イベントを終えて思うこと、続き ― 2024年10月31日 11時54分43秒
★あと、もう少し続けていく、種を蒔いていく。
27日の当日の朝、開場は、11時と告知していたから、その前にはフリマ用品の展示なども全て終えていなければならない。
が、7時半に会場へ行ったら、オーナーは既に来られて、自らの出品するものを並べたりしていたので、二人で細かく内部の物品の移動や片づけに追われて、すぐにスタッフが集まる時刻の9時となった。
じょじょに当日のお手伝いを頼んだ方は来てくれたのだが、あれこれ準備に追われるうちに気がつけば、いつしか開場時間となってしまい、気の早いご婦人方は、連れ立ってその前から来場してきた。
その時点で、まだ建物門柱に付ける立て看板もできていない有様で、ホール内は、テーブルに物品はざっと広げたものの、並べるどころかまだ値札も何もついてもいなかった。
幸い、この十数年来、疎遠となっていた旧友が訪れてくれたので、彼はすぐさま値札などの展示物の貼り紙類を担当してくれたし、女友達たちも売り子として来てくれたので、何とかかっこうはついてきた。※彼の家にチラシを撒いたからだ。
フォークソングのほうも、I氏がPAを担当してくれてたので、我は、フリマなど他のことに専念することが出来てほんとうに助かった。
ともかく始まってしまえば、人出も人手もあり音楽のほうも含めて何とか盛況となった。我がかけこみ亭でイベントを企画していたときからの友人もわざわざ足を運んでくれた。有難いことだ。
そんなこんなで、当日開始時間まで、もうどうなることかと危ぶみ、パニック障害の発作起こす寸前だったが、多くの人たちのご協力で何とか無事に終えることが出来た。改めてこの場で深く感謝いたしたい。
後片づけも人手があったので、一時間も足らずに、あっという間に皆で片づけてもらえ、ほんとうに助かり楽できた。
今回の収益は、実質のところ千円にも満たぬ微々たるもので、まさに楼多くして、の感が強いが、元より儲けようとか、収益のためにやろうとしたわけではないから、それはまったくかまわない。
ともかく青梅線という辺境の街で、市の行政や企業に頼ることなく場をつくり場を活かし、その地元の人だけでなく、他所からも人が集うよう呼び掛けるためにやっているのだから、これからももう少し続けていきたいと願う。
親たちを喪い、一人となって生活も人生もハタンしてしまい、猫たちは増え続け、家は内外ゴミ屋敷となって一時期は、自らこの人生を終えることも考えた。
が、ともかく死ぬのはまだ早い、もう少し生きて人生をもう一度やり直そう、取り戻そうと決意して未だその再建途中なのだ。
正直なところ、こんなことをやってる、関わる余裕はないのである。自らの人生にもっと手をかけてきちんと「再生」させねばならないはずだ。
またご近所から、嫌がらせの電話もかかってくる。じっさい、またも市の環境課に文句の電話したらしく、イベントの直前に、市職の若い男女がウチを訪れてきて、ご近所から苦情が出ているから何とかしろと申し入れしてきた。
そう、本来はまず、自らのこと、家の片づけや新たな収入先の確保など、そちらを最優先すべきなのである。が、それと同時に、自分のことだけではない、別のこと何かをやらねばと思う。
このまま死んでしまえば、たとえ家の片づけは終わったとしても、さんざんモノを増やしただけのヒト、でしかない。世をお騒がせしたたけで何も生み出すことなく。
我には子もなく金も仕事もなく、友も少なく、才能も力も何も何一つない。だからこそ、自らのためではなく、人と人が出会い結びつけるような場、その仕掛けを作っていきたい。
それは若い時からずっと願いやってきたことだ。そして老いてきた今、これが最後の、自らができることだと考えている。すべきことかどうかはともかくも。
次回は、12月の15日の日曜。どうかこのブログをお読みの方よ、ぜひ一度はご来場願い、我に声をかけて頂きたい。我には何もないが、その場所は在るのだ。
27日の当日の朝、開場は、11時と告知していたから、その前にはフリマ用品の展示なども全て終えていなければならない。
が、7時半に会場へ行ったら、オーナーは既に来られて、自らの出品するものを並べたりしていたので、二人で細かく内部の物品の移動や片づけに追われて、すぐにスタッフが集まる時刻の9時となった。
じょじょに当日のお手伝いを頼んだ方は来てくれたのだが、あれこれ準備に追われるうちに気がつけば、いつしか開場時間となってしまい、気の早いご婦人方は、連れ立ってその前から来場してきた。
その時点で、まだ建物門柱に付ける立て看板もできていない有様で、ホール内は、テーブルに物品はざっと広げたものの、並べるどころかまだ値札も何もついてもいなかった。
幸い、この十数年来、疎遠となっていた旧友が訪れてくれたので、彼はすぐさま値札などの展示物の貼り紙類を担当してくれたし、女友達たちも売り子として来てくれたので、何とかかっこうはついてきた。※彼の家にチラシを撒いたからだ。
フォークソングのほうも、I氏がPAを担当してくれてたので、我は、フリマなど他のことに専念することが出来てほんとうに助かった。
ともかく始まってしまえば、人出も人手もあり音楽のほうも含めて何とか盛況となった。我がかけこみ亭でイベントを企画していたときからの友人もわざわざ足を運んでくれた。有難いことだ。
そんなこんなで、当日開始時間まで、もうどうなることかと危ぶみ、パニック障害の発作起こす寸前だったが、多くの人たちのご協力で何とか無事に終えることが出来た。改めてこの場で深く感謝いたしたい。
後片づけも人手があったので、一時間も足らずに、あっという間に皆で片づけてもらえ、ほんとうに助かり楽できた。
今回の収益は、実質のところ千円にも満たぬ微々たるもので、まさに楼多くして、の感が強いが、元より儲けようとか、収益のためにやろうとしたわけではないから、それはまったくかまわない。
ともかく青梅線という辺境の街で、市の行政や企業に頼ることなく場をつくり場を活かし、その地元の人だけでなく、他所からも人が集うよう呼び掛けるためにやっているのだから、これからももう少し続けていきたいと願う。
親たちを喪い、一人となって生活も人生もハタンしてしまい、猫たちは増え続け、家は内外ゴミ屋敷となって一時期は、自らこの人生を終えることも考えた。
が、ともかく死ぬのはまだ早い、もう少し生きて人生をもう一度やり直そう、取り戻そうと決意して未だその再建途中なのだ。
正直なところ、こんなことをやってる、関わる余裕はないのである。自らの人生にもっと手をかけてきちんと「再生」させねばならないはずだ。
またご近所から、嫌がらせの電話もかかってくる。じっさい、またも市の環境課に文句の電話したらしく、イベントの直前に、市職の若い男女がウチを訪れてきて、ご近所から苦情が出ているから何とかしろと申し入れしてきた。
そう、本来はまず、自らのこと、家の片づけや新たな収入先の確保など、そちらを最優先すべきなのである。が、それと同時に、自分のことだけではない、別のこと何かをやらねばと思う。
このまま死んでしまえば、たとえ家の片づけは終わったとしても、さんざんモノを増やしただけのヒト、でしかない。世をお騒がせしたたけで何も生み出すことなく。
我には子もなく金も仕事もなく、友も少なく、才能も力も何も何一つない。だからこそ、自らのためではなく、人と人が出会い結びつけるような場、その仕掛けを作っていきたい。
それは若い時からずっと願いやってきたことだ。そして老いてきた今、これが最後の、自らができることだと考えている。すべきことかどうかはともかくも。
次回は、12月の15日の日曜。どうかこのブログをお読みの方よ、ぜひ一度はご来場願い、我に声をかけて頂きたい。我には何もないが、その場所は在るのだ。
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