過信せずにいかに自らを律していくか ― 2014年04月15日 13時41分56秒
★常に、明日は我が身と思い知るべし アクセスランキング: 138位
オフノートの畏友神谷氏より連絡があり、先日亡くなられたことが確認された我らの友滝口浩さんの命日や墓所がわかった。有難いことだとつくづく思う。
じっさいのところ死因や状況は今もまだはっきりわからないのだが、それでも病気で亡くなられたことと命日は昨年の9月23日とのことで、今さら彼が戻らないのは同じでもこちらの気持ちにやや整理がついてきた気がしている。親族で葬式も納骨も済ませたとのことなので、近く都合をつけて世田谷の豪徳寺辺りにある彼が眠る墓所に出向きたいと考えている。
おそらくその墓前に立ち墓石に刻まれた彼の名前を前にしてようやくこの事実、彼はもうこの世にいないこと、永遠の別れを実感できるのではないかと思える。
しかし、彼とその死ぬ約一週間前に会い、共にライブを観てその後軽く三人で呑んで、そのときは何も変わったところもなくいつも通りに別れた後にいったい何が起きたのだろうか。その死までの数日間がとても気にかかる。
まあ、今は様々な病気があり、癌などのように長患いして死ぬ者もあれば、死の直前までビンビンして全く元気で普通に過ごしていたのに突然倒れそのまま急死する方もいる。先年亡くなった高校の後輩は、夕飯時に苦しいと胸をかきむしりすぐ救急車で搬送されたが即死状態だった。大動脈解離とかいう、先に大瀧詠一氏が亡くなられたのと同じ突発性の難病であった。
また脳溢血や心筋梗塞ならばやはり倒れたらそのまま死亡ということも多々ある。健康そうに見えたとしても死は突然誰にでも訪れるものなのである。うんと若いころならそんな事態はまず起こりえないが、人生も黄昏に近づき、そろそろゴールが見えてきた我々の世代ならば考えてみれば会って元気に別れても数日後に急死の報ということも決して珍しい話ではないだろう。そう、当人すら予期せぬ「不慮」の事態は誰にだって起こり得る。
ならばある意味常に一期一会の覚悟で人と接しないとならないし、自らは別で、そんなことは起こらないなどと高を括ることなく、健康には人一番留意して自制と自律して無理せずにやっていくしかない。
健康管理というのは妻子がいようと自らの課題であり、人に任せて人がしてくれることではない。ましてマス坊は独り身で誰も心配してくれないのだから自分で自分の面倒をみないとならない。年金もないのだから本当に健康こそが唯一の財産であり何より第一に考えなくてはならないのであった。
滝口氏も長年様々な薬を飲み続けていた方だからそうした無理もあって体が持ちこたえられなくなったのかもしれない。まあ、一人暮らしでなくそのときすぐに誰か傍にいれば彼を救えたかもとまた考えてしまうが、生死を分け決めるのは天命ならばこれも仕方なかったのだと思うしかない。勝手な言い草だが、これはヒトゴトではなく明日は我が身なのである。ならば自問する、オレはその覚悟はできているか。
先日八王子のギャラリーで開かれていたグループ展でシバに会った時もやはり健康の話に終始したが、彼が説く自己管理のあり方もずいぶん参考になった。要するにストレスを溜めないことと自らを過信しないこと、そして医者任せにはせずに食事も含めて自ら常に健康に深く注意していくことだ。渡氏や一潮さんら同世代の多くの歌い手仲間を見送った彼の言葉は実に深く傾聴に値した。そう、人はいつだって自分だけは死なない、死はカンケイナイと思ってしまうがそれはとてつもなく大きな間違いなのであった。
人は誰もがかならず死ぬ。そして生き残った者たちは先に逝った者たちの分までもしっかり生きなくてはならない。ゆえに自分も長生きしたいと強く願う。だからこそ長生きできるよう自制と自律の精神で厳しく自己管理をやっていく。
亡くなった人たちは自分の中で今もまだ変わらずに生きている。だからこそ自分は生き続けなくてはならないのだ。彼らを忘れずに彼らとその思いを語り伝えるためにも。
死を抱え傍らに携えて生きていく。死者たちの思いを背負って生きていく。
オフノートの畏友神谷氏より連絡があり、先日亡くなられたことが確認された我らの友滝口浩さんの命日や墓所がわかった。有難いことだとつくづく思う。
じっさいのところ死因や状況は今もまだはっきりわからないのだが、それでも病気で亡くなられたことと命日は昨年の9月23日とのことで、今さら彼が戻らないのは同じでもこちらの気持ちにやや整理がついてきた気がしている。親族で葬式も納骨も済ませたとのことなので、近く都合をつけて世田谷の豪徳寺辺りにある彼が眠る墓所に出向きたいと考えている。
おそらくその墓前に立ち墓石に刻まれた彼の名前を前にしてようやくこの事実、彼はもうこの世にいないこと、永遠の別れを実感できるのではないかと思える。
しかし、彼とその死ぬ約一週間前に会い、共にライブを観てその後軽く三人で呑んで、そのときは何も変わったところもなくいつも通りに別れた後にいったい何が起きたのだろうか。その死までの数日間がとても気にかかる。
まあ、今は様々な病気があり、癌などのように長患いして死ぬ者もあれば、死の直前までビンビンして全く元気で普通に過ごしていたのに突然倒れそのまま急死する方もいる。先年亡くなった高校の後輩は、夕飯時に苦しいと胸をかきむしりすぐ救急車で搬送されたが即死状態だった。大動脈解離とかいう、先に大瀧詠一氏が亡くなられたのと同じ突発性の難病であった。
また脳溢血や心筋梗塞ならばやはり倒れたらそのまま死亡ということも多々ある。健康そうに見えたとしても死は突然誰にでも訪れるものなのである。うんと若いころならそんな事態はまず起こりえないが、人生も黄昏に近づき、そろそろゴールが見えてきた我々の世代ならば考えてみれば会って元気に別れても数日後に急死の報ということも決して珍しい話ではないだろう。そう、当人すら予期せぬ「不慮」の事態は誰にだって起こり得る。
ならばある意味常に一期一会の覚悟で人と接しないとならないし、自らは別で、そんなことは起こらないなどと高を括ることなく、健康には人一番留意して自制と自律して無理せずにやっていくしかない。
健康管理というのは妻子がいようと自らの課題であり、人に任せて人がしてくれることではない。ましてマス坊は独り身で誰も心配してくれないのだから自分で自分の面倒をみないとならない。年金もないのだから本当に健康こそが唯一の財産であり何より第一に考えなくてはならないのであった。
滝口氏も長年様々な薬を飲み続けていた方だからそうした無理もあって体が持ちこたえられなくなったのかもしれない。まあ、一人暮らしでなくそのときすぐに誰か傍にいれば彼を救えたかもとまた考えてしまうが、生死を分け決めるのは天命ならばこれも仕方なかったのだと思うしかない。勝手な言い草だが、これはヒトゴトではなく明日は我が身なのである。ならば自問する、オレはその覚悟はできているか。
先日八王子のギャラリーで開かれていたグループ展でシバに会った時もやはり健康の話に終始したが、彼が説く自己管理のあり方もずいぶん参考になった。要するにストレスを溜めないことと自らを過信しないこと、そして医者任せにはせずに食事も含めて自ら常に健康に深く注意していくことだ。渡氏や一潮さんら同世代の多くの歌い手仲間を見送った彼の言葉は実に深く傾聴に値した。そう、人はいつだって自分だけは死なない、死はカンケイナイと思ってしまうがそれはとてつもなく大きな間違いなのであった。
人は誰もがかならず死ぬ。そして生き残った者たちは先に逝った者たちの分までもしっかり生きなくてはならない。ゆえに自分も長生きしたいと強く願う。だからこそ長生きできるよう自制と自律の精神で厳しく自己管理をやっていく。
亡くなった人たちは自分の中で今もまだ変わらずに生きている。だからこそ自分は生き続けなくてはならないのだ。彼らを忘れずに彼らとその思いを語り伝えるためにも。
死を抱え傍らに携えて生きていく。死者たちの思いを背負って生きていく。
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