分53秒

★人の子としての務めではあるけれど            アクセスランキング: 145位

 おかげさまで、腰というか背中にかけての痛みはさほどではない。肉体は精神的なことも大きく関係していることに気づく。
 気持ちが落ち込めば体も不調を来たし痛みも増す。気持ちが高揚し朗らかなときは、痛みも軽くなる。
 今はこの弱き心がまた一時の心の迷いやつまらぬ欲望や妄想に苛まれないことをただ望む。

 さて、これをお読み頂いている方のどれぐらいが、老いた親を抱えて世話なり介護なり面倒を見ているのであろうか。自らも若くしてその親たちも元気でいて、それぞれ問題なく暮らしているのならば幸福なことであろう。かつて我が身もそうであった。
 が、誰もが老いる。そして親も自分も歳とって、さあどうしていくかという「現実」にぶち当たる。そのことについて少し書きたい。

 今、自分の周りには、老いた親を抱えてその介護に疲弊している友人知人が知る限り4人ほどいる。友人というのは、ほぼ同世代なので、ウチがそうであるように、ちょうど今、その親たち世代が八十代~九十ということになるだろう。つまり子は、五十代半ば~還暦世代であり、親は既に亡くなっている人もまた多い。いや、じっさい数だけ見れば、親がまだ片方だけでも健在の人は少ないかもしれない。

 そう思うとき、両親そろってまだ生き長らえているマス坊のところはもはや稀有なパターンかもしれない。そしてさらに幸いにして彼ら夫婦ともども寝たきり、半身不随という状態ではなく、世話は焼けるがまあ常に付き切りで介護が必要というほどではない。

 母は癌を抱えつつも一応日常生活は普通にできているし、父は認知症の度は進みつつも下の世話も含めて失態失敗は日常茶飯事ではあるが、まあ何とか自らやっている。ただ、ヨボヨボ度は歳を追うごとに増す一方で、彼らだけに任せて家を長時間空けるのはかなり不安がある。

 しかし思え返せば、母が癌の手術後長く入院したり、その前、癌だとまだわからないとき、どんどん痩せ細り衰弱して寝たきりになってしまった頃を思えば、今我が家は実に安定した小康状態、年齢を重ねたにしては良い状況だと言えよう。これから先、さらに老化は進み、ボケも悪化していくだろうが、土俵際でぎりぎり踏みとどまっているというのが現状だろうか。
 今更ではあるが、彼らがここまで長生きするとは思いもよらぬ僥倖以外のなにものでもない。

 と、ここまでは前説で、本文はこれから書くつもりだったが、背中が痛くて起きていられない。息するのも苦しい。んで、続きは明日改めて書きます。