オール電化、という文明は人類自滅への道2019年09月14日 10時06分17秒

★ようやく季節は変わったが・・・今も停電と断水に苦しむ人たちがいる

 台風15号は通り過ぎ、マスメディアの世界では、安倍改造内閣の話題で持ちきりであったが、一方、しだいに今回の台風の被害、その全容が明らかになってきた。まったく呆れた話である。一週間過ぎてもまだ復旧できていない地域が首都圏にあるのだ。

 先に、東京多摩、ウチの地域では今回の台風は大した被害がなかったと書いた。が、それは通過する台風の西側にあったからで、東京でも都内や湾岸、千葉県寄りではかなり強風による被害はあったことを後から知った。特に進路の東側にあたった千葉県では今もなお停電と断水が続く地域が広くあるようだ。

 台風の直接の死者は深夜ということもあり少なかった今回の台風だが、その後の猛暑の最中、停電と断水のため熱射病や体調を崩された方が多数出ている。復旧の遅れは毎度ながらの東電の甘い見通し、失態だと批判されても仕方あるまい。政府の対応に問題はなかったのか。 
 確かにニュース報道で見る限り、強風であれだけの電柱や鉄塔が倒れ電線が切れてしまえばとても早期の復旧は難しいとは理解もできる。
 今は水道さえもマンションなどの場合は電気でタンクに組み上げているから、その電気が来なければ何一つ動かない。
 しかし、真夏に、あるいは先の地震での北海道のように、真冬に電気がないということは、その地域の人たちにとってはまさに死活問題であり、今回のように長期化した場合、死者も想定しないとならなくなろう。
 千葉県は行政上げて困窮者救済にもっと積極的に動くべきではないのか森田知事!!それに安倍晋三!!!

 ひところ、ガスや灯油は火災に繋がるから、絶対安心はオール電化だとしきりに宣伝していた。しかしこうした事態を思うとき、安全を謳った「原発神話」同様、水道、調理から冷暖房・空調までライフラインすべてを電気に頼る便利で快適安全「オール電化」もまた幻想だと断言できるはずだ。
 いくら、生活すべてをグーグルとかに任せて、何もかもパソコン任せにしたとしても電気がなければ、何一つ動かない。あくまでも電気があってこその快適生活は、先の3.11の直後と同様、それに頼るライフラインが切れたらオシマイなのである。
 だからどうやって電気を作るかも問題だが、それ以上に配電供給じたいも絶対安心ということはないわけだから、できるだけ電気に頼らない生活をもう一度各自が模索すべきではないのか。
 「オール電化」こそ愚の骨頂であろう。

 私事をいえば、とりあえずウチは、煮炊きは薪ストーブがあるのと、近くに災害用手動井戸もあるから、あとは、自家発電用に太陽光パネルでも設置を検討していきたいと考えている。何であれ、営利目的の大企業に生活と人生の根幹を任せてはならないのだと我は今さらながら痛感している。

続・真夜中の台風と一過の猛暑2019年09月11日 09時15分17秒

★迷える子羊は飼い主の心知らず

 真夜中の台風襲来。外の吹き荒れる雨風の音で不安な一夜を過ごした。
 が、外が白み始めたらしだいに風雨は収まってきて、午前6時頃には静かになった。台風は通り過ぎたようだ。
 外に出て、被害を確認してみると、我家は樹々が多いので、庭も道も一面に吹き荒れる強風で落とされた葉や小枝が散乱していたが。特に松の古い葉がものすごく落ちている。
 しかしそうした落葉や小枝以外の被害は何もなく、何かが壊されたり飛ばされたものなどはなくてほっと安堵した。
 他地域の状況は不明だが、多摩地区に関しては、昨年の台風のほうが被害は大きかった。近くのラーメン屋の屋根に掛かっていた看板が落下したりかなりの数の街路樹が倒されたりしていた。今回はそうした目に入る被害はどこもないようだった。しかし、子猫たちはどうしたのだろう。

 西から東側へ強風は吹き荒れたから、東側の隣家の前の道に散乱した落葉などを早朝から我は掃き集めていた。
 と、見ると母猫がニャーニャー鳴いて出て来て、子猫の鈴の音がしたと思ったらクロスケが隣家の車の下から出て来た。無事だった!と安堵した。
 しかし、呼んで捕まえようとしてもコーフンしてるのか逃げ回ってちっとも捕まらない。そうこうしているうちに、隣家の人たちも出て来たので親子はまた姿を消してしまった。仕方ないといったん諦めた。ともかく無事だと確認はできたから良しとしよう。

 台風一過のその日、朝のうちは曇って涼しかったが、しだいに晴れてきてとたんに暑くなった。
 我は、ほとんど寝てなかったので、どっと疲れが出て、子猫も無事だと確認できたこともあり一仕事終えたら倒れ込むように深く寝てしまった。
 目覚めたのは午後2時だった。外は明るく静かに晴れて真夏日となっいた。少しだけ開け放したから玄関戸の隙間から午後の強い陽射しが射しこんでいる。しかし親も子猫も帰って来てない。
 このまま野良として生きていく道を選んでも仕方ないか、と思い半ば諦めようとして、いったん戸を閉めた。
 が、3時前、外で親猫の声がしたので、戸を開けたら、母猫と子猫のクロスケが一緒に玄関前にいるではないか!
 戸を開けたら、まずは親が入って来て、少しクロスケは怯えて躊躇っていたが、後を追い家の中に入った。すぐに戸を閉めて深い溜息をつき安堵した。やれやれである。心配かけやがって、だ。

 聖書には、ナザレのイエスが説く、迷える子羊の喩えがいくつもある。たくさんの羊を飼っていても、一匹が行方不明になれば羊飼いは必死に探し回るだろうし、みつけたときにはどれほど喜ぶか、と。また「神の子羊」という表現も多々出て来る。また、自らを善き羊飼いだと自称もしている。
 羊ではなく猫ではあるが、神と羊の関係は、猫と飼主との関係に比するものがあるかと今回の騒動で考えさせられた。

 猫たちは勝手に生まれて来て、自らは好き勝手に生きていると思っている。じっさい、今はまだ「飼主」の存在などよく理解していないし、飼主無しで生きていけると思っている。だから嵐の夜であっても無謀にも外に出てしまう。
 我ら人間も実は同様に、自分たちだけで何でもできると怖れ知らずに欲望のおもむくまま好き勝手なことをしている。
 しかし、そのツケがこのところ地球各地で表だって出ている。地球温暖化による記録的猛暑や旱魃、突然の豪雨、洪水、さらには海洋汚染まで、環境破壊全ては人間の欲望と過信が招いたことではないのか。
 神をも恐れず、という言葉があるが、猫たちは飼主=主人がいて、飼主に生かされていることに気づくことがないように、人もまた真の主人がいることを知らないからこれだけ好き勝手な無謀なことができるのである。
 猫の飼い主、我は数多の猫たちのことのみならず、逃げた一匹も深く案じて探し回ったように、人間の「主人」=神も常に我々のことを深く案じ、その愚かな所業に心痛めているはずではないか。
 何であれ、全ては自由意志であり自己責任でもある。しかし、だからといって何をしても許されると思うべきではない。

 我はわれを 呼ぶ「声」にもっと耳を傾けねばと今さらながら深く思う。そう、誰もが、目に見える「警告」から、その声にまず気づかねばならない。
 残念ながら、世界の多くの政治家、特に国家の指導者こそその「警告」に耳を傾けず、目先の欲に目が曇っている。アメリカ然りブラジル然り、中国もまた、そしてこの国も。
 世界の終わりの破滅時計はいよいよ秒刻みとなって来た。

真夜中の台風と一過の猛暑2019年09月10日 23時43分23秒

★ウチの方の被害は大したことなかったが・・・

 突然の台風襲来であった。
 このところテレビも新聞もろくに見なかったので、小型だが強い台風15号が関東地方に向かっていることもよく知らなかった。
 8日、日曜になって、こちらを襲来、電車など交通機関は早めに計画運休を決め込んでることをやっと知った。
 しかし、日中は雲は流れていたもののそんな気配はまったく感じられず、このところ雨、雪にしろメディアは事前に大騒ぎして、やたら警戒を呼び掛けるが、じっさいは大したことはない、と高をくくっていた。本当にこちらに来るのか半信半疑てあった。
 その日曜の夜になって風は少し吹きだしたが、存外外は静かであった。しかし蒸し暑く何か不穏な気配はした。

 そんな台風が直撃するという最中、ウチの子猫が一匹、玄関から外に逃げ出してしまった。
 説明が遅れたが、けっきょく子猫たちは貰い手が少なく、今もまだかなりの数ウチにいる。もう、室内飼いには、限界となる大きさにもなってきたので、外に出せるよう猫ドアも解放する予定でいた。
 2年前のとき、まだ幼い状態の子猫2匹が、自分たちで猫ドアから外に出て、隣家の庭で遊ぶようになったら、ある日忽然と「失踪」してしまったことがあった。
首輪もつけていたのに、二匹とも帰ってこない。以後、心配した母猫と一緒にあちこち探し回ったりご禁書にも尋ねたが、見つからず、まさに忽然と消えてしまった。タチの悪い猫ハンターに捕まったのか。
 それ以降、猫が生まれたらウチで飼うにしろ、そうでないにしろ室内飼いに徹して、親猫たち大人の猫たちは自由に玄関から我の手動で出入りさせてはいたが、子猫は、付いて外に出たがっても「厳禁」としていた。※大人猫は利口なので、外に出たい時は、玄関に行って啼いて求めるし、帰って来るときは、玄関先でまた啼いて開くまで待っている。
 
 その晩も、ちょうど親猫が外から帰って来て、玄関先で啼く声がして我は引き戸を少しだけ開けた。が、親が入って来る直前に一匹、黒い子猫が間隙をぬって外に飛び出してしまった。母猫も踵を返してその後を追ったが二匹ともそのまま呼んでも戻ってこない。
 まだ雨は降ってなかったが、あろうことか台風襲来の夜に脱走である。
 他の子猫たちは、裏の部屋に呼び集めて確認したら、脱走したのは、オスの黒猫、クロスケだとわかった。外で呼んでも鈴の音はどこかでしているが、ちっとも入ってこない。夜も深けていく。
 他の猫は別室に閉じ込めたので、自分たちで戻るよう、猫ドアも開放て、玄関の戸も猫一匹通れるほどの隙間を開けて、我はともかく寝ることにした。親も一緒だから自分たちですぐに帰ってくるだろうと。

 その晩、いつしか台風は近づいてきたようで、強い風の音と雨が吹きつける音で我は目覚めた。午前2時過ぎ頃だったか。
 下に降りて、逃げた親子が戻って来たか確認したが、やはり不在である。少しだけ開け放した:玄関の戸からは、強風が家の中に吹きこみ、室内の紙類も吹き飛ばされそうである。
 猫たちのことが心配だが、とても開けてはいられない。引き戸を閉めてテレビをつけて状況を確認した。
 NHKのニュースでは、台風はちょうど横須賀辺りにあって、千葉方面に向かうようであった。幸いやや西にそれたようだ。
 しかし外はものすごい雨風である。子猫はたぶん母猫と一緒だと思うが、外に出た初日にこんな天気に遭うとは、いったいどんな恐怖だろうか。しかし外に探しに行って必死に呼んだとしても絶対捕まらないだろうし、人間さえも危険に遭う。
 不安で心乱れたが、利口な母猫に任せることにして、ともかく寝直すことにした。吹き付ける強い雨風の音とそんな中、外にいる親子猫のことを案じながらうとうとしたかと思う。

母が死んで三年。ようやく長い夢から覚めた。2019年09月07日 18時30分35秒

★生涯最大の「危機」をよく無事に乗り切ったと思う

 私事だが、明日8日で、我が母が死んでからちょうど3年となる。三回忌は、去年、2年目のことだったが、後からお墓参りには父連れて行ったものの法事的なことは何もしなかった。

 今、その9月8日を前に、今さらながらやっと、長い夢から目が覚めた気がしている。
 それは単に「悪夢」だとは言えまい。ともかく夢の中にいるような、地に足がつかない「現実感」のないまま、三年の月日が流れたという感じだ。
 そしてつくづくよくまあ無事で、父もだが、この我が1人で生きてやってこれたという感慨がわく。下手すれば、我の人生も、つまり命も失われていたかもしれないほどメチャクチャ、混乱混沌の3年間であった。
 今でも、人生再建が成っていないし、母が生きていた頃の状態に我家は戻っていない。家はゴミ屋敷のまま内も外も荒れ果てているが、今ようやくもう最悪の「危機」からは抜け出したと、その実感がある。
 喩えれば、誤って船から落ちた船員が、一時は溺れて死を覚悟したが、やっと体勢を立て直して泳ぎだし、近くに陸地を見出しそこに向かって泳いでいく。まだ海の中だが、向かうべく先は見えている。そんな感じだろうか。

 これまでも何度も書いたが、母が死んで半年間は、死後の様々な事務的手続きに追われて、哀しみも何もゆっくり味わう余裕なかった。
 その後、何もかも終わったら、その不在、喪失感がじわじわ湧いてきて、我はこころを病んでしまった。母の夢を見ては泣きながら起きたり、不眠に苦しんだり医者にはかからなかったが、間違いなくPTSDだったのだと思う。
 そして一年が過ぎ、母と共に長く生きた老犬も逝き、父と二人だけの生活にも慣れて来て、ともかく闘病中から溜まった我家の一切の「書類」を整理しはじめた。
 が、母の遺したメモや日記類のようなものを手にするたび、また哀しみと悔いが起こり、気持ちは再び鬱に戻され、苦しくてなかなかその作業はちっとも進まなかった。
 そうこうしているうちに、父の老化と衰弱、呆けはさらに進み、我もときにキレて諸機関に暴力事件と目され、要観察対象となったりもした。

 一方、心の空白感を埋めるべく、辛い現実から逃げるようにヤフオクに囚われてしまい、まずは真空管ラヂオ、ハーモニカ各種、さらには中古ギター、そして最後は古いレコード収拾と、次々と対象は移り、結果何十万もそれで散財してしまった。※百万は使っていないと思うが・・・
 そして2019年。元号が変わり、ある意味自分の中でも一つの時代の終わりを感じてこの春から夏を何とか乗り切ったところだ。
 いまようやく何にも囚われ怖れることなく深く落ち着いた気持ちでこれからのことを考えている。そう、ずっと頭がおかしかったのだ。そんな状態なら交通事故や火災も含めて何が起きてもちっともおかしくなかった。

 これまでも当ブログで、何度も「もう大丈夫です」とか「さあ、ここから、これからだ」と記したが、地震の余震、揺れ戻しのように、また何度も鬱的気分が戻って辛くてちっとも何も進まなかった。
 この三年の間に、のみ亭のやっちゃんを筆頭に、大事な人をまた新たに何人も失ってしまった。それが運命だとかその人の人生だったと思うしかないが、自分がまだ生きている、長く生きていくということは、失う、喪っていくことなのだとやっとわかってきた。

 一時期は、生活すべてが面倒に思えて、外のことには、テレビも新聞も本も何もかも関心を失い、何もかもが「どうでもいい」と思えた。
 だが、かけこみ亭の友人たちや、我の大事な音楽仲間たちがいたおかけで、その励ましと「関わり」で何とか自失しないで済んだ。
 我にとって母の存在はそれほどまでに大きかったということだ。

 荒木栄の、我が母こそ太陽、という歌にうたわれるよう、母は病み衰え骨と皮になっても最期の最後まで我、息子のことを思い、遺す者たちのことを誰をも心配していた。まさに愛の人であった。
 今も当時の書類を整理していて、あの頃、母がまだ生きていた頃の日々がありありと思い出すと、深い後悔の念に囚われ気持ちはしんみりとしてしまう。
 あんなにカンタンに死んでしまうならばもっとやさしく思い通りにさせてあげたかったとか、母を死なせたのも全て我の身勝手、エゴから悩ませ苦しませたからだと思いもしたりしている。

 しかし、それも「過ぎたこと」だとやっと思えるようになったし、死んでいった者たちの残した「思い」のためにも生きている者はしっかり生きなくてはならないのだと強く感じている。
 自分だって先のことはわからない。あと10年ぐらいはたぶん無事で生きられるだろうと「予測」はするが、「老後」の計画など何一つ今も考えないし考えられない。何千万あろうと、それで油断や安心するな、宝は倉ではなく天に積めとナザレのイエスが説いたように、老後さらに二千万用意できたとしても明日とつぜん人は死ぬかもしれないのである。

 母が死んだことは今も辛いし深い後悔の念しかないが、母が死んだことで、我はやっと「大人」になれた。母も父も変わらずにまだ生きていたら、我は今も昔のまま、60過ぎてもずっと愚かに何も考えずに遊びほうけていただろう。「人生の荷」、責任放棄して。
 母が生きていたから、生活も家のことも一切全てを母任せにして我は面倒な「現実」から逃げて来た。母が我と共にずっと側にいてくれれば良かったが、当たり前のはなし親は必ず先に死ぬ。

 世の人たちはとっくに早くから結婚したりして独立して、面倒なことでも親任せにはせず自分でやっていたのだった。それが当たり前のこと、自分の人生を生きるということだった。バカの甘ったれはそれに気づかなかった。
 母が死んだことで、呆けた父の世話も家のこと全てが突然我の肩に圧しかかって来た。基本、生活無能者であるこんな我にである。
 が、それでそれを放棄して、何もかもネグレクトしても何一つ解決はしない。さらにすべてが混沌・混乱して家はゴミ屋敷となっていくばかりだ。人間関係も破綻する。庭木は生い茂り、猫たちは勝手に子を産み増えていく。
 何もかもこんな我一人では手に負えないという萎える気持ちにもなるけれど、大変じゃない人生はないし、人生の喜びや楽しみはそうした苦難の中にあると信ずるから、頑張ってやっていくしかない。

 いずれにせよ、もうすぐ終わりは来る。元通りの生活は、そもそも母がいないのだから元に戻せるはずもない。そして父もやがて死ぬ。
 ならばこれからは身の丈に合った、お一人様の人生を、少しでも快適になるよう、自分なりに築いていくしかない。
 今さらながら、自分には音楽と本がある。そしてこのブログの読み手も含めて心優しい「仲間」たちがいる。ならば頑張れるしちっとも大変じゃない。有難いことではないか!!
 これからはこんな我を元気づけてくれたうたや音楽、本についてもっともっと書いていきたいと思っている。
 よろしかったらもう少しお付き合い頂きたい。

9月に入りました。まず近況を少しだけ2019年09月03日 22時50分25秒

★今年も残すは三分の一

 九州大分から妹が来て、帰った後、どっと疲れたが出たようで寝込んでしまった。
 9月に入ってから、曇りがちながら晴れの日が続き、前のような猛暑には戻らないまでも30度の夏日となり蒸し暑くてまいった。
 自分の気持ちのうえでは、もう夏は終わったと思っていたからちょっとこの暑さは堪えた。
 今日など父を施設に送り出してから、買物や洗濯などいくつか成すべき用事だけ済ませて昼飯食ったら倒れ込むように寝てしまい、夕方5時の市が拡声器で報じるチャイムの音で起きた。
 注文本一冊、発送に出ようとしたらちょうど小雨がぱらつき始め、大慌てて乾いた洗濯ものを取り込んで事なきを得た。やれやれである。

 人は歳をとると、年ごとに暑さや寒さが堪えるようになると、人から聞かされ、ものの本でも読んだが、全くそう思う。還暦過ぎた身には、今年の夏はことの他辛かった。真に暑かったのは、僅か半年程度の短い夏だったのに。
 熱射病に罹ったのも参ったが、何よりも6月末頃からの左足の裏の痛み、足底筋膜炎で、一番ひどい時は激痛で、家の中も自立して歩けないほどだった。
 当初は理由も原因もわからず、それが病気だとも気づかなかったが、あまりに痛みが続きちっとも改善されないので、整形に行ったら即、そういう病名が判明した。マラソン選手とかよく罹る病気で、ひどいときは手術までするのだと言う。

 医者から、過度に走ったりしないならば重たいものでも運んだか、と問われて、思い当たるのは、父の寝室を変えるため、玄関わきの小部屋の中にあった雑誌・雑本を、一部は車で山梨へ運んだり、残りは、その元々寝ていた裏の部屋へ押し込んだりと、かなり足腰に加重かけた。
 それも梅雨明けして猛暑が始まる直前で、友人を招き二人がかりで大急ぎで移動作業をやった。
 その無理がたたったのかと思うし、同時に年齢と共に足の裏が固くなってきて、使い過ぎて足底の薄い筋肉の膜が破断か損傷したのだと想像する。
 医師からは、半年から一年半かかると言われ、特に軟膏も飲み薬も出なかったが、痛む部位をかばうようソフトな中敷きを入れることを勧められて、あれこれネットでも調べて靴の中に入れるパッドをいくつか取り寄せた。

 ネットの医学情報によると、完治までは、三か月から3年という記述もあり、ヘタすると三年間も痛む足引きずって生活しないとならないのかと不安になったが、身体には自然治癒力もあり、その靴中、カカト部分に入れた柔らかいパッドが効を奏したからか、時間と共にこのところはもうほぼ痛みは治まって来た。
 ただ、この病気の不思議なことは、足を使ってるときより、使っていないとき、朝目覚めてトイレに行くときとか、オートマチック車を運転していて、停めて外に歩き出したときとかがまだかなり痛い。※左足なので運転には用いないので。
 最初の頃は、夜中や早朝、小用で目覚めて寝呆け眼でトイレに向かうとき、激痛で自力では歩けないほどだった。
 もう今は、日常的歩行では、ほとんど痛みは感じないし、まだ走ることはできないが、もはや完治に向かっていると実感できるようになった。
 そう、発症から約三か月で、我の場合、ほぼ回復できたのだ。存外軽かったのと、会社勤めなどしていないからできるだけ家に居られて安静にしていられたからだと思える。

 この病気を知らせたら友人知人から、実は、私も以前・・・とか、家人が同様に・・・という報告を数人から受けた。そして皆さん、良い専門医や足のカタチに沿った中敷きを作ってくれる専門店などご紹介すると言ってくれた。こんな我に実に有難いことである。
 確かに、学生や勤め人ならば、早く治さないことには、外出すらできないわけで、痛みと同時にその苦労は大変だと思えた。我は、幸いにして基本ずっと在宅で、父がいる日はその介護と犬猫の世話、買物程度程度しか動くことはなかったから、安静にしていられた。それでこの夏中で終わりが見えたという次第である。
 いろいろご心配おかけしたが、もう足のほうは大丈夫だと思えるし、いろんな意味で加齢と老いてきた身は無理できないのだと自覚する良い機会にはなった。

 忙しくしていようが、寝込んでいようが月日の経つのは早いもので、もう秋九月。今年もあと四カ月ないわけで、せめて年内にもう少しは片付けの「成果」を上げたいと今強く切望している。
 何よりもゴミ屋敷化したこの家の内外を片付け、綺麗に手を加えて、今年こそは万全の態勢で、無頼庵クリスマス謝恩ライブパーティ―を開催・決行したいと強く願う。
 そのためにもそれに向けて場所づくりを進めなければならないわけで、また直前、当日になって篤い友人たちのご協力で大慌てで空間を作る愚だけは絶対に避けたい。
 性懲りもなくまた今年も同じことを繰り返していたら、我は本当に馬鹿か頭がオカシイとしか自分でも思うだろう。

 まだ暑い日はあるかと思うが、天気はまた下り坂で、予報は曇りマークが並んでいる。これからは涼しく何をやるにも動きやすい良い季節となる。
 自分にもまだ夢がある。成しどけたい企画もある。頑張ろう!

令和初の夏八月の終わりに思う2019年08月31日 23時28分14秒

★ともかく生きているだけで有難い。

 我が妹は、この北九州豪雨の中、何とか飛行機に乗れ父に会いに大分の山中から上京し昨日30日の午後帰った。28日に来て、30日までの二泊三日の慌ただしい帰京であった。
 前回来たのが、母の死んだ年、2016年の秋、納骨のとき以来だから、ちょうどまるまる三年ぶりとなる。

 久方の再会だったが、特につもる話もなく、我らはただひたすら二人がかりで家の中の掃除に専念した。
 特に、我がやらねばと思いつつ手つかずにしていたところ、掘り炬燵の中やトイレ、洗面台など隅々までたまった埃を箒で履き出し掃除機で吸い込んで綺麗にしてくれた。そうしたところは、人に頼んでやってもらうわけにいかないわけで、やはり肉親は有り難い。
 天気も悪かったのでとても庭先までは手が回らなかったが、家の中だけは、彼女が手掛けたところはずいぶんスッキリした。我の気持ちもおかげさまでリフレッシュできた。

 父も我の妹、つまり実の娘だとは認識したものの、もういまさら孫のことなど問いかけや会話もほとんどなく、ただニコニコしていただけだった。
 が、たぶんこれが生きている姿で父と会える最期の機会となるだろうし、母が死んで3年、とにもかくにも父をさらに生かせて再び「再会」させられて良かったとただ思う。

 折しもちょうど彼女が帰る日、金曜午前は、久しぶりの父のカンファレンスの日と重なっていて、早めに起きて、まず父を起こして、居間で朝食を摂らせている間、父の寝ていた簡易ベッドを折りたたんで、その部屋にスペースを拵えて、椅子を並べてケアマネの司会で施設からの担当者を招き短時間ながら面談会議が行われた。それには妹も参加した。しかもその日は、二週に一度の訪問診察、担当医の往診の日でもあり入れ替わりに医師が看護師連れて来て、慌ただしかった。

 終えて昼近くになって、慌てて近くの牛丼屋で弁当買ってきて、それで昼食として、またベッドを拵えて、布団敷きなおして、父を仮眠するよう言いつけて妹を車で立川駅まで送って行った。
 帰り際になって、父はようやく頭のスイッチが入ったようで、泣きそうな声でもう帰っちゃうの?、また来てねと、娘を抱きしめていた。

 父はこの秋で95歳となる。妹も九州に老いて病む姑を抱えている。果たしてもう一度妹が上京、父との再会はあるとはまず思えないが、母亡きあと、こうして親子三人無事会えたことはそれだけで有難いことだとつくづく思う。妹が来てくれてほんとうに有難かったしあれこれ助かった。

 我の今後の人生、特に、父亡きあと、いったいどうやって生きていくのかとか、忌憚ない苦言も言われたが、そのことはまた改めて書くとして、ともかくこうして我の今年の夏、2019年令和初の夏は終わった。
 やれやれである。身体はものすごく疲れている。が、気持ちは今、さあこれからだと秋に向けて期するところがある。がんばりたい。
 長生きも含めて、とにもかくにも皆が無事生きているだけで有難いし目出度いことだ‼

九州から妹が来ている2019年08月29日 07時32分10秒

★8月も終わるけれど

 私事だが、昨日から唯一の肉親、実妹が九州大分から上京して来ている。母が死んだ年、2016年の秋以来、三年ぶりの我らとの再会である。
 ようやく夏休みがとれたから、とのことだが、まあ、生きている父と会えるのは、これが最期の機会となるだろうから良いこと、有難いことである。
 幸いのことに父も当初は、会っても誰!?と戸惑っていたが、やがて自分の娘だと思い出し、名前も間違えずに出てきた。大いに喜んでいる。一緒に暮らして日々世話している息子の名前はよく失念して「弟」だと思い込んでいるのに、だ。

 まあ、あまり会話ははずまないけれど、九州北部はちょうど記録的豪雨の中、何とか無事予定通り飛行機も飛んで何とか来れたとのことで、神の計らいのように思える。
 ただ、向うにもダンナと老いた姑がいるので、二泊三日で、明日の午後もう帰ってしまう。のんびり過ごせるのは今日一日だけだ。
 今日は妹と一緒に、ゴミ屋敷化し荒れ果てた家の内外を少しでも片付け掃除したりしたら、夕方早めに、親子三人で近くの温泉施設に行き、その後は中華でも会食しようと考えている。

 昨日は終日、しとしと雨が降り続いたが、いま外は晴れて来た。あまり仲の良くない兄妹であったが、やはり肉親は気を遣わずにすむので有難いし心強い。
 明日は、変える日でいろいろ慌ただしいと思うので、土曜日、父をまた施設に送り出してからゆっくりブログ書き進めたい。

季節も変わる、政治の流れも変わる2019年08月26日 23時02分23秒

★野党は共闘、弱者も共闘・共生を

 さすがに昨日出かけて疲れ果てた。
 昼過ぎ家を出て、帰りは、吉祥寺発7時45分の武蔵五日市・高麗川行き直通だったのだから、夜もさほど遅くならずに家に戻れた。
 が、5時過ぎに二次会の場へ向かうため井之頭公園駅から、吉祥寺駅北口、ヨドバシカメラの先の居酒屋まで、歩いたのは我にとって久々の遠距離で、そのときは何ともなかったけれど、今日は足底だけでなく腰までも痛くなって夕方まで終日寝込んでしまった。
 まさに、足腰立たねえ、である。父が夕刻ショートステイから戻らなければ、飯も食わずに明日朝まで丸々一日眠ってたのではないか。

 疲れた理由は、歩いたり立ちっ放しだったからだけではない。やはりどんなイベントでも企画進行役として、責任ある立場となったからには、最初から最後までいかに滞りなくそのイベントを進め無事終わらせるか、タイムキーパーとしても非常に気使う。
 焼き鳥のいせやで、我もビールなどかなり飲んだはずだが、参加者全体それぞれの動向に気を取られて、ちっとも酔っぱらわなかった。まったくのんびりできなかった。

 以前、敬愛するライターの北尾トロ氏とお会いしとき、彼から、マスダはそういうイベントが好きとか仕切るのが得意だとも思えないし、そもそも向いていないと思うのに、何故企画し司会等するのか、と問われて、返す言葉がなかったことを思い出す。
 そう、まさに見識ある方から見ればその通りであって、そういうお祭好きのタイプでない者が、何でイベントを企画し臆面なく人前に出るのか自分でも実に不思議にも思う。
 ただ。それは、他に司会進行役を受けてくれる人がいないからで、我自身は企画は立てても裏方として関われればそれで満足なのだが、けっきょく誰かにお願いしてあれこれ指示するのも面倒だし、受けてくれる方もいないが故、自らしゃしゃり出てしまうという次第だ。

 だけど、そのためにはかなり無理はしている。そもそも向いていない者が向いていないことをやるわけだから、プレッシャ―があるだけでなく精神的にも過度の負担を自らかけている。また、最初から最後までずっと細心の注意を配り全体を注視していないとならない。このずぼらな本来他者に対しては無関心極まりないこの男がだ。
 で、終わるとどっと疲れが出る。先の「共謀」フォークジャンボリーのような大きなコンサートなどの場合、昼から晩までぶっ通しだと、終えて一週間近く疲れがとれず何日もひたすら寝込んでしまう。まったく何もできないままに。

 まあ、それでも有難いことは、素晴らしい演奏やうたがそこで披露され、演者も観客も皆さ共に盛り上がり喜んで「盛況」となれば、どんなに苦労しようと悔いも不満もない。
 何より、この時分が企画し、動かなければそもそもその企画、イベントはなかったわけで、ならばそれ自体が始まって終われば、それだけでもう十分有難いことで満足なのである。
 自己満足かもしれないが、この世の中は誰かがまず裏で動いて手配し調整し企画立てなければ、モノゴトは新たに進んで行かない。
 当事者だけで自ら勝手に動いて何とかなるということは実際なく、どんなイベントでも「裏方」として企画者、進行役がいてこそ表舞台に出る人たちが生きるのである。

 むろん皆さんセルフプロデュースもできる。が、その場を構成し、いかに効果的に最良のステージが披露できるかは、表舞台には見えない、出ない、多くの裏方たちの手腕にかかっている。そうした企画者側、場を提供する店などがあって初めて良いコンサートとなる。

 埼玉県知事選も、当初は圧倒的不利が伝えられていたが、野党統一候補が自公推薦のタレント候補に競り勝った。
 これで、先の参院選での統一候補が10議席でも貴重な勝利したことが改憲勢力3分の2割れを招いたように、この方式でやっていけば、当選者一人の衆院選・小選挙区でも自公に勝てるという図式が見えて来た。
 その裏には様々な調整で頭痛め汗流している多くの裏方がいるのである。政党間はそれぞれのプライドやメンツ、建前もあって自らはなかなか統一に動きはしない。政治家、特に野党は常に同じ車には乗りたがらないものだ。だから、そこに市民団体や学者、文化人などが介在し橋渡しをして皆がうまく乗れる候補を決めていく。実に大変な作業だと思う。

 労多くして自らの益は少ない。我など大して苦労はしていないが、常にそう思う時が多々ある。
 しかし何であれ、誰かが仕掛けないと、世の中、世界は動いて行かない。特にイベント、コンサートなどはプロデューサーという者が必要であり、芝居で演者だけでは舞台が成り立たないように監督的役割がいなくてはならない。我にその才能、才覚があるかはともかく、誰もそうしたことをしない、その企画を立てないならば、やむにやまれず、やるしかないではないか。向いていないと言われようとも。

 このところまだ暑い日もあるけれど、ぐっと涼しくなってきた。陽の暮れるのも早いしずいぶん秋めいて季節が移り変わっていくのを感じる。
政治の世界も同様に、やっと傲岸不遜の安倍政権、盤石の自公政治も終わりが見えて来たと思える。
 これから景気はさらに悪化していく。消費税は上がり生活はさらに苦しくなる。何一つ良いことはない。国民はもう彼らを支持する理由がない。
 だからこそ、野党は共闘し、我々庶民、弱者も孤立するのではなく共闘し助け合い、共生していかねばならない。共に手と手を取り合って、だ。

絶好のサマークリスマス日和2019年08月25日 12時09分28秒

★今日でまた一つ終わる

 昨日に続き、朝から晴れた。暑くなってきたが、残り少ない夏、こんな暑い日も有難いと思える。
 これから吉祥寺へ。打ち上げ・懇親会も含めてもそんな遅くならないと思う。犬たちに留守番頼んだ。帰ったら報告入れます。

終わりが見えて来た2019年の夏に思う・後2019年08月22日 10時39分35秒

もうだいぶ大きくなってきた子猫たち。いちばん奥のは、超レア猫しんちゃん。
★まずは無事この夏を乗り越えて実りの秋を迎えたい

 というわけで、2019年の夏、八月は、時間あれば涼しい所みつけてひたすら横になっていた。ギターも一度もさわらなかった。

 と言っても、最低限のことはやらねばならないわけで、本の注文があれば期限ぎりぎりで発送し、父が在宅のときは、うっかり目が離させないから、どれほど身体がしんどくても仮眠も休息もできず、父を寝かしつけたら早く寝て、父よりも早く起きることだけに専念していた。
 だから、お泊り施設に送り出した後は、どっと疲れが出て、その後は、終日食事以外はひたすら眠り続けていた。

 また、お世話になった人のライブなどにどうしても顔出さねばならないときは、どんなに猛暑でも出かけたが、その後も翌日はどっと疲れが出、父がいなければ終日寝込む始末であった。※行かねばならないライブ、全部行けたわけではない。よしこさんとパギやんのはどうしても動けず諦めるしかなかった
 それ以外は猫や犬の世話だけで精いっぱいで、ただひたすら夏が過ぎるのを、涼しくなるのを待ち焦がれていた。何一つできなくても日々生き抜くことだけでギリギリでまさに命からがらであった。
 そして今、連日の曇り空のこの数日、蒸し暑さは残るものの気温は下がってきて、この夏を振り返っている。さあ、これからだ、という決意をこめて。

 若いときから、きちんと就職も結婚もせずカタギでない生き方をしてきたから、老後の悠々自適のライフスタイル、孫たちに囲まれ妻と二人でんびりと過ごす余生なんて願いもしなかったが、歳と共にますます人生は行き詰って、身体まで動かなくなりまさに困窮極まるとは想像できなかった。
 正直、何とかなるだろうと思っていたし、老いという「現実・事実」を甘く見ていた。しかし今さら悩み悔やんでも人生は二度ないのだからやり直しもきかない。今を少しでも何とかして、この先どう生きていくかだけだ。

 犬猫たち、動物を見ていて感心するのは、彼らは基本あれこれ考えないし当然悩みもしない。その時々の現実、現状に対して条件反射的に反応して、精いっぱい生きることだ。そして待つときには気長にひたすらじっとそのときを待つ。
 彼らには過去はないし、ある意味、未来もない。先のことなど考えない。あるのは今このとき、この瞬間だけなのだ。それを精いっぱい生き生を存分に楽しんでいる。
 思えば、この我も若い頃はそうであった。金はなくても身軽、気軽に思いついたら何でも始め、どこへでもふらっと出かけた。今思えば、僕は本当に自由だった。

 友部正人が、「どうして旅に出なかったんだ」を唄っていた頃のことだ。吉祥寺のぐゎらん堂に置いてあった、来店者が書き込むノートブックに、そのうたを聴いて、やむにやまれず東京に出て来たという書き込みがあった。それを読んで、ならばオレも、と発奮した。大垣行き夜行列車で、キセルして大阪に向かったのだった。そこで天王寺野音での春一番を知ったのだった。
 それが十代後半の頃で、もうそれから40年以上が過ぎた。鏡に映る姿は、かつての少年も蓬髪白髪の老人である。中国の古詩にある白髪三千丈という言葉の如くに。

 では何が変わったのだろうか。モノは増えて、身体はガタが来て、親たちは母は死に、父も間もなく最期のときを迎えようとしている。だが、自分は何一つ変わっていない。愚かさも迂闊さも含めて、その内面はあの十代のままだと断言できる。
 ならばもう一度、今さらながらも、とことん思い通りに自由に生きてみたいと願う。金で得られる自由もあるが、我は昔からそんなものは必要とはしなかった。
 先のことは確かに不安だし、これからも明日の支払いに頭悩ますことばかりかと思う。しかし、ともかく今、この瞬間、今日一日をとことん思い通りに生きていくことから始めるしかない。先のことをあれこれ憂いて思い悩むのはバカらしい。そんな時間あれば、今やるべきこと、今できることをほんの少しでもやることだ。
 誰のものでもない自分の人生なのだ。思い通りにできず、納得できないで終わらせたらモッタイナイ。

 勇造の古希記念の京都丸山はそんなわけでとても行けなかったが、彼のうたは、若い時からずっといつも常に我の中で鳴り響いている。そう、♪さあ、もういっぺん、火の消える前に、である。
 とことん自由に生きてやる。それが、自分にとってリベンジだと信じて。

 ※寓話『アリとキリギリス』の話でいつも思うのは、冬の寒さに死んでいくキリギリスだが、彼に楽しい夏の日の思い出があるならば、それもまた悔いなしだろうということだ。
 むしろ働きづくめのアリたちの方が不幸ではないのか。一番良いのは、キリギリスにアリは、食べ物を与えて、キリギリスは代わりに彼らに音楽を提供するという「共生」、助け合いの社会であろう。持つ者は持たない者に分け与えて、それぞれができる得意なことをすれば良いだけのことだ。
 トランプ、安倍流の分断と対立、亀裂を煽り作り出す社会からは何一つ生まれない。その行く道は破壊と滅亡だけである。そう、丸山議員曰く、「戦争するしかないじゃないですか」だ。