甲州街道はもう冬なのさ2014年12月05日 13時39分59秒

小雪の後の古民家の冬枯れた風景
★新たなこと、知らない道、初めての町を走る喜び      アクセスランキング: 88位

 11月末のイベントはとにもかくにも盛況の裡に終わった。で、肉体疲労より心の疲れ、気分転換も兼ねて、3~4日の水木とウチの車で一人で犬たち連れて古民家で一泊してきた。むろん倉庫の本や雑誌を満載してだ。
 行った水曜は晴れて富士や南アルプス、八ヶ岳も望めまあまあの天気であったが、翌日は朝から小雨が降り出したと思ったら雪になり、積もるほどではないが、ちょっと驚かされた。後でラジオを聴いたら、甲府でも初冠雪とのことで、例年より早いらしい。

 古民家には今きちんとした暖房がないからともかく寒い。前の晩は近くの温泉に行きあったまったまま即布団に入って早く寝てしまった。そしたら早朝というよりまだ深夜に近い午前3時半ごろに目覚めてしまい、それからはもう眠れず、運び込んだままたったオーディオをセットアップして鳴らしたりして夜が明けるのを待っていた。先にも書いたが、犬は一緒に寝てもちっとも暖かくないどころか熟睡できなくなるので、彼らは玄関の土間に毛布しいて寝かせたのだ。おかげで熟睡でき早く寝て早く起きたという次第。

 12月に入った途端、北杜市須玉の江草でも初雪が降り、このまま去年の冬のように大雪になることを危ぶむ気がして早く帰ることにして午前9時過ぎには家を出た。が、早朝の雪は幸いすぐに雨となりそれも降ったりやんだりの弱い雨だったので、慌てることはないと、韮崎まで走り、道の駅や農協の直売所で野菜やりんごなどたくさん買い込み、韮崎インターから高速に乗ることにした。
 いつもはそうして野菜などの買い物だけ済ますとすぐさま高速に乗って八王子までSAなどで休むことなくひた走りで一気に帰る。積んできた荷物もないのと、道は基本東京までひたすら下り坂になっているのでガソリンも行きよりくわないし、ともかくスピードも出せる。早ければ約一時間で八王子に着いてしまう。

 でも今回はうんと時間もあったことと、残してきた老親たちはデイサービスに行って不在の日でもあったので、初めて韮崎の市街をゆっくり探索して昼飯でも食べてから帰ることにしたのだ。目的の一つに、以前そこのタウン誌でチェックしていた楽器兼レコード屋を訪れることもあった。以前訪れた新潟の巻町でも駅前にかなり大きくて歴史ある楽器店があって、デッドストックになったようなハーモニカなど楽器アクセサリーがあったのだ。今回もその店、たぶん韮崎市でもはや一軒だけだと思うが、そこへ初めて寄って見かけたことないタイプのカポタストを買った。

 それからインターに入って一路八王子へと考えたが、ふいに気が変わって、時間もあるならば、いっそ一般道でこのまま甲州街道で八王子まで戻ってみたらどうかと考えた。
 そして実際にそれをやってみた。ウチに戻ったのは夕方4時半近く。途中であちこち寄っては食事したり休んだりと時間潰したこともあったが、昼前に韮崎を出たのだから実走で三倍は時間かかったかとおもう。しかし実に面白かった。

 小雨降る中であったが、初めての道、知らない町を初めて走ることは発見の連続であり、とてつなくエキサイティングであった。まるで外国にいるかのような気持ちがした。人生とは、人生の価値とはこれだとさえ思えた。長くなるのでもう一回書き足す。

山梨で気持ちリセットしてきた2014年11月15日 22時26分16秒

★見上げてごらん初冬の夜空の星を         アクセスランキング: 88位

 山梨の古民家で久々に一泊してきた。一人で犬二匹連れてだ。11月も半ばとなってこちら、東京の多摩地区でもかなり冷え込むようになってきたがやはり向こうは既に冬の装いで、紅葉も既に終わりに近く落ち葉が道にいっぱいでともかく寒かった。
 毎度ながらジャンパーなど上に着る者は何も持たず、気軽なトレーナー姿で行ったのであまりの寒さに、先住の方の残してあったボロ衣類をあさって羽織って何とか暖をとった。ただっ広い間仕切りも何もない暖房器具はコタツ一つだけの何十畳もの大広間の中なのである。そのコタツも専用の布団がみつからずとりあえず手近にあったシーツを被せてスイッチ入れた次第。コタツすらなければあとは布団にもぐりこむしかない。

 今回行ったのは、北斗市は氷点下となるとの天気予報だったので、先だって新たに工事し引き直した水道管の水抜き、バルブ閉めのためで、まさか急にこんなに寒くなるとは考えもしないうちに冬が来てしまったというわけだ。これで水道が凍って管が破裂したりすると普段そこに暮らしているならすぐに気づき対処もできるが、基本不在なので後からまたバカ高い水道代が請求されてしまう。面倒だが高冷地では、家を長期間空けるとき冬場は帰る前に家中の蛇口を開けて水道の水抜きをしておかないと凍って大変なことになる。そんなで大慌てで本格的に冬が来る前に駆けつけたのだ。

 しかし久々に向こうに泊まって一人も人間に会わずに、テレビもネットも何一つないラジオもつけずに静かな夜を過ごして気持ちはリフレッシュ、リセットできた。どれほど寒くても環境を変えて自然の中で一人で過ごすのは良い気分転換となった。

 実はこのところ月末の詩朗読フォークコンサートが近づいてきて、観客の入りのこともあるが、準備に追われているのになかなか進まずやはり焦り苛立ち始めていたのだ。時間は迫ってきているのに果たしてどうなるのか不安な気持ちも高まってきていた。そんな中、山梨の古民家どころではないという気分であったけれど行かねばならず、日帰りも考えたが、疲れるだけと考え直して久々に泊まってきた。そして今日の午後早く戻ってきた。

 このところ先にも書いたが、トラックを借りて倉庫からの移動のため何度も本類の運び込みに通ってはいたが、レンタカーを当日返すのでいつも日帰りだった。昼前に東京を出て向こうに着くと積荷を下ろしてあたふたと夕方前に向こうを発つということの繰り返しだった。だから古民家に滞在しているのは行っても実質4時間足らずであった。

 今回も決してのんびりできたというわけではないが、一人の時間を過ごせて環境を変えたことで気持ちも改まった。そしてこれは自慢することではないが、この場所があり、いつでも行けて自由に使える古民家が自分にある幸せをかみしめた。むろんガソリン代や高速代、その他維持費もやたらかかる。しかし今のように目先のことに追われて焦り苛立つときにきもちを切り替えられる避難場所のようなところがありいつでもそこに行けることは何と幸せなことかと改めて気が付いた。

 だからこそこの幸運、喜びを独り占めしてはならないと思うし、所有権は移ってもここが自分の持ち物、自分ちだという気持ちは今も全然ない。あくまでも仮のすまい、元の持ち主様から借りて使わせてもらっている気がしている。だから人んちとして落ち着かない気も未だしているが、だからこそ行けば気持ちも改まるのであろう。
 そしてここは同様に、友人知人他の方も来てぜひ使ってほしいと望む。でないとあまりにもったいないし、我一人ではとても維持も管理もできない。これからさらに寒くなるが、本年明けの記録的な豪雪はまず起こらないと思うので、寒さと不便を覚悟のうえで、気分転換したいときは連絡頂ければ同行も案内も接待もする。

 そこは特に何か観るものや遊ぶところなど何もない。行くのも暮らすのもただ不便なだけのところだ。古民家といっても本格的趣のあるそれではないし、また゜まだ前所有者の家族の残したガラクタなどもあるので何とも落ち着かない。しかし静かであることと自然いっぱいでまず人間には誰にも会わずにいられることが有難い。
 そして特筆すべきは、夜空の星の素晴らしさだ。天文愛好家ならば星空観測のメッカは清里や野辺山であるのはご存じと思うが、そこにも近いこととともかく空気が澄んだ山里、標高も高いこと、さらに限界集落なので街頭がほとんどないこともあって夜が暗く、雲さえなければまさに夜の空は満点の星となる。
 ここに来て夏の間は毎晩一人で一時間も夜空見上げてひたすら夜道を歩いていた。初めて天の川というまさに星の河を確認もしたし、流れ星も一晩に何個も見れた。あまりに星の数が多いので、どれが北斗七星の星々か、オリオンか、スバルかさえ見分けるのが難しいほどだが、まさに何時間見ていても飽きることはない。

 バカのように口を開けつつ、夜空に瞬く何万個もの星を見上げていると全てのことがどうでもよくなっていく。虚しいとか意味がないというのではなく、人間の営む目先の問題や悩みなど宇宙の中では全くどうでもいい小さな小さなことだと思えてくる。究極の未来永劫変わらない大自然とは宇宙、天体であり、この地球すらその宇宙の大きさの中ではごくちっぽけな一つの星にしかすぎない。そこで今あくせくして生きている自分などは海の砂粒ほどの存在ですらないのだ。星々の時間の中では人間の営みなど100年生きたとしても無意味だとわかる。

 さすがに今の季節は寒くなってしまったのでもうそんな風に一時間も外に出ていられない。が、その満天の星々を見るだけでもそこ北斗市須玉に行く価値はあると思う。今回もそれでずいぶん気持ちは楽になった。
 帰り道、晴れて爽やかな中央高速を適当なうたを大声で歌いながら飛ばして帰った。後方には八ヶ岳、右手には南アルプスの山々、前方には雪を被った富士山がそびえたつ。もう今は不安や怖れ、焦りや苛立ちは全く消えた。山梨の古民家に行かなかったらば、小心者の自分はしだいに当日が近づくにつれ焦り興奮しドキドキ心臓は高まってきてパニック障害となっていたかもしれない。

 まあ、向こうはともかく寒いが、これからもうまく時間をつくって来年の夏に向けて片付けなど進めていく。そして今冬は無理だが、寒さ対策として安物でも薪ストーブを設置するつもりだ。やることはいっぱいあるしできることは限りがある。だからこそできるときにすべきことを少しづつでもやっていこう。ちっぽけな人間の些細な人生だが、満天の星を見上げながらささやかな幸せを祈ろう。

冬の備えに山梨へまた2014年11月14日 10時25分08秒

★戻ったら報告します。                アクセスランキング: 84位

 寒くなってきた。今年一番の冷え込みとのこと。寒いのは仕方ないが、そのための準備と備え、冬支度をしないとならない。
 山梨の古民家は、もう氷点下となろう。外の水道の水抜きしたりしておかないと凍って破裂して面倒なことになる。そんなで大慌てでまた山梨へ一人で犬たちと行ってきます。

またトラックレンタルして山梨へ日帰りで行く2014年10月28日 03時19分46秒

★木枯らしの吹く早暁に古民家のことを          アクセスランキング: 76位

 秋は、秋からは浮浪者のままではいられない、というのは高田渡がうたにした山之口獏の「生活の柄」の一節だが、原詩はともかくもこう寒くなると思わずそのフレーズが口をついて出てくる。

 家のあちこち夏中開け放していた窓からは昨晩は冷たい強い秋風が吹きこんで寒くて仕方ない。確認したわけではないが、木枯らし一号ではないか。
 ずっと夏気分のままで、浮浪者ではないが夏の格好のまま薄着で過ごしていたら季節は移ってしまい寒くなった。で、さっそく鼻風邪ひいてクシャミが出たり鼻水垂らしている。喉も腰もまた鈍く痛い感じがしている。湯たんぽが恋しい。

 去っていく人のことやこれからのこと等様々な思いが次々と湧いてくる。先のことを考えると不安や急かされる思いに駆られるが、ともかくまず今できる、すべきことを少しでも進めていくしかない。他人のことをあれこれ考え思い案ずるよりもまず自分の務めを果たすだけだ。

 今日28日は、また笠間より友人である「社員」氏を招いて、レンタカーのトラックで、日帰りで山梨へ本を積み込み向こうへ運びに行く。
 先にもちょこっと書いたが、ウチの近くにずっと倉庫として借りている長屋に置いてある本や雑誌を山梨の古民家の物置に運ぶのだ。
 先だって今月17日にもやってトラックをレンタルしての作業は二回目となる。年内、2014年の内にその長屋を引き払い無駄な出費をなくそうと決意した我なりの経費削減、財政健全化計画なのだ。家計骨太の改革であり、今日やってみれば先が見えて来るかと思う。

 いまそこにあるのは即売り物にはならなかった、ほとんどがクズ本だろうし、もっと時間かけて分別すればかなり捨てられるはずだが、今はその細かい作業にかける時間がない。紐ほどいて一冊づつ確認などのんびりもたもたしているとすぐにまた来年になってしまう。ともかく右から左へ一気に運んで長屋を空にしていくしかない。
 本当は作年度、今年の春先までには終わらせる予定であった。が、老犬の介護とか老親のこととかあれこれ時間とられることが多くてそれは成らなかった。で、今強い決意で多少の出費かけても今後のことも考えて一日も早くと慌てているのである。

 前回の時は初めて借りるトラックでの作業であり、どのぐらい詰め込めるのか不安もあってやや余裕持って積み込んでしまった。そしたらあまり移動した成果が感じられず大いに不満であった。
 本当は今の季節、そろそろ紅葉も見盛りであろうし、のんびり一泊してまた山間の温泉にでも浸かっていたいのだが、トラックは当日返却と一泊とではレンタル代が当たり前だがずいぶん違う。向こうから運ぶものなどゴミ以外大してないのだから、泊まってのんびりするより作業終えれば即帰るにこしたことはない。

 11月は・・・その30日の大きいライブイベントがあるので、果たして本のほうの作業に時間かけられるかわからない。行けても一回あるかないかだと心している。ともかく今日やってみて、あと何回行けば空にできるか先が見えるはずだ。雪は今年早々の記録的豪雪のようには降らならないかと思うが、本格的に冬がやって来る前に、12月のうちにはがんばってこの移動作業を終わりにさせたい。
 正直なところ、今頭の中は、11月末日の阿佐ヶ谷でのライブイベントのことでいっぱいなのだが、やるべきはそれだけではなく、他のことも並行してやって自分の人生を軽くしていかねばならない。

 山梨の古民家の何部屋かは運んだ本でいっぱいになってしまうかもしれないが、おいおい冬の間泊まり込んでゆっくり分別作業に励みたい。夢は向こうにも薪ストーブを設置することで、今毎月支払っている長屋の店賃がなくなれば金も浮く。この冬は無理でも来年の秋には間に合うかと思う。
 向こうで一冬既に過ごしてみてわかったことはともかく寒い。やたらだだっ広い古民家であり山里なのだから当然だが、冬の暖房対策もそろそろ真剣に考えないと冬場の利用もできやしない。

 来年の夏こそ、古民家でサマーキャンプをやりたいと思う。そのためにも山梨のほうに時間と金もかけないとならない。ただの本の倉庫、物置にしてはならないと心している。


 ※追記:この日の作業は無事終わり、午後6時半には戻ることができて、レンタカーは余裕で返却できた。これで二回、借りたトラックで積み込みと移動の作業をしてみて、見えたというか、一応の今後の予想、予定も立ったと思える。
 あと三回、同様の作業を繰り返せば、借りている長屋の主屋だけはカラにできるかと目安がついた。来月中に一回、12月に二回できれば今年のうちに空にして大家に返せるのではないか。むろん、それとは別に自分の軽ワゴンでも運びつつ、向こうのスペースも作っていかないとならない。だが、何であれ、少しでも何かが片付きモノゴトが進んでいくことは良いことであり、それがやれることは有難い。

 本という文化の終焉、末日に立つ今、その残務処理に深く関わり耽溺している気持ちでいる。それもまた愚かしくも自分ならではことであろう。

9/23.山梨古民家ツアー報告記・後2014年09月26日 21時07分06秒

天然記念物のケヤキの大樹に圧倒される森の音楽隊一行
★秘湯に入った後は一路高速道をひた走り東京へ         アクセスランキング: 122 位

 樹齢800年とも言われる巨樹にみんなして圧倒され、近くの道祖神めぐりなどしてブラブラしてたらもう午後3時となった。
 マス坊の予定では、「古民家片づけ隊」として、巨大食器棚を移動させるべく中に入ってるセトモノなど運び出すだけでもできたらと考えてたのだが、早くもタイムアップである。温泉に行く時間がない。今回は作業は諦めてともかくせっかく来たのだから温泉へ、さらに山奥にある増冨の湯へ行くこととなった。

 それからまた慌ただしく、その古民家からさらに標高300m高いところにある増冨の湯へ約15分車を走らせた。そこは瑞牆山の山麓に位置しているので、山また奥の森の中である。それでも韮崎から日に数本はバスが出て登山者や温泉旅客を運んでいる。

 鄙びた温泉街を車で散策してから公営の「増冨の湯」へ。ここは何度も拙ブログで紹介したように、ラジウム含有量日本一をほこる色も味も複雑な名湯で、源泉25℃から30℃、35℃、そして37℃といくつもの温度の違う風呂を擁し長時間浸かることができるようになっている。
 マス坊が知る限り日本唯一最高の効能ある温泉で、今回ようやく友人知人をこうして連れてくることができて本願を達成した。
 ただ時間もあまりなかったので、一時間そこらしか入ることができず、女性陣はむろんさらに長湯したかったようだが、そこそこにまた古民家に戻って帰り支度となった。山は日暮れが早いが幸いまだ夕暮れ時であった。
 道の駅で買ってきた「あけび」を皆で食べていざ帰路の出発となった。
が、須玉インターに入ったのが既に午後6時で、運転手マス坊の頭の中は、レンタカー屋に時間内に車を返せるのか不安がわいていた。
 帰りは道自体下り坂ばかりなので一時間で八王子まで出られると考えていたら、あろうことかやはり談合坂あたりから早くも渋滞である。

 少し進んではノロノロ、また渋滞、そして進んではノロノロを繰り替えし、時間は刻々進んでいく。レンタカーの契約は12時間で、営業所の時間も8時なのである。8時までに戻って返さないことには、翌朝まで、けっきょく24時間借りることになってしまうのだ。
 幸い問題の小仏トンネルを抜けたら渋滞は完全に解消された。それから追い越し車線を時速120キロ以上の猛スピードで他の車を次々と追い越して八王子へひた走りに走った。今までこんなに早く走ったことは生涯一度もない。むろん車が軽のおんぼろワゴンだったからだが。

 八王子インターに着いたのがちょうど8時。運転中は携帯で電話連絡もできなかったので、車とめて慌ててレンタカー営業所に連絡した。幸い15分ぐらいなら遅れてもかまわないとのことで、それから大急ぎで行きつけのガソリンスタントで給油して満タンに戻して、駅前へ向かった。
 けっきょく、延滞料金もとられることなく、無事故無違反で山梨まで日帰りで行って帰ることが成った。ほっとしたが、実は帰り道はもうどうなることか手の平も脇の下も汗びっしょりであった。
 時間の余裕ある人たち皆でラーメン屋でまた腹ごしらえして散会となった。

 何はともあれ、こうして多人数での初の古民家探訪ツアーは無事終了した。何か慌ただしくて、あれこれ買物して皆で昼食作って食べて温泉に入っただけで終わってしまった感がするが、それで良かったのだろうか。今回みほこんはバイオリンを抱えて来てマス坊はギターをむきだしで車に積んできたのだが、バイオリンに至ってはケースからも出すこと一度もなかった。わざわざ持ってきてくれたのに実に申し訳なく思う。
 しかしともかく皆で行きも帰りもわいわい大騒ぎできたし、大自然と広い家の中で少しはのんびり寛ぎ息抜きにもなったかと思う。次回はやはり一泊の方向で来たいと思ったし、来年の夏こそは念願のサマーキャンプもこんな感じでできるかと思う。

 これまでも個々には友人連れては来たがやはりこうしたツアーは大人数に限る。皆で大騒ぎするのが楽しいのであった。今度はハイエースでもレンタルしてきてさらに大がかりに盛大に企画したい。なお、マス坊は今秋も雪が降るまではちょくちょく向こうへ通っている。この記事で古民家とこの地区に感心持ち、同行してみたい方はお気軽に連絡くれれば合わせてまいります。

 ともかくもっと余裕もって安全運転でこれからはやっていきます。どうか安心してご同行願います。

9/23.山梨古民家ツアー報告記・中 ―2014年09月25日 21時56分47秒

★秋の山梨は美味しいものがいっぱい

 ご存知のように、全国の高速道路の中でも中央道は、山中を多く通るのでかなり道はくねくね曲がっていて急カーブも多く、スピードも出せない。ある意味、首都高速にいちばん似ている。
 しかも、今回の行程では、小仏トンネルと笹子という二大古くて長いトンネルがあり、中は暗く狭く二車線ギリギリで、笹子トンネルに至っては先年天井板が崩落して大事故となったことは記憶に新しい。
 だから行楽の人手交通量が増える祝祭日には必ずと言っていいほどそのトンネルの手前で渋滞する。

 今回も23日は秋のお彼岸、秋分の日であったので、ネットで調べた事前の渋滞予想では、行き、つまり下り線は相模湖辺りから小仏、上野原まで渋滞すると表示されていた。
 が、行きは車の量はやや多めだったもののまったく渋滞に巻き込まれることなく、すいすいとあっという間に笹子トンネルまで抜けてしまった。時間もあったので、その先のSA、釈迦堂でいったんトイレ休憩とした。台風が来ていると予報されていたが天気はまだ良く、空気もおいしく南アルプスはやや雲の中ではっきり望めなかった以外はまさに快適なドライブであった。

 韮崎で降りて、いくつかの買物をすましていく。清里街道を須玉方面に進むとまず、農協の巨大直売所、「よってけし」がある。山梨の方言で、「よってらっしゃい」という意味のそこは、各農家が持ち込む多種多彩な野菜や漬物、弁当類まで並ぶ観光客のみならず地元民も利用する市場で季節折々この近辺の食材が手に入る。
 ただ、火曜日が定休日で、今回もその日に当たっていたので、休みだろうと諦めていたら祝日だったので開いていて皆でさっそく中をコーフン気味に探索した。そして枝豆や生しいたけ、そうめんかぼちゃ、ブドウなど買い求めた。次いで、行くたびに必ず買ってしまう八ヶ岳ブレッドというとても美味しい手作りパンの店に寄り、さらには道の駅、銀河でまたぶどうとトウモロコシ、燻製や地元産ワインを買い求め一路須玉の江草にある古民家へ。

 あちこち途中で店に立ち寄りあれこれ買い求めたので、朝9時半に八王子インターから入ったのに、けっきょく江草の古民家に着いたのは昼近くであった。
 それから皆で手分けして、枝豆をむしり取ったり、買ったばかりのキューりとレタスでサラダ作ったり、トウモロコシを茹でたり、しいたけを網で焼いたりと昼食の支度を急いだ。メインは持ってきた米国産のソーセージとイタリアのハムで、それを焼きたてのパンに挟んでワインで流し込む。どれも新鮮で極めて美味しく皆で歓声上げながら堪能した。

 気がつけば昼もだいぶ回っている。腹ごなしに歩いて近くの根古屋神社に参る。天然記念物の巨大ヒノキの老木に驚嘆の声が上がっていた。どんな巨木に慣れた人でもこの二本の老大樹を見てびっくりしない人はいないだろう。

 そして、その古民家からクルマで15分のところにある、さらに標高は高い山中にある、ラジウム温泉・増冨の湯へ、全員で行くことになった。

9/23.山梨古民家ツアー報告記・前2014年09月25日 04時40分55秒

★森の音楽隊、山梨の森へ行く       アクセスランキング: 121位

 2014年秋、秋分の日、森の音楽隊・みほこんを中心に、無頼庵関係者仲間早計5人で、山梨県北杜市須玉にあるマスダが管理している古民家「江草スタジオ」探訪ツアーが催された。
 今回の一行は、先だって今夏、無頼庵での詩朗読ライブの際の呼びかけに応えた方々中心で、そのイベントの日、一応9月の21~23日頃、一泊の予定で参加者を募った。その日、みほこんが呼びかけ人となってくれたので、ツアーは「森の音楽隊、山梨の森へ行くツアー」としておく。
 幸いほぼその場ですぐに応募があり、日程を調整したのだが、皆さんのご都合がうまくあうのは、23日の祝日だけとなったので日帰り決行となった。参加希望者は、男女各二名づつの計四名で、マス坊ははたと気がついた。ウチの車は軽のミニワゴンなので、運転手入れても4人乗りなのであった。マス坊入れると全員は乗れないのだ。

 それから多人数乗れる大きい車を持っている友人に参加同行をお願いもしたが都合がつかず、わりと直前まで参加者の動向を見極めていた。四名しか行けないとしたら誰か一人に不参加を強いることはできやしない。幸い、予定の全員が参加の意思とご都合に変わりはなかったので駅前のトヨタレンタリースで、ビィッツという5人乗り普通車をレンタルすることに決めた。

 実はマス坊、レンタカーを借りるのも初めての経験であり、この車種も含めて一般の乗用車の運転は10数年ぶりのことであった。果たして当日初めて運転する車で高速道を走って大丈夫なのか。むろんこのところ何度も往復している場所へ行くだけだから可能だと思っていたが、前の晩はあれこれ考えてしまい気が昂ぶってほとんど眠った気もしないまま朝を迎えた。

 レンタカー営業所は、朝8時から夜の8時までの営業で、車は一日、つまり12時間借りる契約にした。つまり朝8時に借りて夜の8時に返さねばならない。予想していたより安く、6千円+消費税といった程度であった。朝、とことこと駅前まで歩き、手続きをしてそのトヨタの最新型ビィッツというCMでよく名前を聞く人気の普通乗用車に乗った。
 運転した第一印象だが、すべてのレスポンスがウチのおんぼろ軽より早く快適で静かであったが、戸惑ったのはブレーキの効きがすごく強くて、軽く踏み込んでも急停車気味に即止まってしまう。いつもの調子でペダルを踏むとまるでエンストしたようにガクンと止まるのには注意を要した。車幅も違うので恐る恐る慎重運転でいったんウチに戻って、持っていく荷物などを積み込む。そして、深呼吸して覚悟決めて立川駅前に向かって車を走らせた。ブレーキ踏み込みさえ注意すれば運転は甚だスムーズで快適であった。

 今回の参加者は女性陣はみほこんと彼女とも旧知かつ懇意の、マス坊のギター弟子でもある中年アマチュアシンガーの方、男性はその詩朗読会に初参加された若手の詩人、それにこのところ拙宅のライブには常連参加の、マス坊世代のO氏である。年齢も趣味傾向もバラバラの参加者であったが、無頼庵に来られたという一点のみで結びついて山行きに興味を持たれ今回同行することになったという次第だ。

 そして立川駅前の集合場所で、朝の9時ということで待ち合わせ、全員が揃ったのでいざ出発となった。奥多摩街道を走って多摩大橋を渡り八王子インターから中央道に入っていく。

多事多忙の合間を縫ってまた古民家の片付けへ2014年09月09日 03時25分31秒

これは八月末に、明野のひまわり祭りの会場で撮った。富士山が遠くに見える。
★冬が来る前に               アクセスランキング: 126位

 自分にとっては2010年の、フォークロアセンター40周年記念ライブ以来の久々の外部での大きなライブイベントが決まった。11月30日の京都から詩人有馬敲氏を迎えての「有馬敲の詩とうたのコンサート」(仮)である。会場も阿佐ヶ谷駅前のライブスペース・イエロービジョンに決定した。
 これから詳細をつめて告知宣伝し、チラシ・フライヤーも作って来月頭には配布できるようにしていきたいと考えている。今そうした調整、連絡作業に追われている。今週中に全出演者なども確定させたいと考えている。

 そんなこんなで気が急いてはいるが、山梨の古民家のほうもほったらかしにしてはおけないし今秋のうち、また冬が来る前には、いいかげんに先の住人たちの荷物ガラクタの片付け作業は終わりにしたいと切に願う。今のままではサマーキャンプどころか、ウチの一家だって落ち着いて寝泊りできない。

 滞りなく日常生活ができるためにも冷蔵庫を始め元々向うにあった家電類はほとんど使用できないのでやはりこちらから持っていくなり新たに買い揃えねばならない。
 山のキャンプのようにただ行って買ってきた食料をそこで食べて即帰るならばそこには「生活」はないので基本何も不要だが、やはり日帰りではなくある程度の滞在を考えるとテレビはいらなくとも炊飯器をはじめあれこれ生活道具が必要となってくる。

 当初は水道もトイレも使え電気も点くし布団も残っていたので即生活できると考えていたが、じっさい住んでみるとやはりいくつかの家財道具は必要だとわかってきた。
 まあ家電は増やせば普段使わないものまでキリがないので必要最低限にとどめるつもりでいるが、洗濯機はないとやはり不便で困る。幸いご近所から二層式の旧いがまだしっかり動く洗濯機をもらったこともあり、今回はそれを運び設置しに行く。
 外の水道にジントギの流しも据え付ける。そして室内のゴミ類をまとめていく。9/23日には、「古民家片付け隊&下見に森の音楽隊」の人たちも来られる予定なので少しは掃除もしておかないとならない。

 そんなこんなで忙しいが、人生はやるべきことがありそれができることは有難いことだと思わないと罰が当たろう。やがてまたやってくる冬が来る前に、なすべきことをやっていく。

高原へいらっしゃい2014年07月16日 23時47分59秒

★山里は涼しかったが・・・・           アクセスランキング: 107位

 今朝がたは、6時過ぎ気持ちよくすっきり起きられた。久しぶりに泥のように深く熟睡した。外は鳥の声と近くを流れる川の滝の音しかしない。車どころか人も通らないし、今回は古民家周辺では人間には誰一人合わなかった。猿も鹿も見かけなかった。
 涼しいのはそこは山の中腹といっていい「高原」の標高だからで、古民家のあるところは正確にわからないがたぶん700mそこらはあると思う。近くの温泉は全て700m以上の表記が受付に貼ってあるからだ。

 窓を開け放して寝たので今回も同行した「社員」氏は、明け方頃寒くてどうしようかと思ったとのこと。まあ、標高を思えば高尾山や御岳山の山頂で寝ているのと同じだからしっかり布団をかけないと当然朝晩は寒いぐらいとなる。
 だから昼間でも実に爽やかで、体を動かしていても湿気がないせいか全く汗をかかない。東京多摩地方でもこのところの本格的暑さには早くも青息吐息の者としてはここ、北杜市須玉の江草の古民家にこの夏じゅうはずっといたいと願う。
 が、そうもいかず今日も朝7時から、二人であれこれ作業して、室内全部に掃除機かけてゴミを集積所に運びだして、10時には車だして明野を通って韮崎に下った。
 いろいろ農協の直売所や道の駅で、今が盛りの桃やソルダム、キュウリなど野菜をたくさん買って、昼食は韮崎市内で台湾中華を食べて一路高速で、ウチには1時半過ぎに帰って来た。

 というのも家に残してきた老犬のことが心配で、2年前にはその老犬バドの兄弟犬であるロビンをやはり新潟に出かけている間に亡くしたこともあったから、ともかく大急ぎで戻ったのだ。幸い、点滴が効を奏し、昨日は一日ひたすらこんこんと眠り続けていたようだが、また少しは自ら食べるようになってきていた。今晩16日の晩も多くはないが刺身など食べたので安堵した。いつまで生きるのか先のことはわからないが、今月中は何とか持ちこたえるのではないかと思える。

 そしてこちらに帰って来て、向うが涼しかった分だけさすがにこの暑さにはまいった。じっとしていても室内でも汗が噴き出る。片道一時間半で、涼しい「別荘」に行けるのだからもっと夏の間中の長期滞在を、と考えるのだがそれはどうにも不可能だ。
 我が商売=古本の注文に応じて発送もあるだけでなく、老親だけでなく犬猫、さらに庭の草木の水やり、小さな家庭菜園の手入れもある。一泊二日程度なら家をあけられるが、それ以上はとても老親たちに任せておけない。
 これが一人でマンション暮らしで、庭木もなくペットなどいなければいつでも好きな時に山里に行って、何週間でも涼しく快適な高原暮らしもできただろう。いや、バドが死ねば、親たちと残りの犬連れて「避暑」もできなくはないが、それでもバカ猫も残していくし仕事もあるのでやはり一泊二日程度で戻らざるえない。要するに抱えているものが多すぎるのだ。

 今回もだが、夕方着いて一泊して向うを昼頃立つという慌ただしさではとても優雅でのどかな別荘ライフとは程遠い。荷物を車いっぱい積み込んで行って着いたら下ろして、慌ててまた帰るのでは宅急便の人と同じではないかとふと疑念もわいてくる。しかも無償どころか一回行くたびに高速代、ガソリンと何やかや2万円近く金が出ていくのである。
 しかし今はあれこれこちらの用件が山積みで忙しすぎてとてものんびりなんできやしない。まあ、今回は幸い、近くのまた別の公共温泉「たかねの湯」が午後10時までやっていることが確認できたので、夕方着いて荷物だけ下ろしてすぐに温泉に入って汗流せたから疲れもとれ熟睡できたわけだが。

 まあ、そんなこんな今はまだ行ってもちっとものんびりできないが、やはり行けば涼しいし静かだし一泊であろうとも自然の中で気分転換となる。ならばせっかくそうした場所があるのだから一人でも多くの友人知人に来て使ってもらいたいと望む。自分が来れなくても、いや忙しくてなかなかゆっくり来れないからこそ誰かが使ってもらわないともったいないではないか。

 また、8月中、「古民家片付け隊」を募って、できれば一泊二日で4人のフルメンバーで行けたらと考えている。というのはかなり大きい食器戸棚を移動させなくてはならず、とても二人では難しいと思えるからだ。しかも中には前生活者の食器類もそのまま入っている。それを出して戸棚を空にして動かす。考えただけで大変だ。自分一人では不可能だし、社員と二人でもかなり難しい。やはり前回のように、多人数でとりかかれば早く楽に終わるはずなのだ。
 仮の予定日が出たら、またまず拙ブログで告知するが、行ってみたいが予定が決まっているという方はそちらから行ける希望日を出してくれるとありがたい。そこに合わせて告知して隊員を募ることも可能だからだ。

 山梨から戻って休む間もなく、注文本の梱包、発送やら、買ってきた桃などをお世話になっている近所の方々に、お中元として母を連れて車で配ったりと日が暮れるまで働かされた。二日間で合計300キロ以上も走っている。さすがに疲れた。

古民家片づけ隊7月の予定など2014年07月09日 18時01分04秒

★今月はいろいろ土日は忙しいが…         アクセスランキング: 110位

 雨のそぼ降る水曜日である。さすがにこのところの疲れがどっと出て今週はずっと暇さえあれば眠りつづけの半病人状態となった。
 が、先の予定は出揃っているし、26日の詩朗読ライブに向けて家も我が身も全て準備万端に整えておかねばならないのだからもう寝てばかりはいられない。が、そんなでまだギターの弦すら張り替えていない。気を引き締めてやっていかねばと。
 また、山梨の古民家のほうも頑張ってこの夏中のうちにいつでも誰でも来て使えるような状態にまで整備しておこうと決意した。

 先日のフェスの打ち上げで、一緒に呑んでいたくもりなたちとその古民家の話が出て、バンドの泊まり込み練習の場としても使えるのではないかということを思いついた。
 ウチの倉庫兼レコーディングのためのスタジオとしてまず考えていたが、そのためには機材も設備もそろえるのに時間がかかる。が、簡単な合宿、練習の場所としてならさほど問題はない。まずは日常的使用に不便のないよう内部を片づけ手を入れて、近く「スタジオ・エグサ」もしくは「 EXA studio 」として、場のレンタルビジネスとしても人様にお知らせできるようチラシも作ろうと思う。まあ、使用料はせいぜい一泊千円程度しかとれないだろうが。
 そのためにはまずは水道の漏水の工事、大工のカワムラさんに頼んでの二階への階段場所の移設などいくつか難題課題もある。どれもが金がかかり、その工面に頭痛いが、それも長く使っていくための必要経費のようなものだから仕方ない。
 
 また今月も土日中心に日帰りかどうかわからないが、「古民家片づけ隊」を募って向こうへ行く予定でいる。まだまだ内部はガラクタがいっぱいなのだ。本当に早くスッキリしたい。
 ただ、今月12日は、毎度の河辺での「中川五郎」があるし、13日ではあまりに急だろうし26日にはウチ無頼庵で、「初夏の詩朗読ライブ&公開録画」があるので27日はちょっとキツイ。
 となると、19,20、21日の、夏休み最初の連休頃となってしまうが、道はかなり混むかとも思う。どうしたものか。それとは別に個人的に、来週、15~16の火水と、また社員氏を招いて泊まり込みでゴミ出しに行こうかと考えている。平日であるけれど同行できる方がいれば連絡ください。あと二人は乗れますので。

 それとは別に、「片づけ隊」の隊員として参加したい方、常時募集してますので、このブログに連絡先を書き込んでください。また、個人的に行きたい、行ってみたいと思いご都合がつくようでしたら早めにその日時を先にお知らせ頂ければこちらも合わすように調整もします。
 マスダが、日時を指定して決めてから拙ブログで募集するよりも行きたい人、行ってみたい人の行ける日がわかればそれに合わせたほうがこちらも簡便な場合も多々ある。
 例えば、一人でも〇×日なら朝から行ける、行ってみたいと連絡頂ければ他の関係者や知人友人にも働きかけて人数を揃えて向かうことも可能だ。

 まあ、古民家といっても古いだけでさほど大した家ではない。でもスペースだけはたっぷりあり、泊まることも合宿のようなことも問題なくできる。また、環境は抜群で近くには効能抜群の秘湯や公共の安い温泉施設もいくつもある。登山のベースとしても使えるだろう。車がないと移動はできないが、その古民家、今後どう活用していくか、そちらのほうもパートナーとなってくれるような方を求めている。
 どなたでも関心ある方は連絡ください。

 ※台風による雨が強まり雷もゴロゴロ鳴りだした。怖いのでパソコンの電源を落とす。皆さまもご自愛、ご注意ください。