ハートに火がつき過ぎて2014年08月31日 23時02分39秒

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 自分でもいったい何をやっているんだと思う。こうした「恋愛」に類した気持ちに歳など関係ないのだとわかったことだけが収穫だった。それと肉体は老いても心の部分、気持ちや心理は何ひとつ変わらないということも大いに勉強になった。

 つまるところバカは歳とっても利口にはならず、ただバカのまま歳とるのだと深く認識した。人生に処世術のようなものは存在し時に応じてのノウハウは確かにあって学び活用応用もできようが、肝心の根本部分、その人の考え方や感情は若い時分に完成してしまうと終生変わらない。
 この自分の性格、考え方、時に応じて出てくる感情はこのまま若いときから何一つ変わらずこれからも持ち続けていくのだと今回学んだ。

 さて、その迂闊さから傷つけてしまった彼女からは昨夜遅く、ようやくメールがあった。幸い特に怒っているようでもなく、元気そうでいろいろ忙しくて連絡が遅れたと記してあったからとりあえず関係はこれからも続くものかと思える。
 向こうから連絡がありコーフンするほど嬉しく、ほっとし安堵もしたが、それの返信として、明日の晩こちらから電話するので直接話したいとメールを即した。が、伝わっていると思うのだけれど、今晩は残念ながら何度かけても留守電につながり連絡はとれなかった。向こうの都合や体調もあろうから仕方ない。
 気持ちとしては関係はこれからも続いていくと思う反面、まだ直接今回の一件についてお詫びし腹をわって話せていない分どうにももどかしくスッキリしない不安なところも正直まだ大きい。
 しかしたぶん何とかなるかと思うし、たとえどのように思われようとどう関係が変わろうと彼女を愛し応援していく気持ちは変わらない。

 拙ブログにあれこれ書いて読まれた方は首をひねったりいろいろ不審に思われたり愚坊を心配されたかとも思うが、ともかくいちおう立ち直った。気持ちも落ち着いてきた。いろいろ申し訳なく情けなく恥ずかしくただ思う。皆さんの「愛」に深く感謝いたしたい。

 直情径行型の人間がいる。怒りにしろ喜びにせよ哀しみや不安にせよ、ある感情が昂ぶるとそれに囚われて冷静さを欠き頭がその感情でいっぱいになってしまう。
 自分も確かにそうした者で、些細なことからでも一度感情が爆発してしまうともうその感情に囚われて自制がきかなくなってしまう。すぐに熱くなるのは良いことでもあるが、逆にそれが負の感情の場合大変なこととなる。
 今回の件、自らの失態から大事な人と連絡がとれないが故、不安と心配という悪い感情に頭がいっぱいになってしまい、あれこれ先走って考えても仕方ないことまで考えすぎてパニック状態となってしまったのだ。
 今にしてみれば何もそこまで妄想は膨らますべきではなかったとわかるが、昨晩の状態では負の感情に囚われて完全に冷静さを欠いていた。

 幸いあまりの苦しさに、共通の女友達にその苦しみ、悩み、不安をメールで告白して「相談」に乗って頂いたことで、ずいぶん気持ちは楽になった。不安は軽くなった。そうした友、いわゆる聖書に出てくる「隣人」は実に有難いことだ。その直後に傷つけてしまった当人からもメールが届いたのだった。

 特に冷静さを失い不安や心配という負の感情に頭がいっぱいになってしまっているとき、他者の意見、客観からのご意見は実に役立った。僭越ながら自分もその女友達同様に、何かに囚われ悩み苦しんでいる隣人のために善きサマリア人でありたいと切望する。
 もし私でよければ今、悩み苦しみで心がいっぱいになってしまっている人がいれば見ず知らずの方、とおりすがりの人であろうともその話に耳を傾け少しでも気が楽になるよう励ましたいと思う。そして共に祈ろう。

 人の心とは実に不思議で面白い。そして自らでは律することもただすこともできないほどか弱くもろいものだ。どんなことが起きようと動じず強く変わらぬ鉄の心の持ち主もいよう。が、我のように些末なことにもすぐに動かされ不安に駆られ落ち着きと冷静さを失う弱き心も多々あろう。
 自分がそうだからこそそうした人たちの力になりたい。何かできるとか助けようなんて思いもしない。ただその不安と苦しみに苛まれ揺れる気持ちに耳を傾けそっと励ますだけだ。

 ハートに火をつけて、というロックの名曲がある。ハートに火をつけることは大事な良いことだが、それもいったん火が付き、燃え上がりすぎると大変なこととなる。心の火事である。人は自らではなかなかそれを消せない。特に負の感情に火がつくと冷静にはなれなくなる。愛する人を殺す結果となるストーカーの心理もわからなくないと思った。

 自分の愛などたかがしれているし、そもそもそれが愛かどうかだって疑わしい。しかし、嗤われるかと思うが、誰であろうと愛をもって接していく。愛で応えていこう。今回の一件で得たこと、学んだことはそれだけだ。この弱き心を見つめて何が欠けているかようやくわかった。

 熱き心は大事だが、心は燃え上がらせ過ぎてはならない。何かのきっかけで自制できなくなったときに善き隣人でありたいし善き隣人を求めたい。助け合い他者を思う。愛していく。それこそが義のある人間社会なのだ。そう確信を得た。