「やればできる子」と「できない子」 ― 2014年03月18日 01時03分06秒
★「やればできない子」として長年生きてきて ランキング:216位
人生とは何であるか、大きな命題に関しておいそれとは答えられないし語るべきではないと思う。が、生きるとはどういうことか、についてなら自分なりに答えられる。それは生きるとは、わからないこと、できないことをなくしていくことである、と。
しかし、自分の場合、いい歳した今でさえ、基本的に出来ないこと、わからないことばかりで、本来それを人は自ら努力して克服すべきところ、生来の怠け者のところに臆病も輪をかけて、結果としてそれを怠り、そのままにして変なフォームが身についてしまった。
それは社会性や一般常識も然り、人が当然すべき就職や恋愛も結婚も真剣に取り組まなかった。できないことをそのまま良しとしてきてしまった。そこには決して裕福ではないが今思うと恵まれた家庭環境もあったのだと思う。つまりよく言われるように、「引きこもりになるのには、引きこもれる部屋があるから」で、子だくさんの貧乏家庭ならば「引き込まれる部屋」がない故、引きこもりになることすらできないのである。
同様に、ある程度、できないままで許される環境にいたこともあって世間一般の人がたいていが普通にできること、わかっていることが自分にはほとんどできない、わからないままだ。それは日頃の挨拶から就職や結婚までの人間関係まで多岐にわたっている。そして「できないこと、わからないこと」それこそが「自分」なのだとさえ開きなおって臆面なくヘラヘラとこの歳まで生きてきた。個性であり生き方だとまで抗弁して。
しかしごく最近になって、やはりそれは根本的間違いであり、そうした世間一般的「当たり前」のことを逃げずに正面からすべきであったはずだしできなくても克服していくべきではなかったかと考えが変わってきた。ある意味、その努力こそが人生、人の生きる道だったのではないのかと自問している。
そんなことを考えたのは、新学期を迎える年度の変わり目で、子供向塾なのか予備校のようなところの広告で「やればできる子」という言葉を目にしたからだ。そう、世の中には、できなくても実は「やればできる」子がたくさんいると思う。一方、逆に、フツーはできるのだけれど、「やればできない子」というのも確実にいて、この自分は常にそうであった。
これは、自分だけでないと思いたいが、普段はできていることでも試験でも何であろうともいざ本番となった時に限って失敗するのである。理由はいくつかある。一番は要するに緊張して構えてしまい、普段は何気にできていたのに、その時に限って失敗してしまうというパターンである。自分の場合、ほぼ100%その失敗してはならない大事なときこそ確実に失敗する。やればできない子であった。
世の中には、プレッシャーに強いというべきか、普段の実力以上に、やればできる子というのも多い。大して勉強も習いもしないのに、すぐに覚えてできるようになったり、何でも器用に巧くできる人たちがいる。
結局のところそれもまた運ではなく、実力なわけで、本当はできる子のはずが結果として自分はずっとこれまでの人生は「できない子」として生きてきた。もうそれが習い性、基本的スタンスとなっていた。
その自動車学校に通っていたときも、教官の何人か、ともかく気が合わないというのか、口の悪い嫌な奴がいて、そいつに当たると確実に失敗するのであった。普段できている単純な運転動作でさえもそいつが隣に乗っていると必ずできなくなる。挙句に言われたのは「俺もこの仕事を長くやってきたけれど、あんたみたいな人初めてだよ」という、ボヤキの「名言」であった。それほどまで彼の前では常に毎回「できない子」であった。
理由は、また確実に失敗する、文句言われてしまうかもというプレッシャーからで、期待?通りにじっさい失敗してしまうのである。一方、中には、常に好意的に接してくれる教官もいて、彼とならば、普段できないことでも案外うまくできてしまうのだ。要するに自分は気が弱く、しかも自意識過剰で何とか失敗せずにうまくやろうと構えるあまり緊張が高まり平常心を失い、パニックとなって確実に毎回失敗してしまうのであった。
今は振り返ればそうして冷静に自己分析もできる。今回のマニュアル車騒動でまたその頃のことを突然思い出した。
結局、そんな風にして、子供のころからやれば「できない子」、として自らも他者からも定義づけられ自認しそれが自分なのだと思い込んできた。しかし、何もできない、何もわからないことはちっとも良いことではない。だいいちそんな人間には世間では鼻もひっかけない。誰も相手にしない。このままさらに老いて一人ぼっちでどうしていけばよいのだろうか。そこには「愛される」「好かれる」要素が一つもないではないか。
今さら「やればできる子」になれるともなりたいとも思わないが、せめて常にできない、やれば必ず失敗するのではなく、緊張せずにその時点でのベストを尽くせる、力を自然にそのまま出せるようになりたいと切望する。そしてもう少しは有能な、いろんなことがわかりできる人間になりたいと夢想する。
この歳になって人生を軌道修正できるものかわからない。しかし、とにもかくにもマニュアル車の運転も何とかできるようになってきた。ならば、同様にこうした努力、取組みを続けていけば少しは人並みに、できることが増えわからないこともわかるようになっていくのではないか。
こんなことはブログに書くべきことではないと思う。自らの心に秘めて行動していけばいいだけの話ではないか。しかし、たぶんこの世には自分と同類の「やればできない子」もかなりいるのかもしれない。その子たちが少しでも「できる子」だと自信が持てるよう元祖「できない子」として長く生きてきた立場でこれを書いた。
できないこと、わからないことをなくしていく努力こそ大事なのだと声を大にして。
人生とは何であるか、大きな命題に関しておいそれとは答えられないし語るべきではないと思う。が、生きるとはどういうことか、についてなら自分なりに答えられる。それは生きるとは、わからないこと、できないことをなくしていくことである、と。
しかし、自分の場合、いい歳した今でさえ、基本的に出来ないこと、わからないことばかりで、本来それを人は自ら努力して克服すべきところ、生来の怠け者のところに臆病も輪をかけて、結果としてそれを怠り、そのままにして変なフォームが身についてしまった。
それは社会性や一般常識も然り、人が当然すべき就職や恋愛も結婚も真剣に取り組まなかった。できないことをそのまま良しとしてきてしまった。そこには決して裕福ではないが今思うと恵まれた家庭環境もあったのだと思う。つまりよく言われるように、「引きこもりになるのには、引きこもれる部屋があるから」で、子だくさんの貧乏家庭ならば「引き込まれる部屋」がない故、引きこもりになることすらできないのである。
同様に、ある程度、できないままで許される環境にいたこともあって世間一般の人がたいていが普通にできること、わかっていることが自分にはほとんどできない、わからないままだ。それは日頃の挨拶から就職や結婚までの人間関係まで多岐にわたっている。そして「できないこと、わからないこと」それこそが「自分」なのだとさえ開きなおって臆面なくヘラヘラとこの歳まで生きてきた。個性であり生き方だとまで抗弁して。
しかしごく最近になって、やはりそれは根本的間違いであり、そうした世間一般的「当たり前」のことを逃げずに正面からすべきであったはずだしできなくても克服していくべきではなかったかと考えが変わってきた。ある意味、その努力こそが人生、人の生きる道だったのではないのかと自問している。
そんなことを考えたのは、新学期を迎える年度の変わり目で、子供向塾なのか予備校のようなところの広告で「やればできる子」という言葉を目にしたからだ。そう、世の中には、できなくても実は「やればできる」子がたくさんいると思う。一方、逆に、フツーはできるのだけれど、「やればできない子」というのも確実にいて、この自分は常にそうであった。
これは、自分だけでないと思いたいが、普段はできていることでも試験でも何であろうともいざ本番となった時に限って失敗するのである。理由はいくつかある。一番は要するに緊張して構えてしまい、普段は何気にできていたのに、その時に限って失敗してしまうというパターンである。自分の場合、ほぼ100%その失敗してはならない大事なときこそ確実に失敗する。やればできない子であった。
世の中には、プレッシャーに強いというべきか、普段の実力以上に、やればできる子というのも多い。大して勉強も習いもしないのに、すぐに覚えてできるようになったり、何でも器用に巧くできる人たちがいる。
結局のところそれもまた運ではなく、実力なわけで、本当はできる子のはずが結果として自分はずっとこれまでの人生は「できない子」として生きてきた。もうそれが習い性、基本的スタンスとなっていた。
その自動車学校に通っていたときも、教官の何人か、ともかく気が合わないというのか、口の悪い嫌な奴がいて、そいつに当たると確実に失敗するのであった。普段できている単純な運転動作でさえもそいつが隣に乗っていると必ずできなくなる。挙句に言われたのは「俺もこの仕事を長くやってきたけれど、あんたみたいな人初めてだよ」という、ボヤキの「名言」であった。それほどまで彼の前では常に毎回「できない子」であった。
理由は、また確実に失敗する、文句言われてしまうかもというプレッシャーからで、期待?通りにじっさい失敗してしまうのである。一方、中には、常に好意的に接してくれる教官もいて、彼とならば、普段できないことでも案外うまくできてしまうのだ。要するに自分は気が弱く、しかも自意識過剰で何とか失敗せずにうまくやろうと構えるあまり緊張が高まり平常心を失い、パニックとなって確実に毎回失敗してしまうのであった。
今は振り返ればそうして冷静に自己分析もできる。今回のマニュアル車騒動でまたその頃のことを突然思い出した。
結局、そんな風にして、子供のころからやれば「できない子」、として自らも他者からも定義づけられ自認しそれが自分なのだと思い込んできた。しかし、何もできない、何もわからないことはちっとも良いことではない。だいいちそんな人間には世間では鼻もひっかけない。誰も相手にしない。このままさらに老いて一人ぼっちでどうしていけばよいのだろうか。そこには「愛される」「好かれる」要素が一つもないではないか。
今さら「やればできる子」になれるともなりたいとも思わないが、せめて常にできない、やれば必ず失敗するのではなく、緊張せずにその時点でのベストを尽くせる、力を自然にそのまま出せるようになりたいと切望する。そしてもう少しは有能な、いろんなことがわかりできる人間になりたいと夢想する。
この歳になって人生を軌道修正できるものかわからない。しかし、とにもかくにもマニュアル車の運転も何とかできるようになってきた。ならば、同様にこうした努力、取組みを続けていけば少しは人並みに、できることが増えわからないこともわかるようになっていくのではないか。
こんなことはブログに書くべきことではないと思う。自らの心に秘めて行動していけばいいだけの話ではないか。しかし、たぶんこの世には自分と同類の「やればできない子」もかなりいるのかもしれない。その子たちが少しでも「できる子」だと自信が持てるよう元祖「できない子」として長く生きてきた立場でこれを書いた。
できないこと、わからないことをなくしていく努力こそ大事なのだと声を大にして。
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