愛犬の病気に関して、経過報告3・とりあえず終り ― 2025年03月13日 00時29分58秒

★やっと一段落~ほっと一息
2月のあたま、愛犬ベルコの身体の異変に気がついてから一か月以上過ぎた。
元からあった左肩のコブ=腫瘍に雑菌が入り、化膿してついに破裂した。その後、コブだった袋は、乾いて干し柿のようになり、やがて外れ落ちてコブのあったところは丸く、そのまま赤向けの肉が剥き出しの状態となった。
コブ自体が、大人のこぶし大ほどもあったから、その赤みの肉が丸見えの状態、傷口はかなり大きく痛々しく、ヒトを驚かせて目のやり場に困るほどだったが、今月に入ってから周りの肉が盛り上がって来て、だいぶ小さく縮んできた。
これまで一か月以上、朝晩飲ませていた抗生剤も先日やっと中止になったので、心配していた水の多飲と結果として多尿も収まるかと思える。
やれやれである。おそらく今月中には、その傷口もふさがり、やがては毛も生えてくるだろう。
いろいろご心配おかけしたかと思うが、とりあえず現時点では、回復の一途であることを報告したい。高齢の犬であるから今後また新たな異変や異常も起こることは覚悟しているが、今はホッと一息ついている。
病膏肓に入る、という言葉もあるが、今回は、肉と皮膚の間の腫瘍で良かった。もし体内、内臓だったらその腫瘍が破裂したら即死していたことだろう。
それにしても先のことはまったくわからないと改めて思う。新しい年になり、今年こそはと昂る気持ちはあったのに、タチの悪い風邪に罹り、咳が止まらず1月はずっと寝込んでしまい、さあ2月からは、と思ったとたん愛犬の病気である。
早朝からの病院通いと薬のせいで連日連夜の水の多飲による排尿の散歩で家の片づけや自分のことどころか猫たちの世話以外のことは何一つできなかった。
我もいつでも起きれるよう服のまま横になって、自らの食事もろくにとれないほど慌ただしく忙しかった。睡眠不足でいつも頭が痛くふらふらだった。
母が死ぬ前も、ウチで我が看護していたから同様な状況で、下の世話の都度真夜中でも起きたことを今回思い出した。
こうしたときいつも思うのは、我も妻帯して家族がいたら、ということだ。結婚しなかったことを後悔はしていないが、現実の話、我一人で誰か他者を介護するのは限界がある。
介護や看護ということは、ワンオペでは当然無理なことで、老老介護でなくても昼夜それを一人でやってると疲れ果て気持ちも倦み、やがてはこちらも倒れてしまうのは間違いない。
妻でなくても他に誰か家人がいたら分担してやれるはずだし、金さえあれば看護士のような人にヘルパーとして長時間来てもらうことも可能だろう。
むろん今でも人間ならば介護保険の範囲内で、訪問看護など来てもらうこともできるが、ペットなどはそうはいかない。動物病院やそのたぐいの施設に預けることも可能だけれど、保険がないのでものすごく費用がかかる。
そして他者を介護する以前に、一人暮らしならば自らが体調を崩したときいったいどうしたら良いのか、だ。
コロナでなくても風邪などで高熱が出たとき、一人暮らし等で辛く苦しい経験をしたことは多くの人があるかと思う。
自ら身動き取れない状況、状態に陥った時、いったい誰に助けを求めるのか。ケガであろうが病気であろうが、自分で救急車など呼んで通報できるときはまだ良い。
高熱や脳梗塞などで意識がなく、おそらくそれもできないときは、自力でどうにかすることは不可能なのだからそのときはただ結果として死あるのみか。
♪自由とは失うものがなにもないことさ、というフレーズがあるが、一人は気ままでとことん自由だけれど、失うものがないのではなく、最後は一人で命を失うのだと今は気がつく。
その覚悟はできているか。自問している。
我には両親という家族があった。が、親はとうぜん子より先に死んで、我は人間一人になってしまった。
幸い唯一の家族である犬はいて、大病はしたけれど無事に回復しつつある。有難いことである。命の大切さを今かみしめている。
これから一日一日、我にとっても残された日々を大切にして生きていきたいと今さらながら思っている。
独り者の方、ご自愛ください。我もまた。
2月のあたま、愛犬ベルコの身体の異変に気がついてから一か月以上過ぎた。
元からあった左肩のコブ=腫瘍に雑菌が入り、化膿してついに破裂した。その後、コブだった袋は、乾いて干し柿のようになり、やがて外れ落ちてコブのあったところは丸く、そのまま赤向けの肉が剥き出しの状態となった。
コブ自体が、大人のこぶし大ほどもあったから、その赤みの肉が丸見えの状態、傷口はかなり大きく痛々しく、ヒトを驚かせて目のやり場に困るほどだったが、今月に入ってから周りの肉が盛り上がって来て、だいぶ小さく縮んできた。
これまで一か月以上、朝晩飲ませていた抗生剤も先日やっと中止になったので、心配していた水の多飲と結果として多尿も収まるかと思える。
やれやれである。おそらく今月中には、その傷口もふさがり、やがては毛も生えてくるだろう。
いろいろご心配おかけしたかと思うが、とりあえず現時点では、回復の一途であることを報告したい。高齢の犬であるから今後また新たな異変や異常も起こることは覚悟しているが、今はホッと一息ついている。
病膏肓に入る、という言葉もあるが、今回は、肉と皮膚の間の腫瘍で良かった。もし体内、内臓だったらその腫瘍が破裂したら即死していたことだろう。
それにしても先のことはまったくわからないと改めて思う。新しい年になり、今年こそはと昂る気持ちはあったのに、タチの悪い風邪に罹り、咳が止まらず1月はずっと寝込んでしまい、さあ2月からは、と思ったとたん愛犬の病気である。
早朝からの病院通いと薬のせいで連日連夜の水の多飲による排尿の散歩で家の片づけや自分のことどころか猫たちの世話以外のことは何一つできなかった。
我もいつでも起きれるよう服のまま横になって、自らの食事もろくにとれないほど慌ただしく忙しかった。睡眠不足でいつも頭が痛くふらふらだった。
母が死ぬ前も、ウチで我が看護していたから同様な状況で、下の世話の都度真夜中でも起きたことを今回思い出した。
こうしたときいつも思うのは、我も妻帯して家族がいたら、ということだ。結婚しなかったことを後悔はしていないが、現実の話、我一人で誰か他者を介護するのは限界がある。
介護や看護ということは、ワンオペでは当然無理なことで、老老介護でなくても昼夜それを一人でやってると疲れ果て気持ちも倦み、やがてはこちらも倒れてしまうのは間違いない。
妻でなくても他に誰か家人がいたら分担してやれるはずだし、金さえあれば看護士のような人にヘルパーとして長時間来てもらうことも可能だろう。
むろん今でも人間ならば介護保険の範囲内で、訪問看護など来てもらうこともできるが、ペットなどはそうはいかない。動物病院やそのたぐいの施設に預けることも可能だけれど、保険がないのでものすごく費用がかかる。
そして他者を介護する以前に、一人暮らしならば自らが体調を崩したときいったいどうしたら良いのか、だ。
コロナでなくても風邪などで高熱が出たとき、一人暮らし等で辛く苦しい経験をしたことは多くの人があるかと思う。
自ら身動き取れない状況、状態に陥った時、いったい誰に助けを求めるのか。ケガであろうが病気であろうが、自分で救急車など呼んで通報できるときはまだ良い。
高熱や脳梗塞などで意識がなく、おそらくそれもできないときは、自力でどうにかすることは不可能なのだからそのときはただ結果として死あるのみか。
♪自由とは失うものがなにもないことさ、というフレーズがあるが、一人は気ままでとことん自由だけれど、失うものがないのではなく、最後は一人で命を失うのだと今は気がつく。
その覚悟はできているか。自問している。
我には両親という家族があった。が、親はとうぜん子より先に死んで、我は人間一人になってしまった。
幸い唯一の家族である犬はいて、大病はしたけれど無事に回復しつつある。有難いことである。命の大切さを今かみしめている。
これから一日一日、我にとっても残された日々を大切にして生きていきたいと今さらながら思っている。
独り者の方、ご自愛ください。我もまた。
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