気分はもう戦前 ― 2014年07月10日 01時20分30秒
★続・不戦の誓い、平和憲法を解釈で捨て去る「三代目」。 アクセスランキング: 107位
今月1日付拙ブログに書いたことの続きを記しておく。
憲法解釈変更、集団的自衛権の行使容認を受けてこれから法整備が進んでいく。いわば、戦争への地ならし、足慣らしが着々と進むことになる。国民に選挙で問うことすらなく、こうした日本の将来を大きく決定づける「国是」がいとも簡単に変えられていくことに嘆き呆れ怒りを覚える。が、それもまた戦後も70年近くなるとある意味仕方ないことなのかという気もしている。平和が続き過ぎ、戦争体験が風化してしまったのだから。
今は結婚、出産が遅くなってきているからやや微妙だが、昔から一世代30歳と数えられていた。つまり人は約30歳前後で結婚して次世代をつくる。つまり還暦の頃、定年となる頃にはちょうどその子供たちもまた親となり新たな世代を生む。
そう考えれば、戦後69年という現在2014年は、結婚出産が遅くなったことを考慮しても「戦後」生まれでもじゅうぶん二世代分過ぎている。ということは、戦争を直接知る、体験した「戦前、戦中派」からすると三世代、いや四世代も経過したことになろう。
私ごとを書けば、自分は昭和30年代前半の生まれで、親たち、父は大正末に生を受け、戦争体験を持つ出征した元日本兵であるし、母は昭和のはじめの生まれで十代半ばで終戦を迎えた疎開世代である。
そうした親たち、じっさいの戦争を体験し記憶に持つ世代を初代と考えれば、自分は二代目であるし、我に子はないが、もし子あれば、今、30歳前後の息子、娘がいても何もおかしくない。同窓会に行ったことはないがおそらく同級生たちは初孫の写真など見せ合っているのであろう。※ウチの親たちは共に長男長女で下に弟妹たちを抱えていたので結婚が遅かった。おまけに父は戦地中国からの帰国が遅れたこともある。
戦後、平和な世相になりこの国にもベビーブームが起こる。自分はちょっと遅れるが「団塊の世代」、つまり「戦争を知らない子供たち」の登場である。そして今彼らが還暦を越え、そのまた子供たち、つまり「戦争を知らない子供たちの子供たち」が結婚出産をする世代となっている現在、やはりまさに戦後も70年も経つのだと感慨がわいてくる。
戦争世代からすると三代目、四代目ばかりとなったのが今の日本なのである。それでは、今のような世相となってもある意味しごく当然ではないのか。
自分は初代である、戦争をその身でリアルに体験した親たちから戦争とはどういうものか、その時代はどうであったか事あるごとに聞かされた。また祖母に育てられたのでその前の頃、戦前の時代の話すら知っている。団塊の世代も当然、親から聞かされはしている。しかし、彼らは果たしてそのまた子供たちに戦争を語り伝えてきたのか。
ウチは大家族で、祖父祖母とも暮らしていたが、その三代目は初代である祖父母と暮らしたのだろうか。いや、戦後核家族化が進んで団地族が増えたように、ニューファミリー世帯には戦争体験を持つ老人の居場所はなかった。みな、親たちを実家に残して家を構えたり地方に残してきてしまったのだ。
そしてその初代、戦争を体験したウチの親たちの世代はほとんど死に絶えもはや日本人口の数パーセントとなってしまった。生きていても呆けが進み体験を語ることすらおぼつかない。
先の江戸川柳のように、まさにこの国全体が、三代目、まして四代目ばかりとなってしまえば、ほぼ国民すべてが「戦争を知らない」のだから憲法解釈の変更も当然であろうし、結果また戦争が起きてしまい国家という「家」も潰れても道理ではないのか。
奇しくもこの安倍首相自身が、戦中戦後史に大きく名を残す岸信介の「三代目」であるし政権には同様に吉田茂の三代目もいる。※まあ、彼らは初代の遺訓をしっかり継いだ立派で奇特な孫と言えるかもしれない。
戦争体験の風化が叫ばれ、その体験を語り継ぐことの必要性が訴えられている。それはまた当然だと思うし痛感共感するが、自らに照らしてみると、人は体験してみないことにはやはり本当のことは何もわからないものなのだからじっさいに「戦争の悲惨さ」を体験するしかないのかという思いもある。
2011年の5月に、福島県いわき市へ行き、津波に襲われた浜辺の町に立つ機会を持った。それまで大戦の空襲や神戸の大震災で起こった都市の「廃墟」は映像や写真などでたくさん見てイメージは持っていた。が、じっさいについ直前まで人がそこに住んでいた場所が根こそぎ津波で流され全てが破壊され一面瓦礫の山となった広大な廃墟に立ったときの衝撃はまさに言葉を失った。居たたまれないほどの衝撃であった。知識で得て頭で想像していたこととじっさいはまったく違っていた。現実を前に観念など吹っ飛んだ。
人は何事もじっさいにリアルに体験してみないことには何ひとつ本当のことはわからない。戦争と戦争の時代は二度と繰り返してはならない。世界平和は人類の願いである。しかし、記憶は風化するし体験は伝わらない。
戦争は必要悪だなんて口が裂けても言わない。しかし、じっさいに体験した世代、知る世代がこれほど消えてしまえば、戦争とは何なのかわからず、またそろそろ戦争をしたがるバカが増えてきてもいたしかたないと思える。
ただ付け加えれば、敗戦後米国から無理やり押し付けられたと慎太郎たちがよく言う「日本国憲法」であっても当時の日本人がどれほどそれを歓迎したか、諾々とそれを受け入れてきたことからも「戦争はもうこりごり」だと日本人全員が心底思ったからに他ならない。
ただ戦後70年平和が長く続き過ぎた。憲法に守られて平和が当たり前だと思っていた。そして憲法のおかげで70年も戦闘で誰一人死ぬことがなかったからこそ有難味を忘れて、今平和は愚かな三代目たちによって風前の灯である。憲法で戦争はしない、できないとはっきり記してあるのに解釈を変えて再び戦争ができるようにしていくとは、何という愚かな選択であろうか。
人は失ってみて初めてその大切がわかる動物なのだから仕方ないと思うが、平和は失うにあまりに重く大きすぎる。
戦争と平和、パレスチナやイラクを見よ。戦争では平和は作り出せない。自分は戦争体験二代目としてこの時勢に抗っていく。
今月1日付拙ブログに書いたことの続きを記しておく。
憲法解釈変更、集団的自衛権の行使容認を受けてこれから法整備が進んでいく。いわば、戦争への地ならし、足慣らしが着々と進むことになる。国民に選挙で問うことすらなく、こうした日本の将来を大きく決定づける「国是」がいとも簡単に変えられていくことに嘆き呆れ怒りを覚える。が、それもまた戦後も70年近くなるとある意味仕方ないことなのかという気もしている。平和が続き過ぎ、戦争体験が風化してしまったのだから。
今は結婚、出産が遅くなってきているからやや微妙だが、昔から一世代30歳と数えられていた。つまり人は約30歳前後で結婚して次世代をつくる。つまり還暦の頃、定年となる頃にはちょうどその子供たちもまた親となり新たな世代を生む。
そう考えれば、戦後69年という現在2014年は、結婚出産が遅くなったことを考慮しても「戦後」生まれでもじゅうぶん二世代分過ぎている。ということは、戦争を直接知る、体験した「戦前、戦中派」からすると三世代、いや四世代も経過したことになろう。
私ごとを書けば、自分は昭和30年代前半の生まれで、親たち、父は大正末に生を受け、戦争体験を持つ出征した元日本兵であるし、母は昭和のはじめの生まれで十代半ばで終戦を迎えた疎開世代である。
そうした親たち、じっさいの戦争を体験し記憶に持つ世代を初代と考えれば、自分は二代目であるし、我に子はないが、もし子あれば、今、30歳前後の息子、娘がいても何もおかしくない。同窓会に行ったことはないがおそらく同級生たちは初孫の写真など見せ合っているのであろう。※ウチの親たちは共に長男長女で下に弟妹たちを抱えていたので結婚が遅かった。おまけに父は戦地中国からの帰国が遅れたこともある。
戦後、平和な世相になりこの国にもベビーブームが起こる。自分はちょっと遅れるが「団塊の世代」、つまり「戦争を知らない子供たち」の登場である。そして今彼らが還暦を越え、そのまた子供たち、つまり「戦争を知らない子供たちの子供たち」が結婚出産をする世代となっている現在、やはりまさに戦後も70年も経つのだと感慨がわいてくる。
戦争世代からすると三代目、四代目ばかりとなったのが今の日本なのである。それでは、今のような世相となってもある意味しごく当然ではないのか。
自分は初代である、戦争をその身でリアルに体験した親たちから戦争とはどういうものか、その時代はどうであったか事あるごとに聞かされた。また祖母に育てられたのでその前の頃、戦前の時代の話すら知っている。団塊の世代も当然、親から聞かされはしている。しかし、彼らは果たしてそのまた子供たちに戦争を語り伝えてきたのか。
ウチは大家族で、祖父祖母とも暮らしていたが、その三代目は初代である祖父母と暮らしたのだろうか。いや、戦後核家族化が進んで団地族が増えたように、ニューファミリー世帯には戦争体験を持つ老人の居場所はなかった。みな、親たちを実家に残して家を構えたり地方に残してきてしまったのだ。
そしてその初代、戦争を体験したウチの親たちの世代はほとんど死に絶えもはや日本人口の数パーセントとなってしまった。生きていても呆けが進み体験を語ることすらおぼつかない。
先の江戸川柳のように、まさにこの国全体が、三代目、まして四代目ばかりとなってしまえば、ほぼ国民すべてが「戦争を知らない」のだから憲法解釈の変更も当然であろうし、結果また戦争が起きてしまい国家という「家」も潰れても道理ではないのか。
奇しくもこの安倍首相自身が、戦中戦後史に大きく名を残す岸信介の「三代目」であるし政権には同様に吉田茂の三代目もいる。※まあ、彼らは初代の遺訓をしっかり継いだ立派で奇特な孫と言えるかもしれない。
戦争体験の風化が叫ばれ、その体験を語り継ぐことの必要性が訴えられている。それはまた当然だと思うし痛感共感するが、自らに照らしてみると、人は体験してみないことにはやはり本当のことは何もわからないものなのだからじっさいに「戦争の悲惨さ」を体験するしかないのかという思いもある。
2011年の5月に、福島県いわき市へ行き、津波に襲われた浜辺の町に立つ機会を持った。それまで大戦の空襲や神戸の大震災で起こった都市の「廃墟」は映像や写真などでたくさん見てイメージは持っていた。が、じっさいについ直前まで人がそこに住んでいた場所が根こそぎ津波で流され全てが破壊され一面瓦礫の山となった広大な廃墟に立ったときの衝撃はまさに言葉を失った。居たたまれないほどの衝撃であった。知識で得て頭で想像していたこととじっさいはまったく違っていた。現実を前に観念など吹っ飛んだ。
人は何事もじっさいにリアルに体験してみないことには何ひとつ本当のことはわからない。戦争と戦争の時代は二度と繰り返してはならない。世界平和は人類の願いである。しかし、記憶は風化するし体験は伝わらない。
戦争は必要悪だなんて口が裂けても言わない。しかし、じっさいに体験した世代、知る世代がこれほど消えてしまえば、戦争とは何なのかわからず、またそろそろ戦争をしたがるバカが増えてきてもいたしかたないと思える。
ただ付け加えれば、敗戦後米国から無理やり押し付けられたと慎太郎たちがよく言う「日本国憲法」であっても当時の日本人がどれほどそれを歓迎したか、諾々とそれを受け入れてきたことからも「戦争はもうこりごり」だと日本人全員が心底思ったからに他ならない。
ただ戦後70年平和が長く続き過ぎた。憲法に守られて平和が当たり前だと思っていた。そして憲法のおかげで70年も戦闘で誰一人死ぬことがなかったからこそ有難味を忘れて、今平和は愚かな三代目たちによって風前の灯である。憲法で戦争はしない、できないとはっきり記してあるのに解釈を変えて再び戦争ができるようにしていくとは、何という愚かな選択であろうか。
人は失ってみて初めてその大切がわかる動物なのだから仕方ないと思うが、平和は失うにあまりに重く大きすぎる。
戦争と平和、パレスチナやイラクを見よ。戦争では平和は作り出せない。自分は戦争体験二代目としてこの時勢に抗っていく。
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