本を破く人たち考・続き2014年03月01日 08時12分49秒

★自らの持ち物をどう扱おうと自由ではあるが…   アクセスランキング: 180位

 公共の、他人の本ならともかくも、自らの買った、入手した本なら破こうがバラして燃やそうがどう処分したってかまわないはずだ。そもそも本なんか大量に生産され市場に出回る消耗品なのである。
 が、本を破いたり傷つけるという行為に抵抗を覚える人も多いかと思う。本とは物ではあるが、書き手や作り手、そして読み手にとっても、その「心」や「思い」が込められた特別に愛し愛蔵すべき対象とも成り得るからだ。
 ところがこの世にはそれとは別に、どのような心理か理解できないが、本を処分するにあたってわざわざ破く人もいる。前回書いた「アンネの日記」破損事件とは関係ないがそのことについて書いている。

 なんであろうとすべてのモノは使用頻度と経年によって劣化しやがては必ず使用限界のときを迎える。機械でもニンゲンでも同様である。
 本などは有機物を原料としていても管理さえ良ければ数百年、千年単位でも保存がきく。ただ、そうした寺社などにある「文化財」はともかく通常個人の使用ができるのはせいぜい5~60年程度ではないか。自分が持っている本では昭和のはじめの円本などがまあ古いほうだが、母が生まれた頃の発行年があるので、約80年は経っている。それらの本は乱暴に扱えばすぐ綴じが崩れそうだが、まあごく普通に読むに問題は何もない。むろん相応の紙焼け感はあるけれど。
 しかし、今の本、特に戦後に大量生産された新書サイズの本や雑誌類はインクも紙質ももっと劣悪なのでおそらそんなに持たないと言われている。特に酸性紙だと焼けが早く紙自体がボロボロとなって製本も簡易なので本としての形態をとどめなくなり本としての役割は終える。

 と、これは本の寿命の話であるが、本は一過性の楽しみ、実用的な知識の手段という面も強い故、まだ使えようが読み終えたらその役割は終える。さすれば当然「処分」されるし、そうしないと本に限らず家内はモノでいっぱいになり身動きとれなくなってしまう。
 そうした不要となった本は行政の古紙回収の日とか可燃ごみの日に、ゴミとして処分されるのが通常だが、その隙間に入るのが古本屋という商いであり、ブックオフなどの大型新古書店も含めて、そうした読み終え不要となった本を再流通させるシステムは昔から全世界的にできていた。まあ本でも何でも新品に限らず、中古でもまだ使えるのならばそれを求める人もいるし、それを流通させる「商売」は古代ローマの頃から存在しただろう。

 さて、我が商売の話。今ウチに入ってくる本や雑誌類を分別していくと、状態が良くてもAmazonマーケットプレイスなどネットマーケット上で「1円本」と化した本は商売にはならない。売っても儲けが出ないしそんなに世に溢れていたら買い手もつかない。そして残った値の付く本類を状態を鑑みながら「出品」していくわけだが、むろん状態が劣悪なものは除外される。
 児童向け童話本などは子供が乱暴に扱い落書きもあることが多いので傷みが激しくまず「売り物」にはならない。次いでグラビア誌、アイドルのムックなども切り取り、ページバラシなど多くある確率が常に高いので細心の注意で確認しないと大変なことになる。

 また、専門書、実用書などの類でも処分に当り、必要なページだけ切り取ってからという場合もままある。さらにそこに近年では「自炊」なる、本のページごとにスキャナーで読み取ってパソコンなどに取り込み自ら「電子書籍」化された末の、綴じが完全にばらされた本もたまに見かける。
 まあ、3.11以後、そうした行為に精を出す御仁はだいぶ減った気がするが、近所には今も暇なのか、マンガから分厚い専門書までもまず本をパラしてから1Pづつせっせっとスキャンしては取り込み済の本=紙はゴミとして古紙回収の日に出す、という作業に熱注している人がいることは知っている。本として読む行為よりもそうした作業自体がその方には生きがい、目的化してしまったのではないか。

 そうした本は当然売り物にはならない。そして自らが買った、入手した本なのだから持ち主がどのように扱おうととやかく言えないし言う気もない。本自体としてはそこまで活用してもらえればある意味「本意」なのではないかとさえ思えなくもない。
 問題としたいというか、一つ気になる本の捨て方がある。それは、明らかに処分に当り、先の「アンネの日記」破損事件と同様なやり方で、本文内のページをわざわざ数十ページにわたり破いてから捨てるという本だ。察するに要するに古本屋などの手に渡ること、再流通を避けるためだと思われる。まあ、それすらも持ち主の意志であり善悪では断じられない。しかし古本屋の立場として、いや、そうでなく個人としても自分にはそうした心理がどうしても理解できない。あまりに卑しい、ケチな性分のように思えてならない。それはプライバシー保護とかとは全く関係ないと思う。

 以前、古着などの回収に携わっていたこともあるが、やはり同様にこの世には、ゴミとして出した古衣料を、わざわざハサミで切れ目を入れてから捨てる方々がかなりいることを知った。むろん、下着類とかなら大いに容認できるしまして衣類はプライバシーの固まりとでも言えなくないので理解もできる。ただ、中には新品同様のブランド品と思える衣類も多々あり、商品タグも付いたままなのでおそらく買ったものの着ないで衣装棚の肥やしでしかなく、ゴミの日に処分に出したのであろう。衣類などでもリサイクル回収ができる自治体もあるし、むろんのこと程度の良い衣類なら今は古着もブームなので流通はできるのである。

 ところが、そうしたほぼ新品、もしくは「新品」の衣類には限って、特に女性用なのだが、わざわざハサミを入れて古着として流通も再利用できなくして捨てる方々がかなりいた。そうした心理はいかなるものであるのか。自分が高い金出して買ったものが誰かに渡って再び着られると悔しいと思うのであろうか。衣類ゴミとはそうしてハサミ入れて出すものと躾けられているのか。
 自分ならば、衣類でも本でも何であろうとも不要となりゴミとして処分するとしても、できればもう一度誰かに使ってほしいと願うし、モノとしてもそれを願っているはずだと信ずる。もしそれを求めている人がいるならばその方に手渡したいと願う。まして買ったものの使わず「新品」ならばモッタイナイではないか。どうしてそれをわざわざ使えないようハサミを入れるのか。

 本も同様に、希少な復刻本とか限定本のような本に限ってわざわざページを破ったり、あるいは綴じを裂いたりひと手間かけて二度と流通できなくしてから捨てる御仁がいる。つまりその人たちは本の価値をわかってやっているのである。ならばどうして古本屋とかに持ち込まないのか訝しくも思う。まあ、持っていく手間とか考えると今は売れたとしても二束三文にしかならないからバカバカしい、面倒だからゴミに出そう、でももしそれがどこかから古本屋等のところに流れると悔しい、だからそうならないよう破いて出す、という「心理」なのであろうか。

 高く売れる本なのに、そうした破れがあって売れなくてモッタイナイと欲目から書いているのではない。古本屋以前に、本を愛する者としてこれは文化に対する冒涜だと自分は考える。むろんそれもこれも個人の持ち物であるのだからどう扱おうと自由なのである。人それぞれいろんな考え方があろう。それは尊重すべきである。ただ、本を破くという行為からはそこにその人の「人間性」も窺える。それだけの話だ。

3月に入りました。3.11を前に思うことなど2014年03月01日 14時55分54秒

★今日から春・三月       アクセスランキング: 180位

 一昨日に続いて今日は朝から弱い雨があった。昨日の晴れて暖かい陽気と今日の雨で、東京多摩地区では大雪の名残の残雪はほぼ全て溶けた。こうして一雨ごとに春は暖かくなっていく。どこかしらか梅の香が漂い曇ってはいるがもうさほど寒くはない。今日から3月となった。

 新年を迎えて気持ち新たに、今年こそはと思うところは毎度のことだが、一月二月は、寒さが一番厳しいことや今冬は二度にわたって予想外の大雪も降ったので、その雪搔きなど後始末にも追われ、さらには家人も何度も病院通いがあったりもしたので、ただ慌ただしいだけで何もできずに年明けて早くも二か月が過ぎてしまった。
 気がつけばもう三月である。年度替わり直前の月であり、四月から新たなスタートを切る人や引っ越し、転勤、職場の人事異動など新年度を前にしてこれまた忙しい月となろう。確定申告やら消費税増税前に新たに契約を更新したりと個人的にも今月も何かと慌ただしい。

 それでも「映画塾」も終わったし暮れからずっと急いでいた案件が中止というか、一つ頓挫、中断となったのでこのところやや時間ができるようになった。ようやくこれから本当に気持ち新たに、落ち着いて腰据えて「自分のこと」に取り組めると期待している。
 昨年はカタチとなった成果は何もなかったが、ともかくただ忙しく慌ただしかった。無頼庵での催し企画以外にも「山梨」という新たな空間が自分の人生に割り込んできてしまったので否応なくそちらにも移動も含めて時間がとられた。まあ、それでもどれもひとまず落ち着くところに落ち着いてまた今年も春を迎えられた。老親も老犬もたちもまだともかく健在なのだ。政治や社会状況的には憤懣やるせない思いがあるが、さておき今は全てにただただ感謝したい。

 3.11を前にしてこの国のあり方はますます歪んだおかしな方向へと国を挙げて暴走していくように思えるが、憤りはするが諦観も悲嘆も絶望もしない。自分ができること、すべきことはほぼ見えてきたし、実に今まで自分も含めてこの国と社会はずっと甘いぬるま湯に浸かって安閑安穏として生きて来ていたのだと今改めて気づく。

 説明すると長くなるのでまた改めてきちんと書きたいが、手短に書く。
 「戦後」というものは何だかんだあれこれあって大変な時代だったかもしれないが、じっさいは実に平和で幸福な時代だったのだ。敗戦のどん底の貧困から国を挙げて立ち上がり誰もが皆それなりに裕福に、自らが人並み、中流だと思えるほど経済も社会も安定もしていた。国民皆が同じ夢を見れた。そんな時代が約半世紀も続いていた。

 そしてバブルがはじけて以後20年のあいだ経済は停滞はしたが、それでも円高とデフレ経済のおかげで物価は下がり続け給料は上がらずぜいたくはできないが貧乏人でも楽ではないがともかく何とか生きてはいけた。
 そして今、安倍自民党政権復調後、時代は再び保守化右傾化戦前回帰へと大きく昔へ、右へと舵を切り出した。そのターニングポイントこそが3年前の3.11の東日本大震災で、ある意味、大震災はこの国がずっと抱きかかえていた「戦後」という長く緩やかで温い時間を断ち切ったと考える。
 未曽有の国家の危機という非常時に対してときの民主党政権はあまりにも無能無力であった。それはもし自民党であってもじっさいは同様であったはずだが、結果としてより強い国「日本復活」を掲げる強権国家主義者安倍首相の台頭をゆるすことになってしまった。それは第一次大戦後の疲弊し混乱したドイツやイタリアに、ヒトラーやムッソリーニらが登場、強力な指導者を民衆は歓迎したことと同様であり、国家の危機的状況においては常にファシストが政権を掌握することは歴史は繰り返し示している。

 いずれにせよ、戦後半世紀以上も続いた「戦後」という平和な「民主的」良き時代はその3.11を境に終わりを告げた。そのことを特に強く印象づけたのは、先の都知事選での左翼陣営の分裂と迷走、混乱であろう。中でも政党とは距離を置いていたサヨク知識人、文化人、護憲や脱原発運動において進歩的リーダーと目されていた者たちの混乱と迷走は、彼らの戦後思想の浅さと甘さを白日の下にさらけ出した。自らの目的達成のためには悪魔とでも手を組むのは真のコミュニストからすればマキャベリストでしかない。ルポライターの鎌田某らが手垢のついた小泉劇場に躍ったことは真に恥じ入るべきでありじっさい都民のほうが彼らより数段賢かったのである。

 団塊の世代、つまり戦争を知らない戦後世代=戦争を知らない子供たちが還暦を迎え、戦争を知らない老人たちと化した現在、戦争体験者は死に絶え、また新たに団塊の後の世代によって再び戦争の時代が来たとしてもそれはそれで仕方ないとも思える。田母神氏に熱狂する若者たちこそが戦争を期待し自らが率先して国の為に「永遠のゼロ」的に自らの命を捧げようとしているのである。そこには理由がはっきりある。

 そう、彼らは「戦争を知らない」世代どころか、そもそも「戦後さえ知らない」世代なのであった。高度成長期の豊かさと繁栄も、バブルの恩恵も知らず息詰まるような格差社会の中で大人になってきた。長引く不況で就職のあてさえもなく結婚もできない世代の若者たち。閉塞した彼らの不満を吸収するのが和製ルペン、田母神氏の登場であった。
 だから今また「右翼の時代」がやってきた。マスコミの論調もその余勢をかってここらで増長する中国や韓国、北朝鮮に日本の強さと怖さを思い知らせてやれと焚き付けている。このままこの反中嫌韓の風潮が高まれば日本は米国の諫言も聞かずまた再び戦争国家としてアジアの孤児となろう。戦争が起きる前にはまず大新聞、マスコミが国民の意識を戦争へと煽っていく。そのために安倍首相は腹心の部下をNHK会長に据えた。

 だからこそ、今自分を含めて戦後世代が、それも仮にも民主的教育を受けて育った我々の世代こそが彼ら「戦後を知らない世代」たちに、戦後とは何か、憲法の平和主義も含め、何故に戦争は起こしてはならないのか、を諄々と説いていくしかない。じっさい「戦後」とはどんな時代だったか何も知らない子供たちに。

 こういう大変な時代だからこそ、それを嘆いて絶望しても意味がない。そうした時代の流れ、風潮に対してはそれを是認しない、流されないという意思を外に示していくしかない。ただ呆然と何もせず様子見していればそれは是認、受け入れていくことと同じではないか。
 いつだって良い時代なんてどこにもなかったのである。真に労働者のための国家とか民主的な政権なんて未来永劫やってはこない。歴史はついうっかり目を離すとすぐまた旧に複り繰り返す。だからこそ、そうならないよう監視して過去を知る者はその愚を語り伝えねばならない。平和と民主主義、今こそその価値を説いていこうと思う。

 そう、自分が知る「戦後」は決してそんな良い時代ではなかった。が、これから来る秘密保護法のある暗い怖い、戦争が始まろうとする時代よりもまだマシだったと思えるのだ。誰が考えたってこれぐらいは想像できるだろう。民主的な戦争などないし、戦時において優先されるのは個人の人権や尊厳よりも国家の意志である。国家の前に個人なしの時代がやってくる。命令に従わなければ、死刑、懲役300年だと自民党幹事長は今から明言しているではないか。
 そんな時代を容認することは戦後民主主義教育を受けた者として絶対ありえない。

館野公一ライブ 3/23日@無頼庵・予約受付中!2014年03月02日 10時30分39秒

★2013年10月5日 at無頼庵 撮影:松本稔
★前回に続き、熱き熱唱を再び!     アクセスランキング: 170位

 というわけで、今月3月の無頼庵のイベントは、「語りうた」のフォークシンガー館野公一のライブが23日の日曜にある。館野氏の登場は昨年10月に引き続き二回目で、先のクリスマス忘年会ライブで即興的に共演したバイオリンのみほこんが今回は正式にゲストとして登場する。忘年ライブでの伝説となった二人の熱烈共演の再演なるか。他ではなかなか見られない顔合わせですのでぜひぜひご来場ください!


 ★3月23日(日) 館野公一 語りうたの世界   

♪古本音楽ハウス無頼庵ライブ企画2014
館野公一 語りうたの世界・第Ⅱ章 @無頼庵

★3月23日(日) 館野公一 語りうたの世界@ブックカフェ無頼庵 

★出演 館野公一:マンドリン&ギター  ゲスト みほこん:バイオリン
★開場5:00 開演5:30pm~9:00pm・途中休憩あり 
★参加費 1500円(予約の方には1ドリンク無料サービス)
        ※終演後、+1000円で懇親会あります(食べ飲み放題)

★古本音楽ハウス無頼庵  ※場所・詳細などは当ブログのコメント欄に貴連絡先を記して頂ければチラシ、地図など送ります。

★申込み・問合せ マスダ090-8175-8479 もしくは館野当人まで。

文芸同人誌的メルマガを出していこうか2014年03月03日 23時21分45秒

★新メールマガジンを企画中          アクセスランキング: 149位

 今日で三日間、ずうっと雨もよいの日が続いていた。しとしとと弱い雨が降り続きうすら寒かった。底冷えがして京都を思った。まあ春先は毎年こうしたものであるが。
 ようやく今日の午後になって天気は回復してきたが、また週の半ばには下り坂で冷え込み雪も降るかもとテレビでは言っている。春は春分の日頃まではまだまだ寒い日が続く。先日のようなドカ雪はもう降らないとは思うが桜が咲くまでは寒さに備え油断してはならない。
 それにしても三年連続の寒い冬だそうだ。おまけに今年は記録的大雪も降った。まさか地球温暖化の進む近年こんな冬が来るとは予想もしなかった。自然は常に人知の及ぶところではない。今では天気予報はかなり当たるようになってきたが、ゲリラ的集中豪雨、竜巻や突風、それに大地震などはいつどこで起きるか予報も予測も今後もできないものと思う。そして人の死も。

 さて、相変わらず貧乏暇なしの喩え通りに、忙しさ慌ただしさは年を追うごとに加速度を増しているのに、収入は反比例して減り続けさらに支出はあれこれ増える一方だ。これで消費税率も上がったらどう生きていくかと頭を抱えているマス坊である。
 が、ともかく今はまだ親たちが生きているので家庭的には何とかやりくりは出来ている。これが自分一人であれば様々な税金、公共料金の支払いにも苦慮するしこの家を維持できないだろう。何しろ今月は大雪もあったからか電気代だけで5万円を超えた!老親たちが生きている間に恥ずかしい話、何とか「自立」して一人でも自分の老後をうまく切り抜ける術をみつけたいと願う。ともかく目標は収入の増加と生活の安定化である。老いて一人でも生きていけるだけの強さと糧を与えられるよう神に祈る。

 さておき、そんな私ごとはともかく、さらに金にならないことをまた考えた。文芸同人誌である。紙ものが大好きな自分としては願わくばコピー誌のようなものでも綴じた小冊子を出したいのだが、もはやそうした手間と金をかける余裕が今はない。なので、メルマガで読み手を募って、その同人に送信しようかと考えた。
 何でまたと思われよう。私事であるが、実は若い時からずっとミニコミを出していた。高校生の時から印刷屋に発注して部数500の多摩地区限定のミニコミを発行していたこともある。それらは書店にも置いてもらったし喫茶店などにも置かせてもらった。ずいぶんアクティブであったと自分でも思う。それが成功し続けていたら「本の雑誌」ぐらいにはなっていたかもしれない。じっさい収支は何とかなっていた。が、自分が大学に行くようになり時間がなくなり終刊となった。

 次いで、三十代の頃は、原稿を集めてワープロで活字を打ち、切り張りして段組みして、縮小コピーとって十数ページの「新聞」を出していた。それは売り物ではなく仲間内に配るものではあったが、隔月刊で何年も続いた。
 そしてパソコンが生活に入ってきてからは、友人知人に働きかけて、同人誌的メールマガジンをやはり何年もやっていた。それは一つのテーマを毎号ごとに決めてそれについて参加者が原稿を寄せてたり近況を載せたりするメールで配信されるマガジンで、集まった原稿を並べて送信するだけだったから一番金はかからなかった。
 それも生活に追われて忙しくなって勝手ながら編集人である自分の都合で終わらせてしまい、今はこうして一人でブログでほぼ日刊的に、あれこれ思うところや近況、無頼庵の企画やライブの連絡等書いてはアップさせている。ここのアクセスカウンターの順位がどこまで信用できるかわからないし、読者数は実数では出ないので何とも言えないが、身内、友人知人以外の方にも多少は読まれているかと信ずる。

 ブログに読まれた方からコメントもたまに頂き、とても有難いとは思うが、自分としてはそこからまたコメントを返して応対はしないことにしている。他のブログを拝見するととてもまめに、一つ一つのコメントに返礼を書かれている方も多々いるが、多忙を理由にそれは基本的にしない。代わりに何を書かれようとそれもまたそのまま掲載するのでご理解願いたい。非礼を承知でそうしている。※そこには以前やっていたブログでのトラブルも関係している。

 しかし、気持ちとしてはもっと読み手の方とも繋がりたいと当然願うし、このブログを通してさらに関係を深めたり読み手同志が繋がるようなことはできないものかとずっと考えていた。
 が、そうなるといつどこで誰に読まれるかわからない、世界中の誰にでも読まれてしまうブログというメディアでは問題がありすぎる。もっと仲間内だけの、個々個別に関係を持ったうえで「読者」としての関係が結べるシステムのほうが互いに安全安心であろう。じっさい、これでも筆禍を怖れてずいぶん自粛して書いているのである。ブログ故書きたくても書けないこともある。誰でも読める、読まれるということはとても良いことであるが、反面逆にとても危険なことでもある。
 三浦一義氏だったか、ウカツにも自らのブログでハワイに行くことを記したために待ち構えていた現地の警察に逮捕されてしまったという件もあったと記憶する。秘密保護法のある今、こちらの手の内、頭の内を白日の下にさらすことはない。
 ならば、メルマガとして、予め読み手というか同人を募集して、その方たちだけ、つまり「仲間内」だけに向けてメールマガジンとして「読み物誌」を出すのはどうだろうか。むろん代金はとらないし、細かい個人情報も求めない。ただ、同人となったからには、願わくば一読者以上の関わりを何かしら返してもらいたくも思う。つまり感想なり情報なり近況なり読み手もまた寄せるということだ。さすれば読者間の繋がりも生まれる。

 と、こう書いてきて、果たしてそれがメルマガが最適なのかと不安にも思う。ネット情報や昨今の状況に疎い自分にはそれが最適かと考えるが、何かもっと良いシステムがあるのかもしれない。登録した者だけが見れるサイトを作ってそこに自由に書き込んだり画像、映像もアップさせたりと双方向性のあるバーチャルな雑誌が構築できるのならそれのほうがもっと良いはずだが。何が最適か誰かご教示頂ければ幸甚だ。

 いずれにせよ、出す気は満々だが、もう少しだけ準備して始めたいと考えている。だいたい「文芸誌」としてもどんな内容のメルマガなのかさえ何も語っていないではないか。
 詳しいことはまた後日改めてお知らせするとして、マス坊、今久々にミニコミ魂に火がついたことだけお知らせしておく。
 どのような形式であれそれは始めます。こうご期待!

時代、ということについて考えてみる2014年03月05日 23時30分31秒

★「時代」という特急列車に乗るか乗らないか      アクセスランキング: 166位

 春は天気が悪い。強い風が吹き雨が降り続く。晴れたのは一日だけで今日も一日かなり強く雨は降り続いていた。ひところのような強い寒気ではないがまだまだ春の暖かさとは程遠い。

 「時代」とか「世代」ということについてよく考えることがある。特に、今のような安倍政権が出来て憲法が軽んじられまた再び戦争ができる国、戦争をする国へ向かおうとしている時代を憂う。そんな時代に我々の世代は何ができるのかと自問する。

 さておき、では「時代」とはそもそも何なのか。むろん江戸時代とか、明治、大正時代という言い方は簡単だろう。その時間的区間という認識だ。が、「時代感覚」、「時代遅れ」とか言うときの「時代」とは何なのだろうか。
 護憲が当たり前のように叫ばれ常識であった時代から、今は改憲に向かう時代なのだという言い方もできる。

 私的イメージでは、「時代」とはかなりのスピードで走っている電車、それも新幹線のような特急列車のようなものに思える。外は夜なのか真っ暗だ。
 前のほうの車両にはその時代の最先端の人たちが乗っている。そして後ろの車両には一般乗客が乗り合わせている。誰がその列車を動かしているのかはよくわからない。運転席は暗いカーテンで覆われて運転士の姿は見えない。
 ただ一番前の車両にはその時代を表す人気者、話題の人、時代をけん引するような人たちがいっぱい乗り合わせている。後ろの方は一般人ではあるがその時代に呼応し共に目的地に行けるよう、ともかく乗り遅れないよう列車に慌てて乗った人たちだ。
 だから彼らは時代の流行りものは何でも持っている。スマホは当然のこと最先端の伝達ツールを携帯しその列車の中でも操作に熱中している。今一番何が話題なのか、どこが話題なのか、新しいスイーツは何か、誰がブレイクしているのか情報検索に余念がない。

 自分はというと・・・その列車には乗っていない。駅のホームでその列車が目の前をすごい勢いで走り去るのを見ている、というほどでもない。その列車が通り過ぎる音を遠くから聴いている程度で、その特急が走っているのは知ってはいるが、もう関心はまったくない。
 昔、うんと若いころはその列車も各駅に停まったから、自分も乗ったことはあった。その頃はまだ窓の外の風景はのんびりとした長閑なものであった。風通しも良く窓を開ければ外からの風が気持ちよく車内にも入ってきた。 
 それがいつしか列車はスピードを増し、窓も開かなくなって停まる駅すらも少なくなった。外の景色も暗く見えなくなった。で、途中で自分は嫌になってその電車から降りた。若い乗客がいっぱい乗り込んできて息苦しくなってきたこともある。でもそれ以上にもうその列車のスピードが速すぎて怖くなってきたからだ。それに車内放送もろくになく、どこへ進んでいるのかも乗ってる乗客にもよくわからない。手元のスマホで検索しても列車の行先は表示されない。
 自分として行きたい方向にこの列車は向かっているのか不安になってきた。列車というのは、バックして走っても乗っている乗客はどちらに向かっているのかわからない。だからまだ皆は乗っていたが途中で降りた。

 そして今、その時代という急行列車はスピードを上げて真っ暗な闇の中、それはトンネルの中なのかもしれない、ひたすら走り続けている。

 ぼくは時代遅れでけっこう。時代という特急列車にはもう乗らない。が、人は皆、その列車に乗りたがる。特に若い人こそ。その列車が行き着く先はいったいどこだろう。
 列車は猛スピードでどこへ向かって走っているのか。

こんな時代ならば、時代遅れでありたい2014年03月06日 10時08分43秒

★前回の補足        アクセスランキング: 176位

 時代遅れだ、とよく言われる。レコードで音楽を聴いたりカセットテープを使っていたり、スイカもパスモも持っていないし携帯はスマホではなく昔ながらので、検索どころかメールすら打てない。
 すべてが昔ながら、昔のままで、時代遅れであり時代から取り残されていく。
 時代の最先端、時代の波に乗る、と言われる人もいる。しかし、時代とはその時々の傾向でしかないと思うし、そんな時々の流れや方向でなく、人には歳月を重ねても動じない、揺るがない「棒のようなもの」が必要なのではないか。それは国家もまた同じでありそれこそが「憲法」なのだと思える。
 
 戦争が終わったとき、それまでの軍国日本からいきなり平和と民主主義の左翼日本がやってきた。じっさい戦後すぐの頃は共産党は肩で風切って歩いていたとよく言われる。あの侵略戦争に一貫して反対し時代に抗い弾圧され獄中にあった日本共産党の指導者たちは戦後の日本人に熱烈に歓迎された。多くの労働者、学生、知識人が我先にと入党した。信じがたいが、保守の権化、あの読売・日テレのナベツネ氏でさえ党員であったことがある。
 が、このままでは日本も赤化してしまうと危惧する進駐軍の意向でレッドパージが起き、やがて党も分裂し共産党の時代は終わる。しかし以後長らく一貫してこの国では労働者、学生層、知識人は左翼であり、保守対革新という図式の下、時代を旧に戻そうという保守反動化の動きは常にあったが、左翼は国民から広く支持されバランスはとれていた。また、政権与党自民党でさえも平和憲法は遵守していたし常に軸足は憲法の上に置いていた。それが時代の常識であり日本人の共有した共通時代感覚であったと思う。政治は保守を選んでも心情は左翼と。平和憲法は当然国民誰もが守るべきものと。
 そんな時代においては右翼なんて、数寄屋橋交差点の名物的絶滅危惧種であり、街宣車で大音量で軍歌を流して通り過ぎるだけの存在で時代錯誤、アナクロニズムでしかなかった。彼らの訴えに真剣に耳を傾ける大衆は皆無であったと思う。そういう時代だったのだ。

 それが今日では、自衛隊出身の田母神氏に、63万人もの都民が一票を投じる。ネットの世界では右翼的言質が大手をふって花盛りである。まさに隔世の感、そういう新たな時代になったのである。
 むろん日本人そのものの質も変わった。戦争を知る者、体験した世代は時と共に少数派となり、戦後の高度成長もバブル経済さえも知らない平成生まれが社会の中枢に参入している。戦争体験の風化どころか戦後体験、戦後思想の風化が今日の右傾化の要因の一つであろう。彼らにすれば過去の歴史認識よりも非道な人権弾圧の無法国家の横暴に、何故この国は弱腰なのかと歯がゆい思いでいるのであろう。底には日本社会の矛盾や不満、ストレスを外に吐き出させようとする為政者、権力者の巧みな情報操作があるがそのことはさておく。気がつけば時代はサヨクからウヨクへといつしか移り変わったのだ。
 昔、明治は遠くになりにけり、というフレーズが流行ったが、戦後も、戦後民主主義も遠くなったという悲哀のような思いがこみ上げてくる。
 
 安倍政権はそうした時代の雰囲気に便乗し、憲法改定の前に、憲法自体を軽んじ骨抜きにすべく集団的自衛権の行使は解釈の変更で可能をめざすという暴挙に出てきている。
 衆参両院で圧倒的多数の議席を得、国民から選ばれた最高権力者の自分ならば憲法に縛られず守る義務もなく好き勝手に何でもできると言いたいのであろう。 そうして解釈変更であれ、憲法改定であれそれが成ったときには、この国は、戦争をしない国、憲法によって戦争ができない国から、「積極的平和主義」なる建前の下、海外へ出て戦争をする、戦争ができる国へと大きく変わる。
 それが時代の流れだとか、世界の流れだとは自分は思わない。紛争解決のために常に戦力、武力を投じていたら内外多数の人命が失われるだけでなく自然環境も破壊される。儲かるのは軍事産業、死の商人だけであり、国力は疲弊し税金はさらに上がっていく。世界情勢は安定するどころかさらに混沌としていく。それこそ安倍首相の発想は時代を100年前に戻すようなものでしかない。

 何だかんだ言われるが、米国に押し付けられようと平和憲法と戦後民主主義は良いものだったのである。なぜならば日本は戦後約70年もの長き年月、戦争がなかったし、戦争で死んだ者は一人もいなかったのだ。時代は常に移ろい社会や景気も移り変わる。が、左から右へと流れは変わろうともその根幹は変わらなかった。それは戦争はしない、憲法によって戦争は出来ないという歯止めがあったからだ。故に戦後復興も経済成長も成ったのだ。それが今安倍首相の自民党の下大きく変わろうとしている。

 右翼もまた愛国者であるならば誰であろうと戦争なんかしたくないし望みはしないはずだ。と、あの百田氏も演説していた。自分は安倍晋三という男、右翼だとも愛国者だとも思わない。彼も金権自民党総裁ゆえ財界や富裕層の手先、大企業の代理人として原発の海外輸出と武器輸出を使命に、より多く投資家や大企業がこれからも儲けられるよう戦争をも輸出できる強権国家へとこの国を変えたいからに過ぎない。
 それこそ時代の流れではなく、時代の流れと逆行している。ボブ・ディランが歌った「時代は変わる」ということはそんな風に過去へと旧へと復すことではない。

 そんな時代であるならば、自ら時代遅れでありたいと願う。貴兄もゆめゆめこんな時代の提灯持ちとなるなかれ。戦争に行くのは安倍や石破ではない。貴方かあなたの大事な身近な誰かなのだから。

時代の「今」を唄う歌い手たち2014年03月07日 10時12分34秒

河辺で月一開催の「月刊・中川五郎」2月号から
★フォークソングが「民衆」のうたならば    アクセスランキング: 189位

 先日亡くなられたピート・シーガーに倣えとは言わないが、うたとは常に時代を映す鏡であろうし聴き手、民衆の側に立つべきものだと信ずる。

 むろん若いころに聴いた、あの頃を思い出す懐かしのメロディも当然存在する。が、懐古趣味でなく、良いうたは時代を超えて今も変わらず価値を持つし聴き手に新たに問いかけてくるものがある。
 そして、時代ごとにその時代をうたにした「うた」もまた生まれてくるはずだ。ゆえに大震災からの復興ソング、励ましのうたも必然的に登場してきた。が、同時に原発事故で故郷を追われて今も帰れない人たちのこと、彼ら被災者の気持ちを唄ったうたうたがあっても然るべきではないのか。政府や東電の対応をもっと批判し糾弾するようなうたが生まれて当然だと自分は考えるが脱原発集会などの場ではラップミュージックに乗せて流れてもなかなか街中で聴かれないし歌われない。
 フォークソング体験と歌の力というものが今は衰え、風化しているように思えてならない。

 が、幸いにして、自分の周りにはまだそうした本当のフォークソング、時代を映したうたをうたい続けているシンガーが何人もいる。還暦を越しても全国各地を多忙な執筆活動の合間をぬって歌いまわっている中川五郎御大をはじめとして、彼に大きな影響を受けた「語りうた」の館野公一、そして派遣労働や非正規労働者の問題を関わってきた現場から「うた」をしてきた女性シンガー「路上の音楽隊」みほこんら、本物のフォークシンガーたちだ。
 うたとは何か、人は何をうたにして唄うか、単純に答えはおいそれとは出ないが、次から次へと作られては聞き飽きられすぐに忘れ去られる、消費されるだけのうたや音楽でない確かな手応え、本当のうた心が彼らにはある。そうしたフォークソングの原点に立つ歌い手たちをこれからも全力で応援していくし世にもっともっと紹介したいと心から願う。

 その館野公一とみほこんの共演が見られるライブを拙宅無頼庵で今月23日の日曜に企画している。詳細は別掲してあるが、ものすごく熱く激しいライブになることは確実だ。館野、みほこんをまだ生で聴いたことのない方、今回がチャンスです。まだ残席あるのでどなたでもお気軽にご参加ください。

 また、青梅河辺で毎月定例企画の月刊・中川五郎、今月は3月30日の日曜にある。他の付録=共演者は未定だが、今月もまた「ミスターフォークソング」中川五郎が青梅線にやってくる。マス坊はむろん今月も参加する。都内からだとやや遠く来づらいかとは思うが、毎回とても濃厚かつ熱気あふれる激しいライブが催されている。こちらもぜひ足を運んでほしい。

 そう、今青梅線が熱いのである。電車に乗るときに自らボタンを押さないと青梅線のドアは開かない。が、それは実は何だって同じで、自らボタンを押すところからドアは開き電車に乗れる。電車は動き出す。すべてはその小さなアクションからなのである。

画期的に新しい柏の連続通り魔事件について思う2014年03月08日 00時25分25秒

★暴行殺人事件はここから新たな段階へ    アクセスランキング:178位

 どのような事件であろうと全ての犯罪は革命的だと言ったのは誰であったか。確かに、平穏平和が当たり前の日常を突然揺らがし恐怖や不安に陥れる犯行はとてつもなく非日常、革命的に画期的である。

 自分はいかなる犯罪、特に殺人や暴行事件には肯定も評価もする気は全くないが、それでも昔のそれはある程度その犯罪に至った犯人側の理由や動機づけ、弁護に値する「情状酌量」的な少しは理解できる背景は読み取れたと思う。つまり貧困や差別等によって行き詰まり結果としてやむにやまれず犯罪に追い込まれたのだというような。

 それが近年、時代が今に近づくにつれて、どういくら考えても理解できない不可解な、まったく理由も動機も背景もうかがい知れない事件が多発するようになった。むろん後追いでこじつけて考えれば事件に至る何らかの理由や背景はいくらかは見えなくはない。しかしだからと言って犯人がその事件をしでかす原因や理由には全くならない。同様な背景は多くの者に当てはまるし何故彼、彼女だけがそんな事件を起こしたかはまさに「心の闇」としか言いようがない。つまり窺い知れない、誰にもわかりやしないということだ。それでも人はそこに何らかの解釈や動機づけはするし、何となく犯罪に至った「理由」を作るとか、みつけないとともかく納得できないし落ち着かない。自分も含めて人はそうしたものだと思う。

 ただ、先日千葉県柏市で起きた「連続暴行傷害強盗殺人事件」と呼ぶしかない事件に至ってはまさに驚かされた。革命的に画期的だと思った。今までこの国には残酷かつ悲惨な殺人事件、強盗、暴行事件は数多あったがこの一件ほど事件を起こした犯人とされる者の心理が見えない、理解できない事例はなかったのではないか。

 まだ犯人が逮捕さればかりで真相は何もわからないし詳しくは新聞報道などで確認していただきたいが、犯人とされる男は、自宅のマンションのごく近くで短時間のうちに次々と行き当たりばったり的に男女問わず道で通行人を襲い、切りつけたり金を奪ったり殺したり車を奪ったり暴行残虐非道の限りを尽くしている。
 むろんこうした自暴自棄的な無計画な誰彼かまわず襲撃する犯行は秋葉原で起きた事例を挙げるまでなく近年多発している。が、今回の犯人はそこまで自棄的ではなく、事件後はマスコミの取材に平然かつ冷静に応じて目撃者としてふるまっている。となると自らも逮捕覚悟ではないとなる。

 が、ならばもっと計画的に、自宅から遠く離れたところで行うのが常識的であろうが、まさにごく近所でそれを覆面もせずに連続して行い、しかも逃走もせずすぐにバレる嘘((犯行の瞬間を見て、携帯で撮影もした等)を話し報道人の前に臆面なく登場する。その心理はいったいどういうものなのか。杜撰すぎないか。彼は二重人格なのだろうか。
 当初、こいつは薬でもやってて、頭がおかしいかと想像した。でないとあまりに短絡的かつ無計画、衝動的すぎる。しかし逮捕された犯人の青年は、薬もやっていないようだし、マスコミ相手に事件後の取材においてもごく理性的、平然と普通に語っている。犯行の突発的暴走ぶりとその平常の落差、ギャップに驚かされる。自宅のごく近所で事件を起こしてしかも同じマンションに住む男を殺してそのまま事件後も逃走もせず平然とその場にいられる心理がまず理解できない。ただただ驚かされる。
 この男、いったいどこまで計画的なのか。あるいは衝動に突き起こされたのか。そんな風にマスコミの取材に応じて嘘ついて逃げ切れると考えていたのか。あまりにも考えなしではないのか。拙速と言うか、犯行も含め全てにその場しのぎとしか言いようがない。驚きあきれ果てる。

 今日先ほど友人と会い、話していたらこの事件に関して彼は面白いことを言った。今の人だから、コンビニとAmazonだけで事足りるように、自宅で居ながらにしてこうした犯罪を起こしたのだと。確かに行動だけ見ればその通りであろう。
 つまりそれまでのこうした強盗、暴行殺人事件は金目当てだからこそ計画を立てて自宅から離れたところで行った。そして即逃げて捕まらないよう息をひそめていた。ところがこの男は画期的に違う。ごく近所で、コンビニに行くように誰でもかまわず事件を起こし人を殺し金を奪いそのまま自宅に戻っている。
 そこには何かこれまでの犯罪者、我々も含めた人間が持っていた常識とはかけ離れたスタンスがある。何かが根本的に違う。事件以前に彼には大きく欠けたものがある。そこが一番恐ろしい。

 むろんこんな事件は理解も弁護もできるものでないしする必要すらないかと思う。しかし、一番怖れるのは今後こうした同様の、まさに無計画な後先のことを一切考えない簡便な手近な強盗や殺人が多発していくのではないかということだ。つまり「犯人」には犯行に至る一切の葛藤やためらい、悩む迷いは何もないということだ。まるでコンビニに行くような感覚で事件をさくさく起こす。
 今はネットで自宅に居ながらにしてほぼ何でも手に入る。どこにも出かけない簡便至極。そして金がなくなったら家の前の路上で通りかかった人たちを襲い金を奪いときに殺す。そこには何一つその先のことも自らのこれからのことも考えていない。まさに想像力を一切欠いた短絡的簡便人間。今回の事件はそうした想像力を失った簡便人間が起こした初の事例とならないことを望む。
 こう書いてきて、つまるところ「人間らしさ」とは想像力の多寡なのだと気づかされた。

 この犯人とされる男の心理が知りたい。犯罪者にシンパシーを感じたり犯行に共感もすることはあってはならないし弁護の余地もないが、人は何故かその犯罪者の中に、多少なりとも理解できる部分、つまり犯罪に至った理由のようなものをみつけてわかりたい、わかってやりたいと思うものなのだ。でないとその悲惨な事件はさらに救いがたい。
 ならばこそ、この今回の事件の犯人にも、多少なりとも我々が理解できる動機や犯行心理を知りたいと強く願う。
 ともかく嫌な時代に嫌なとてつもない犯罪が起きる。それも世相だとするならば政治の責任も問われてしかるべきだろう。

自らも「うた」再び~何事も実践あるのみ2014年03月09日 08時30分03秒

★無能の人から有用の人へと         アクセスランキング: 195位

 間もなくあの3.11から三年目の節目をむかえる。被災された方もそうでない方にもその以前とその後のこの3年、様々な思いや変化があったことであろう。被災地の復興が進まないまま、安倍バブルとオリンピック景気で人心は踊らされその裏で憲法と民主主義が踏みにじられていく。今も故郷へ戻れない人たちの思いはいったいどこへ向ければ良いのであろうか。ただ暗澹たる、出口の見えないやるせない気持ちが膨れるばかりだ。

 今日はまた午後から日比谷で脱原発の大きな集会がある。自分も当然行くつもりでいたのだが、今ウチには病人がいるのと今日は人が来てこれからについて打ち合わせなどもあるので、友人からも誘われていたが参加は断念した。
 その「打ち合わせ」というのは、実は音合わせ、音楽の練習でもある。嗤われるのを覚悟で記すと今からであるが自分もまた「うた」に本気で取り組みたいと思う次第だ。まさに今さら、還暦デビューという誉はないし金のとれるコンサートに出演者として登場しようなんて考えはしない。が、せめて拙宅で、催すライブなどの折、もしお許しを受け耳を傾けてくれる方がいるのならば、恥と無理を承知でうたってみようかと思った。むろん、前座も前座なので、それはチャージに含まれない。あくまでも「勉強」させてもらうためにやってみたい。

 当たり前だが、どんなことも頭の中で考え、想像や予想予測することと現実は異なる。自分は常にいろんなことについて書いてきたが、じっさいにしたことのない、未経験のことには、机上の空論と言われても仕方ないし反論もできない。
 うたや、音楽についても思うところ多々あり、評論の真似事もしてきた。が、人のことをあれこれ言うよりもともかくもやはり「実践と実行」したほうが意味があるのではないか。たとえ拙くともその現場というものに少しでも関わりたいと願う。
 むろん、企画側、裏方としてこれでもずいぶんプロデューサー的にはやってきた。しかし、あくまでもそれは裏方側であって、演者ではなかった。そもそも自分はスポットライトなどあてられる側であってはならないと任ずるがそれでも少しは世に問いたい、発したい、吐き出したいものもある。
それはこうしたブログなどの文字では伝わらない、伝えられないものだ。

 そうしたことを少しでも続けて積み上げて行けば、無能な自分でも多少は有能な、人のタメに役立つユースフルな人、つまり有用な人になれるかと思う。
 そう、何事もやってみないとわからない。やってみて初めてわかる、見えてくるものがある。うたであれ、何事も全てそうであろう。幸いにしてそのお手伝い、ご協力してくれる人もいる。

 というわけで、自分もまた「うた」について、音楽について真剣に関わっていきたい。そのための実践、お耳を汚すがご容赦ください。

3月10日に、思うこと2014年03月10日 09時52分22秒

★戦争とはカッコいいものであるか   アクセスランキング: 194位

 今日は3月10日。陽射しは強く暖かい春の朝だが、今日は北風が強く音立てて吹き荒れていてともかく寒くて野外にはいられない。硝子戸の中にいればのどかな週明けの朝である。

 3月10日、というと、大震災の前日であるが、東京に住む者にとっては「大空襲」という言葉がすぐに思い浮かぶ。自分は戦後世代であるし、「三丁目の夕日」的子供時代は過ごしてきたが、本物の戦争は何一つ体験していない。それでも母やその世代から折にふれて、「3月10日の大空襲」については聞かされてきた。ゆえに体験はしていないが「戦争を知っている」と思っている。

 母は当時女学生で、一家は北区東十条に住んでいた。その空襲ではそこらは何一つ被害は受けなかったが、その夜、母が寝る前?に二階の物干し台から見たら、東の空の方向が一面真っ赤に明るくてどこが空襲にあったのかと不安な思いで見上げたと言う。新聞が読めるほどの明るさだったと。
 夜でも明るいというのは焼夷弾や爆弾を落とされ密集した人家が燃え燃え盛る炎のことである。じっさいその「明るさ」は多摩地区からも見えたと誰か古老が言っていたが真偽のほどは確認していない。ただそれほどの猛火であった。いったい何万人がその空襲で死んだのか。それも兵隊、軍人ではない。まったくの一般市民、民間人である。一説に死亡者は10万人を超すとも言われ、、単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大であると記されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

 この米軍が行った民間人に対する無差別攻撃は、人類に対する犯罪であり、南京虐殺に匹敵するジェノサイドであると自分は考える。それは広島、長崎に対して原爆投下と同じく本来裁かれて然るべきと思うが、それはさておく。戦争を「犯罪」ととらえる時、常に陥る論理、どの戦争が正しいとか、その攻撃は情勢打開のため仕方ないとか言う議論と同じく無意味かつ不毛な話のように思える。
 慰安婦問題に関しても、今では、そんなものはどこの国にもあった、戦争だから仕方なかった、何で日本だけことさらに問われるのか、といった、「戦争是認、開き直り」とも受け取られる発言が広く出まわり今の世代ではそうした認識が「肯定・認定」されつつある。いや、むしろ、南京虐殺も含めて慰安婦も「なかった」、歴史のねつ造だったとしていこうということであろう。それが正しく、本当のことであったか、今ここで真偽のほどについては触れないし論争もしたくない。

 ただ一つだけ確かなことは、戦争というのは、ヒットしている話題の映画のように、国家を守る勇ましい軍人たちだけの戦闘美談だけではなく、3月10日の大空襲や、広島、長崎のように、まったく戦争行為とは無関係な民間人、市井の女子供や老人たちが一瞬で「虐殺」的に殺されてしまうまさに非人道的行為そのものだということだ。

 彼ら米軍の非道を糾弾することもたやすい。が、そもそもどうして米軍、連合国側が日本にそうした空襲を仕掛けてきたのかそこに至る道筋も今の人たちは知らねばならない。これは否定もできずねつ造でもなく、歴史的史実として誰もが認めることとして、この日本はかつて大陸に侵略し他国の領土を奪い、その地の人たちを従わせさまざまな戦闘行為、略奪行為をしてきたのである。そして現地の人たちに慰安婦の強要をはじめさんざん非道な行為もしてきた。そして当初は日本の領土は三国協定の同盟国、ナチスドイツとイタリアと同様に、東アジアで膨れ上がり強大な日本帝国となりえた。

 が、連合国側の巻き返しと米国の参戦によって情勢は悪化、敗戦に次ぐ敗戦で日本は大陸では撤退、本土も領空権すら失い、無防備に米空軍の空襲をただ待つことしかできなかった。本来、もはやその早い時点で、日本は降伏し白旗を掲げれば沖縄での民間人を多数巻き込んだ決戦もなかったし、全国各地の大空襲、そして広島長崎への原爆投下もなかった。まさに時の指導者たちの愚策、判断ミスで戦争被害は増大し記録的死者と損害をこの国は被ったのである。

 戦争とはこうしたものなのだ。我々戦後世代が知る戦争とは、兵士たちが敵方の兵士とドンパチ打ち合うシューティングゲームのようなものだとか、敵機との飛行機同士の手に汗握る空中戦のようなものをイメージする。が、大陸に渡った日本軍兵士の八割方が餓死疲労死したと伝えられるように、じっさいの戦争とはまったく映画やマンガ、小説のようなカッコいいものではない。特に内外問わず民間人をも殺し殺されるまったく無意味で情けないただ悲惨かつ愚かなものでしかなかった。

 声を大にして言う。けっきょくのところ戦争とは殺し殺される人殺しの犯罪行為でしかない。国家を守る、領土を守るとしてもそのためにたとえ兵隊同士であろうとも殺し合いはしてはならない。何故なら彼らには家族がいる。一人の兵隊の無念の死の裏には何人もの家族と友人、仲間たちがいる。
 そして武力による解決は常に遺恨を残す。それはテロという報復すら生む。殺された者は何も言わないが残されたものは殺した側を恨む、憎しみ続ける。どのような行為でも加害者は被害者の痛みに常に思いいたるべきであろう。日本は大陸で何をしてきたのか今一度思い起こすべきだ。何故、韓中らが日本を今も執拗に糾弾し続けるのか。そこには理由があるのである。

 残念ながら死んだ人たちは何も言わない。静かに眠っている。が、残された者がいてできることがあるとしたら、彼らのためにも二度と同じ過ちを繰り返さないことでしかない。それは戦争という人類最大の愚行を再び繰り返さないことだ。戦闘行為だけでなく戦争に巻き込まれて死ぬ人を一人でも出さないということだ。
 夜中でも新聞が読めるほど赤く空が燃えた。その空の下では何万人もの民間人が猛火に焼かれ逃げまくった。再び彼らと同様に戦争で逃げまどい殺される人があってはならないではないか。日本人も外国人の区別なく。

 余談である。古本屋として様々な本を一通り目にしてきて気づくことは、戦後すぐは日本国憲法に関してもあれは「米国に無理やりに押し付けられた」という意見はまず見たことがない。それは進駐してきた占領軍、GHQに配慮してということもあろう。が、国民感情として、あの憲法を敗戦後の日本人は嬉々として受け入れていた。おそらく悲惨な戦争を体験して当時の国民の誰もが心底、戦争はもうこりごりだ、この平和憲法でもう戦争をしないですむ、この憲法は素晴らしいと本心から思ったからだと信ずる。
 それが歳月がたつに連れ、徐々に臆面なくも「あの憲法は無理やり進駐軍に押し付けられたものだから破棄して、自主憲法選定を」という意見が出てくる。そして今では、憲法を骨抜きにして積極的平和主義と称してまた戦争をする、武器も輸出していくと安倍首相は胸をはる。しかしそうした論を支持する者に限って、戦争の現実をまったくわかっていない、戦争を何も知らない世代なのである。