自らの愚かさと迂闊さと考えのなさの挙句に2014年08月30日 23時47分50秒

★自分の「愛」が試されている             アクセスランキング: 111位

 このことを書くべきかずっと迷っていた。が、まずこれを書かない限りとても今後ブログなど書き続けられない。何事もないような振りして内面の出来事はオクビにも出さないのが「大人」なのだと思うが、自分はけっきょく生涯子供のままなのだろう。

 今、とても不安や悩み、苦しいことを抱えている。正直、夜も眠れないし飯もろくに喉を通らない。交際していたというわけではなかったが、このところいろいろお手伝いしてもらって親しくしていた女性と連絡がとれなくなってしまい、この10日間、何度もメールや手紙、それに留守電を残しても一切連絡がない状態で、ひたすら待ち続けている。

 いったい彼女に何が起きてしまったのか。ある一件で呆れ怒らせてしまい連絡してくれないのか。それとも深く傷つき落ち込んで体調悪いからか、それとも何か不測の事態が起きているのか、ともかく状況が何もわからないのでただ待ち続けている。どうしてしまったのか、と始終あれこれ考え続けている。それが苦しい。彼女のことが頭いっぱいで何も手につかないでいる。
 いい歳してこんな気持ちは久しぶりだ。まるで出したラブレターの返事を待つ男子中学生である。自分にもこんな気持ちがまだ残っていたことに一番驚きあきれている。

 我、マス坊がどれほど愚かで迂闊で考えなしなのかは今さら説明不要であろう。拙ブログでは繰り返し書いてきたし、逆に深く考えない故、良識ある世間一般の方ならやらない、とてもできないようなことをやってきたという自負もある。
 それが良い方向に出るときもごく稀にあると信ずるが、たいがいはその愚かさと迂闊さは人間関係での失敗失態に繋がり当然のこと自らも深く傷つく。

 だが、傷つくのが自分ならばまだ良い。自業自得だから納得もいくしそれが天性のものなのだから諦めもつく。迂闊でありバカだということはもう習い性以前に、体型や背の高さとかと同じく持って生まれた生来の特質、体質なのだから矯しようはない。せいぜい背の高い人が鴨居に頭ぶつけないよう注意して古民家の中では背中丸めて歩くように、気をつけるしかない。

 しかし、そのことで、自分ならまだしも他者を、しかも愛する人、大切な人を傷つけるとなるとさすがに申し訳なく自責もするし自ら苛むこととなる。そうして過去にも何人かの女の子を傷つけ呆れさせ時に泣かせたり苦しめもしてきた。自分の愚かさで他者を苦しめたり傷つけたとなるとさすがに問題である。そしてどうやら今回もそうした事態をしでかしたようなのだ。

 実は・・・自分が深く考えないでとった迂闊な行為からその女性が面倒なトラブルに巻き込まれてしまった。何が起きたのかはっきり詳しくは書けないが、まさに自分の迂闊さと考えのなさがそもそもの発端であった。
 そしてその後の経過報告も含めてどうなったのか、こちらからメールもしたが返信が返ってこない。最初はのほほんと待っていたが、さすがに気になりあれこれ考えだし彼女は傷ついているのか、怒らせてしまったのか、落ち込んでいるのかもと、大変なことをしたと気がつき慌ててお詫びの手紙と品も送った。

 しかしそれにも返事はなく、今日は携帯留守電に伝言を残し、お願いだからメールか電話くださいと頼んだ。しかし今日も一日携帯電話を手にしてパソコンの前にいたが連絡はない。かれこれ10日たつ。いったい何が起きてしまったのか。連絡が一切ないぶんだけあれこれ妄想は膨らみ不安と心配で夜も深く眠れず飯もろくに喉を通らない。もしかしたらトラブルがさらに悪化したのかもと心配にもなる。どうしたらよいものか。

 もっと気楽に、そのうち連絡あるさ、とのんびり構えて待てば良いとも思うが、小心かつ不安神経症の系統を親に持つ自分は、気になり出すとそのことに囚われて他のことは何一つ集中できない。本当にいい歳して情けなく恥ずかしい。
 いや、そもそももっとよく深く考えて彼女に迷惑がかからないよう慎重に対処すれば良かったのだ。今更ながらどうかしていたと思う。老犬の死やいろいろ慌ただしくて気が動転していたのかと今思うが、要するに自分の体質、毎度ながら深く何もよく考えていなかったのだろう。だからトラブルの種をまき大事な人を傷つける結果となったのだ。

 自分は昔からモノでも何でも大事なもの、欲しかったものでようやく手に入れたものこそ、すぐに壊したりなくしたり傷つけたりする傾向があった。子供のときのオモチャもそうだし、高校一年の時、苦労して手に入れた8ミリカメラを買ってすぐに自転車のカゴから落として壊したりとそんなことばかりしてきた。
 皆の憧れだった女性と親しい中になってもやがてはぞんざいに扱い、結局彼女は傷つき呆れ果て去って行った。そんなことばかり繰り返してきた。なぜだか大事なものほどすぐに傷つけてしまう。そして失っていく。
 もうこの歳でさすがにそうしたことはなくなったかと思っていたらまたしでかしたのだ。とても大切な素晴らしい才能ある、しかも心優しい天使のような女性を迂闊さから傷つけて失ってしまったようなのだ。どうしてもっと大事に慎重に扱わなかったのだろうか。

 要するに自分にはそもそも「愛」という気持ちが欠けているのであろう。執着はある。こだわりも強い。しかし、大事な人、大切なものを守り愛し続けていくという地道さ、人として当たり前の気持ちがきっと備わってないのだろう。そういうタイプの人格障害なのかもしれない。だからといって赦されないしこの自分ですら赦してはならない。
 だからこうして愚かさと迂闊さ、考えなさを繰り返す。今さら自分を責め悔やんでも仕方ない。しかし、心からともかく彼女に直接詫びたいと願う。もう何も願わない。赦してくれなくても仕方ないが彼女の気持ちが知りたい。

 エラソーに愛を説いてきた。今その自分の「愛」がどれほどのものであったか問われているとつくづく思う。俺は愛が欠落している。

 この書いたことも考えのなさの業か。しかし今のこの苦しい思いを明かさず一人で抱え込んでいたら発狂しそうだった。何という愚かで弱い人間なのか! 己の罪深さについてずっと考えている。神の国はいちばん遠いところにある。