死にゆく人に何ができるか、何をすべきか2022年08月12日 18時40分20秒

★余命二週間と告知されて

 我が父のことを書かせてください。
 先にも報告しましたが、今月の頭に、我が父は、コロナ病棟から治療を終えて別病院に退院、転院となった。
 が、その後もコロナによる10日間の入院生活から元の状態には戻れず、認知症もだが、全身の衰弱が進み、口から食べることができなくなってしまった。
 我としては、コロナが癒えればまた再び元の生活へと、つまり家に戻れて介護施設に再び通えるようになると考えていたのだが、現実のはなし、もうそれは難しいと次第にわかってきた。
 今は、父はかろうじて点滴で命を繋いでいる状況で、本日12日、病院に出向き担当医との面談で、現状の容態と今後について説明を受けた。
 かろうじて意識はまだあるようだが、衰弱は進み、このままだと今月末、30日頃までもつかどうかとのことだった。そう、長くてあと二週間である。

 いつかその日は来ると覚悟もしていたし、じっさい超高齢なのだからいつ不意に死が訪れてもちっともおかしくないのだったが、まだ実感はわかないものの、こんな風にして最期のときを迎えるのか!という感慨のようなものがある。
 我としては、コロナが癒えて、少しでも口から食べられるようになり回復の兆しが見えれば、家に連れ帰ってとことん面倒を見て、父をまたコロナ前に戻してまた再びこれまでの日常が始まると考えていただけに、何とも無念と言うかやるせない、いや、哀しみしか感情はわかない。

 ブログもまた間が空いてしまったのは、どうにも何を書くべきか迷っていたからだ。
 タイトルにも書いたが、死にゆく父のために、いったい何ができるのか、我は今何をすべきなのかとずっとひたすら自問していた。
 コロナ禍でなければ、毎日でも父の病棟に見舞いに行き、これ以上呆けないよう声かけて、食事も介助して叱咤激励し少しづつでも食べさせて元に戻す自身もあった。

 じっさい、今から7年前、父が誤嚥性肺炎から入院中、院内でベッドから落ちて腰の大腿骨を複雑骨折したときも、一か月間も我は毎日父を見舞って、食事を日に昼夕二回介助して、父は奇跡的に呆けずに衰弱は進まず再び元のように歩けるようになって退院できた。
 が、今回はコロナ禍で我はまさに成す術がなく、見舞さえも禁じられてただ一切病院任せとなってしまい、病院側は当然のこと、できるだけの介護はしてくれたと思うけれども、結果として父の呆けと衰弱は進みもう戻らないような状況となってしまったのだ。
 我にできることは、ただ日々神に祈ることだけで、父が回復して父ともう一度この家で再び暮らせますように、とひたすら祈り続けるしかなかった。

 全能の神は、死人さえも生き返らすことができるのだから、父もまた再び元気になって家に帰れると信ずることもできる。
 が、またこうも思う。これが50代、60代の人ならば、そうした願いも意味があり、当人もそれを強く願うだろう。しかし、父は百歳近くまで生きてきたのである。
 これ以上の長寿は果たしてそこに意味があるのか、また当人もそれを望んでいるのか。我の勝手な思いと願いで父に存命を神に願うのが正しいことなのか。
 何よりまず父本人の意思と希望が優先されるべきであろうし、そこに神のご意思が働くのではないか。
 我自身の勝手な思いで父を生きながらせることは、たとえ可能だとしてもそれはまた自然の摂理や神の意志にかなうことなのか。

 心は今も千々に乱れるが、この一週間、ずっと自問してしだいに見えてきたのは、願うは、ともかく父の生をとことん一日でも長く、できるだけ苦しむことなく全うさせたい、ということだ。
 そして会えなくても離れていても父を思い父に語らい、繋がるように祈り願うこと。
 そのうえで、神はきちんと愛と慈しみ、哀れみをもって我らを計らってくれるだろう。
 今もまだ父が再び回復してこの家に帰って来てくれる望みは絶対に諦めはしない。が、今は、神にすべてを委ね任せていこうと思う。
 ともかく父はその生を、願わくば苦しむことなく全うできますように。

 ナガサキの原爆忌頃までは数日間今夏久々に涼しい日が続いていたが、また以後猛暑は再燃し、この数日また耐え難い暑さが続いていた。
 が、近く台風が来るとのことで、今日は曇りがちの晴れとなり風もあり少しは涼しく感じられた。
 そして今は、その台風の影響なのか外は雨が降っている。
 主は雨の日も晴れの日もまさに御心のままに我らに示して自然の摂理、不思議さを示してくれている。
 人の生死もまた同様に、人知のおよぶ範囲ではないと思い至らねばならないのかと思える。
 静かな雨の音を聴きながら、ずっと書けなかったこの「報告」ができてほっとしている。
 また状況に動きがあれば拙ブログに告知していきます。皆さまも暑さとコロナにどうかご自愛ください。罹るとやはり後遺症がタイヘンですから。

涼しさに一息ついて原爆忌2022年08月06日 07時59分51秒

★ようやく気持ちは立ち直ってきた。

 一昨日、久しぶりに本格的な雨が降ってから曇り空が続いている。気温はやっと下がり一月ぶりに昼夜つけっぱなしだった冷房は切った。
 まさに一息つけた。このまま猛暑が続いていたら頭も体もおかしくなっていたかもしれない。それぐらい追い詰められていた。

 一昨日から涼しくなったこともあり、久しぶりに夢を貪るほどだらだらと昼夜問わず断続的に眠った。この一か月、夏到来してから暑くて夜も深くぐっすりと眠れていなかったとわかった。
 コロナ感染後の続いていた喉の痛みと咳もようやく小康状態となってきた。気持ちも戻り、やっと前向きに動いていこうと気力が出てきた。

 父がいなくなって、情けない話だが、いったいどう、何をどうすべきか何もわからなくなった。
 つまり、父の存在があって、彼のショートステイやデイサービスでのお泊りの日程があってこそ、こちらも毎週の日程、計画がたち、自分の人生も合わせて動いていた。
 それが、父不在となると、自分一人で自由に解放されたはずなのに、急に何をどうすべきかわからなくなってしまった。何もやる気が失せたというか、気力がなくなってしまった。

 そんなで8月1日に、父を転院させてから、この一週間、暑さと咳に苦しみながら悶々としていた。これからどうなるのか、先も見えないし、いったい何ができるのか、いま何をすべきなのか、人生のコア、核のようなものが見えなくなった。
 改めて、我は父に依存していたとは思わないが、その存在を中心に自分の人生を組んでいたのだと気づかされた。

 が、この数日、急にやっと涼しくなり、猛暑で草臥れた身体を休息させて頭を冷やしてみると、何をすべきなのかようやく見えてきた。

 まずはこのコロナ後の不調に苦しむ身体を早く治し戻して、父不在の間に父を帰宅させること前提に、家の片付けや掃除を進めていくことだ。
 父が再び、この家で暮らせるかそれはわからない。ただ、病院で死なせたくはないし、もしそうした場合でもこの家に一度は帰らせてあげたいと切に願う。
 コロナ禍が続く今、葬式などはもうしないしできないと思うし、何よりもう親類縁者も父があまりに長生きしたため、もう誰も来ないのだから、葬儀は不要であろう。
 ただ、別れの儀式として、我とごく近所の人たちだけでもその場を設けたいと思う。※九州から実の娘、我の妹は来るかどうかはともかく。

 そうした準備を粛々と進めていくことだ。やがて八月も終わればまた涼しさも戻るだろう。先のことはわからないし、事態は急展開するかもしれないが、やるべきこと、いまできることをやろうと決めた。
 そう、まだできることがある、すべきことがあることは有難い。生きているということだけで有難い。

 ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ、ウクライナ である。※東京新聞、今日の平和の俳句。

ともかくこの苦難の季節(とき)を乗り越えてから、だ。2022年08月03日 10時25分45秒

★コロナ不調と異常な猛暑の最中に

 ああ、いったい何から書けばよいのだろうか。本当にどうすることもできないまま、冷房を最低温度に設定して家の中でただ汗垂らしながら息をひそめている。

 自らの人生も、この時代、現実社会というものも、我はどんどん悪くなりやがては破滅に向かっていくものだと認識しているが、いや、そう覚悟して生きてきたはずなのだが、本当に参った。今が一番苦しい。

 まず我がコロナ感染だが、実際のところ大したことはなかった。高熱が出るとか味覚がおかしくなるとか、これまで喧伝されていたような強い症状は何も出なかった。※熱は高くても38度を超すことはなかった。
 一昨日、8月1日の時点で、我のコロナ感染での自宅療養の10日間は終了して、対外的には「治った」ことになっている。
 が、現実の状況を記せば、熱などは今は出てないものの、咳が未だ残り痰が喉に絡み夜などかなり苦しい。気温が高いせいもあるが、寝汗をかいて、ともかく身体が火照って暑くてたまらない。
 少し動くと汗が滴り落ちる。冷房は最強にして家中冷やしているのだが、この異常な猛暑のせいなのか、我の体調がおかしいのか、ちっとも涼しく感じない。ほぼ素っ裸で暮らしてもただただ暑くて日に何度も冷水を浴びてぼうっと痺れるような頭を冷やしている。
 薬は、10日間分の喉の痛みと咳止め薬は呑みつくしてしまい、先月末に再度、かかりつけの診療所に出向き追加で出してもらった。
 実はそのときも夜中に熱が上がり、微熱だったが、37度台となり、ただ困惑した。もう完治したと思っていたのに何でまた熱が上がるのかと。

 今回のコロナは、ほぼただの風邪だと今も想っている、が、風邪と違うのは、キレが悪く、だらだら何ともはっきりしない不調が続くことだ。
 風邪は、一時は高熱が出、かなり苦しい時もあるが、数日寝込んで汗かけば、存外スッキリと熱も下がり体調もしだいに回復してくる。
 このコロナウィルスは、高熱も出なかったし喉の痛みと咳の症状はあったものの、当初はさほど体調の変化、異常は感じなかった。
 しかし、10日間が過ぎて、いちおう療養という名の治療期間は終わったはずなのに、我には今も咳が残り痰が絡み何とも息苦しい。
 けっきょく、病気と言うのは、その人の持ってる体質の弱い部分にひどく出るものだが、我のかねてより持病的体質、咳、喉に今も後遺症が続いているということだ。
 そしてこの連日の記録的、殺人的猛暑である。体調の不良を抱えて、ともかく家の中でじっとこの悪しき季節が過ぎ去るのを待つしかない。
 八月の半ば、我の誕生日を過ぎる頃には、この猛暑も収まり少しでも涼しくなっているだろうか。

 父のこともきちんとまた記すが、けっきょく別の療養型施設に転院はできたものの、もう意識はなかなか戻らないようだ。
 何とかまた自ら口から食べられるようになれば、家に連れ帰って、我が介護してもう少し人間性を取り戻すかもしれないが、現段階では、かなりそれは難しいかもしれない。
 かといって、このままその病院施設にずっと入院させてしまうと、一月の利用料だけで、父に振り込まれる二か月分の年金がそっくりそのまま消えてしまうわけで、父が生きている限りウチの貯蓄は確実に消えていく。
 我は先のことはもうあれこれ思い煩いはしないが、ともかく今はまずこの過酷な季節が過ぎ去り、我の体調も含めて少しでも過ごしやすくなる日が来ることを祈り心待ちにするだけだ。
 そう、いま、この悪しき過酷な季節さえ過ぎ去れば、きっとまた少しは何か新たな展開も見えてくるだろう。
 今は父が元気になったとしてもウチに連れ帰って我が世話することもままならない。
 早く涼しく快適な日々が戻ることをただ祈って、今を、一日一日をともかくやり過ごしていく。
 どうか皆様もご無事でありますように。もう誰にとってもこれ以上ひどい過酷なこと、苦難のときが続かぬように。
 素晴らしい季節がまた来る日を祈り願い待ち続けていきましょう。そう、こんなことはいつまでも続かない、神様はきっと良くしてくれると信じて。
 がんばりましょう!!!

ともかく、おかげさまで2022年07月26日 23時51分51秒

★我も老父も回復途中~ご心配おかけしてスミマセン!!

 97歳の父と60代半ばの我の親子二人してコロナ老老感染中のウチですが、ようやく回復の兆しと今後の予定も出てきました。

 まだ、確実、確定したことは何とも予断は許されないのですが、突然のリバウンドや何か予期せぬ不測の事態が起きない限り、我が父の退院の日程も出てきました。
 唯一の家族である息子である我の自宅療養が終わる8月1日、父は、いま入院中のコロナ患者病棟から退院できると本日、担当医と相談し決まりました。
 まだ少し先の話で、果たして本当にそのように無事予定通りに進むのか、不安と期待が半々というか、自分でもまだ半信半疑で、自らぬか喜びしてはならぬと自制するところ大ですが・・・

 ただ、真に問題なのは、無事退院でき、自宅に戻れたとしても「それから」の父の処遇でして、10日間の入院で、体力、筋力の低下と認知症の進行は確実に進んでいるはずで、果たしてコロナ感染前の生活に再び戻れるようになるのか。
 また、さらにそこに加えて不透明なのは、父が今まで通っていた二カ所の介護施設が両方とも現在、コロナの感染者が多数発生したため閉鎖中となっていることで、父が退院できウチに帰って来ても、その介護施設を再びいつから利用できるのかまだ分からないということ。
 最悪の場合は、退院したとしても認知症と衰弱が進み、何もできなく動けず食べられなくなった父を自宅で抱えて、どこにも行き場がなくなってしまうかもしれない。

 しかし、それはそのときのことであり、今はまだ先のことを、もしこうなったらどうしようとあれこれ悩み苦しむのもバカらしい。
 幸いまだ数日は時間の余裕はある。何よりまずは、来週頭、8月1日の朝一で、父を迎えに行ったとき、どこまで父が元気な状態、つまり以前の父で有り得るか、ということこそが肝要。
 むろん衰弱や呆けも進んでいることは間違いないはずだから、そこからどこまで父を、我が父という人間の人格と体力を取り戻せるか、だ。  施設に預けるのは、コロナ感染前に少しでも戻さないと、施設側は介護することもできやしない。

 先のことは今は考えない。ともあれ、今できる、すべきことを一つ一つやっていく。事態は何もかもコロナのおかげで新たな段階に入ったがまたこの家に帰還できた父を祝い少しでも楽に我が介護できる家を用意していく。
 そう、今できる、すべきことを少しでも一つでもできるときに進めていこう。

PCR検査の結果は・・・ 陽性!!2022年07月24日 23時05分24秒

★我も来月1日まで自宅療養ということに

 昨日の昼前、かかりつけの近くの診療所にやっと予約がとれたので、発熱外来に行ってきた。炎天下、自転車で。
 結果は、やはり予想していた通り、陽性。コロナ感染でありました。
その時点から10日間、一切の外出禁止とのことで、自宅で療養という、自分で治療することとなった。来月1日までである。

 まいったなあ、という気持ちもあるが、問題の父は、いま立川のコロナ病棟に入院させられたのだから、何の憂いなく自分のことに向き合える。
 先にも書いたが、熱は、ときに38度台半ばまで上がったりするが、あとはずっと8度台前後というところで、喉の痛みや咳もあるけれど、存外ひどく苦しい状況にはない。
 ただ、背中や腰、手足の節々が痛いのは相変わらずで、まあ、風邪の諸状況とほとんど変わりはない。
 心配していた味覚障害などは何もなく、熱のせいとのどの痛みで食欲はあまりないが、出してもらった薬を飲むためにも無理してともかく三食少しでも食べている。

 また、状況は逐次記していきます。皆さまもどうかご自愛ください。私感ですが、私の罹ったコロナウィルスは、去年までのバージョンのよりははるかに軽いものだと思えてきました。

嗚呼、山本コータロー、「インテリ」フォークシンガーを偲ぶ。前2022年07月16日 22時57分18秒

★すべては深夜放送から始まった。

 山本コータローという人は、今思うとフォークソング界の中でかなり異質な人だった気づく。
 フォークシンガーの多くは、失礼だが、低学歴の人たちが多く、また大学に行ったとしてもきちんと卒業した人は昔はごく少なかったはずだ。理由は簡単で、皆うんと早く十代から唄い始め、それを生業として、大学など行く必要はなかったからだ。
 その中で、彼は、日比谷高校から一ツ橋大というかなりのエリートコースを進み、さらにきちんと卒業もしている。
 そして最後の肩書は、大学の名誉教授だったと訃報で知った。環境問題活動家だとも。
 しかし、では、フォークシンガーという肩書きは一過性のものかと言うと、やはり彼は、『岬めぐり』というヒット曲を持つシンガーとして世に広く認知され、訃報でもまず真っ先にそのことが報じられている。
 だが、我にとっては、そのウィークエンドという三人組の人気グループ結成以前の、あまり売れていないが、知名度だけはあったフォークシンガーとしてのほうが今も昔も好きなコータローである。しかも彼はラジオの深夜放送のDJでもあったのだ。

 かつて「深夜放送の時代」というものが若者たちの間に確かにあった。60年代後半から70年代全般の頃だろうか。専門誌も出てたぐらいで一大ブームであった。
 民放ラジオ各局は、若者に向けて、人気パーソナリティ(当時はディスク・ジョッキーと呼ばれていた)、つまりそれぞれ人気DJを擁して、毎晩深夜、若者たちからハガキでリクエストを募り、応える形で曲を流し、投稿ハガキを読み、ティーンエイジゃー向けの放送を深夜に流していた。
 文化放送やニッポン放送のそれを聴いてた人も多いと思うが、我はだんぜん何故かTBSであり、その若者向け深夜放送番組、「パックイン・ミュージック」をほぼ毎晩聴いていた。午前1時から5時である。
 それが中学生の頃だったのだから、いちおう義務教育ゆえ、昼間も起きて学校に行ってたはずだから、どこでいつ寝ていたのかと今自分でも不思議に思う。若さゆえの成せる業か。
 ただ、パックイン・ミュージック、通称「パック」は、午前1時から3時の第一部、3時から5時までの第二部、の二部構成で、それぞれDJは違ってたから、我は前半の第一部だけ何とか眠たい目をこすり頑張って起きて、枕元のラジオに耳を澄ませ、結局、いつしか寝落ちしてしまうという聴き方だったと思いだす。

 我がパックを聴き始めた頃、1970年代のごく前半の頃の第一部の担当者だけ記せば、月曜日の深夜、つまり日付が変わり、火曜日となっての「火曜パック」は、局アナの小島一慶、水曜は、キンキンこと愛川欽也、木曜は、よしだだくろうや南こうせつらフォークシンガーが1年ごとに、金曜は、パック一番人気の野沢那智とチャコこと白石冬美、そして土曜日が山本コータローであった。※それぞれ、日付が変わってから始まるわけだから、火曜パックとは、月曜の深夜1時開始であり、土曜パックは、金曜の深夜1時~ということになる。

 上記のDJは記憶に間違いなければ、1971年から73年頃のもので、むろん担当や登場時間帯の変更も度々あったから、放送を聴き始めた時期により記憶は人それぞれ違っていることだろう。
 ただ、金曜の「那智&チャコ」パックと、土曜の山本コータローのパックはかなり長く変わらずにずっと続いていたから、記憶に残る方も多いと思う。
 我が聴きだした頃の土曜第二部の担当は、映画評論家の吉田真由美で、けっきょくこの放送が縁で、コータローは生涯のパートナーとなった人と出会うのである。
 そして、我は、その土曜のコータローのパック内で、やはり生涯忘れがたきフォークシンガーを知ることとなる。
 若林純夫(わかばやしすみお)氏である。そう、武蔵野タンポポ団のオリジナルメンバーであり、高田渡とシバとを結びつけた人だ。 
★以下続く。

2022年夏の参院選の結果について思う・終わりに2022年07月13日 10時19分07秒

★我々は今、時代の大きな転換点に生きている

 このところネット上でよく「親ガチャ」(カシャ?)という言葉を目にする。子は、親を自分で選べないという意味なのだそうだが、ならば、人は時代も選べない、と最近つくづく思い嘆息している。
 なんで、こんな時代に生まれてきたのか、と。

 安倍晋三元首相襲撃での衝撃的死と、直後の参院選の結果と彼に対する死後の全メディアあげての異常なほどの礼賛報道に、うんざりしている方も多いのではなかろうか。
 それまで彼に関心ないどころか、毛嫌いし不信感を抱いていた人たちさえも、報道されるところでは、国内メディアどころか海外、世界中の要人、著名人が彼を誉め讃えていると、知らなかったがそんなに立派な人、国内のみならず世界の平和と安定のために貢献された方だったのか!!と思い込み、彼の遺志を尊び賛同していくことだろう。
 憂鬱である。
 仮に、彼の功績がどれほど大きかったとしても、数々の虚偽答弁のみならず、政治を私物化しただけでなく、何より韓国の反共団体、勝共連合、後の統一教会と祖父の代から深いつながりを持ち、結果としてそのことが原因で恨みを買い、不測の死に至った事実、つまり功罪の「罪」の部分にももっとスポットがあたり、検証されなくてはならないはずなのに。
 先に、我も書いたが、社会問題化したカルト宗教団体・統一教会との関係、そうした闇の部分、つまりそれは自民党と戦後政治の暗部がようやく少しづつ、メディアでも報じられるようになってきた。
 ただ、それは元統一教会側の言い分を、そのまま鵜呑みにして報じるだけで、安倍氏との関係は浅いもので、彼と団体とは距離があり、容疑者の一方的に思い込みで起きたこと、として収める方向らしい。
 憂鬱である。

 葬儀当日夜のNHKの報道番組内では、彼と縁が深かった高村元副総裁が登場し、内外どれほど多くの功績があったか、に加え、いかに多くの人に慕われたかと、その立派な人柄を讃え、まさに礼賛報道の極みであった。
 彼の功罪の罪にあたる部分については、一切ないとは言わないが、(森加計疑惑など、長期政権の驕りはあったが)あまりに「攻撃」が大きすぎた、後世の歴史家に判断を委ねる、として不問としていた。
 肝心の死の要因となった、統一教会との関係は自らも報道側も一切触れないままであった。

 まあ、それも当然で、この高村氏こそ、統一教会と縁深い要人であり、そんな弁護士を、登場させ熱弁を振るわせること自体、公共放送の偏向化、政権与党自民党への忖度があからさまに見て取れる。
 ※後世の歴史家に判断を委ねるとするならば、それは罪の部分だけでなく、いま、マスメディアが異常なほど褒めたたえている彼の「功績」もまた同様ではないのか。

 さておき、今回の参院選の結果だが、野党、サヨク陣営は大きく議席は減らしたが、幸い社民党も政党として生き残れたし、れいわも代表以外に、きちんと動ける、話せる議員が増えたわけで、まだ希望の灯はか細いながらも消えていない。
 思うに、政治家とは、当選してこそ議員として価値があり、昔から、落ちてしまえば、ただの人、つまり民間人の一人でしかなく、その存在価値は天と地ほど差がある。
 議員とは、要するに政治のプロであり、政治の世界こそプロとアマの差が大きい職業は他にはない。
 そのうえで、そうしたプロの政治家、つまり議員が政党に一人でもいるといないとでは、政党もまたその存在価値を大きく問われる。
 特に国会議員がごくごく少数でもいる政党は、報道する側も、討論番組や選挙報道でも時間帯は少なくともきちんと報じられるが、議員がいなければ、「党」はあってもそれは存在していないと同様の扱いとなる。
 
 いろんな意味で衝撃的であり、自民の大勝、改憲勢力の増大という憂鬱かつ不安な結果を残した2022年の参院選、サヨクはまだ首の皮は繋がり、何とか持ちこたえ生き残った。
 ここから憲法改正の発議に対して、どこまで護憲勢は反転攻勢できるか、その本気度と新たな共闘の構築なるか、今まさに正念場である。

 それにしてもつくづく思う。この2022年夏の、参院選と安倍元首相の死は、後の時代の「歴史書」に、どのように記されていくだろうか。
 戦後の長く続いた平和が終焉を迎え、また再び暗い戦争の時代への「転換点」となってしまうことを心から憂う。
 そう、我々はいまそうした大きな変革の時代、その真っただ中にいる。ならば、目を大きく見開き、耳をよく澄まし、しっかり時代の空気を吸いこみ、大きく声を出していくことだ。そして立ちあがり外に出ていく。
 後になって、どうして自分はあのとき何もしなかっのたか、と悔やむことがないためにも。

2022年夏の参院選の結果について思う・まとめ2022年07月11日 22時38分56秒

★サヨク陣営はここから反転攻勢できるか、だ。

 選挙とか政治のことを書くと、読む人が少ないのか、当ブログのランキングは下がる一方なので、とりあえず参院選関連のことは今回とあと1回で終わりにする。むろん追記として書き加えていくこともあろうが。

 今回の参院選、我は、危急存亡のとき、としてサヨク政党は壊滅的打撃をうけることも、と書き記した。
 結果だけ言えば、厳しい状況の中、まあよく持ちこたえたと思うし、かなり健闘したと評価したい。沖縄などが象徴するように、まさに首の皮一枚でつながった、感がある。
 サヨクは全体として議席は減らしたものの、社民党も比例で1議席維持確保でき、政党として存続できたし、れいわも議席数を増すことができた。

 我の住む東京地方区では、定数6のうち、自公3、対峙するサヨク側が、共産、立憲、れいわで3と互角の勝負となった。
 いや、落選した候補も含めれば、反政権票は、野党側が上回る。
 東京は珍しく投票率も高かったし、今回は最多の立候補者も出たこともあって、選択肢が多かったことと、当選者枠が多いことで、かなり民意が正しく反映されたと思える。

 当たり前のことだが、定数1の小選挙区では、そもそも選択肢が限られるだけでなく、投票したい候補がいても当選する可能性は見えてくる。ならば選挙に行っても行かなくても結果は同じだとして、より投票率は低くなっていく。
 衆院選挙で、小選挙区制が導入されたとき、政権交代が起こりやすい良い制度だと謳っていたが、西欧やアメリカのようにこの国ではまずカンタンに政権は変わることはない。
 かつて一度だけ民主党政権が誕生したが、自公という組織も金もある強大与党に個々の野党が挑むのは最初から勝ち目のない闘いであった。そう、当選枠が多ければ今回の山本太郎のように最下位でも当選できるかもしれぬのに。
 ならば、小選挙区の選挙ならば、野党は共闘して、候補者を調整し1本化して一対一の構図に持ち込み、挑むしか手はないではないか。

 じっさいこれまで近年の衆院選では、政権批判の野党はともかく共闘して候補者を削り、統一候補を出して挑み、当選者数は互角にはならずともかなりの成果を上げてきた。
 が、今回は、そうした「共闘」はほとんど成立せず、野党は乱立して挑んだ。結果は見ての通り。つまり自民の大勝はそもそも1人区のほとんど全てを手中に収めた勝利によることが大きいことは誰だって理解できよう。
 そう、野党は共闘する以外に、定数1の選挙区では、当選できる可能性は限りなくゼロに近いのだ。ならば何で野党はまたバラバラになってしまったのか。

 今回の選挙、ロシアによるウクライナ侵攻という、かつてない外交と防衛の危機が取りざたされ、関連して憲法「改正」も争点になってきた。
 日本も軍事力、防衛力を高めずに、どうして憲法九条だけで、ロシアのような蛮行に対峙できるのかと。核兵器共有論まで公言する政党もあった。
 護憲政党は、そうした批判にどれだけ反論したかはともかく、状況はサヨク政党にとって逆風を受けての選挙戦であったと思える。

 それ以前に、近年、政権与党は、あらゆる手を尽くして野党間の選挙共闘を分断することに腐心してきた。
 まず民主党を支援する労働組合連合を自民党側に引き寄せたうえ、公然と組合トップに、共産党との共闘は絶対に認めないと言い放たせ、これまでのような野党共闘のあり方そのものを牽制、否定してきた。
 またさらに、野党間を分断すべく、その労組に依存する国民民主党を与党支持側に引き入れ、とりわけ護憲政党を孤立化させていく。
 そうした「揺さぶり」以前に、あらゆるメディア、中でもネット上のSNSでは、コメントとして、何か事あるごとに、野党批判、中傷のコメ主を増やし投稿していったと我は思っている。

 その大意は、「野党は批判するばかりで何もしない、何もできない」というものから、さらに事実無根のデマまで限りなく、そうしたネガティブキャンペーンが功を奏して、立憲は口先だけ、ともかくダメだ、共産党は怖い、そもそもサヨクは古臭く時代遅れだという「認識」を広く浸透させることに成功したと思う。
 これを我の被害妄想からの陰謀論だと嗤うなかれ。
 じっさい彼らは、潤沢な金も強大な公権力もメディアさえも手にして、思う存分それらを駆使できるのである。メディアでの情報操作などカンタンなことで、NHKの報道傾向を見たって、政権寄りは間違いないではないか。
 よって野党の要であった立憲民主党は、野党共闘、とりわけ共産党との選挙協力は控えるしかなく、今回はほとんどの選挙区で、野党候補は乱立し、自公の候補を当選に導いた。
 また、これは信じられないことだが、報道によると、野党共闘が成り、与党候補の当選が危ぶまれる選挙区に、自民から国民民主党に、野党票を分散させるために、候補者擁立を、との打診があったという。
 さすがに国民もそれは断ったそうだが、ここまで与党はやるのか!と驚きと共に強い憤りを覚えた。
 そしてまた「建設野党」などと自称し与党にすり寄った政党は、要するに政権の使い走り、使い捨てなのだと改めて思った。
 そう、彼ら政権与党は、政権と権力維持のためならば、金を湯水のように使い、あらゆる手段を駆使して、野党を攻撃、分断をはかっていったのである。

 そうした内外での情勢悪化、支持が広がらない苦境の最中での今回の参院選、サヨク陣営はある意味よく頑張った、野党、サヨク政党とその支援者は底力を示せたのではなかろうか。

 ※もう一回で終わりにします。

2022年夏の参院選の結果について思う・序2022年07月11日 01時07分51秒

★まだ最終的にすべて議席は確定していないが

 いま、投票日10日の日付も変わり、深夜の1時過ぎ。
 まだいくつか確定していない選挙区も残っているが、ほぼ大勢は見えてきた。
 結果は、一言で言うと、自民の圧勝、維新躍進、立憲、国民惨敗というところではないか。
 共産も議席を減らしたが、東京では議席維持したし、我の予想よりは健闘したと思える。正直、東京は当選できたとしても最下位か、れいわと最後まで争うと確信していたから。
 そのれいわの代表、山本太郎も最下位ながらも当選できたし、結果として我の当初に予想した、東京の維新は当選間違いない、が外れて嬉しい誤算でいる。
 そう、その維新は大方の予想通りに議席倍増する躍進はしたが、選挙区では全国的に当選一歩までかなり肉薄、善戦はしたものの、大阪など地元以外では議席獲得までは至らなかった。
 そして、沖縄もまさに薄氷踏む接戦であったが、何とか最後の最期に当確の方が出て、心より安堵した。このところの情勢ではもう今回こそ、議席失うことも予想されていたから。

 全体としては、ほぼ我の予想した通りの結果であり、もっともっと最悪のケースも有り得たはずだから、これでも善戦したと評したい。
 改憲勢力はさらに増えたけれども、サヨク陣営はぎりぎり踏みとどまったのではないか。
 ただ、今もまだ比例で当確が出ない社民党は果たして議席を維持できるか、大いに気になるところだが。
 思うに、この自民の圧勝は、安倍前首相の非業の死に対する、弔い合戦として、お悔やみ票もかなりあるからではないか。維新がもう一つ伸び悩んだのは、本来は維新に向かうはずの保守的浮動票、自民批判票が、安倍氏死亡のテロ事件でまた自民に戻ったような気がしている。
 この参院選挙で、日本のサヨクは予想通りかなり減ってしまった。しかし、残るべき人たちは当選し存在を示すことができたと思える。
 一方、国民民主の惨敗は、まさに自業自得であり、建設的野党と自称して与党を補完する中道政党は、公明党だけで十分だと、その存在意義が問われた結果だと思える。
 さらに言えば、立憲は、何で広く国民の支持が得られないのか、信頼され政治を託されないか、真に自ら反省し深く自己検証すべきであろう。野党共闘せずに、どうして強大な自民党に対抗できるのか。
 大国ロシアに対峙してのNATOのように、小さき弱き者たち、少数派は、集まり共に手を携え協力して、大きなもの立ち向かう以外に生き残る術はない。
 野党連合の政権構想とか政策実現以前に、まずは、巨大与党自公を選挙の都度、少しでも減らしていき奢れる彼らに脅威を与えていくことからだ。
 野党とは一体何か、何のために存在しているのか、政権構想とかうんと先の夢物語を語る以前に、政権批判の声の受け皿としてまず存在感を示していけ。
 誰もが、自公政権を熱く熱烈に支持しているわけでも憲法改正を末期にしてくれなどと望んではいない。
 この物価高にしろ、本来野党が増えさえすれば、与党は重い腰を上げざる得なくなるはずだった。
 しかし、結果として国民はまたしても与党、岸田政権を信託してしまった。よってこれからもますます物価高と収入の減少は続く。そして軍事費が増えれば、本来国民の生活と健康を守るための予算はそのぶん必ずさらに削られていく。

 だからこそ、野党、サヨク陣営は結束して、まずその国民の苦しむ声の受け皿にならねばならない。政治とは、選挙とはそのためにある。※よく共産党とは一緒にやれないと言う声が野党議員からも聞こえてくるが、ならばいったい誰のために、何のために政治をやっているのだろうか。自公政治で苦しむ国民のことは二の次なのかと問いたい。
与党がどれだけ増えたとしてもこの国は何も変わらないしちっとも良くはならない。そのことを国民は近く実感していくことだろう。
 若者よ、政治は何も変わらない。選挙では政治は変わらないと思うならばこそ、まず投票に行き、真に変革を託せる議員を一人でも当選させていくことだ。そして政治に関心を持ち続けていくことだ。

 予想していたとしても残念な結果となった。が、闘いはここからだ。まだまだできることとすべきことが誰にでもある。
 何も失望も絶望もすることはない。憲法だってそう簡単に改正はてきないしやすやすと改正はさせない。

 ※追記 社民党の福島代表も当選できた。ほっとした。ついでにNHK党も議席を得た。思うに、どんな党であれ、様々な党が国会に、たとえ1議席でもその議席を持つことは絶対的に良いことであろう。

日本のサヨク、危急存亡の夏(参院選)・後2022年07月10日 14時13分04秒

★断絶と不寛容の「暴力の時代」の参院選投開票日~憲法九条は、非力か無力か

 いよいよ7月10日の投開票日である。外はカラッと晴れて強い陽射しが照りつけているが、時おり風も吹き先週ほどの猛暑には至らず、夏本番、夏らしい夏が来たという感じである。
 いろいろ直前になって大きな騒動が起きたが、ともかく前回より投票率がアップすることを望んでいる。

 さて、今回の論考、新たな突発的事態が起き、いろいろ慌ただしく落ち着いて書けぬまま、投票日当日になってしまったが、ずっとこのところ考えていることがある。
 それは、「話せばわかる」、つまり対話と協調は、この「問答無用」の現実社会において、果たしてどこまで力をもつのか、有効かということだ。
 そしてその「現実」の前に、「理想」はどこまで理想として意義と価値を保てるのか。
 そう、ロシアによるウクライナ侵攻という軍事力の暴挙の前に、日本国憲法の理念、とりわけ九条はどれだけ有効なのだろうか。
 仮に、ウクライナにこの九条があったとしても、ロシアは軍事侵攻を止めるはずもなかっただろうし、現実の話として、そのロシアや中国、そして北朝鮮が軍事的行動を日本の近隣諸国に対して始めたとして、いや、直接日本に侵攻してきたとき、「九条があるから大丈夫」などとノンキに過信していられようか。
 はっきり書くが、九条があろうとなかろうとそうした事態は起こるだろうし、そのとき、残念ながら九条は無力ではないとしても非力だと断言する。

 じっさい、戦争という最大の軍事的テロ行為は、今回のウクライナ侵攻を見ればわかるように、まさに「問答無用」なのである。どれほど、対話を求め、それで解決をはかろうと望み期待しても彼らはそれに耳を貸さないし応じることはない。
 ならば、国としてどういう対応、対抗及び、その時に備えることができるか。
 個人の家屋などならば、治安が悪く泥棒事件が多発する地域に暮らしている場合、まず自ら戸締りと緊急通報などの防犯システムをしっかり備えて、出入り口などの監視カメラだけでなくセコムのような防犯「安全保障」企業に常時監視を委託することも当然かもしれない。
 では、国家ならば、どうすべきなのか。もしものときに備えて軍事力を高め、最新鋭のできるだけ多くの装備でその「もしものとき」に備えるしかない。
 だが、その相手側が、自国を遥かに上回る軍事力を持つ大国の場合、弱小な国々は、手を携えあって、有事の際は一致協力して加盟国皆で「敵国」と立ち向かうという「軍事同盟」を結ぶしかない。NATOとは、そうしたものだろう。
 日本でも日米軍事同盟、つまり安保条約とは、何らかの軍事的有事が起きた際、米国は我が日本国を防衛してくれる(はず)ということで結ばれている。
 要するに、軍事力という力には、力で対抗し備えていくということで、日本は国際紛争は軍事力で解決することはしないと憲法に宣言している関係上、専守防衛、つまり侵略されたら反撃も含めて戦うことは当然としても、もしものときは、アメリカに守ってもらうという立場で、これまでずっと不戦の時代を甘受ことができた。
 そう。今考えると、九条と安保は表裏一体で、よって日本はベトナム戦争から中東や近隣で起きた様々な紛争、戦闘においても不戦を貫き、軍事的には誰も死なず殺さずに戦後70年~平和が続いてきた。

 しかし、いま、この2022年早春、じっさいの戦争を隣国の大国ロシアがウクライナで始めて、さらにはそのロシアも含めて軍事的挑発行為を中国や北朝鮮が今も繰り返し、国際情勢の緊張はこれまでにない高まりを見せている。
 じっさい、ロシアによるウクライナが軍事的勝利に終わり、併合されてしまい、それを世界各国が承認してしまえば、近く大国中国も香港に次いで台湾をも自国の領土に組み入れる行動に出てくるだろう。
 ロシアや中国が日本にまで侵略の手を伸ばしてくるというのは、これまでも今後も近未来SFの世界の中だけだと我は考えるが、決してまったくの夢物語とは吐き捨てられぬ現実がいまは近づいてきている。
 何故ならば、ウクライナの情勢を見れば狂信?的独裁者に率いられた専制主義国家は、国連などの警告や決議など一切の対話を無視してまさに、突然「問答無用」の突発的行動に出ることも想定しておかねばならない状況だからだ。
 では、軍事力を高めて、防衛費を二倍にすれば、そうした緊張状態は収まるのだろうか。

 先ほどの個人の家屋ならば、戸締りにうんと金をかけて、すごく高い塀を四方に築き、出入りは完全オートロックにしたうえ警備員を24時間常駐させるようなものだろう。家やマンションならばさすればまず防犯は安心できるだろう。
 が、国家はどうか。どれほど軍事力を増強したところで、相手国、仮に「敵国」と呼ぶとしたら、敵国は、それを怖れておとなしく引き下がるだろうか。

 先に、北朝鮮が弾道ミサイル5発を日本海に打ち上げた。それを受けて、米韓は同数のミサイルを打ち返しその挑発に応えて見せたが、そうすれば北は怖れて蛮行を控えるのだろうか。
 おそらく北朝鮮は、目には目で返してくるなら次はさらに数多くの「歯」をむき出して新たに報復してくるのではないか。
 力による挑発には力で返せば、向こうは懲りて軍事的均衡が保たれる、とは、麻生太郎の持論だが、そうした軍事挑発、対立を繰り返していたら緊張はさらに高まり、やがてはうっかり事故や突発的事態も起きるのではないか。何しろ彼らは問答無用なのである。
 かといって、憲法九条があるから、紛争は国際的に対話で解決すべきなどと悠長なことを言っていてもウクライナの侵攻は解決しない。
 軍事力では平和は作れないし、イエスが言ったように、剣をとる者は剣で滅びる、ということもいつの時代でも間違いなく真理、真実だと我は信ずる。
 しかし、ゼレンスキー大統領が言うように「我々は平和のために武器を手に取って戦っている」というのはとてつもなく重い言葉で、それもまた真理だと我は思えてきた。

 つまり、戦争、戦闘という国家間の殺し合い、一方的な不寛容な暴力に対しては、軍事的対抗、抵抗もせずに、左の頬をぶたれて右の頬を差出していたらウクライナという国家は大国ロシアの一地方になってしまう。国家と民族の存在さえ危ぶまれる。無抵抗主義は意味なさない。
 残念なことだが、現実の戦争という、究極の不寛容に対しては、じっとおとなしく寛容ではいられないし、そうした立場はとれないのだと我は今起きている現実の戦争で認識した。

 では、いったいどうすべきなのか。残念ながら我はバカだから今はまだ次の答えが出てこない。
 一つだけ確信するところは、軍事力を増強し最新兵器を備えてあげくに、敵基地攻撃能力や核兵器を自国で保有したところで、有事の際は、平和につながるか、抑止できるか極めて疑わしいということだ。
 敵から攻撃されたらば反撃するという、専守防衛をこえて、敵基地や敵国陣営にも先制攻撃ができるようになれば、もうそれは宣戦布告状態であろう。
 敵国もこの日本を警戒し、常に日本に照準を合わせる。緊張が極限まで高まれば、どちらか先かはともかく、すぐさま敵国の基地をまずミサイル攻撃していく。
 そして核兵器を用いれば、対抗として核で反撃して、米ロ中のどれかの国の間で、日本を交えて全面的核戦争が始まる。※日本と韓国は地政学的に見たとき、無法大国中ロに北朝鮮という独裁的指導者を抱く専制主義国家に囲まれ、さらにその国々と敵対する米国という超大国の東アジア支店、防波堤のような位置にあるのである。
 もし一たび戦争が起きてしまえば、日本は、いやこの東アジアは、広範囲に廃墟と化して逃げ場もなく生きているものはなくなってしまう。やがては地球自体が環境破壊で壊滅的状況となり全生物は死に絶える。

 1932年、5月15日、ときの首相犬養毅は、海軍青年将校たちのクーデータに遭い、首相官邸で襲撃されて死亡した。
 そのとき、彼は、将校らを前に、慌てることなく「待て、話せばわかる」と語りかけた。
 しかし、将校たちは、耳傾けることなくすぐさま「問答無用!! 撃て!」と犬養首相を撃ち殺した。

 そう、対話はいつだって現実の暴力の前に非力、無力なのだと思い至る。サヨク政党や進歩的知識人たちは、国連憲章を守り対話による解決を、などとロシアに軍事進攻を中止を求めているが、事態はそれでは解決しない。
 九条があるから大丈夫、九条を守れ、平和がいちばん、などとお気楽ノンキにお題目のように唱えていてもこの究極の不寛容、戦争当事者には届かない。戦争は終わりはしない。
 そしてウクライナでの現実の戦争が続く最中、外交や安全保障に対する国民の危機感は高まり、憲法改正への絶好の後ろ盾、最大の口実となってしまった。
 サヨク陣営が今まで通りに、九条を守れ!と叫んでも一般市民には、よほど詳しく語りかけない限り、その言葉と思いは届きはしない。
 しかし、軍事力に対して、軍備増強で対抗、という、さらなる戦争への道を選んだら人類には未来はない。
 今回の参院選はまさに究極の選択を我々に提示しているようだ。

 もう何年も続き長引き、未だ収束しないコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻という現実の戦争の最中であること、さらに急激な円安と物価高。いまや日本はまさに問題山積である。
 某政権与党のポスターには、「日本を先へ」などと書いてあったが、先進国の中ではこの20年以上も、唯一実質賃金が下がり続け、少子高齢化が一番進み、食料自給率も先進国中最下位という「国策」を続けてきた与党に、どうしてこの国を先へと進めることができるだろうか。
 彼らにこの先もこの国を委ねることは、つまるところ防衛費を5年で二倍にするため社会保障費・医療費や年金をさらに削減していくか、消費税アップするしかないわけで、国民はその覚悟はできているのか、だ。
 その与党を補完する野党が伸びたところで、日本はさらに破滅に陥っていく。何一つ枠はならず、戦争への危機が高まる。
 このままでは、某アメリカの大富豪が言ったように、日本は近いうち世界から消滅していく、という言葉もあながち非礼どころか実感がわいてきた。

 そう、だからこそ、現実の戦争を前にして非力かつ無力な理想主義の憲法が意味と意義を持つ。憲法には当たり前のこと、現実とは違うからこそ、どうか当たり前であってほしい、という、ある意味、人類の希いと「理想」が記されている。
 それを否定して現実に合わせて変質させてしまえば、それこそ憲法として存在する意義も意味もなくなってしまうのではないか。