これまでのこと、これからへの思い④2024年01月30日 11時31分15秒

★自分はいったい、どこまでバカなのか!!!

 《前回の続き》我は、子供の頃からともかく何でもすぐに忘れ物や失くしものが多く、落とした(と思われる)物を探しに、何度警察署や鉄道の遺失物係に出向いたり電話したかわからない。
 最近は、極力、持ち歩く荷物類は一つのバックの中に必ず全部収めて常にその数を確認するようにしているから、昔のような大騒動は起こさなくなってきたが、それでも財布が、ケイタイが見つからないことなど日常茶飯事である。
 ただ、今でもモノがすぐになくなるのは変わりなく、外に持ち歩かないとしても、今、そこで使ってたものが、目を離すとすぐになくなり見つからなくなるのだ。

 かつてのこと、ウチに来て、掃除を手伝ってくれた友人が、ペンでもハサミでもこの家に膨大にある!!とその数の多さに呆れつつ驚いていたが、それは使おうとするとみつからないが故、常にまた買い足しているからで、それでも今もすぐに出てこないことがままある。けっきょくまた買いに行く。あるいはAmazonでポチる。本当に消滅してしまうわけではないからモノはさらにまた増え続ける。
 ともかく今そこに在ったものが、使おうとするとなくなってしまい探しても見つからないのである。
※信じられないだろうが、ガソリンスタンドで、自ら給油したあと、クルマの給油口の蓋がみつからなくなったことすらある。
 今もまだ、大事な手帳とか通帳とか、家の中で紛失して見つからないものが多々ある。

 むろんバカ猫がいじって落としたりしてどこかに失くすことも多々ある。が、それ以上に、モノを失くす、みつからなくなるのは昔からなのである。ただ、以前は同居する親たちがいたから、探し物は、じぶんの私物だけに限られていた。
 今では、我は一人身になっため、そうした状態がこの家全体、家計にまで及んでいる。掃除が進まない、片づかないのもそこに大いに関係もしている。

 アタマがおかしいのかと自分でも思う。発狂したかとも考えた。人間だからずいぶん悩みもした。が、今では、ようやくわかってきた。
 これは、もって生まれた「発達障害」特有の症状、いや、性格というか気質であり、近年のメディアでの報道などで知られるようになり大人になってようやく判明したのだ。これは治りはしないビョーキなのだ。
 しかし、原因、いや、その要因、理由がわかれば、多少の対応策も立てられる。
 探し物、失くしもの人生だとしてもともかくまだ生きて行かねばならぬ。もうこれ以上、何も失いたくはないが・・・

これまでのこと、これからへの思い③2024年01月26日 12時11分10秒

★ほんとうのバカになってしまったが

 《前回の続き》しかし、いくら猫の世話に時間とられ忙しいとしたとしても、我は今は、常時家にずっといるのだ。
 仕事に通うわけでもないし、昔のようにライブ鑑賞であちこち出向くことももう今はしない。家で、古本稼業にたまの注文が入れば、梱包・発送作業がある程度で、基本時間はいくらでもあるし、すべて自分の自由に使える。
 だが、片づけは遅々として進まない。むろん片づけは少しづつでも進めている。本を読んだり音楽を聴いたり、ギター弾いたり、自分の趣味の時間などまったくなくして、ともかく家の内外の掃除、片づけをコマ鼠のようにうろちょろやっている。
 が、かたづけは進まないどころか、ゴミ屋敷化は日々増していくように思える。
 ウチに来られた方はご存じだろうが、我家はともかくモノがたくさん元々あって、父母健在の頃から、何でもモッタイナイと捨てない性分の家系だったから、広い家があってもモノでスペースは埋め尽くされていた。
 またそこに我は、古本稼業ゆえに、常時多量の本や雑誌が入ってくる。それをきちんと分別して、右から左に捌いて、売れ残りの本は棚下ろしし、処分していけば増えてもたまることはないはずだが、そのための時間がない。
 たまった本は場所もないので、ともかくあちこち平積みにして積み上げてあるのだが、それを猫たちが崩し、雪崩のように二階から階下へ階段から落ちてきたりもする。むろん階段すら本が積み上げてある。
 昔の四文字熟語に『汗牛充棟』という言葉がある。語源は、いまちょっと思い出せないが、書物がものすごくいっぱいあるときの喩えの表現で、その本の束を荷車で運ぶのに、引く牛が汗をかくほどの多さで、積み上げると棟木、つまり天井まで届くほどいっぱいの量の書物の山なのである。いま、まさにウチはそうなってしまった。牛はいないけど。

 我は、ネットで古本を売る稼業を始めて、気がつけば早や20年は経ったかと思う。
 その間、数千冊の本を売ったとは思うが、もちろん売れ残りの在庫や未だ出品できない本もその何倍もある。
 先にも書いたが、どこかできちんと今在る本の全てを棚卸して、一冊づつ値を検索して、まず間違いなく売れない本、売れるとしても値がつかない本は即処分するしかなかった。
 が、母の病や父の介護などもあって、ともかく慌ただしいまま時が過ぎて、まさに本は溜まるに溜まって、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)状態となってしまったのである。
 いや、それよりもギリシャ神話の中の、ヘラクレスの牛小屋の掃除のほうが的確かもしれない。いくら掃除したとしてもキリがないのだ。
 そうして積み上げた本の山を何度でも猫たちが乗っては崩すのである。高く売れそうな価値ある大正期の本などもそうして崩され落ちてバラバラになったことか。
 また我自身も崩れた本の上を仕方なく踏みながら歩くしかないこともままあるのだ。古本屋としてあるまじきだが、まさに足の踏み場がない。
 ともかく歩く場所からつくらないと、と、一冊づつ検索する前にともかく積み上げる。すると少しすると猫が崩して、本は落ちて散乱し、また我は積み上げる。また猫がそれを崩して落とす。
 賽の河原の石積みは、苦労して積み上げた石を鬼が崩すのだが、ウチは小鬼のようなバカ猫たちが積み上げては来て崩すのである。
 
 しかし、それは現実の現象に過ぎない。問題はもっと深刻で、我自身の体調も去年はおかしくなってしまった。
 何よりも問題は、頭がバカになってしまい記憶が続かず、何もかもわからなく出来なくなってしまったのだ。

これまでのこと、これからへの思い②2024年01月25日 09時08分24秒

★まだここで、このまま死ぬに死ねないからには

 《前回の続き》 母の癌が再発し、手術、入退院を繰り返したあげく、余命宣告を受けて、まさに為すすべなく痩せ衰え衰弱して我が家で看取った年も人生最大の試練、苦難の年だと思ったし、一昨年の父をコロナ関連死で喪った年も見舞いもかなわずにかなり辛かったが、それ以上に昨年こそ苦難・苦境の年であった。
 しかし、この元旦の能登半島地震で、家屋だけでなく家族も全財産を失い、今も住む家も仕事もないまま避難先で暮らす人のことを思えば、我の苦しみなどまさにとるに足らない、笑い話のようなものであろう。
 命だけは助かったものの、これまでの人生全てを失い、これから先の希望も何も見えないのである。しかもこの寒さと雪の中、それでも日々生きて行く人の数はいったいどれほどにのぼるのか。
 彼らの為に何ができるか、何をすべきか我も考えねばならない。

 我には住む家もあり、電気や水道も止められそうになってるが、親たちの遺したいくらかの貯金もまだいくらかあり、当面、まだ少しは何とかなろう。
 が、去年がそうだったように、このまままたさらに何もできないまま、ゴミ屋敷化状態と、生活の放擲が進めば、病に倒れずとも人生はさらに破滅して、間違いなく緩慢に死を迎える。そう、今でも生活は限界なのである。
 全てがとっちらかったゴミ屋敷から失火したり、隣近所との諍いなどで、キレて刃傷沙汰を起こしたり、最後はゴミの中で、野垂れ死にしてしまうだろう。
 自分でもいったいどうしてしまったのか、どうしてこんな事態になったのか、不思議に思う。頭がオカシイのは自分でも認識していたが、それにしても・・・である。

 元より我は対人障害というか、人格的に多々問題があり、それは所謂、脳の発達障害によるものだとやっと近年判明したが、挨拶や他者の気持ちの忖度、連絡対応など社会的に当たり前のことがフツーにできないだけでなく、まず自らのこと、モノの片づけなど、整理整頓的なことが何もできないのである。
 それでも生きてこれたのは、親たちの庇護の元、特に母が様々な社会的手続きや掃除など生活全般をやってくれていたからで、本来、人は成人したら一人で仕事だけでなく生活も何もかもやっていかねばならなかったのだ。我は対社会的な事は何一つ自分ではきちんとできない無能者であった。
 それでも母を亡くした後も、父がまだ生きていたから、訪問看護の意思や看護師、それに介護施設の人たちが常時来ていたので、まだ社会との繋がりがあった。
 定期的に人が来るので嫌でも父のベッドのある部屋や玄関、庭先だけは掃除しないとならなかった。そこにリズムや習慣があった。毎月・毎週のスケジュールが決まっていた。
 それが父がいなくなってしまうと突然すべては消えてしまい、我はまったくの一人になった。もう父関連の人は誰も来ないし、会いに来る友もいない。
 そしたら全てが崩れた。生活を放擲、ネグレクトしようとか、そうした意志以前に、我は自己愛の非常に低い人間なので、自分の為に何かしようという気がまったくないが故、食事も作らないし、掃除もしなくなった。
 一人になって鬱になったのかとも思うが、一人身になって何も外からの要件がなくなると、我は自ら為には何一つしない人間だと気がついた。料理をつくるのが苦手とか嫌いなのではない。人が来たり、人に食べて貰うためなら、いくらでも腕はふるうし、作れる自信もある。
 が、それを食べるのが自分だけならば、何一つ作る気がわかないのだ。
 我は、趣味のことはともかくも、生活全般全てにおいて、自ら為には何一つやらない、したくない人間だったのだ。つまり炊事や掃除、洗濯など、まずどうしてもやらなくてはならなくなるまでは溜めてそのままにしてしまうのだ。
 特に食事に関しては、ご飯さえまず炊かないから、スーパーなどで閉店近くの半額になった弁当やパックの総菜を買って、それをつまんでアルコール呑んで酔っ払って寝てしまう。
 朝は食べないし、昼間は、スナック菓子や菓子パンなど齧る程度で、気がつけば夜まで何も食べていないこともままある。
 では、一人身になって家にいるのなら時間が自由にいっぱいあると思われるだろうが、実のところともかく毎日慌ただしく忙しい。
 それは増えすぎた猫たちの世話に追われて朝晩彼らのために何時間も奪われてしまうからだ。
 毎朝、近くのスーパーにマグロのアラとか猫たちの餌を買いに出て、猫部屋ごとにトイレを掃除したり、ご飯つくって与えて、ホームセンターに重たい猫砂を何袋も買いに行ったりもする。この物価高で、そのための金も倍増した。
 自分のこと、家の掃除や片づけは後回しにしてもともかくまず猫の世話をしないとならない。でないと彼らは、家の中で暴れて、トイレ以外の場所で用を足したり、腹空かせてパンの袋など食べ物を求めて齧ったり悪さを繰り返す。
 ともかく生き物だから、自分のこと以前に、ほったらかしや後回しにできない。けっきょく、自らの失態により増えすぎた猫たちに、我は人生の大部分を奪われてしまったのだ。
 が、ともかく猫たちの世話は、何があろうと最優先でやらねばならない。
 我が父が通所介護施設でのコロナ禍で入院、その後、衰弱が進んで老衰死するまでの間、そちらに気をとられていたことと、死後の様々な継承手続きに追われて、猫たちのことはつい失念し放擲してしまっていた。
 その間に猫たちは、まだ去勢や避妊しなかった子猫が成長し、かかって増えてしまったのだ。まさに我のウカツさによる失態であり、責任もって彼らの面倒をみないとならない。
 そしてまたうっかり当ブログ等でその猫たちのことをあれこれ報告したりすると、それを読んで我を常に監視している動物愛護の方々から、動物虐待、多頭飼い飼育崩壊だと、またまた糾弾され、彼らの介入で我の人生はそれこそ崩壊してしまうだろう。

 そう、どんなに大変でも金も時間もかかろうと猫たちのことは我が身を削っても最優先でしっかり面倒見ている。どうかほっといてもらいたい。
 しかし、我は猫たちを飼育する為にこの世に生を受けたわけではない。本当にもっとやるべきことが必ずあるはずだ。
 このまま、こんな何もできない地獄のような状況下で死ぬわけにはいかない。

これまでのこと、これからへの思い①2024年01月23日 10時54分57秒

★ようやく元の「どん底」に戻った。

 机上のモニター画面部(ハードディスクなどの本体一体型)とキーボードが分離している我の富士通のパソコンは修理終えて一昨日戻ってきた。今、それでこのブログを書いている。

 前回の東芝のパソコンのように、ハードディスクも何もかもがクラッシュしてしまい、メーカー工場に持ち込んだものの修理のしようがなく、ただそのまま返されたのとは違い、今回は、本体内部は無事で、モニター画面部だけを交換した。元通り使えるようになって本当に良かった。助かった。やれやれである。
 が、予想より法外と思える代金が発生して、迷い泣いた。

 その額や内訳については後ほど記すが、まずは、去年2023年について書き残しておきたい。
 ごくごく私的なことなので、我に関心ない方は、読む必要がないし、よけいなご意見や気遣い、あるいは嫌がらせはしないでもらいたいと願う。

 誰にでも人生には苦難の年はあるとは思うが、我にとって、昨年こそがこれまで生きてきて生涯最大の苦難・困難の年であった。
 何度も今が最低最悪、ここがどん底だと思うとまたさらにそこに新たなトラブルや問題ごとが発生し、全てに行き詰り何一つできなかった。ただただ状況は悪化するのみだった。
 それでも何とか年が明けて、新たな年2024年となって、元旦のブログにも書いたが、本当に今年こそは、と期するところもあった。
 が、元旦の夜からまたパソコンの画面が白くなったり昔のテレビが壊れたときみたいにチカチカ点滅を繰り返しはじめ、とても使用は不可能でもはやこれは修理に出すしかないと決意した。
 2日付けのブログは、そのよく見えない画面に顔を近づけてかなり苦労して読み手の方への連絡だけは何とか書き上げることが出来た次第。

 で、正月休み明けにメーカーの修理担当部に電話して、日曜に日通の集荷が来て福島だかどこかの整備工場に運び込まれた。
 当初のはなしでは、まだメーカーの保証期間内だから、特にこちらが何か不具合を起こすようなことなどしないで起きた自然故障ならば無償で修理できるとのことだった。
 もちろん、ぶつけたり倒したり、水が被ったりなど人為的な故障原因となることはこちらには心当たりはなかったから、運搬費も含めてタダで直るだろうと思ってたしそう期待してた。

 ただ一つ心配だったのは、モニター画面の不具合だけでなくハードディスクなどからの異常・故障が原因で、それの修理交換だと、今そのパソコンに入ってるデータやアプリなどはたいてい全てリカバリ、つまり消去されてしまうだろうから、何よりもそれを危惧した。
 もちろん録り溜めた画像や映像などは、外付けのハードディスクにほぼ移してはあったが、コンサートのフライヤーなど我が書いたり作成したものなどは全部ではないし、何よりまた設定から一切全部を新たにやり直すのは途方もない大変かつ面倒な事だと思えた。

 で、二週間近くたち、このまま問題なくそのパソコンは無償で修理終えて戻ってくるかと期待してたら、先週あけに修理部署から電話があり、モニター内部に水濡れが確認されたのでその画面パネルなどを交換、修理するのに経費は9万7196円だと告げられた。
 絶句して返答に迷い悩んだ。その金額ならば、安いノートパソコンなら2台買えるのではないか。
 しかし、確認したらパソコンの本体内部は異常はなく、モニター部だけ交換すれば問題なくこれまで通り使えるはずと確約されたので、修理交換を依頼した。
 思わぬ出来事が起きたときなど、~で泣いた‼!とか、人はよくそう口にしたり書いたりもするが、その電話を切った後、ほんとうに涙が出てきた。
 告白すれば、実はこのところ唯一の生業である、Amazonマーケットプレイスでの古本販売のほうも故あって昨年11月から休止していて、我はいま全くの無収入なのである。
 それでも日々食費も含めて、金はイヤでも出ていくのだから、ひたすら残り少ない貯金を取り崩して何とかしのいでいた。
 そこにまた新たに10万近くのパソコン修理代が発生したのだ。

 しかし、それもこれもまだ生きて行くため、我が生き続けるための「保険」というか、必要経費だと考えなおして、気持ちを切り替えた。泣いても悩んでも仕方ない。

 今、そのパソコンでブログを再開して、ようやくまた元の「どん底」状態に戻った気がしている。そう、状況は何一つ改善も進展もしていないが、やっとパソコンだけはまた元通り使えるようになったのだ。

新しい年 誓い新たに2024年01月01日 11時34分08秒

★2024年は、人生の棚卸し、仕切り直しの年に

 新しい年を迎えた。外は陽射しもあり明るいが、北風が強く吹き荒れて、肌寒い。空は雲一つない青空だ。
 改めて破綻寸前の人生だが、何とかハメツせず死なずにまた今年も新たな年を迎えられた。神に感謝 である。
 そして今誓うのは、完全に行き詰ってしまった我が人生を、何とかまた自らのものに取り戻していく、ということだ。
 断捨離とかそういう大層なこと以前に、溜まりに溜まってしまった親たちが生きていた頃からのモノの「負債」を、今年は少しづつでも片づけ無くしていこうと決意した。

 去年は増えすぎた猫の世話と、父亡きあとの諸々の支払いなど手続き更新、我への変更に追われて、ともかく慌ただしく時間がなかった。
 日々疲れ果てて酔っぱらって倒れ込むように寝てしまう日が続いた。何一つ片付けなどできないまま、家のゴミ屋敷状態は悪化するばかりだった。
 いま、新たな年を迎えて、昨日でそうしたやらねばならない面倒な対外的「ケンアンのこと」は、もうほぼ成し終えた。
 恥ずかしく情けない話だが、ようやくこれで今年から本当に自分の人生、一人だけで生きていく人生が始まる気がしている。

 商売、特に物販などしている方はご存じだろうが、販売業では、ある一定の時期ごとに、抱えている「在庫」をすべて点検し、売れずに倉庫などで場所とってしまったモノなど不良在庫は、処分していく「棚下ろし」の時が必要だ。
 生活もまた同じで、我が家は、そうした適宜日常的、定期的にそうした棚下ろし的片づけ作業をまったくしてこなかった。
 何でもかんでも溜まると、捨てるのはモッタイナイとどこかにしまい込み、ただひたすら物は増え続けていくばかりであった。
 我もそうした血筋の子であったから、基本的にモノは捨てられぬ性分で、若い時からのモノがどこかに溜まりに溜まったままだ。自らは捨ててないのだから、どこかに仕舞ったまま必ずあるはずなのだが、いったい何がどこにあるのか自分でも全くわからない。
 そうしたことが可能だったのは、この大きな家があったからで、部屋数は多くても今やほとんどの部屋が物で詰め込まれ物置と化してしまい、実際は狭い部屋の中でモノに囲まれ不便不自由な生活を強いられているのが現状だ。

 まさに本末転倒というべきか、今考えると頭がオカシイとしか思えない。
 我はけっしてモノに溢れいっぱいの汚部屋やゴミ屋敷を望み、モノを溜め込むのが好きなわけではない。何もない広い部屋こそが理想であり、この家を、2011年に改築したときは、部屋はすべて何もなかったのだ。広い空間ができて本当に気持ちが良かった。
 それが10数年過ぎて、その間に母が、そして父が死に、忙しさにかまけて根本的な「棚下ろし」を一度もしないまま、今のこの壊滅的状態に自ら陥ったのだ。
 そうした歳月かけて溜まってしまったものはとても一年そこらで点検・処分などできるはずもないが、ともかく少しでも少しづつでもそうした作業をやっていくしかない。
 今は幸い体の不調不具合は一段落して、腕も足も動けるのだから、今やるしかない。そう、今年こそ。
 ここで仕切り直さないと、このままにしていたらやがて起こるのは失火による火災や事故、そして不測の死である。
 こんなことをここに記すと、それを読んでまた我を忌避しせせら嗤う、隣近所の奴ら他の顔が思い浮かぶが、どんな嫌がらせや批判、弾劾を受けようと、屈せずに自分の人生を少しづつでも取り戻していく。これは俺の人生なのだ。

 思い返せば、以前、数年前までは、モノは増えてはいたが、何とか場所をつくって大広間で毎年末恒例の、拙宅でのクリスマス謝恩ライブパーティーを開催できていたのだ。
 何とか今年、2024年は、それに向けて、拙宅でささやかでもまたホームパーティーが開けるよう、再び友人たちを招くことができるように片づけ頑張るしかない。
 やるべきことは山積みの前途多難の年だが、高い峰を仰いでその苦難を思い溜息ついてても仕方ない。ともかくその峰に向かって一歩一歩進んでいくことだ。
 愚かで不器用な我の人生のコツは、それしかない。がんばるぞ。

ともかくまだ死なずに今年も生き永らえた。2023年12月31日 23時57分21秒

★ただただ神に感謝す

 2023年も間もなく終わる。実は、所用で、昨日から今日の大晦日まで山梨へ行っていた。
 昨日は夕刻出たのだが、もう年末も年末だから、行きも帰りも渋滞には巻き込まれず、用件だけ済ませて向こうで今日昼過ぎに温泉に入って一年の垢を流してきた。
 夕刻戻り、同行してくれた友人を駅へ送ってから、いま、家の内外の猫たちすべてにご飯つくって与え、二階の自室に来てこれを記している。遠くで除夜の鐘が鳴ってるのが聞こえる。
 いまただ思うのは、今年この一年、わが生涯最悪最低の年だったが、何とか真の破滅には至らずに、無事に生き永らえた、生き延びたという感慨である。喜びよりただ安堵している。
 そう、まだ生きている。

 独身者で、友人も少なく妻も恋人もいない我は、昨年の秋に老父を亡くしてまさに天涯孤独の一人者となった。※唯一の肉親の実妹はいるが、遠く九州で家庭を持ち、もはや元家族であっても今は一親戚でしかない。
 父を看取った去年もかなり辛く苦しかったが、今年こそが真に辛く大変な年であった。経済的にも、家庭的にも。
 家中のゴミ屋敷状況はさらに悪化してしまい、増えてしまった猫問題は未だ解決に至らず、隣近所との軋轢は続いたままで、まさに四面楚歌、身動きのとれないどん底の行き詰まり状態となってしまった。

 当ブログで、ありのままに状況を告白し書き散らせればまだ少しは精神的には楽にはなれるのだが、以前書いたように、ウカツに現況を世に記すと、我を敵視し監視している輩たちが、それを目にしてまたぞろどう私生活に乗り込んでくるかわからない。
 嫌がらせ電話ならまだしも直に警察なり通報して家に乗り込まれたら、我は抗い立て籠って家に火をつけて自裁するしかなくなる。
 次々トラブルは発生し、その対処対応にただ追われて、まさに青息吐息の疲弊した一年であった。猫たちにだけでなくいったいどれだけ金を使ったかわからない。ほとんど収入はないのに。

 一番恐れたのは、足の踏み場のない家の中で増えすぎた猫たちがしでかす家の火事や異変、事故であり、疲れ果てて注意力散漫の我の怪我、事故死などであった。
 じっさい、先日の足の裏のケガでは、自分でも驚くほどの出血があり、救急車を呼ぶか一瞬迷ったほどだった。下手に大きな血管を切ってしまえば、そのまま失血死していたかと思う。
 たとえ老父でも共に暮らす家族がいたのなら、もしも我に何かが起きたとき、何らかの手配なり助けにはなってくれただろう。
 だが、今はたくさんの猫たちや賢い犬はいたとして、彼らが我の危急、異変時に、誰か人を呼んでくれるとか連絡とり救ってくれることはない。
 たった我一人で、大きな家と動物たちを抱えて、維持・生活していくことの苦難さ、大変さを初めて深く噛みしめた一年だった。

 むろん父が健在であっても高齢のため介護にかなり手間や時間とられて それはまたかなり大変であったが、ともかくも年金収入はあったので、家計のインフラ、つまり光熱費から諸処の税金支払いまでの心配は少なかった。
 しかし単身者、一人暮らしの高齢者は世にいくらでもいるわけだし、皆はそれを一人で何とかうまくやっていることは間違いない。
 何故、我がそれが出来ないかといえば、きちんと仕事をしてないうえにほぼ無年金なので、まず収入がほとんどないことと、身体的不具合、精神的障害があり、世の人たちのように当たり前のことがそもそも人並みに昔から基本的にできないからだ。

 今まではそれでも無事に生きてこれたのは、まさに親たちがいてくれたからで、家庭内の経済的な事から生活の基本的なことまで、親たち、とくに母が担当してくれてたからだった。
 その母が6年前に父より先に逝き、母に替わって何とか父の世話も含めて懸命に生活をやってきたのだが、その経済的支柱の父を喪って以降全てが頓挫してしまった。
 猫たちは増え続け、そのことでまた多々トラブルが生じ、家の内外がゴミ屋敷と化し、隣近所ともトラブルや嫌がらせを受けて、精神的にも追い詰められた。拙ブログさえも休止を余儀なくされた。

 全てが行き詰り解決策もみつからず、周りは我を批判し敵視する人ばかりで誰も助けてはくれなかったが、数少ない友人たちが直の助けや悩みや相談に乗ってくれて、そのおかげで自死することを逃れることができた。
 まず友人のシンガーOさんやM女史がいなかったら、我は、問題の隣家の奴らを皆殺しにして家に火をつけて自死したかとも思う。じっさいそういう破滅もありえたのだ。そこまで追い詰められ頭がおかしくなったときもある。
 今そんな一年を振り返り、そうした最悪の事態はともかく、事故やトラブル、病気などでうっかり死なずに一年を終えられたことがほんとうに良かった、有難いと思う。

 そして今は、書いてる途中で日付は変わり、もう新年になってしまったが、2024年こそ、ほんとうに人生をもう一度生き直したいと考えている。
 今がどん底だが、さらにこれ以下のどん底に陥らぬよう、これ以上崩れない、崩さないと心に誓っている。
 そしてもう一度かつてのようにこの家を、人が呼べる、招き集える状態に戻したいと心から願う。むろん一年でできるなんて安易に思えない。
 ともかく一つづつ、少しでも全てを片づけ、なくして、人生を戻し、取り戻したいと心から願う。そう、もう一度自らの人生を取り戻す。自分一人で生きていく人生を。
 それはできる、かなう、と誓い、祈り、神に願うしかない。
 がんばりたい。今年2024年こそ。
 もし、このブログを好意を持って読んでくれた方々がいらしたとしら、皆さまにも愛と平穏を、良いお年が迎えられますように。
 有難うございました。

うたがあってよかった2023年12月03日 23時15分40秒

★どん底の人生だが、うたに思いを託して生きていく

 うんと昔、音楽雑誌で、確か上田正樹だったと思うが、どんな辛い時も自分にはうたがあって良かった、救われた、と語っていたのを読んで、そのときは、ふーん、そうしたものなのかと、正直ピンとこなかった。
 が、今は、まさにその気持ちがよくわかる。

 12月の、拙企画のコンサートに向けて、自らも数曲だけ今いちばん唄いたいうたをセレクトして練習し始めているのだが、巧拙とか以前に、唄いながら泣いてしまい困っている。
 この歳になると泣くことなど、泣きたくてもなかなかできないし、思う存分泣けたら、どんなに楽かと思うほど、心は乾いてしまったのに、何故かギターを弾きながら練習していると、思い極まり泣いてしまい歌は詰まってしまう。
 こんなこと、こんな時が来るとは思わなかった。
 そしてようやくかつて雑誌で読んだシンガーの語っていたことが実感として思い出された。そう、音楽、うたがあって良かった、と。

 正直、もうどん底もどん底、家の内外ゴミ屋敷と化して、体調、心身共すぐれず全てが行き詰ってしまったこの人生だけど、自らの音楽が、それも聞くだけでなく、表現する側としての音楽、つまり弾き語りの「うた」が我にあって本当に良かった。
 才能も人からの評価も何もないけれど、今唄いたいうたがあり、それを自ら唄えるということはとてつもなく有難く素晴らしい事だとようやく思い至った。
 感極まる、という言葉の通り、今、下手くそながらも唄いながら感極まっている。むろんそれが聴き手に伝わるかはまた別次元の話であるけれども。
 ともかくいま、こんな我にも音楽があって良かった、と本当に心から思えている。

 肝心なことは、来週の土曜、12月9日に、その思いがどれだけ外へ、聴き手に示せれるかだろう。
 が、そんな評価や結果以前に、ほんとうに音楽、うたがこんな我にもあって良かった、救われた。せめてその思いだけは伝えたいしここにまずそのことを書き記しておく。
 歌に限らず、芸術とはそのためにあったのだ、と。全てがようやくわかった。誰のためでもなく。

己の罪と罰2023年07月15日 22時40分35秒

★なかなか「撤収」作業は進まない

 「断捨離」などという大層なことではなく、自らの人生を終わらせる、つまり撤収に取りかかっているわけだが、相変わらずどうにも進まない。
 家は内外、相変わらずゴミ屋敷のままで、まったくもってどうしようもない。
 気分は一時のひどい鬱状態は脱しているものの、また心と頭痛める事態が起きてしまい、憂鬱というか、心静めて何かに向き合える状況とは程遠い。※この1~2週間、コロナに罹ったかと思うほど体調も悪かった。

 何が起きているのか、昔ならば逐一、このブログの場で書いて、曝け出すこともできたが、今は、基本としてブログは書かない、書けないというスタンスでやっているので、やはり吐き出せず、苦しいところもある。
 が、下手に、某タレントさんのように、世に向けて近況や日々思い考えたことを「発信」してしまうと、無名の我でさえも悪意ある「反応」「反響」が返ってくることもあるし、誹謗中傷ならずとも世間の顰蹙をさらに買うことに繋がるので、やはりもうSNSは、原則としてやるべきではないと、そのタレントの自死に強く思った。
 この世は、自らの正義の名を借りた「悪意」に満ちているのだから。

 むろん、基本仲間内、友人知人関係だけに特化したフェイスブックのようなものならば、その「悪意」の度合いは、軽いとは思うが、やはり誰が常に目にするかわからない場、SNSは、怖くて迂闊かつ気軽に、私的、個人的なことは、情報も含めて書けない、書いては危険だと改めて思った。
 が、我にとっては書くという行為、内心の思いの内を、文字として文にして現わすことこそが、唯一のストレスや悩みの解消法であり、拙ブログをやめるまでは、鬱にはならなかったはずだ。
 その心のうち、悩みも含めて、「思い」を外に出す場がなくなったときから、我の苦しみが始まったのだと今痛感している。

 このところ日々願い思うことは、もう何もかもどうでもいい、もう何もいらない、ともかく早く何もかもすべてを終わらせたい、ということで、始終そのことをお題目のように呟いている。
 が、先にも書いたが、全てモノゴトには手順と段取りがあり、こんな我にも多少は責任感もあるわけで、すぐさま突発的に自死する気はない。いや、できやしない。
 いまの状態で、この世からトンズラしたら、死後の裁きだけでなく、唯一の肉親である、最愛の妹やその子たちに多大な迷惑がかかる。
 失敗した人生だからこそ、最後は何とかできるだけ関わりある他者を悩み苦しめることのないよう、うまく収めたいと願う。立つ鳥後を濁らず、の謂いの通りに。

 今朝方、テレビのドキュメンタリー番組で、見るともなく見てたら、瀬戸内海?の島の水産加工業者の男が、そこの名産・小鰯の加工品「いりこ」作りの仕事に関し、大変だが「やめたら終わりだから」と語っていた。
 そう、何であれ「やめたら終わり」なのだと思う。すべてはともかく続けていくことだ。
 終わりにすることは存外カンタンで、命などごく簡単に断つことができる。何よりも大変なのは、始めることもだけど、「続けていく」ことで、それはけっこう正直しんどい。
 ましてたった一人で、多くのモノを抱え、維持していくことは。ほんとうに辛く苦しい。
 しかし、自らやめずとも、終わりの時は必ず嫌でも来るわけで、不本意でもその「終わり」のときが来るまで、人生は続けていかねばならぬと心する。

 すべては自業自得でもあるわけだが、今、我に起きていることは、まさに己の罪に対する罰なのだとつくづく思う。まさに自らの不徳が招いたことだ。
 むろん、さらに死後にまた裁きにあうことも間違いないわけで、その「罪」と罰のカクゴを決めてともかく生き続けていくしかない。

 ともかくもうできるだけ人には会わず、どこにも出かけず、ネット上の情報に振り回されることなく、粛々と自らが犯した罪に向き合っていく。
 それこそが生きていくこと、人生を続けていくこと。償いにもならないが、せめて人として最低限の義務は果たしたい。

覚悟を決めて、ともかく生き続けていく2023年06月20日 22時18分04秒

★人生撤収の作業の流れの中で為すべきこと

 もういつ死んでもいい、すぐにでも、とカクゴを決めたが、かといって、自堕落に、今あるったけの金を湯水のように使い果たして、とことん自堕落に、好き勝手な放蕩の果てに死ぬことはできない。
 じっさい、そんな風に生きて、金を全て使い終えて、ついには泥酔のままどこかで野垂れ死にできたらば、それはそれで素晴らしいことだろうが。

 結局、死ぬためにも、その手順、道順があり、それをある程度は果たさないと、我の係累、それはとりもなおさず、地方にいる我が実妹とその家族、子達のことなのだが――、彼らに多々迷惑がかかるので、人生撤収に向けて、その作業をまず始めないとならない。
 今回、父の死後の書類上の様々な継承・相続等「後片づけ」に手を焼いて、頭悩ましてつくづくそう思った。実にめんどくさいのだ。まさに立つ鳥、後を汚してはならないのである。

 さらに我家には、今も抱えている多々大量のモノもあるし、大量の生き物たちもまだこの家にはいるのだ。
 それらを片付けて、いや、どうするか目途つけないことには、まさに死ぬに死ねないではないか。特に動物たちには何の罪もない。
 自分が急死したらば、閉じ込められた家の中で彼らは餓死してしまうか、何とか逃げ出したとしても路頭に迷い、最終的には殺処分ともなろう。これ以上不幸にしてはならない。
 そう、気軽にはおいそれと死ねないのである。覚悟は決めたとしても。

 また、さらにそこに、我の数少ない友人たちへの恩義のようなものもある。例えて言うと、長年借りていたものを返していく、未だ果たしていない「約束」を果たしていく、ということだ。
 それだけは生きている間に、自分の意識と記憶がはっきりしているうちに返し終えておかないと、我も気になって死後も成仏できないだろう。
 いや、聖書の中の逸話、ラザロと金持ちの喩え話のように、死んでからも地獄で苦しみ、悔いだけが残る。死んでしまえば一切もう手遅れなのだから。
 
 そうしたことをいくつか、備忘録的にここに記していこう。

嫌がらせ電話を受けてから・12023年03月18日 06時12分31秒

★ブログを中止して心身共におかしくなった。

 それにしてもこうした自らは名乗らず、脅し脅迫的なやり方は実に卑怯卑劣ではないか。恐怖と怒りで我の心はかき乱された。

 むろん、彼が言う「近所迷惑を何とかしなさい」には故なく事実無根だとは思っていない。
 この我のことだから、おそらくそのご近所の人に何らかの「ご迷惑」を常日頃かけているのであろう。それは間違いない。
 しかし、漠然と「近所迷惑」と言われても何を指しているのか、何をどうすれば良いのかこちらは判断できないではないか。
 何とかしてほしいならば、きちんと面と向かって我に、これが迷惑だから、これをこうしてくれ、と申し入れて来ればこちらも、スミマセンと詫びて「何とかする」のは当然のことだ。

 こんな我だが他人様とトラブル起こしたくはないし、相手の困る、嫌がる事をそのままにして、すました顔ではいられない。その程度の社会常識はある。
 我に不満があるからとして、どうして拙ブログを読んだうえで、こうした悪意ある、卑劣な行動に出るのであろうか。
 何より頭にきているのは、その発言の中でのまず「貴方はゴタクを並べる前に」の部分である。
 我の書いたことを「ゴタクを並べている」と一蹴したうえで、「何とかしなさい」という上から目線で命じている。「何とかしてください」ならまだしも。※「御託を並べる」とは、説明するまでもないだろうが、どうでもいいことを、くどくどと繰り返すことを指し、無価値なことを指す。
 いったい何様のつもりなのか。

 男の言った言葉を頭の中で何度も繰り返して、マグマが噴出するように強い怒りが込み上げてきた。
 「犯人」が誰かわかったら、その時は殴りつけて殺すほど痛みを与えたかと思う。
 この我は頭に血が上りやすい性分で、傷害事件さえ起こしてはないものの、若い時分はケンカ沙汰で警察や病院のお世話にもなったことがある。
 誰かを突き止めて仕返しすら考えもした。そしてこんな悪意に屈してはならぬ、と誓った。

 ただ、そんな奴が読んでいるのに、平然と今まで通り気楽に好き勝手なこと、個人的近況をここに記していくのは、とてつもなく危険だと思えてきた。
 男は読んで、さらに何か「電話」以上のことをしてくるかもしれないではないか。嫌がらせはエスカレートする可能性も高い。以後、我はちょっとした近所への買い物でも外出時には必ず戸口に鍵をかけるようになった。
 疑心暗鬼ではなく、行き交う近所の人たち誰もに、特に中高年の男に疑いの目を向けるようになった。