今のこと、これからのこと、来年のこと~⑤2020年12月15日 13時00分57秒

★そしてこれから

 大地震などの大災害は一たび起きてしまえば、その復旧・復興に多大な時間を要するものだから、当然ながらそれに罹災した人々のライフスタイル、つまり生き方、考え方さえ変えてしまうのは言うまでもない。
 思い返せば、過去の大地震、首都東京を大火に見舞った関東大震災では、多くの人々がその後に東京を離れて別の地に移住した。
 文人墨客も当然のように、壊滅と化した東京を離れて被害の及ばなかった別の都会、京都や大阪に移り住んだ。
 ちゃきちゃきの江戸っ子だった谷崎潤一郎もその一人で、今ではその作品から関西出身の作家と思われるほど、その地で優れた彼の代表作を多々残している。が、そもそもきっかけは関東大震災なのである。

 また、先の東日本大震災でも、被災それたけでなく原発の放射線被害も怖れて多くの家族、中でも幼い子供がいる世帯は、被害の及ばなかった遠い西の地方、四国や九州へと移住している。
 我の知っている若手ミュージシャンたちも何人もが元々は東京に住んでいたのに子供を連れて、家族で四国や沖縄の島へ移り住んでしまった。
 
 そして今、コロナウィルスという新たな大禍の最中にいる我々もまた同様に東京都心から離れて地方へと移り住む人たちが増えているようだ。
 先だってのニュースで、東京の人口が減少したと報じられていた。「人口」というのはおかしいが、都に住んでいる人の数が初めて減ったのである。そこにはコロナが関係しているそうだ。
 リモート何タラやらで、仕事も学業も通勤・通学の必要性が減り、まして家に居ることが多くなれば、何も息苦しい都会にいる必要はない。何でもオンラインやリモートで済むのならば、もっと自然環境の良い家賃も安くて広い場所に移住したほうが全てが得策だと気づきはじめた、と。
 じっさいテレビでは、奥多摩の格安民家に移住した若い女性が取り上げられていた。奥多摩なら、都心に出るのもさほど大変ではない。彼女はそこで民宿だか、やりたいことが多々あり喜々として抱負を語っていた。
 そう、コロナ禍でさまざまな自粛を強いられ不便な生活を都心で送るよりも在宅で何でも出来るのならば、都心に居る必要性はもはやなくなってきているのである。
 たぶんそれは大阪などの他の大都市圏でも同様の流れではないか。
 ただ、それができるのは、若くて元気で身軽なフリーランス的立場の人たちで、公務員など勤め人の多くはどうしても一か所に固定されてしまうから誰もがカンタンにそうできるわけもない。
 考えてみれば、文人、つまり作家もミュージシャンも基本自営・自由業で、昔も今も身軽だからどこにいたって仕事はできるのである。
 ただこのコロナという大禍で、東京への一極集中という流れは大きく変わったことは間違いない。そしてそれと同時に、経済的なことだけでなく様々な格差も大きく広がってしまった。
 コロナという病気は、罹る、罹らないという以前に、その流行により立場や収入に影響を受ける人とほとんど受けない人とに大別されている。
 影響を受けているのは、まず医師や看護師、保健所などの医療関係者ではあるのは当然として、外出自粛や時短により、飲食業の関係者、そして旅館・観光業などの人、さらには交通機関の人たちもだろう。
 逆に恩恵を受けている人たちもまた確かにいて、ネット通販は当然のこと、マスクなどの医療品の製造・販売に関わる人たちや飲食の配送業、自転車やウクレレなどの楽器もかなり売れ線だと報じられていた。
 が、結果として多くの自営業の人たちは、コロナ不況で商売が成り立たずこの冬のボーナスは出ないと嘆いているのが現実だろう。
 一方そうした「世相」とは一切関係ない人たちもいる。公務員や年金生活者は、収入は常に安定しているからほとんど何も影響は受けない。むろん仕事は煩雑になるなど部署によってはタイヘンだと思うが、経済的な心配はしないですむ。
 今、国民の間ではそうした二極化がさらに進んでいるのではないか。コロナで店が潰れ仕事を失い路頭に迷う人も出てきたと聞く。一方、政府のGoToキャンペーンで年末年始は、優雅に高級旅館で過ごそうと計画していた人たち、その差はいかほどか。
 コロナウィルスは、他の大災害とは異なり結果として人々の間に格差と分断を広げてしまった。

 東日本大震災のときは、被災地に対して全国から支援の輪が広がり様々なボランティアの人たちも駆けつけ、物資だけでなくその被災地の人々と交流も可能だった。
 が、このコロナという感染症では、そもそも他者と関わる事すら厳禁なのである。密になってはいけないし人との距離は常に取らねばならない。視覚障碍者の人に声かけたり手を引いて歩くことから躊躇われるのならば、人と人との繋がりで成り立つ人間社会は崩壊していくということだ。
 感染しない、させないよう、自分と大事な人を守ると言う名目で、他者との繋がりを自粛させる「新しい日常」は、非人間性の日常社会であり、断絶と孤立の深い穴にニンゲンを落とし込む。それはウイルス以上に怖く結果としてそこでの死者、特に自殺者が増えて行くことは間違いない。
 そんな世界で我々はどう生きていくか。何が出来るか、すべきなのか。

今のこと、これからのこと、来年のこと~④2020年12月04日 21時12分22秒

★そして「商売」のこと。~もう、ほんまにあきまへん。

 我、マスダの実生活は、結局、家のこと、つまり老父の介護や家事のこともあるけど、ほんとうは古本稼業なのである。それこそが、まさに文字通りの「本業」なのだが、このコロナ不況でそれも行き詰ってしまった。いま、これからどうしたものかホント頭抱えている。

 実は、コロナ禍、先の第一波の頃は、まだ良かった。緊急事態宣言が出て、誰もがガイシュッ控えて自宅で引きこもり生活。しかも子供も親たちも皆が家にいて「自粛」していたから、通販であるネット業界は、注文が殺到した。
 しかもそこに国民一人当たり、10万円という、コロナと何一つ関係も影響も受けない富裕層まで誰もが一律10万円もの給付金がもらえたから、余裕ある人は、その金でネットで買い物三昧したと思われる。
 ウチ、「ますだあーと書店」も普段売れないような高額な本まで注文が相次ぎ、飲食業などはタイヘンだなあと横目に見ながら、コロナ景気にネット、つまり通販業界は湧いていた。

 が、それも一時のこと。この秋、またコロナが再燃して、第三波の流行が高まって来ると、株価だけは何故か高くてもじっさいの景気、庶民の生活はじわじわと冷え込んできて、この秋からウチもばったり注文は途絶えてしまった。

 それはウチだけでない。そもそも出品時にもっとも低価格で出して、他のどこより安くしててもそれでも注文がないのである。よって他店もまた同様だと思える。
 ごくたまに注文があり、売れてもそれは500円以下の、ほとんど儲けの出ない格安本だけで、それでこのコロナ不景気ははっきり実感せざるえない。これはどうしたことか。
 つまり、政府は、GoToキャンペーンとかで経済を回そうと躍起になっているが、それで踊るのは、元々余裕ある小金持ち、つまりコロナで影響をほとんど受けていない人たちだけで、おそらくそれは 公務員とか年金生活者とか、だと想像するけど、彼らはそれで手持ちの金を自在に使える。
 しかしもっとじっさいに影響を受けている飲食業などの自営業や小売り販売業者たちは、そもそも客が来なくてモノが売れず、そうしたキャンペーンは蚊帳の外なのである。※観光業もGoToで恩恵を受けるのは大企業というほどでなくても大手のホテル、高級旅館、高級レストランだけだ。
 じっさいの庶民、底辺部には何一つ金は落ちてこない。物が売れなくて、注文がなくてともかく金が入って来ないのだ。皆、お客の財布のひもは固く、GoToで浮かれる層と、何とか日々生活防衛に追われている層とで国民は二分されてしまったように思える。

 思うに、経済を動かすとしても、コロナ禍で大きな影響を受けている、困窮者にもっと直接的な手厚い支援をしないかぎり、真の経済回復はならず、結果として全国各地に新たな感染者を増やすだけに終わるのではないか。

 個人的には、以前よりうすうす感じていたが、もう商売としての「紙の本」、それは新古関係なく、紙の本を扱う商売はもう無理、限界ではないかということだ。
 コロナによって皆自宅で過ごす時間が増えたとしても、本よりもインターネット、ケームなどで過ごすのが今の人たちであり、時間できたとしても本を贖って読むという習慣はもはや成り立たないように思える。何しろ読むだけならkindleなどペーパーレスで済む。

 ならば我もまた新たな職掌、新たな収入を得る方法を考えねばならないわけだが、逆にだからこそ、我はこの商売「古本屋」という仕事に、いまこそ、このコロナ時代だからこそ真剣、本気に取り組みたいと思えてきた。
 むろんそれで儲けるは難しい。それで生活の糧と考えるべきではもはやないと思える。だが、だからこそ本という媒体、メディアと向き合い、今こうしてだらだら文字を連ねているように、文字を「読む」、そしてそれを届ける、そして共に書き手と読み手が考えていく、という流れ、スタイルを大事にしたいと思う。

 それこそが、文化であり、人が人であることだと人間の思考の営みなのだ、と信じて。
 でなければ、人と人はいったい何を媒体として、共通言語としてお互いに繋がるのであろうか。
 手短かな、ツィッターとかで、人の気持ちや真の感情は網羅も伝達もできないはずなのだから。いいね!がいくつ貰えても、我はそれを喜ばない。そんなもの糞くらえ、だ。

今のこと、これからのこと、来年のこと~③2020年12月03日 08時10分42秒

キジ子(左)と、その妹や弟、姪っ子たち
★家のこと、猫たちのこと

 我が家の秋のいちばんの問題事である、庭のイチョウとケヤキの対盆の落葉騒動だが、この数日は、風もなく穏やかな日が続いているので落葉は一時であるが小康状態である。
 いずれにせよ、まだケヤキすら高い枝に朽ちた葉が付いているし、イチョウはやっと散り始めた段階だから、これから北風が吹き荒れれば終日落葉掃きに昼夜問わず追われることになる。ご近所さまの罵声を浴びながら。

 さて、ゴミ屋敷と化した家のこともだが、迂闊にも大量に増えてしまった今家にいる猫たちの件も報告しないとならない。
 そして、今も毎月動物病院に借金を払い続けている、大ケガした三本脚の猫50万円の「キジ子」のことも、だ。
 50万円、というのは、治療費の総額のことで、多くの友人知人方からいろいろご支援頂き、おかげさまで何とか年内に完済できる目途もついた。
 キジ子についてはまた稿を改め、最終的完済時にご報告したいと考えているが、ともかく今年は猫に追われ猫にあけくれた。それもこれも全て自分のネグレクトが引き起こしたことだ。

 「多頭飼育崩壊」という言葉があると先日ニュースで知った。どこそこの夫婦の家で、飼っていた猫たちが増えすぎて、動物愛護のボランティアの人たちがその家に踏み込んで、動物虐待の疑いで警察へも通報し百匹以上の、痩せ衰えた糞尿まみれの猫たちを「救出」したと報じられていた。
 詳しくはわからないが、その猫好きの夫婦は、避妊手術など受けさせないで室内で飼い続けていたら、どんどん猫たちは増え続けてしまい、ついに家の中は死骸も含めて惨憺たる有様と化したようだ。※その夫婦は事態が世に知られると猫たちは保健所に連れて行かれると思い込み、ひたすら家の中で飼い続けたがついに増えすぎて「飼育崩壊」してしまったのだ。
 実は、ウチもその傾向があり、昨年来からだが、我の多忙と自堕落、つまり生活全般ネグレクトしてしまっていたため、飼い猫が次々子供を産んでしまい、実はいまも十数匹飼う羽目となってしまっている。
 ウチは昔から犬猫たくさん飼ってきたが、こんなに猫が増えたことは始めてた。

 むろん、奇特な女友人を通して飼主を捜してかなり貰い手も見つかった。が二匹いる母猫、つまり雌猫を避妊手術しなかったため、またそれが今年も子猫を次々産んでしまい、結果として室内に閉じ込めている猫は、キジ子も含めて8匹、さらに自由に猫ドアから出入りしている猫も数えれば総数は十匹を超えるタイヘンな事態になってしまったのだ。
 
 そんなで、猫たちの世話、トイレの掃除と餌やりにあけくれ、餌代など、猫たちの経費だって毎月何万円もかかっている。そこにキジ子の支払いも加わりほんとうに金策に頭痛めた。コロナ特定給費金も父と我の20万円、右から左に猫たちに消えてしまった。

 が、先だって、母が生きていた頃からいる、全てのオリジンである黒猫は避妊手術を終えたし、あとはその猫の娘であり、近くキジ子の母である黒猫を避妊すれば、とりあえずは打ち止め、となる予定だ。

 そう、そもそも今年は我はともかく忙しかった。父の介護に加えて、毎月の「共謀コンサート」を始めてしまったから、どうしてもまずそちらを優先してしまい、自分の私生活、つまり家のことは自室から庭先までも一切後回し、ほったらかしで、家は、内外まさにゴミ屋敷と化してしまった。
 我は母の死後よりその傾向はあったのだが、結局それはいっこうに改まらず、いや、今年こそさらに悪化してしまっていたと今にして気づく。 
 例年ならば、毎年クリスマス恒例、拙宅での「クリスマス謝恩ライブパーティ」を催すはずなのだが、今年はコロナ未だ収束どころか感染拡大中ということと、そんな有様なので、とても開催はできない。
 いや、コロナが収まっていたとしても、また場所づくりに太田さんや槙さんや友人知人総動員で大騒ぎすることになっただろうから、中止の言い訳として今年は正直、コロナ様々という気でいる。まったく情けなく恥ずかしい。
 ようやくこのところやっと少しだが時間もでき、少しは落ち着いて腰据えて溜まりに溜まった古本の片付けなど始めているが、今もそんなで広かった部屋は足の踏み場がないのだ。

 12月に入り、庭先はこれから落葉シーズン真っ盛りで朝晩落葉掃きに追われている。が、それよりも下の居間を早く片付けて、父のためにコタツを出さないと父が帰宅しても寒くて肺炎起こしてしまう。
 この週末はともかくスペースをつくりコタツ設置こそ最優先なのだ。何しろストーブは危険で使えないから暖房はコタツだけが頼りなのだから。

今のこと、これからのこと、来年のこと~②2020年12月02日 20時19分22秒

チュ~るに夢中のキジ子たち
★父のこと、家のこと、猫たちのこと

 「共謀コンサート」が仮に、公的なことだとすれば、「公私」の、私、つまり我の私生活、実生活についてもふれないとならない。

 我が父は、先日10月21日、96歳の誕生日を迎えられた。干支はネズミで、今年は年男でもあった。
 愛妻を2016年に先に失くして爾来4年、我と父の男同士の二人暮らしながら、よくまあ4年間も生かし続けられたなあ、といま改めて深い感慨が湧く。
 むろん軋轢というか、様々なトラブルが多々あった。彼の徘徊や妄動、我を侮蔑する発言に息子である我がキレて、危うく殺しそうになったこともあった。
 警察や医療沙汰にはならないで済んだが、市の福祉課の奴らがケアマネを巻き込んで勝手に虐待事案として乗り込んできて我が家に介入しようとさんざんな目に遭った。一時は、怒りのあまり、父を殺して家に火をつけ、我も自殺しようと考えたこともあった。
 そうしたことも拙ブログにその折々書いて来たはずだから今さらまた書く気はない。

 幸いにして父はこのコロナの年も風邪もひかず、骨折などで入院もせずに週の内の大半は、二か所の介護施設にお泊りに行ってくれている。彼が我が家で寝るのは、実質週に三日だけなのだが、それでも夜中に徘徊やオムツを勝手に外してベッドを汚すので、父在宅の日は、深夜もおちおち深く眠れない。
 しかしそれもこれもとことん信じられない程に長生きしたからで、母も含めて我は様々な老人を見て来てその死期と死に方を見届けてきたが、こういう父のような死に方、死んで行き方は、まだ経験したことがない。
 実際のところ、今年は何とか乗り切って、来年また新たな年を迎えられたとしても、2021年一年間はまず無理なのではないかと思える。もう百歳まであと少しなのだ。
 しかし、今年もそう不安に思ったものの、こうしてコロナ禍中でも一応元気で、ともかく無事に猛暑の夏も乗り切れたわけだから、存外来年も気づけば今の季節になっているかもしれない。
 その寿命はまさに天のみぞ知る、天命ということなのかもしれない。

 父と介護しつつ暮らしてわかったことは、人は癌などの持病がなく、脳溢血など突発性の病に襲われない限り、どこまでも生き続けられるのである。百歳以上だって可能かもしれない。
 ただ当然身体は全身経年使用からの老化により劣化衰弱していく。今の父は、歩けない、食べられない、排泄も垂れ流し、そして頭も呆けてしまった。
 「衰弱死」という死因があるのかわからないが、このところよく聞く、「老衰のため死亡」という結末となるのである。そう、身体機能も精神も全てが尽きて、まさに出し殻のようになって最後は体力尽き果て眠るように死んで行くのだと思う。
 そう、何も考えずに、何もわからなくなって、ただうつらうつらし続けてやがて息をひきとる。そこに痛みも悩みも苦しみもない。

 それが望ましい幸福な死に方か、今の我には何とも言えないが、我が母のように病に倒れ、多くの思いを残しつつ死期が迫って来る無念の死よりははるかに幸福な死に方ではないか。
 
 いずれにせよ、人の死期は自ら選べない。自殺という「殺人」を除けば。
 我はいま老いのとば口に立って、親たちの死に方、死に行く姿から多くのことを学んでいる。

12月に入った。今のこと、これからのこと、来年のこと~①。2020年12月01日 22時04分05秒

★残りの人生、全てきちんとすっきり、はっきりしていこう。

 コロナに翻弄され、未だ感染拡大が止まらない今年2020年も残すはあと一か月となった。
 平成が終わり令和が始まり実質一年目に、こんな事態が起ころうとは、まさにこの元号の不吉さと先行きの不安を早くも感じるが、それはさておき今日から12月である。

 この状況下で東京オリンピックが来夏開催できると思い込み待ち望む人のお気楽さと楽観的思考は呆れかえる程に高く評価できるが、確かに世の中、先行きをどう捉えるか、ある意味気分次第なのである。
 瓶に残ったワインが半分になったときに、もう半分しかない、と嘆き悲しむか、まだ半分もある、と喜ぶか、その違いでしかない。
 我は基本、ダメ人間で不安神経症だから、常にネガティヴに考えてきたしその性向は変わらないが、さすがに歳とってくると鈍感力も高まり、このところは、まあどっちでもいいや、と思うようになってきた。
 嘆いても喜んでも状況は変わりはしないし、いずれにせよワインはいつかなくなる、つまりモノゴトには必ず終わりが来るし、そして人は死ぬのである。
 ならば、あれこれ嘆くより、希望的に見た方が精神衛生上は良いのかもしれない。が、今さら開催に向けて新たな予算組んだり、「妄動」はすべてきではないと批判的視点は持たねばならないと思う。ま、それももうどうでもいい。オリンピックなどそもそも関心が全くない我なのだから。

 さておき、そんな大過に見舞われ、今も出口の見えない2020年も間もなく終わる。コロナに関係なくとも個人的に様々な感慨がわく。そこに多少の喜びもある。
 それは、たぶん何とか父も含めて、我は大過なく今年をともかくも無事に乗り切れる(だろう)ということからだ。
 まず、少し早いが今年を振り返る。

 今から思うと何をとち狂ったか、今年は一年間、毎月開催しようと考えて始めた、谷保かけこみ亭での月例定期コンサート「月刊・共謀コンサート」である。
 後ほど全部終えたらばきちんと総括的に振り返りたいが、何とかあと一回を残すだけとなった。※12/26日、クリスマスの翌日の土曜日だ。

 コロナウイルスの感染拡大と、緊急事態宣言などで、結局5月と6月は中止となってしまったが、今月の12月の回も開催終えれば、全10回ともかくやれたということになる。

 実際のところ、毎月毎月必ず開催していくということは思ったよりかなり大変かつ面倒なことで、始めて気づいたのは、出演者の手配、交渉から連絡、宣伝告知なども含めて、毎回終えてもまたあっという間に月末になり次の「本番」が来てしまう。
 そんなで一息つく暇もなく、ともかく忙しく慌ただしくなった。しだいに疲れてきて中途でコロナ感染拡大余波で、5月と6月の2回、二か月お休みできて正直ほっとしたことを今ここに告白する。

 ただ、再開後も基本的に状況は回復せず無観客だったり、観客も数入れられず、企画・運営する身としては本当にまた辛かった。コンサートがコンサートとして成り立たないのである。
 観客も来なければ、出る側だって感染怖れ神経質になって出てくれない。何とか出てくれる人がいたとしてもお客がいないのだから投げ銭としても収益は全く出ない。結果、せめてお車代は我が自腹切らねばならない。
 かけこみ亭のご厚意で生配信することで開催の活路は見いだせたが、やはりそこに実際の観客がいるのと配信とではやっていてもまったく気持ちが違う。
 このコロナ禍で、我はライブとは何なのか、そこに観客がいることの重要性をはっきり深く認識した。
 そこに演者ではない人が1人でもいてくれれば、ライブは成り立つ。そうでないとそれは仲間内の練習、音合わせのようなものなのである。
 一人でも聴き手、お客がいてくれれば、その人に対してステージは成り立つ。そう、たった一人でも有難いことだと思い知った。

 しかし、お客を入れられるようになったとしてもコロナ禍続く現在、来られるのはやはり数人だけでしかなく、たいがいは出演者のほうが客数よりも多い現実にどう金を、つまりせめて「お車代」としてもどう工面するか頭を痛めていた。

 そしたらば実に有難いことに、旧知のフォークソングファンの方から、コロナ禍の窮状に対して店と我にもカンパ、手厚い支援金が届いた。まさに感謝感激と言うしかない。
 そのおかけで我は金のことには頭悩まされずにコンサートに向き合えるようになった。実に有難いことだ。そしてついにとにもかくにもあと一回となった。
 ※後ほど、前回終えられたらば、総合的、俯瞰的に、じっくり振り返って記録として思うところを書き記したい。

まずは、コロナ第3波の最中、11/28日を無事に終わらせてから、だ2020年11月26日 11時07分10秒

★コロナ感染拡大第3波の渦中に

 秋はともかく忙しい。まさに目が回る程だ。
 父不在の日でも早朝からの庭先、道路の落葉掃きでおちおち長く深く眠れないし、今頃になって先日の自転車での転倒の傷というか部位があちこち痛み出したのと件のアレルギーで咳も止まらず、満身創痍とはこのことか、という感じである。言葉の綾ではなくまさに睡眠不足でメマイがしている。
 が、できるときにすべきことを、つまり、やらなくてはならないことを一つでも少しでも進めていくしかない。でないとどんどんさらに溜まるばかりだ。

 今朝は久しぶりに朝からカラッと晴れたので、溜まった洗濯ものを懸命に洗っている。ウチのは昔ながらの二層式、しかも粉せっけんだからだからいまどきのそれのようにスイッチさえ入れれば後は干すだけというわけにはいかない。
 いちいち取り出しては脱水かけて、またさらにすすいで、最終的に再度脱水して干すという手順を繰り返す。洗うものが多いとそれを何度でも繰り返さねばならない。

 今日は夕刻、父が介護施設から戻る。すべてはそれまでの勝負で、明日は訪問診療も来るので終日在宅の日なのだが、施設に無理言って明日の夜から一泊早めに預かってもらうことにした。
 今も洗濯機廻しながら二階に上がってはこれを書き進めている。午前中にともかく干さないと明日施設に持っていく父の着るものがない。
 何であれ我が人生は常に後手後手で、季節のほうや老いのほうが先回りして慌ててそれに対処して何とか「とりあえず」間に合わしている。
 根本的に追いつきはしない。古本屋稼業ということもあってモノはどんどん溜まるしそれを処理・分別、出品する時間もろくにとれない。
 私的にやりたいことはいっぱいあるが、ともかく今この人生をかろうじて維持することだけで手いっぱい、精いっぱいなのだ。

 人並みのまっとうな人生、フツーの人生はどんどん先へ進んでいく。我はそれを見ながら今も必死に後を追っている。
 が、その距離はどんどん引き離される一方のような気がする。

 さておき、後手後手で思うのは、菅政権、政府のコロナ対策である。
今また第3波が押し寄せて、けっきょくGoToキャンペーンはそれぞれ一時中止としたり、繁華街などでの飲食店は各地で時短営業が要請されてしまった。
 まあ、今回、かけこみ亭でのコンサートには大きな影響はないと思うが、慎重な人はとうぜん足を運ぶのは躊躇うことであろう。出る側もまた然り。そう考えると憂鬱である。またも緊急事態宣言が出たらどうしたものか。

 しかし、これもまた当然のことであろう。感染が完全に終息してもいないのに、消費喚起策として国を挙げて旅行に行けとか店で飲食しろとかGoToキャンペーンで人心を煽るからである。結果人出が増す。そして全国でこれまでで最大の感染者数を日々更新する事態となる。
 政府は「三密」に加えて、換気や体温の計測、手洗い消毒などを徹底すれば移動しても問題ないといまだ言って、感染拡大は国民の気の緩み、からだと国民に責任を転嫁している。
 が、これこそ噴飯モノで、「気の緩み」は政府が音頭とって始めたこのGoToという愚策が引き起こしたからだし、何より問題なのは、コロナというのは無症状、軽症の人も多々いることを失念していることだ。
 つまり発熱など症状がないとして各地へ出かけお店て飲食している人たちの中にも確実にウィルス持った人はいるのである。結果として全国的にウィルスを国が拡散させてしまったからこんなに感染者数が増えたのだ。
 それを野党は批判するばかりで学術会議のことばかリ騒いで何もコロナ対策しなかった、とかコメントするバカの何と多いことよ。

 さておき・・・
 「肉屋を支持する豚」とか「卵を産まなくなった鶏」とかまるでイソップの喩え話のような事態があちこちで起きている。
 そうしたことについて書き記したいと思うが、ともかくいまは時間がなく、まずは28日を無事終えてからだ。

 いま、午後1時半過ぎ。何とか洗濯物は全部干し終えた。思ったよりも時間がかかってしまった。今日乾かなくても何とか明日一日あれば父が明日の夕方持って行く分は乾くだろう。

 コロナが続く限り、もうかつてのような音楽イベント、コンサートはもう不可能のような気がしてきたが、ともかく我が出来る限りのことはこれからも続けていく。
 それが音楽を手の内に入れた者の務めであろう。そう、音楽はどこにいたって出来るし存在するのだから。

寒暖差アレルギーに苦しみつつ野沢菜を漬けていく2020年11月22日 08時30分05秒

★暑いんだか寒いんだか、咳と鼻水が止まらないが

 今日22日は、また気温が下がり例年通り晩秋~初冬のひんやりとした朝である。北風は今朝は吹いていない。今日も晴れて陽射しの温かさが心地良い。

 が、一昨日までは、生暖かい南風が吹き荒れて気温も高く、ともかく気持ちが悪かった。穏やかな小春日和というよりも春先3月頃、春一番のようなヘンな陽気であった。数日前はかなり冷え込んで5~6度しかなくこのまま一気に真冬となるか案じてたのに。
 その天気の不穏さに気持ちも何か落ち着かず、不安な気持ちを抱えつつ山梨へ行ってきた。まあ、向う山里でも冷え込むことはなく身体は楽であったが。

 今回出かけたのは、荷物の搬入よりも、向うの家の庭先にある植栽、青桐やケヤキの樹の伸びた枝葉のことが気にかかって、少しでもそれを「処理」せねばと急かされていたからだ。

 拙古民家のある山里は、ほぼ限界集落と言っていいほど、ほとんど人は住んでいない。行っても誰かニンゲンに遭うことはまずなく、お猿や鹿たちに出会うことのほうが多い。ご近所も住んでいるのは寡婦となられた老人だけでその姿も全然見かけない。唯一、家族のいる世帯はすぐ下の隣家だけである。
 しかし、前回、雨が降り続いていた10月に行ったとき、帰り際、高低差のあるすぐ下の、その隣家のオバサンが突然やってきた。
 我に、今夏伸びすぎて葉が生い茂っていた桐の樹とケヤキを指さし、落葉もすごいからこんなに丈を伸ばさずに切り詰めてくれ、落葉も困るが、危なくてしょうがないと苦情を言われた。何でも地区のどこそこでは樹が家に倒れてきて何百万も損害賠償したとか、一本切るのだって百万円したとか言う。

 確かに入り口のプレハブの物置脇に生えていた桐の木は成長が早く、このところなかなか訪れることなかったら、気がつけば丈も枝も伸びてその大きな葉で、玄関までも暗く覆い隠すほど成長していた。
 俗に俚諺に、娘が生まれたら桐の木を植えれば、その娘が嫁ぐときにその桐の木で箪笥ができると言うが、あながちそれも誇張ではないほど桐という木は成長がやたら早く、この一年ほどほったらかしにしていたらあっという間に巨大化していたのである。
 そして葉も大きく落ちて散れば辺りはチリチリの枯れ葉が散乱いっぱいとなる。確かに隣家ではかなり迷惑したことだろう。
 仕方なく脚立を立てて、小雨降る中、手の届く所だけ剪定ばさみと枝切り鋸で枝下ろしを試みた。ケヤキも切れと言われたが、高所でとても一人では危険すぎ作業は出来ないと自制した。

 だが、桐は切り出してみると木質がとても柔らかく存外苦労せずカンタンに切れることがわかった。当たり前のことだが、成長の早い木は柔らかく脆いのである。人も同様であろう。
 30分もしないうちに手の届く範囲の枝はほぼ全部切り落とすことができ、ほっとした。
 そうしてその切り落とし葉が付いたままの枝はそのまま物置の前に積み上げ投げ出したまま帰って来たのだが、やはり「その後」も気になっていた。
 隣家の苦情に少しでも誠意を示さないと田舎ではやがて「村八分」にされると聞くから近隣、特にご近所には気を使わねばならない。
 で、何とか今回犬猫たちも連れて、その続きの作業を目的に出かけた次第だ。

 が、行きの中央高速、山梨県内は、車窓から見る限り山々は紅葉、黄葉の真っ盛りであったが、我が山里はもう落葉は終わりに近く、庭先の桐もケヤキももう完全に葉は落として丸坊主であった。
 今さら枝だけとなった樹の枝下ろしを急いでする必要もないと考え、ともかくまだ山積みのままにしてあった、先に切り落とした桐の枝葉を片付けることにした。
 着いた日の翌日、午前はゆっくり農協や直売所で地場野菜買って、昼過ぎから庭の中で焚火をして枯れた雑草もろとも燃やせるものは枝も落葉もほぼ全部燃やし終えた。庭もスッキリ広くなった。
 隣家の人の姿もなかったし、こちらから出向くこともないと考え、火だけ消えたか確認してから夕方から一番近くの公営温泉に行き、焚火の煙臭い身体をよく洗って広い湯船に浸かりようやく気持ちも一段落ついた。

 そんなで手のかかる猫たちもいたから今回は何か落ち着かず、他のことは何もできずのんびりもできなかったが、直売所には幸い生の野沢菜が出ていて、かなりの量を買い込むことができた。
 これもタイミングであり、収穫期は晩秋の一時期だけのものだから時宜が合わないと山梨へ行っても買うことはできない。今回は高菜は出会わなかったが、かなり鮮度の良い野沢菜を計7束買うことができた。いつもの倍である。漬けこむブラ樽が足りないので昨日、近くのホームセンターで新たに買い足して来た。一把の束が5kだと思うから、樽二つで収まるはずだが、下洗いしたがまだ漬けこんでいないのでどうなることか。
 
 昨日からまた風は北風に変わりまた本来の寒さが戻って来た。おかげで寒暖差アレルギーが悪化して、咳と鼻水、そして咳のため喉も痛み痰がからみ風邪症状で苦しいが熱は例によってない。ともかく咳が止まらず息苦しいが何とか作業してやり過ごすつもりでいる。これはじっと寝ていても治りはしないいつものことだから。
 
 野沢菜は高菜のように手間がかからないから一週間ぐらいで食べられると思うので、今度の共謀コンサートに持参して皆にふるまえるかと思う。
 参加者にはおみやげとしても差しあげられると思うのでぜひお気軽にお越しください。11/28日、午後5時半から、谷保かけこみ亭。

また山梨へ行ってきた2020年11月21日 22時44分16秒

ベルコと黒猫モコ
★コロナは続くよ どこまでも である。

 このところ連日コロナの新規感染者の増加更新が日々全国的に止まらない。東京では連日五百人越えである。これはさすがにマズイことなのは誰でも思う。
 言うまでもなく菅政権が安倍政権から引き継いだ愚策GoToキャンペーンなるものを、まだウィルスはちっとも収束していないのに全国的に始めてしまった故で、どう言い訳しようとも「気の緩み」、つまり感染防止策さえとれば移動も含めほぼ元通りの生活、経済活動をしてもかまわない、と政府がお墨付きを与えてしまったからに他ならない。
 何で拙速に経済を回そうと、しかも観光業を優先したかは、そこに菅政権誕生の功労者、影の総理二階幹事長の存在が大きいからだそうで、彼のバックには観光産業が付いているから何が何でもトラベルなのである。そう、この先どうなるのか誰もわからない、「神のみぞ知る」状況でもだ。

 さておき、実は、この数日、18日の水曜の夜から昨日金曜の昼まで山梨の最北、北杜市へ一人で行っていた。むろんウチの倉庫である古民家へ、だ。
 問題の老父を、いつもより一泊長く介護施設にあずかってもらい、水木金の二泊三日で行けたのだが、実質まるまる一中向うにいられたのは19日の木曜だけだ。
 じっさい隣の県とはいえ、その古民家のあるところは、峡北と呼ばれる県北部で長野県に近い八ヶ岳南麓である。しかも高速降りてから山道を30分昇る山里なので、高速に乗ってる時間は 1時間強だとしても、やはり移動には片道2時間はどんなに急いでもかかってしまう。
 一泊二日の日程だと、着いて荷物下ろして、近くの温泉に入って一晩寝たらすぐまた翌日、農協で野菜とか買って昼には向うを出ないとならない。いつもあまりに慌ただしく田舎へ行ってものんびりなんか常にできない。だから気も身体も休まらない。何かあたふた荷物を移動させているだけだ。
 今回は、中一日、向うにまるまるいられたので少しはのんびりできた、が、実はまたバカな判断から危うく事故るところであった。
 理由は、愛犬ベルコだけでなく猫たちも三匹連れて行き、しかも車内で猫たちが騒ぎケージ破ってうろつき出してしまい運転に集中できずパニック状態となり往生した。

 いつもは、動物は連れて行くとしても愛犬ベルコの他に、ケージに入れて三本脚のキジ子だけなのだが、今回は、キジ子の他に、黒猫モコとヘタレ大将という子猫ならぬ「中猫」も連れて行った。つまり犬1、猫3、ヒト1である。それが車に乗ってった。
 もっと他にも今ウチには猫たちがたくさんいるのだが、人に慣れて大人しいメンバーを厳選して、他のは餌をたくさん置いて留守番させてのことだ。
 で、今回キジ子は、車内に放して、中猫二匹はソフトケースのケージに入れて連れて行った。むろん二匹はニャーニャー大鳴きして中で騒いでいる。
 が、後部座席に置いてあったビニール製のケージからいつの間にか自分たちで咬み破いて穴をあけ車内に出てしまったのだ。※後で判明した。
 八王子インターから高速道に入り、次のPA、藤野まで来たら、足元に誰かがいる。ファスナーが緩くて出たのかと思ったが、二匹はもう車内で自由にうろつき、キジ子も含め皆で大騒ぎである。
 いったんどこかPAに停めて猫たち捕まえてケージに戻すことも考えたが、出たのが夕方7時過ぎだったことと、車内には本や荷物も多く猫たち全員捕まえるのも難しいと考えてともかく大急ぎで古民家に向かった。
 じっさい古民家に着いても、車内から猫たちを捕まえて閉じ込めておく二階の部屋に連れて行くのもまた一苦労であった。
 まあその晩は、猫たち広い部屋に放たれコーフンして主人が寝ている布団の上でも追いかけっこ、こちらはなかなか眠れずに閉口したが。
 
 翌日、向うでの用事を済ませて、さらに一泊して帰路へと。猫を入れようとケージを確認したらば、あちこち咬み破いて隙間ができてボロボロであることがわかった。どうしたものか。修繕もできないし時間もない。
 けっきょく、ともかく中猫二匹をそのケージに投げ込み車を走らせた。
が、すぐさま彼らは出てしまい、車にも慣れたからか、行きよりもさらにアクティブで、日中だったこともあって、運転席にまで三匹でやってくる。
 足元をうろつくのもいれば、キジ子は我の肩に乗ってニャーニャー鳴いてるし、モコはハンドルからボンネットによじ登ろうとけんめいである。
 危なくて運転に集中できない。その都度、周りをちょろちょろする猫たちを掴んでは後部座席に投げるが猫たちは懲りずに何度も運転手にまとわりついて来る。とうぜんハンドルもふらついてしまう。助手席の犬ベルコも心配顔である。
 気がつけば、後ろには工事用の大型トラックが急接近していてクラクション鳴らされ、慌てて路肩に停めたが、危うく事故るとこであった。

 それは高速内のことではなく、インターまで下りる山道のことだから、スピードは出ていなかったが、またしても我はいったい何をやっているのか!!と思わず自問した。またも命縮めるようなバカなことをしているではないか。
 けっきょく、昨日は朝から買い物などはできるだけしないで、できるだけ早く韮崎から高速に入って、キジ子を肩に乗せて、モコは膝に乗せて片手で押さえつけて、もう一匹の様子を伺いつつ片手ハンドルですっ飛ばし大急ぎで帰ってきた。
 昼過ぎウチに帰り、連れて行った猫たちをそれぞれの部屋に投げ入れてほんとうにホッとした。無事を痛感し缶ビール開けて、からからの喉を潤した。
 そして誓った。誰か他の同乗者がいて、猫たちの世話や様子見てくれるのならともかく、1人のときは、犬はともかく猫は連れて行かない。連れて行くとしても一匹だけ、それもしっかりしたケージに閉じ込めての話だ。こんなことで事故って命落とすのはバカらしいではないか。
 バカだから何度でもバカなことを繰り返す。ほんとうに危険なことは回避していかねばと先日も悔いたばかりなのに、だ。

 ※今回行かねばならない目的については別に書きます。

晴れの日が続く、コロナ感染拡大も続く2020年11月14日 21時16分31秒

★まず近況と思うところを

 雨や曇りの日がやたら多い今年2020年だったが、ようや11月に入って天気の良い爽やかな秋晴れの日が続くようになった。
 が、今週は一気に寒くなって、隣町八王子では最低気温が5~6度と報じられた。まだ何の冬支度もしていない我は、また寒暖差アレルギーが悪化して咳が止まらず往生した。発熱などはないものの風邪の初期症状で痰も絡み咳が収まらず苦しい日もあった。仕方なく体温めできるだけ早く寝るしかなかった。毎度のことなのでコロナではないと信じるが・・・

 ようやく昨日あたりから寒さも和らぎ、今日など日中はひなたにいると汗ばむほどで、朝晩は冷え込んでもともかく陽射しのあるのは有り難い、助かると陽の暖かさに感謝である。
 今朝がた、父を介護施設に送り出し、ようやく落ち着いて今心静かにパソコンに向かっている。とりあえず明後日の夕方までは、父のことはさておき自分のことに専念できる。
 が、今日は、それでどっと疲れが出て、午前は歯医者の予約診療を終えた後、昼過ぎに近くの家系ラーメン屋でたらふくライスと一緒にラーメン食べて、犬猫たちに餌やったりしてから少しだけ横になるつもりで布団に入ったら爆睡してしまい気がついたら外はもう暗かった。5時は過ぎていたか。約3時間半寝たことになる。
 寝ながらも忘れ物したようなあれこれ気になることが頭をよぎり、その都度今日は父は不在なのだから今は寝ていいいのだと思い直し、けっょくだらだらと午後は暗くなるまでひたすら眠り続けたのだ。無為に時間を費やしたとも思えなくはないがおかげでやっと体調は戻った。

 先だっての自転車での転倒したケガは、今も肘などは青痣になっていて押したり触るとまだかなり痛いが、身体節々の痛みはなくなりもうほとんど生活に支障はない。
 今回の件で、多々ご心配とお叱りも受けた。今さらながら情けなく反省中である。バカは死んでも(死に損なっても)直らないとは自分のことである。
 で、酒はもうやめたかというと、実は、咳が出ると、いちばん効くのは、ウイスキーなどのお湯割りで体自体を温めることなので、このところの寒さもあって酔っぱらうほどではないが、咳が出るたびアルコールはまた飲んでいる。熱くしたお湯割りを流し込めば咳は収まる。
 咳止めの薬こそ、中島らもの命を奪ったようにかなり危険なので、それよりは薄いお湯割りならば、という判断だ。
 いずれにせよ、外で呑んで自転車に乗ることはもう絶対しないと誓ったのでご容赦願いたい。家で一人で酩酊できる余裕も時間もない。
 ただそんなでまたブログ更新の間が空いたのは、急な寒さで体調悪く、父不在で寝られるときは咳止めにアルコール流し込んで早く寝てばかりいたからと告白する。
 ※アップする写真もまとめたが、けっきょく未だそれはできていない。

 さておき、父のことはともかく、アメリカ大統領選の結果と大阪維新の会の都構想の結果の類似と政府のGO Toキャンペーンの継続である。そのどれもトランプ的というか、身勝手な悪あがき、ある意味狂気の沙汰というしかない。終わりは既に見えているのに、あえてそれを認めず欲望のおもむくまま都合良く解釈してさらに状況を悪化させていく。
 政治家、というより政治に携わる者は、いつの間にかこんなに無責任になったのであろうか。誰もが自分たちの都合しか考えず民意など認めない。
 我は先にアメリカの大統領選はトランプ氏の再選だと予想して拙ブログに書いた。じっさいのところ開票半ばまで激戦州は圧倒的にトランプ氏の票が伸びていた。
 のちに郵便投票の票が出て来てバイデン氏優勢となったとされるが、確かにトランプ氏や日本国内も含めて支持者の人たちはいかさまや不正があったと思いたくなるし我もそう疑う気持ちはある。
 が、少なくとも政権与党側がするならともかく、全米で民主党が政権奪還のために大々的に不正操作がてぎるはずもなく、現時点ではその確証事例なども報じられていないのだから、やはりこの選挙結果は誰もが認めねばならないはずだ。大阪都構想も同様に。
 ところがトランプ陣営や大阪維新幹部たちは、それを認めず諦めず新たな妄動を続けている。接戦だからこそインチキ不正があったとか、ほぼ半数の人が賛成したのだから廃案になってもその民意をくみ取らないとならないという「詭弁」である。

 そして今また、コロナ感染拡大が連日都内も含めて新たな段階に入ってきている。各地で感染者数が過去最高となり東京でも連日300人越えが続いているし北海道でもかなり危険な状況となってしまっている。
 特に人口が少ない北海道での再流行は、政府のGoToトラベルが大きく関与していると誰もが想像できる。
 なのに政府は北海道をキャンペーンから外さないだけでなく、これからもこのキャンペーンは全国的に続けていくと明言している。それも利用は各自「皆さんの自己判断で」、という無責任ぶりである。
 けっきょくつまるところ全ては金なのだ。そこに金が動くから、金を求めて無責任な妄動を続けざる得ない。

 そもそも彼らは選挙で示された民意や道民、大阪府民、国民のことなどまったく大事におもわないし考えてもいない。※沖縄の民意だってそうだろう? 二階幹事長のご威光で誕生した菅政権は、彼のバックにある観光業界の顔色を窺うしかないし、トランプ氏もアメリカ大統領選挙の得票歴代二位の7000万票越えの力をかざして大統領の椅子に居座り続けるのである。

 何せよ、敗戦日本に民主主義をもたらしたアメリカの「自由と民主主義」なるものはどの程度のものか今回底がはっきり見えた。ならば、彼らが教えてくれた日本の民主主義、選挙なども自公や維新が示すように自らの為だけのもの、ご都合主義でもちっともおかしくない。
 非民主国家である中国や北朝鮮、ロシアが嗤っている。

慌ただしい一週間を終えて2020年11月09日 09時23分06秒

砂川秋祭りで「砂川の空」を唄う館野公一
★ようやく腰据えて自分のことを

 昨日は、砂川秋祭りだった。
 我は、オープニングアクトで、盟友太田さんと「三密クラスターズ」で演る申し込みもしていたので、朝9時に集合とのことで8時過ぎ大慌てでギター背負って機材を籠に乗せて自転車で向かった。
 会場は立川市の砂川平和広場だ。今回で30回目となる恒例の秋の野外イベントである。言うまでもなくあの砂川闘争の舞台となった地区である。
 その報告もきちんとしたいが、実は帰り道、我家の近くのスーパーの前で自転車ごと転倒し左手肘や左足の膝に軽い怪我をしてしまった。
 そんな時間は遅くない。夜の7時頃であろうか。

 イベントを終えて立川駅北口まで太田さんと南北道路をえんえん歩き、駅前の安いとんかつチェーン店で定食を肴にアルコールを吞んだ。
 そんなペロペロになるほど飲酒しなかったはずなのだが、やはり酒に酔うと足もとがふらつくごとく帰路、自転車も右に左に定まらず走っていてもかなりバランスとるのに苦労してたらついに転倒である。歩道上で幸いだった。

 どうにもその状況ははっきり思い出せないが、誰か他の自転車に接触したのか。すぐ男の人に抱き起され近くにいた女の人も大丈夫ですか!と駆けつけてきた。
 ビッグAという24時間やってるコンビニ的スーパーの入り口のところで、我はそこに寄ろうとして車道から歩道に乗り上げたのかもしれない。
 ともかくそこの駐輪場に自転車は停めて籠から落ちた荷物などを拾い集め辺りを確認してまたフラフラしながらも家に戻った。
 いま、一夜明けて持って行った荷物を再確認したが、特に失くしたものや見つからないものはないようだ。ギターも無事であった。kヤイリの自分としてはかなり高い値のギターだったので、安堵した。
 ただ帰り道もヘンだと思ったのだが、そのギターを入れてあった背負っていたソフトケースのストラップが切れて外れてもう修復は難しい感じだ。つまり転んだ時、ギターにもヘンな負荷がかかり胸にまわしていたベルト部分が切れたらしい。

 怪我もあちこちの打ち身と擦り傷程度で、まだ節々がかなり痛むが後遺症が残る程ではないと思う。※以前にもやはりかなり吞んで友人宅からの帰り道、塀か何かにぶつかって左指を骨折した。いずれにせよ、毎度のことながら無事で幸い、有難いことだと今つくづく思う。
 これまでも酒に酔って高所から落ちて頭打ったりしたり何度も九死に一生を得てきたが、思えば全て酒がらみのことで、今回こそ真に深く反省した。後悔した。こんなことをしていたら無為に命を縮めるだけだと誓う。

 本当に愚かである。バカも極まりだ。実は先日も、先月の「共謀コンサート」でもウチから自転車で谷保かけこみ亭まで出向き、行きは秋空の元、至極快適だったものの帰り道はすごく時間かかりペダルこぐのも苦労し疲労困憊した。その晩は酒はほとんど吞まなかったが・・・。
 そのときも思ったが、何かを終えた後はやはり当然疲れているし、それからまた一仕事的に身体を使うのは無理がある。我はアスリートではないし、身体を鍛えたいわけでもないのだからできるだけ楽に早く移動できることを旨とせねばならない。
 ※また多摩地区は西に向かうにつれ緩やかに地盤が高くなっている故、京都でも同様、北ならぬ西に上るにつれて常に緩い登坂なのである。

 だからもう自転車では行かない、使わないと思ったはずだったが、秋祭りの会場が駅からも遠く交通機関もろくにない場所だったから自転車がいちばん早いと考えて、帰り道のコトを又しても失念してしかもアルコールまで吞んでしまったのだ。そしてまたもこの失態である。下手に頭打ったり、車道だったら命落としていてもおかしくない。

 毎度ながら思うが、神はこんな愚かでどうしようもない男をまたも見捨てず見守り大事に至らぬよう守ってくれたのだ。その神の深い愛、思いやりにただ感謝するしかない。
 そしてまたしても生き延びた命に対して、報いるようなことをしていかねばならぬと今強く感じている。

 ともかく昨日で、先月31日のコンサートからの慌ただしかった一週間は終わった。いや、勇造の民家ライブからか。後のイベントは、今月28日の回だけである。
 中山ラビさんからお知らせハガキも届いていて、癌克服!?のスターパインでのラビ組ライブもあるのだが、それは席数も少なく既に予約は満席だと思うから、連絡確認はするがたぶん行かないだろう。

 今年も残すは二か月足らずとなった。共謀コンサートもあと二回でいったん終える。まだ何も確定していないが、昨日のイベントで出会ったバンドによって今後の企画も湧いて来た。
 秋も深まり今も多忙かつ多事多難なのは変わりないが、今日は父が夕刻帰るまでは自分のことだけにようやく専念できる。まずは晴れたので溜まった父の洗濯ものと、窓や戸を開け放しての掃除と片付けである。

 穏やかな秋の日を浴びて今思う。生きているって素晴らしい。そう、まだ何とか無事我は生きている。
 すべてに感謝してがんばろう。ただただ有難い。まだ死んでない。生きている。