2010年11月のまとめ2010年11月30日 08時14分33秒

★残務処理を終えて、また次へと向かっていこう。

 自分にとって生涯最も慌しく忙しい様々な出来事に関わった今年だが、残すはあと一ヶ月、振り返ってよくここまでとりあえず何とか無事に過ごせたと改めて今思う。まさに運が良いというべきか、奇跡的でもある。

 春先、大阪での春一番コンサートの頃からやたら忙しくなり、対社会的というか、世間的な部分では、7月頭の隅田川フォークフェス、そしてすぐさま10月の両国フォークロアセンター40周年記念コンサートへと追われる日々が続いて、最後のトリは、一昨日の有馬敲&岡大介の詩の朗読コンサートであり、今はそれを終えてようやく元の位置に戻ってきたという感じである。

 そしてそこに私的にもインディーズレーベルを立ち上げてバロンなかざわのアルバム作りに立ち会ったり完成したCDを売りに行ったり、さらに我が家の改築工事も本格化したことや、それに猛暑と老母の入院やその後の体調悪化などもあって、まさにメマイがするほど超多忙の発狂卒倒してもおかしくない日々が何か月も続いていた。その最終の部分が11月であり、残り一ヶ月まだあるがようやくこの異常な年は終わった、いやようやく終わろうとしているという感慨がある。

 世間の人はどうだか知らないが、生涯最多忙、多事多難の数ヶ月を無理に無理を重ね無理を通して何とか成し終えたことに自分でも感心してしまう。ぎりぎり綱渡りのような生活を乗り切れたのは多くの友人知人の助けと神のご加護があったからだと思える。時間あれば終電で帰ったときでも近所の神社に行き手を合わせたし、毎晩聖書を紐解いていた。その習慣は今も続いている。その祈りがもたらす平穏がなければ、地獄の苦しみに押しつぶされていたに違いない。

 単に忙しいことよりもそれに加えて自分を責め非難する人間関係が生じ押しつぶされそうになっていた。俺はそんなに悪い人間なのか、そんな酷いことをしたのかと夜毎眠れぬ日が続いていた。自分は愚かでダメ人間であるのは自認するところだが、それでも他者から全否定されると生きていくことが辛くなる。全ては自らが撒いた種であり、不徳の致すところであったが、人間関係の失敗は大きな痛手であった。勉強になったとか思う以前に今だって思い返したくもない。

 今月、11月はそうした異常な季節の終わりの月であり、家の完成も間もなく見えてきたこともあり、終わりから次の始まりへとまた動いていく過渡期の月であった。今は久々に落ち着いた心静かな気分で穏やかな晩秋を味わっている。まだ母の体調は先が見えないが、純粋に看護に専念できるので、焦りも絶望もしていない。あの地獄を思い返せばこれから先は天国への昇り階段である。たぶんもうどんなことだって乗り切れると思える。

 人間とはどんなものかその裏も表もよく見えてきた。失敗から収穫があるとすれば、たくさんの人たちと関わったことで、人間の全体像に目がゆくようになったということだろうか。好きとか嫌いとか、気が合うとか合わないとか以前に、人の心理こそ不思議で面白い。人間が深く見えるようになった。まさに他者は自分を映す鏡だと思い知った。

 誰のことでもないが、自分はダメでヘンであり、それを昔から深く自認していたが、非礼を承知で書けば自分の周りに集まる人たちもやはりダメでヘンな人が多く、この自分に言う権利はないが、もっと度の進んだ人ばかりで、今振り返るとならば何事においても大変なのは当然だとよく理解できるのだ。
 今の関心はそれを踏まえたうえで、さてこれから何をどうやっていくかである。どうしようもない自分がどうしようもない人たちとどうしようもなくないことをやっていくにはどうすべきかであろう。

 最後に今月行ったライブだけ覚書として記しておこう。

●11日 寒空はだか ゲスト:ビューティフル・ハミングバードat.吉祥寺スターパインズカフェ
●14日 岡大介&村上律 at.西荻のみ亭
●23日 さこ大介トリオ at.鶴間の菩南座
●27日 館野公一 亀有キッドボックス
●28日 有馬敲・岡大介朗読とフォークソングの記念コンサート ゲスト:中川五郎、みほこん at.両国フォークロアセンター

※豊田勇造は何人もの方からお誘い頂いたが母の容態が悪く家を空けられなかった。あと、映画はようやく「クレイジー・ハート」が観れた。今年は「レスラー」と並ぶ収穫である。詳しく一度この映画について書きたいと思う。