時代、ということについて考えてみる2014年03月05日 23時30分31秒

★「時代」という特急列車に乗るか乗らないか      アクセスランキング: 166位

 春は天気が悪い。強い風が吹き雨が降り続く。晴れたのは一日だけで今日も一日かなり強く雨は降り続いていた。ひところのような強い寒気ではないがまだまだ春の暖かさとは程遠い。

 「時代」とか「世代」ということについてよく考えることがある。特に、今のような安倍政権が出来て憲法が軽んじられまた再び戦争ができる国、戦争をする国へ向かおうとしている時代を憂う。そんな時代に我々の世代は何ができるのかと自問する。

 さておき、では「時代」とはそもそも何なのか。むろん江戸時代とか、明治、大正時代という言い方は簡単だろう。その時間的区間という認識だ。が、「時代感覚」、「時代遅れ」とか言うときの「時代」とは何なのだろうか。
 護憲が当たり前のように叫ばれ常識であった時代から、今は改憲に向かう時代なのだという言い方もできる。

 私的イメージでは、「時代」とはかなりのスピードで走っている電車、それも新幹線のような特急列車のようなものに思える。外は夜なのか真っ暗だ。
 前のほうの車両にはその時代の最先端の人たちが乗っている。そして後ろの車両には一般乗客が乗り合わせている。誰がその列車を動かしているのかはよくわからない。運転席は暗いカーテンで覆われて運転士の姿は見えない。
 ただ一番前の車両にはその時代を表す人気者、話題の人、時代をけん引するような人たちがいっぱい乗り合わせている。後ろの方は一般人ではあるがその時代に呼応し共に目的地に行けるよう、ともかく乗り遅れないよう列車に慌てて乗った人たちだ。
 だから彼らは時代の流行りものは何でも持っている。スマホは当然のこと最先端の伝達ツールを携帯しその列車の中でも操作に熱中している。今一番何が話題なのか、どこが話題なのか、新しいスイーツは何か、誰がブレイクしているのか情報検索に余念がない。

 自分はというと・・・その列車には乗っていない。駅のホームでその列車が目の前をすごい勢いで走り去るのを見ている、というほどでもない。その列車が通り過ぎる音を遠くから聴いている程度で、その特急が走っているのは知ってはいるが、もう関心はまったくない。
 昔、うんと若いころはその列車も各駅に停まったから、自分も乗ったことはあった。その頃はまだ窓の外の風景はのんびりとした長閑なものであった。風通しも良く窓を開ければ外からの風が気持ちよく車内にも入ってきた。 
 それがいつしか列車はスピードを増し、窓も開かなくなって停まる駅すらも少なくなった。外の景色も暗く見えなくなった。で、途中で自分は嫌になってその電車から降りた。若い乗客がいっぱい乗り込んできて息苦しくなってきたこともある。でもそれ以上にもうその列車のスピードが速すぎて怖くなってきたからだ。それに車内放送もろくになく、どこへ進んでいるのかも乗ってる乗客にもよくわからない。手元のスマホで検索しても列車の行先は表示されない。
 自分として行きたい方向にこの列車は向かっているのか不安になってきた。列車というのは、バックして走っても乗っている乗客はどちらに向かっているのかわからない。だからまだ皆は乗っていたが途中で降りた。

 そして今、その時代という急行列車はスピードを上げて真っ暗な闇の中、それはトンネルの中なのかもしれない、ひたすら走り続けている。

 ぼくは時代遅れでけっこう。時代という特急列車にはもう乗らない。が、人は皆、その列車に乗りたがる。特に若い人こそ。その列車が行き着く先はいったいどこだろう。
 列車は猛スピードでどこへ向かって走っているのか。

コメント

_ モジロー ― 2014/03/06 22時21分55秒

 中島みゆきに「時代」という歌があり、そこでは「時代は回る」のであるが、マス坊さんのいう「時代」は疾走している。思うにいまの日本という特急列車は、乗っている者さえ誰もその行き先を知らない。ついでに、この列車のブレーキはほんとうに利くのだろうか。。

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