今は亡き人たちと過ごした雨の夜2017年03月28日 10時32分32秒

★青森「だびよん」での恭蔵さんと一潮さんの20年前の姿を観て

 谷保のかけこみ亭では、毎年この季節、青森の生んだ不世出のフォークシンガー故高坂一潮さんの命日にあたる3月末に、彼を追悼するイベントを催している。今年は3月26日の夜で六回忌であった。

 去年は、生前の彼と親交のあったミュージシャンたちが集い、元夫人も上京されて、皆で彼の遺したうたを唄い偲ぶライブが盛大に開催された。
 非力ながら我も少なからずそれには関わったのだけれど、諸々の私的事情でかけこみ亭にも足が遠のいていたため今年のそれは、彼のステージを記録をした映像を流す程度のごくささやかな集いとなった。
 我が事情が以前のままならば、もっと早くから企画立てて、縁あるフォークシンガーたちに参加を呼びかけたかと思うが、今も身動き取れないわけで今回積極的に関われなかったことを残念かつ申し訳なく思う次第だ。

 さて、その晩、終日冷たい雨が降りそぼる晩であったが、犬たちを部屋に閉じ込め、老犬のことは心配だったものの車で谷保まで大急ぎで向かった。
 参加者は少なかったが、ビデオプロジェクターでは、西岡恭蔵さんが、青森の「シューだびよん」であろうか、一潮さんと共に唄っている姿が流れていた。訊けば、1997年のライブで、今から20年も前のものだ。
 しかし、その頃の映像としては、画質も音も良く、ステージ正面奥から、おそらく店の関係者が固定カメラで撮ったものと思われ、恭蔵さんのノリノリのステージがたっぷり収録されていた。我は以前、その一部をどこかで観た記憶があるが、驚いたのは、ライブ終演後の「打ち上げ」の様子も実にたっぷり記録されていたことだ。それは初めて見た。

 恭蔵さんは、ステージ最中からかなり酔っぱらっていてハイテンションで、長時間のライブを終えた後もまだ打ち上げの席でも皆が飲食いしているのにも関わらずギターを離さず、喧騒の中でも次から次へと彼の持ち歌を取り囲む人たちに向けて唄い続けている。
 参加者の多くはそれぞれ自ら食べて飲み話すのに夢中である。打ち上げの場ゆえともかく騒がしい。隣の席では一潮さんが黙々と食べ続けたり、口笛で合わせてジョイントしたり、大いに皆で楽しく騒いで盛り上がっている「打ち上げの席」であった。

 西岡恭蔵さんは、それから二年後、確か1999年に自ら命を絶ち、一潮さんも10年ほど前に東京で倒れて、数年間意識が意識も回復せぬのまま大震災の年に命尽き果てた。
 そんな二人が共に元気に、唄いかつ飲んで食べて、その映像の中では意気軒高、楽しく浮かれて健在であった。観ていてこちらも嬉しくなってきた。とても貴重な映像であった。
 
 帰り道、車の中で、なんとも表現しがたい不思議な気持ちになった。あたかも自分はもう死んで、我の魂が過去の、その青森のライブ会場、だびよんにたどり着き、その場に参加し、そこにいるような気分がした。それを我は垣間見たのだ。
 あるいはそうした「夢」、元気な頃の恭蔵さんや一潮さん達が出てくる夢を見たのかもしれない気がした。彼らは今も「あそこ」でわいわいがやがやと楽しい打ち上げを今もやっているのだと思った。
 
 当たり前のことだが、死んだ人はいつまでも若く変わらない。
 高田渡というと、晩年のしわくちゃな白髪髭のおじいさんというイメージがすぐ浮かぶ。しかし、若い頃の彼を知る人は、小柄だが精悍でカッコよく、ある人は、ジェリー藤尾に、ある人は、マラソン選手のアベベに似ていたと語っていたのを思い出す。ゆえに若い女の子からも人気が高かったそうだ。もし彼がその頃、早逝していれば、そのイメージのまま、晩年の姿は誰も想像できないであろう。
 といっても彼が死んだのは50代半ばであり、今思えば、現在の我よりも歳下なのである。それもまた信じられないが、今回の話とは関係ない。

 今回のそのビデオで、一潮さんは、我が知る倒れる前の頃の姿に比べればスマートで、まだ青年の面影を強く残している。その若き日の姿は初めて見た。
 そして、恭蔵さんといえば、結局、それから間もなく亡くなったこともあり、現在YouTube等で流れているままの、中年のひょうひょうとした姿である。彼の「その後」はなかった。自死したことによりその地点で終わってしまった。今も変わらず最後の姿、若いままだ。

 最近、人の死に関していろんなことを思い考える。人はかつての、過ぎ去った楽しく素晴らしい日々と今現在を比べて、もう還らない、あの人は死んでしまい戻らない、と悲嘆し無常感に苛まれる。
 そして、今、死によって大切な人たちを喪うとき、その別離と喪失の苦しみに身が裂かれるような思いがする。
 が、今回、その青森での恭蔵さんのライブと、その後の「打ち上げ」の映像を観て、こんなに楽しいときがあり、そんな場が持てたのだったら、もうそれだけで良いではないか、「死」は別に辛いことではない、という気持ちになった。

 むろんその場にいた人や、亡き人たちの親族、ごく親しい人たちは、亡き人たちが元気ではしゃぐ姿を見て様々な感慨がわくことだろう。もうあの時もあの人たちも戻らないと。淋しく辛く感じるかもしれない。
 しかし、一瞬でもその場の全員で、大喜びして騒ぎ飲み食いし、大いに唄った楽しい一夜が持てたのならば、それだけでそれは「永遠」となったのではないか。過ぎ去った日々、そんなときがあったことが彼らにとっても今いる我らにとっても救いであろう。

 たぶん魂の世界では、青森のしゅーだびよんでは、今もまだその楽しい盛大な「打ち上げ」は続いているはずだ。そこではべろべろに酔っぱらいながらも、恭蔵さんは打ち上げの席でもひたすら浮かれて唄い続け、傍らでは若き一潮さんが黙々と食べ続けている。
 我も死ねば、その打ち上げに参加できるのだ。ならば、死と死による別れは決して辛く哀しいものではない。彼らはその場所、「永遠」の場にいる。

 雨の日もあれば晴れの日、強い風が吹く日もある。人の死も同様に、そうした当たり前の自然現象に過ぎないように思えて来た。
 老いた者は死に行き、若き命がまた新たに生まれ出る。そして老いてなくとも死ぬ定めにある者は先に逝き去る。
 ならばどれだけ楽しく満足できた「一瞬」を、人は持てたかだけであろう。そしてその一瞬は、永遠になっていくのだと。