40年ぶり田中研二と夢の再会 ― 2015年10月28日 01時09分59秒
★まさに感無量! まさかもう一度ライブでお会いできるとは アクセスランキング: 117位
世の中には、「フォークソング好き」を自称している方は多いと思うが、拓郎、陽水レベルはともかくも岡林、高石レベルになってようやく本物であり、まして田中研二というフォークシンガーをご存知の方は通も通、ごくごく少数であろう。
だが、仮に日本のフォークシーンで活躍する、ある程度歳のいったシンガー、ミュージシャンたちの間で、田中研二の名を知らない者は皆無のはずだし、我のように70年代からフォークソングを聴いて来た世代にとって岡林たちとは違う意味で「神様」であった。いや、幻のシンガー、伝説のカリスマミュージシャンというべきか。
何しろラジオなどで流れたヒット曲がないどころか、そもそもメジャーレーベルでのレコードは出していない。自主制作でかろうじて一枚のLPレコードを出しただけでその後は海外に渡ってしまい半ば日本から消えてしまった歌い手なのである。
だが、その唯一のレコードアルバム、「チャーリー・フロイドのように」は、日本のフォークソング史に今も輝く金字塔の名盤であり、彼の名はそのアルバムと共に、通な音楽ファン、年期を経たフォークファンの間では常に長く語り継がれていた。※そのアルバムは700枚しか作らなかったことをご本人から今日はじめてお聞きした。しかも自らは今手元に一枚も持っていないのだと。
我マス坊にとっても、マイレコードアルバムベストテンを挙げるならば、今も昔も1位は、田中研二のそのアルバムであることは変わらない。2位のそれは、豊田勇造が発見の会と出した「さあ、もういっぺん」で、奇しくも去る23日に谷保かけこみ亭で、その勇造さんと会いそんなことを話したばかりであった。※彼は田中研二とその数日前に共演していた。
その田中研二が今お住まいのオーストラリアのシドニーから里帰りし、ライブツアーがあると館野公一さんから知らされ、まさに耳を疑った。
彼はオーストラリアに渡り翻訳などのライター稼業をされていることや、雲遊天下誌などに近況を連載されていたので、たまに日本に戻られていることや今もお元気なことは知っていたが、まさかまたフォークシンガーとして活動されているとは何故か思いもよらなかった。まあ、向うではカントリーバンドをやっているとか、人づてに聞いてはいたけれど。
今回の帰国ツアーは、関西が中心で、東京では昔からの縁深い両国フォークロアセンターでの一回だけだった。館野さんもオープニングアクトを務めるとのこと。記憶を紐解くと、じっさいに生のライブを観たのは、高校生の頃、大阪天王寺での春一番であったかと思い出した。1977年頃であったかと思う。
レコードが出た後に、彼の元にファンレターを送ったらずいぶん時間がたってからハガキで返事が一度だけ帰って来た記憶がある。その後もこちらからまた出したハガキは戻ってきてしまったかのような・・・
かけこみ亭での勇造さんのライブの折、隣り合わせたソウル・ブラザーズの五十嵐君と話して気がついたのは、勇造さんのそのアルバムも田中研二の「チャーリー・フロイド」も、コード付きの譜面冊子がきちんとアルバムに付いていて、僕はそれでレコード聴きながらギターをはじめコード展開などを覚えたのであった。
むろんそうしたことは、高石友也がナターシャで出したアルバムシリーズも同様であったが、我にとって拙くてもまず最初に一番真剣に練習したのは勇造と田中研二であり、我がギターの師と呼べるお二方と偶然この数日来続けて再会するとはまさに夢のような気がした。
人は死ぬとき、走馬灯のように過去の事を思い出すと聞くが、マイレコードアルバムの1位と2位の方に、まして伝説の男田中研二と再会できるとはまさに夢の如く、感無量としか言葉が思いつかない。俺はもうすぐ死んでしまうのかもしれないので神様が会わせてくれたのか。
その田中研二、と呼び捨てにしては失礼であろう、研二さんのステージは相変わらずの達者なフィンガーピッキングとタナケン節というべき前のめりな唄い方は健在で、そのレコードからの曲を中心にずいぶんメロディやアレンジも変えて「今」を示してくれた。聴きこんだレコードよりキーも高くなっているような気がしたが、堂々たる良いステージで、大いに堪能した。館野公一さんのマンドリンでのサポートを受けての懐かしの「インスタントコーヒーラグ」に、この40年の歳月を重ね合わせて涙が出そうになった。
今日は観客も約20名も来られフォークロアセンター満席の入りとなったし、その後の懇親会でもお客として来ていた、浅川マキと関わりの深い某超絶ギタリストと三人のセッション有りと実に盛りだくさんで、おまけに帰りの電車も研二氏一行とご一緒できいろいろお話ができ繰り返すようだが楽しい夢を見ているようで、今もまだその続きのようだ。
人生は辛いことも面倒なことも多々ある。そして歳と共に、どんどん悪い方へ、破滅に向かっている気がしていた。が、まさかこんな夢のような日が来るとは、本当に先のことはわからない。生きていて良かった。
そして今こうも思う。地球は回り回って元の位置に戻ったのだと。ならばここからがまたスタートではないのか。
約40年の年月はまた降り出しに戻った。自分はこの音楽、この人たちの歌に出会えて本当に良かった。そしてご本人にもきちんとお会いでき本当に良かった。いまさらだが、どんなにこのレコードを愛聴したことかそのアルバムの素晴らしさについてうまく伝えることはできなかったけれど、ともかく彼と再会できライブが聴けた夢の一夜であった。
今年7月、その両国での七夕コンサートで迂闊にも転落し頭打って死んでもおかしくないところだった。病院通いも続いたがともかく死なないで良かった。長生きはするものだ。生きていれば良いこともきっとある。今つくづくその喜びをかみしめている。
世の中には、「フォークソング好き」を自称している方は多いと思うが、拓郎、陽水レベルはともかくも岡林、高石レベルになってようやく本物であり、まして田中研二というフォークシンガーをご存知の方は通も通、ごくごく少数であろう。
だが、仮に日本のフォークシーンで活躍する、ある程度歳のいったシンガー、ミュージシャンたちの間で、田中研二の名を知らない者は皆無のはずだし、我のように70年代からフォークソングを聴いて来た世代にとって岡林たちとは違う意味で「神様」であった。いや、幻のシンガー、伝説のカリスマミュージシャンというべきか。
何しろラジオなどで流れたヒット曲がないどころか、そもそもメジャーレーベルでのレコードは出していない。自主制作でかろうじて一枚のLPレコードを出しただけでその後は海外に渡ってしまい半ば日本から消えてしまった歌い手なのである。
だが、その唯一のレコードアルバム、「チャーリー・フロイドのように」は、日本のフォークソング史に今も輝く金字塔の名盤であり、彼の名はそのアルバムと共に、通な音楽ファン、年期を経たフォークファンの間では常に長く語り継がれていた。※そのアルバムは700枚しか作らなかったことをご本人から今日はじめてお聞きした。しかも自らは今手元に一枚も持っていないのだと。
我マス坊にとっても、マイレコードアルバムベストテンを挙げるならば、今も昔も1位は、田中研二のそのアルバムであることは変わらない。2位のそれは、豊田勇造が発見の会と出した「さあ、もういっぺん」で、奇しくも去る23日に谷保かけこみ亭で、その勇造さんと会いそんなことを話したばかりであった。※彼は田中研二とその数日前に共演していた。
その田中研二が今お住まいのオーストラリアのシドニーから里帰りし、ライブツアーがあると館野公一さんから知らされ、まさに耳を疑った。
彼はオーストラリアに渡り翻訳などのライター稼業をされていることや、雲遊天下誌などに近況を連載されていたので、たまに日本に戻られていることや今もお元気なことは知っていたが、まさかまたフォークシンガーとして活動されているとは何故か思いもよらなかった。まあ、向うではカントリーバンドをやっているとか、人づてに聞いてはいたけれど。
今回の帰国ツアーは、関西が中心で、東京では昔からの縁深い両国フォークロアセンターでの一回だけだった。館野さんもオープニングアクトを務めるとのこと。記憶を紐解くと、じっさいに生のライブを観たのは、高校生の頃、大阪天王寺での春一番であったかと思い出した。1977年頃であったかと思う。
レコードが出た後に、彼の元にファンレターを送ったらずいぶん時間がたってからハガキで返事が一度だけ帰って来た記憶がある。その後もこちらからまた出したハガキは戻ってきてしまったかのような・・・
かけこみ亭での勇造さんのライブの折、隣り合わせたソウル・ブラザーズの五十嵐君と話して気がついたのは、勇造さんのそのアルバムも田中研二の「チャーリー・フロイド」も、コード付きの譜面冊子がきちんとアルバムに付いていて、僕はそれでレコード聴きながらギターをはじめコード展開などを覚えたのであった。
むろんそうしたことは、高石友也がナターシャで出したアルバムシリーズも同様であったが、我にとって拙くてもまず最初に一番真剣に練習したのは勇造と田中研二であり、我がギターの師と呼べるお二方と偶然この数日来続けて再会するとはまさに夢のような気がした。
人は死ぬとき、走馬灯のように過去の事を思い出すと聞くが、マイレコードアルバムの1位と2位の方に、まして伝説の男田中研二と再会できるとはまさに夢の如く、感無量としか言葉が思いつかない。俺はもうすぐ死んでしまうのかもしれないので神様が会わせてくれたのか。
その田中研二、と呼び捨てにしては失礼であろう、研二さんのステージは相変わらずの達者なフィンガーピッキングとタナケン節というべき前のめりな唄い方は健在で、そのレコードからの曲を中心にずいぶんメロディやアレンジも変えて「今」を示してくれた。聴きこんだレコードよりキーも高くなっているような気がしたが、堂々たる良いステージで、大いに堪能した。館野公一さんのマンドリンでのサポートを受けての懐かしの「インスタントコーヒーラグ」に、この40年の歳月を重ね合わせて涙が出そうになった。
今日は観客も約20名も来られフォークロアセンター満席の入りとなったし、その後の懇親会でもお客として来ていた、浅川マキと関わりの深い某超絶ギタリストと三人のセッション有りと実に盛りだくさんで、おまけに帰りの電車も研二氏一行とご一緒できいろいろお話ができ繰り返すようだが楽しい夢を見ているようで、今もまだその続きのようだ。
人生は辛いことも面倒なことも多々ある。そして歳と共に、どんどん悪い方へ、破滅に向かっている気がしていた。が、まさかこんな夢のような日が来るとは、本当に先のことはわからない。生きていて良かった。
そして今こうも思う。地球は回り回って元の位置に戻ったのだと。ならばここからがまたスタートではないのか。
約40年の年月はまた降り出しに戻った。自分はこの音楽、この人たちの歌に出会えて本当に良かった。そしてご本人にもきちんとお会いでき本当に良かった。いまさらだが、どんなにこのレコードを愛聴したことかそのアルバムの素晴らしさについてうまく伝えることはできなかったけれど、ともかく彼と再会できライブが聴けた夢の一夜であった。
今年7月、その両国での七夕コンサートで迂闊にも転落し頭打って死んでもおかしくないところだった。病院通いも続いたがともかく死なないで良かった。長生きはするものだ。生きていれば良いこともきっとある。今つくづくその喜びをかみしめている。
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