野坂昭如という人生 ― 2015年12月10日 22時52分07秒
★戦後は遠くになりにけり アクセスランキング: 146位
野坂昭如が死んだ。たぶん今の若い人たちにとっては、誰それ?的な人かもしれない。倒れて以来近年はほとんど表に出なかったしじっさい長寿と呼べるほど十分長く生きた。ある意味、死に時を間違った感もある、遅れて来た無頼派であった。
実は、我にとって若いときはものすごく影響受けた作家であり、大いに憧れもした。その何でもやってしまう、目立ちたがりの破天荒な生き方は三島由紀夫や小田実と並ぶ、常にマスコミの注目の的であり、時代の寵児であった。平成の世になってはもうあんなヘンな物書きは出ていない。
そして、大人というのは、もっと偉そうな重厚な存在だと思っていたとき、彼を交えた中年御三家の登場は、その認識を一変させてくれた。赤塚不二夫といい、大人でもこんなおバカでいいのだ、面白そうならいい歳してても何やっても良いんだとおバカの道を切り開いてくれた恩人でもある。※今も関西人の百田某とかおバカ作家は少ないけれど存在はしている。だが、それは真にバカなだけで、問題は当人自信がバカやっているという自覚がないのが真のバカたる所以なのである。
もともとはあの三期鶏郎工房から出た人で、永六輔も同じ出だから、まさに戦後派の新しい才能であったと今気づく。その永さんと同じく、マルチタレント的に、物書きに留まらず門外漢であろうと歌からCMまで何でも器用にこなし、何でもそれなりにヒットを飛ばした。政治にまで手を出した青島幸男もそうであったし、大橋巨泉、伊丹十三、小沢昭一、前田武彦と同類は数々次々に思い浮かぶ。ということは、昭和の「戦後」とは、そうしたマルチな才能が自由に花開いた、何でもありの時代だったのだ。それの目撃者であった我もまた幸福だったと気づく。
先の水木しげるといい、まさに戦後70年の年に、戦中戦後を引きづってきた人たちが死んで、「戦後」はついに終焉を迎えた感がしている。そして当然残念にも哀しくもある。
しかし、思う存分好きなことをやったこともあるが、彼は実に幸福な人生だったのではないか。家庭的にも恵まれた。本来、作家としての野坂昭如の道を極めつくせば、行き着く先は、色川武大のような破滅的生き急ぎ人生しかなかったかと考える。そうならないためにも彼はフットワーク軽く、キックボクシングから歌、そして政治まであれこれ手を出したのではないか。
戦争に翻弄された小心なマジメ男が、戦後、何事も面白半分、本気半分というような生き方で、案外巧みに時代の波に乗り、気がついたら八十半ばまで生きたと言ったら失礼か。
個人的には、もっともっと井上ひさしのように、作家として本気出してたくさん優れた小説を書いてほしかったという気は今もあるが、彼の生き方はやはり羨ましいほど素晴らしい。彼の生き様は昭和の「戦後」だから許容され、持てはやされたのだとつくづく思う。今の時代は自由がない。出る釘は叩かれそしてすぐに抜かれてしまう。※リリー・フランキーが出て来たとき、その多彩な鋭い才能に驚き大いに期待したが、結局はいつしか一俳優に落ち着いてしまった。それは悪くはないが残念なことではないか。
余談だが、我マス坊の文体は、ひたすらセンテンスが長い、だらだらと一つの文が続いてわかりにくいとよくご意見、ご批判を受ける。もっと簡潔に、短く書けと叱られる。が、その理由は簡単で、文体として影響を受けたのが、若き日に耽読した冗長な野坂昭如と長尺大江健三郎なのだからそれも致し方ない。
何より彼の小説の魅力は、文体、その語り口にあったと思う。つまるところ小説の魅力とは、中身内容も当然だが、それ以前に独自の文体、つまりその作家独自の個性があるかどうかではないのか。村上春樹があんなに人気者になったのは、一番の理由はまずあの新しい「文体」=語り口がそこにあったからだ。
いや、それは何だってすべて同じだろう。昨今、自分らしく生きるとか、本当の自分、とかいう言葉がよく言われるしよく目にする。ならばそのためにもまず自分らしく書き、語り、行動しなければならないのである。そう、生き方、人生にも「文体」がなくてはならないのだと改めて思う。きみは文体を持っているか。
野坂のように、戦後を抱えて自由に生きようと訃報に思った次第。
野坂昭如が死んだ。たぶん今の若い人たちにとっては、誰それ?的な人かもしれない。倒れて以来近年はほとんど表に出なかったしじっさい長寿と呼べるほど十分長く生きた。ある意味、死に時を間違った感もある、遅れて来た無頼派であった。
実は、我にとって若いときはものすごく影響受けた作家であり、大いに憧れもした。その何でもやってしまう、目立ちたがりの破天荒な生き方は三島由紀夫や小田実と並ぶ、常にマスコミの注目の的であり、時代の寵児であった。平成の世になってはもうあんなヘンな物書きは出ていない。
そして、大人というのは、もっと偉そうな重厚な存在だと思っていたとき、彼を交えた中年御三家の登場は、その認識を一変させてくれた。赤塚不二夫といい、大人でもこんなおバカでいいのだ、面白そうならいい歳してても何やっても良いんだとおバカの道を切り開いてくれた恩人でもある。※今も関西人の百田某とかおバカ作家は少ないけれど存在はしている。だが、それは真にバカなだけで、問題は当人自信がバカやっているという自覚がないのが真のバカたる所以なのである。
もともとはあの三期鶏郎工房から出た人で、永六輔も同じ出だから、まさに戦後派の新しい才能であったと今気づく。その永さんと同じく、マルチタレント的に、物書きに留まらず門外漢であろうと歌からCMまで何でも器用にこなし、何でもそれなりにヒットを飛ばした。政治にまで手を出した青島幸男もそうであったし、大橋巨泉、伊丹十三、小沢昭一、前田武彦と同類は数々次々に思い浮かぶ。ということは、昭和の「戦後」とは、そうしたマルチな才能が自由に花開いた、何でもありの時代だったのだ。それの目撃者であった我もまた幸福だったと気づく。
先の水木しげるといい、まさに戦後70年の年に、戦中戦後を引きづってきた人たちが死んで、「戦後」はついに終焉を迎えた感がしている。そして当然残念にも哀しくもある。
しかし、思う存分好きなことをやったこともあるが、彼は実に幸福な人生だったのではないか。家庭的にも恵まれた。本来、作家としての野坂昭如の道を極めつくせば、行き着く先は、色川武大のような破滅的生き急ぎ人生しかなかったかと考える。そうならないためにも彼はフットワーク軽く、キックボクシングから歌、そして政治まであれこれ手を出したのではないか。
戦争に翻弄された小心なマジメ男が、戦後、何事も面白半分、本気半分というような生き方で、案外巧みに時代の波に乗り、気がついたら八十半ばまで生きたと言ったら失礼か。
個人的には、もっともっと井上ひさしのように、作家として本気出してたくさん優れた小説を書いてほしかったという気は今もあるが、彼の生き方はやはり羨ましいほど素晴らしい。彼の生き様は昭和の「戦後」だから許容され、持てはやされたのだとつくづく思う。今の時代は自由がない。出る釘は叩かれそしてすぐに抜かれてしまう。※リリー・フランキーが出て来たとき、その多彩な鋭い才能に驚き大いに期待したが、結局はいつしか一俳優に落ち着いてしまった。それは悪くはないが残念なことではないか。
余談だが、我マス坊の文体は、ひたすらセンテンスが長い、だらだらと一つの文が続いてわかりにくいとよくご意見、ご批判を受ける。もっと簡潔に、短く書けと叱られる。が、その理由は簡単で、文体として影響を受けたのが、若き日に耽読した冗長な野坂昭如と長尺大江健三郎なのだからそれも致し方ない。
何より彼の小説の魅力は、文体、その語り口にあったと思う。つまるところ小説の魅力とは、中身内容も当然だが、それ以前に独自の文体、つまりその作家独自の個性があるかどうかではないのか。村上春樹があんなに人気者になったのは、一番の理由はまずあの新しい「文体」=語り口がそこにあったからだ。
いや、それは何だってすべて同じだろう。昨今、自分らしく生きるとか、本当の自分、とかいう言葉がよく言われるしよく目にする。ならばそのためにもまず自分らしく書き、語り、行動しなければならないのである。そう、生き方、人生にも「文体」がなくてはならないのだと改めて思う。きみは文体を持っているか。
野坂のように、戦後を抱えて自由に生きようと訃報に思った次第。
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