命からがらの冒険運転を終えて2014年03月17日 21時49分36秒

★見えなかったものが見えてきた~MT車初運転報告記     アクセスランキング: 195位

 夕方早く山梨から無事帰ってこれた。
 MT車の免許はあっても自動車学校で習ったときから一度も路上で運転したのことのなかった者が、マニュアルのトラックを借りて高速道路で山梨へ行ってともかく用事を終えて帰ってきた。
 命からがらという言葉があるが、まさに今回自分も含めて関わった誰もが不安と心配で胸が張り裂けそうではなかったか。無謀を承知で覚悟のうえで不慣れな自信のないことをやった。
 嗤われるかと思うが、終えた今、ようやく自動車とは何か、運転とは何か見えてきたというか「わかった」気がする。実に今まで自分は何一つ車の仕組みも運転方法もよく理解せずにただ漫然と車を走らせていたのだと呆れさえする。
 オートマ車というのは、まさに機械まかせで自動的に車が自ら道路状況に応じてギアを変えてくれていたのだった。だから確かにエンジンの音が変わったりアクセルの踏み込みの感じが変わったりは感じていた。が、それが当たり前だと思っている限りは車が何故走るのかさえほぼ何一つわかっていなかったのだ。※学校で車の構造については学んだ覚えはあるが、そもそも興味も関心もないメカ音痴にとってはまさに馬の耳に念仏だったのだ。
 
 今回、大工の河村さんが普段仕事で使っているトラックを借りて、中央道で八王子から入って須玉インターで降りて、北杜市江草という山里にある古民家へ行ってきた。
 目的はとうぜん、近くに借りている倉庫撤収に向けて本や雑誌の移動である。今まではウチの軽のワゴンでちまちま行くたびに運んでいた。しかしそれでは運べる量はたかが知れているし、荷台に満載すると運転はふらつき危険だしこれまで何度も作業してもなかなか先も見えず焦り始めてもいた。
 で、我家を建てたときから付き合いの親しくしている大工さんのトラックを借りて仕事が休みの日~月という日程で本を満載して運ぶとことを計画したのだ。が、トラックだからマニュアルで、日頃はオートマしか運転したことのない自分は大いに不安であった。で、先日、秋川で一応貸コースで実地講習を受けて何とかなるだろうとチャレンジしたという次第。毎度の「社員」氏もそのために笠間から招いた。

 しかし、昨日の朝、ウチの車で大工さんのところへ行き、そのトラックを借りてじっさいに運転してみると、クラッチのつなぎ方が下手なのかすぐエンスト起こしたりしてちっとも動かせない。道に出ても他の車も来るし焦り慌てているせいかすぐエンストしてしまう。バックにギアも入れられない。仕方なく、ウチの近くのドラッグストアまで動かしてもらい、そこで開店前の駐車場で、動かし方をもう一度練習した。しばらくぐるぐるゆっくり走ったり停めたりギアをチェンジしてようやく先日習って覚えたカンを取り戻しすことができた。すぐにエンストを起こすクセは何とか克服できたと思えた。向うで人と会う約束もしているので今さら中止にはできない。
 倉庫へ移動させて荷台に古雑誌類を中心に手渡しで積み込んでいく。本当は古新聞回収のトラックのように運転席の高さまで載せることも可能だったと思うが、初めての経験であり怖くてバックミラーで後ろが覗ける程度にとどめた。すべてがこの車は自分にとって初めてなのだ。
 そして、昼零時半頃、八王子インターから中央道に入った。わかったことは、高速道の中のほうがギアのチェンジも不要で楽だということだった。一般道のほうがいちいち停まる度にギアを戻したりと気が気でない。高速を走っている間はオートマ車の感覚でいったんギアを高速に入れれば後はただアクセルとブレーキだけでギア操作は考えなくても良い。
 またトラックは力があるせいか、ウチの軽ワゴンよりはるかに快適で運転も楽だった。途中で釈迦堂PAで休憩したものの、道も空いていたので、3時頃には須玉インターを出て山道へ。しかし、そこから問題多発。自分は登坂での坂道発進ができなかったのだ。十数年前に自動車学校でやったとき以来である。

 向かう古民家のある地区は、芽が岳の山麓と言ってよい山里にある。須玉インターを下りるとあとはただひたすら登坂である。平坦地ではギアを三速、四速にしてすいすい走っていてもちょっと登坂となると車はいきなり遅くなり力がなくなってしまう。本当はそこでギアを変えて二速なりにして登っていく。それがよくわからないからちょっとした坂ですぐエンスト気味に停まってしまい、そこから走らせるのに大いに苦労した。幸い今回は後ろに後続車はほとんどいなかったので、登るどころか下がってしまっても事故になることはなかった。これまで気がつかなかったがオートマはその切り替えを車自身がやってくれていたのであった。

 そんなで何度も坂道で停まっては冷や汗かきながら坂道発進をトライして、ときにズルズルと意図せずにバックしながらも事故に至らず山腹までたどり着けた。わかったことは、古民家のある江草という地区へ行くことはすなわち行きも帰りも登山であり常に坂道を往復することなのであった。
 また、古民家のある場所は、各家ごとに隣近所も一軒ごとに棚田のように高低差があり、ウチの駐車場の一角は6mほどの石垣の断崖絶壁になっている。そこで、前進にしろバックにしろ停めたところからマニュアル車を発進させるのは恐怖以外なにものでもなかった。そこもまた軽度の傾斜があるので発進のつどズルズルと少し崖のほうに下がっていく。そこで一気にアクセルを踏み込み反対側に動かさない限り車は自分を乗せたまま崖から落ちてしまう。思わず神の名を唱えながらエンジンをかけてクラッチを少しづつ繋いでアクセルをふかした。「成功」したときは脇の下は汗びっしょりであった。

 万事休すもうダメかと思ったことも正直あったが、幸い自らも含めて誰も傷つけず事故らずに戻ってこれた。神のご加護があったと心から思う。もし後ろにぴったり後続車が追いて走っていたら衝突していたと思う失態が何度もあった。大工の河村さんもさぞや心配だったのだろう。昨日も今日も何度も携帯に電話してきた。今無事にトラックを返してお礼に山梨土産の信玄餅を渡せてほっとしている。誰もが今日は枕を高くして眠れるに違いない。

 マニュアル車はこれでもう完全にマスターしたなんて口が裂けても言えないが、それでも何かとはもうわかった、理解したと断言できる。実践にはまだ自信がないが、コツと構造はもう頭に入った。もう今は昨日の朝のような不安や恐怖は何もない。これまでできなかったことが一つできるようになった。わからなかったことがわかってきた。それはとりもなおさず、見えなかったことが見えてきたということだ。苦労と言えばかなりの苦労なのだろうが、当たり前のことが常に何でもできなかった者にとってはとてつもない大きな成果だと思える。
 かなりの危険と恐怖と不安という代償を払って手に入れたマニュアル車運転であった。どんなに大変であろうとも人生は素晴らしい。今満足している。