「世界」を変えたいと願うならば2015年06月02日 06時18分38秒

★諦めず投げ出さずできることを少しづつでも         アクセスランキング: 219位

 古いハードボイルドのタイトルに、トラブルは我が影法師というのがあったと記憶するが、それに倣えば、愚かさこそ我が影法師といったもので、おそろく生涯己の影のように付いてまわるものだと自認している。

 今日はまた山梨へ行ってくる。前回よりは体調も戻った。それに笠間より「社員」氏を招いて、同行二人での作業となるから楽かつ、かなりはかどると思う。我が家の庭のケヤキも枝下ろししないとお隣さんがキレてしまう。まったくやるべき雑事には事欠かない。

 今回も母は連れていかない。ともかく向こうの散乱した状態を解消しないことには、古民家来訪希望者がいても招くことすらできない。マスダは、広いところも常に狭くしてまうと、社員氏から常々指摘されているが、スペースあればいつもいつしかそこにいっぱいにモノを置いて詰め込んでしまう。
そしてそれを活用するどころか恒常化してしまう。

 さすがに、歳もとり人生の先行きも見えてきたので、そうした「方針」が良いとか正しいはずがないと気づいた。断捨離なんてとてもできやしないが、じょじょに収集から収拾へと路線を改めなくてはならない。
 古民家も先に書いたが、この自分一人のためのものでないと思っている。来たい人、利用したい人がいれば常にいつでも応じられなくてはならない。今も連れて行ってくれという方が待っている。

 去年の夏は一回だけ、「森の音楽隊山梨の森へ行く」と称してみほこん中心の古民家&里山探訪ツアーを企画したが(参加者四名)、今年もそれ以上に、願わくばサマーキャンプのような、泊まり込みで大勢の方に来て頂ければと夢想している。
 そのためには、もっと片づけて建物そのものも使いこなし良いよう手を入れていかねばならない。単なる古本倉庫として放擲してはならない。

 いろんな意味で世界を変えたいと願う。しかしそのためにできることは、まずこの我が身、自らの人生から変えていくことだ。同じ愚かさと過ちを繰り返していては何一つ変わらない。
 問題や愚かさに目を向けて解決に向けて一つ一つ処理していく。どんな状況でもできることはまだあるしやるべきことは多々ある。
 世界はかわる。すべての思いはかなう。そう信じてやっていく。慌てず焦らず丁寧に慎重に。