祈り願い感謝していく2014年11月10日 23時13分51秒

★うた、音楽とここまで向き合える幸せに            アクセスランキング: 75位

 ここのところ日々ギターを弾いて下手なうたを唄ったり、曲を作ったりコード付けたりそれを録音したり、人様のライブに出かけたりとひたすら音楽に向かい合っている。こんなことは高校生の時以来40年ぶりだろうか。
 いや、当時だってこんなに真剣にはならなかった。もっと音楽活動に熱中はしたけれどまったくの遊び感覚、趣味ゆえのちゃらんぽらんさでしかなかった。今回は違う。義務感というほどではないが、観客や興行的なことを意識してその中で自分のことではなく誰もが最良となるあり方を模索しつつ最善とすべくこの我もまた音楽と深く向き合っている。

 じっさいのところそれになかなか時間がとれず刻々と当日が近づいてくるので焦る気持ちも強いが、昨晩のラビさんのライブからも含めて音楽の神、うたの神様から大きなパワーを頂いていると思えてきた。
 考えてみれば、今のこの状態、忙しくて大変だ、辛いと考えるのではなくとてつもなく幸運、幸福なことではないのか。

 このところご近所も含めて友人知人たちから親世代、高齢者の訃報が相次いでいる。今、やはり高齢の病気持ちの老親の介護をされている友からはいよいよとなってきたと電話で聞いた。
 世代としてそれだけ死が身近に、我もまた高齢となってきただけのことかもしれないが、幸いにしてウチの親たちは今期はまだ風邪もひかずボケはともかくも体は元気で何とかやれている。寝込んだりして始終付き添わねばならない状態ともなれば今月末のライブどころではない。準備も練習も二の次、後回しとならざるえないわけで、今の元気が実に有難い。※早くコタツ布団を出してコタツをせっとせねば。
 つまり何はともかく音楽に向き合うことができる今は実に幸運、幸福であり自分も含めて同世代同時代の誰もが微妙な綱渡り状態で何とか前へと動いているのであった。それができていることはまさに良いこと、幸運であり音楽の神様の恵み、はからいでなくて何であろうか。

 楽しい夢を見て夢から覚めたとき、夢だと知って哀しく思うときもある。が、楽しい愉快な夢ならば、夢であってもその余韻を味わいその夢が見れたことに感謝すべきであろう。そしてまたその夢の続きをまさに夢想するのだ。

 これからの日々、まずなすべきことの努力をしそして願い祈り感謝していく。