本日無頼庵真夏の詩朗読会8/3.20142014年08月03日 06時58分48秒

★マス坊・みほこんのユニットのアトラクション有り                          アクセスランキング: 80位

 自分、マス坊の場合、すべてのことは行き当たりばったりで、人生そのものも何も常にアドリブでやってきた。
 しかし、ジャズから来ているこの「アドリブ」というのは、本来基礎、音楽理論ができていて、そのうえでスケールに沿って臨機応変にその時々の面子、セットに合わせて演奏することなのだから正しくない。
 基礎など何もなく、ただその時々場の雰囲気で判断し適当に処理選択し切り抜けているだけなのだから。

 世の中には、若い時から人生計画、指針を立ててどういう人生を送りたいか職業選択も含めて計画して実行していく人が多々いる。結婚生活家族計画だって老後の計画だってそうだろう。
 繰り返すが、オレは本当のバカで、この歳まで゛、一度たりともそんな長期的展望は描いたことも考えたこともない。せいぜい正月に、今年はナニナニをするぞ、と年頭の所信を考える程度でそれだって半年もしないうちに忘れてしまう。

 そして今、こうしてイベントを自宅で始めていつも思うのは、汗まみれになって片づけしつつ、どうして当日になってこんなに大騒ぎするのかという毎度繰り返す愚行、だらしなさに対しての憎しみに似た嫌悪である。
 どうせ人が来るのはわかっているのだから常日頃から綺麗にきちんとしておけば良いのである。イベントがあるのは自ら決めた。
 確かにあれこれ忙しかったり体調が悪く準備にとりかかれないこともある。だが、そんなことは言い訳にもならない。やはり何か根本的に先の人生設計と同じく自分には欠けている、異常なところがあるのだと思える。自殺や破滅志向はないが根本が破滅型なのであろう。自分でもあきれ果てている。これでは誰からも相手にされないし愛されない。

 まさに「無頼庵」の「無頼」な生き方と言えなくもないが、文字通りならまさに、誰にも頼むところ無しで生きていかねばならない。が、現実の話、老親も含めて多くの皆さんの協力と憐れみで何とか生き長らえている。あれこれやり続けている。  

 このイベントが終わったら、老犬が生きているうちは無理だが、しばらく山梨で頭冷やして今後の「人生設計」をきちんと立てたいと今は思う。
あれこれやりたいことやるべき使命的なこともわかっている。が、まずこの己れ自身がもっときちんとできるよう根本から直さないと何一つきちんとできやしない。

 今日はそんなで包み隠さず、今の無頼庵の現状と自分をさらけ出す。呆れられる方もいるかと思うがご笑覧ください。ご来場お待ちしております。※3時半頃から入れます。

無頼庵ライブ企画2014 夏の詩朗読会

 ・日時:2014年8月3日(日) 午後4時開場 4時半開演
 ・出演:詩人たち
      アトラクション「こげよマイケル」(マス坊&みほこん)公開録音録画の予定あり 

 ・会費:詩朗読会参加費 ¥1000 
      午後7時頃からの懇親会参加費 ¥1000

 ・会場:古本音楽ハウス無頼庵 
 ・問い合わせ&参加予約申し込み マスダ 090-8175-8479

 ※会場への行き方、場所の地図など問い合わせ事項等は当ブログのコメント欄に貴方の連絡先、メルアドなど書き込みください。おってこちらからお知らせします。内容は非掲載としますのでご安心ください。

終わり良ければすべて良し2014年08月03日 22時49分46秒

★難事を成し終えてここからこれからだ、と。  

 詩朗読ライブ、とマス坊のユニットの「こげよマイケル」の録音録画は無事終わった。いろいろ関係者の皆さんにはご迷惑をおかけしたがともかく終えて今喜びの気持ちでこれを報告として記す。

 忙しいときにいくつも要件が重なりさらに忙しさに輪をかける。この世はそう皮肉にできている。今回もギックリ腰はともかくも、その他の家庭の事情が重なってしまい、「何でよりによって今日なのか!?」ともうしっちゃかめっちゃか、パニック状態のなか本番の日を迎えた。

 ろくに合同練習もできず当日を迎えたみほこんマスダのユニット「こげよマイケル」もあまりの暑さに練習前に涼んでいたら詩のスタッフも早めに来て頂いたので、結局きちんとろくに打ち合わせもできないまま出番を迎えた。それも例によってカメラセットなどにもたつき、詩朗読の出演者方をさんざんお待たせしてだ。

 そして相変わらずとちりまくり、何とかメインの「ヒロシマのクスノキ」まで予定していた曲はバイオリンのみほこんのリードで終えられた。正直な話、初めて一度もとちらずに、その曲だけは何とか唄い尽くせた。ほっとした。むろん満足のいく出来ではないし拙さの極みである。ただ、ようやく、自分が作った、生んだ歌をある程度きちんとカタチに残すことができたかと思う。この曲こそ自分が唄わねば、世に知られることもなく、存在すらなかったものとして即消えてしまう。やっと生みの親として当たり前のことが「歌」に対してできたという気がしている。

 自分はプロではないし、歌の専門家でもない。あくまでも一フォークソングファンとして、末端の者が、うたについて少しでも関われることを模索してみた。
 どうやったら、YouTubeにアップすることができるかまだ良くわからないが、これから一素人が考えるフォークソングを「実践」として誰にでも聴いてもらいたいと思う。ほんとハズカシイ出来である。しかし、ならばこそ、歌とは何かを考える場として、誰にでもうたは唄える、うたは自らのものにできるということを示すためにも厚顔無恥と言われようが、広く聴いて頂きたいと願う。
 「フォークは民衆のうた」、つまり誰にでも唄える、すぐそこにある、というのが自分の、生涯にわたっての信念だ。たぶんそれはピート・シーガーも死ぬまで同じ思いでいたことと信ずる。

 うたは自ずから聞かれ、唄われるために存在する。またそれを欲している。ゆえに唄われないうた、聴かれないうたははそもそもその価値が低いと断言する。ならばこそ、公平に自らのうたも土俵に、リングに上げてみたい。むろんケチョンケチョンにこき下ろされ、負けて出直さざるえないだろう。でもそこから全てが始まる。俺は屈しない。インターネットの世界は誰でも同じリングに上がれるのだと信じて。

 今日は自分の長い人生でももっとも多忙な、盛り沢山のあれもこれもの一日であった。とても無事にうまく終えられるか不安でいっぱいであった。が、幸い多くの暖かい友人お仲間たちのおかげでこんな我でも無事に終わらすことができた。本当に有難いことだ。

 今回、当初の開催日延期の件も含めて多くの皆様さんにいろいろご迷惑おかけした。しかしこれも何かの縁、どうかご寛恕願いたい。何か自分にできることなら埋め合わせ、返礼いたしたい。

 つきなみな言葉だが、今思うは終わり良ければ全て良し。そして全てはここからだ。
 そう、ダメはもともと、ダメを抱えてあがきつつ試行錯誤でやっていく。それが自分の生き方なのだと。何を今さら、そう、なにを今さらなのだ。バカはバカに徹していく。