今年の半分が終わって2015年06月30日 21時47分57秒

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 私ごとを書かせてください。
 自分の親がまだ二人とも健在で、ともかく入院もせず共に暮らしている状態は間違いなく良いめでたいことであろう。
 マス坊の親たちは、やがて結婚60年近くとなる。半世紀50年だって、共に連れ添う夫婦はごく稀なのだから、妻も夫も夫婦そろって生き長らえていることは非常に珍しく有難いことだと息子である我も思う。
 じっさい、同世代の友人知人を見ても今も親たちが二人そろって健在な奴などまずいない。何しろ子世代が既に後継者のとば口に立ち、ウチなど結婚じたいが遅かったから、父は90歳、母は80半ばという歳なのである。

 これもひとえに、介護する側、つまり同居している我、マス坊の奮闘のたまものだと冗談では口にするけれど、まあ、人の生き死には運不運と同様に、個人の努力やがんばりでどうにかなるものではないはずで、そういう星の定めなのだとしか言いようがない。

 長寿の家系というものは確かにある。母方は間違いなくそうした一族で、母の母、マス坊の祖母は百歳目前まで20世紀をまるまる生きたから、もしその血筋なら我もまたあと30年~40年はどんな状態かは別として生きられることとなる。
 父方は、わりと早や死にの家系で、父の両親は60代、70代そこそこで死んでいるから、その息子が90まで生きているのは、じっさい周囲の管理と看護が良いからだと子として胸をはれる。

 ただ、問題は、長生きが良いことだとはこのところ思えないような状況が続くようになってきたことで、告白するともう日々、怒り心頭、頭に血が上ったり、その世話にうんざりし倦み疲れてきている。
 頭は明晰だった母もこのところだいぶ記憶力が悪くなり、失態が目立つが、父はもともと社会性に乏しく、奇矯な人だったのが、老いて肉体が弱って、認知症が進んだこととパーキンソンもあるのでともかく手がかかる。
 大小便の不始末は高齢者なのだから仕方なくも思うが、とにもかくにも三度の食事の世話、彼に飯を喰わすのが一苦労で、毎日なだめすかし恫喝もし、規定量を食べさせるだけで疲労困憊してしまう。つい大声も上げてしまう。

 歳とると二度童とか言って、子どもに返るとはよくきくが、確かに、無理矢理でも食べさせない限り、目を離すとすぐ他のことに興味が移ったりして食べなくなってしまう。また便が出てないから腹がちっとも空かないとか、時間の観念も乏しく、さっき食べたばかりだとか後でまた食べるとか言って逃げてしまうのである。
 それを年寄りだから食べなくて当然だとか、個人の意思だと認めて放擲してしまうことはたやすい。しかしそうした例はどうなるかというと、やがては痩せて弱ってきて、うっかり風邪ひいたぐらいで体力もないからすぐ死んでしまうのである。そうした事例をいくつも知っている。

 長年年寄りと付き合い、様々な事例を見知ってきたから、ともかく食べさせるしかない。年寄りこそある程度栄養あるものを無理無理にでも食べさせないとちょっとした病気で死に至る。基礎体力とはいかに日々きちんと食べさせて体重を落とさないことだというのが持論としているから
嫌がってもともかく食べさせる。
 それがともかく大変で、毎日朝から晩まで食事ときは阿鼻叫喚、大騒ぎとなる。ご近所の人たちはいったいナニゴトかと思うほど我が家は皆で大声出している。

 むろんあれこれオカズを工夫もする。だが、そもそも偏食で、野菜とご飯嫌いの男に偏りなく食べさせるのは頭がまっとうだって大変だ。しかも今は、頭呆けてトンチンカンで、やたら怒りっぽく、人を怒らす発言だけはしっかり口に出す、老人相手なのだからそれが日常となるともうこちらまで発狂しそうになる。

 これまでは、母が元気だったから、夜の食事は任せて出掛けられもした。あるいは、朝だけつくって日中は家を出られた。しかし、その母も一人では料理も作れず、自らことだけで手いっぱいでその夫の介助も難しくなってくると、やはり家族、つまり唯一の身内であるこのバカ息子が常時家にいて世話しないとならない。

 おまけに息子も完全なニートではない。ささやかな商売もやっているし、イベントの企画などの文化的社会活動もやっている。だから出かけて人と会う用事もある。しかもそちらも決してうまく進んでいるわけでなくトラブル続きで頭抱えているのである。昨日は今度のライブのことで難題また起きてあれこれ考え囚われ一晩眠れず朝を迎えた。

 このところそうした親たちのボケが進み、やたら手がかかるようになりうっかり目も離せない。かといって24時間毎日家に居たくはない。
 以前は、親たちを寝かしつければ夜遅くは自らの趣味のための時間が持てた。が、今は、日中の介護量が増えたことと、息子も老いてきて体力衰えてきたので、夜はもう起きてはいられない。そんなでこのところブログさえ滞り気味だ。書きたいことは多々あれど、だ。

 そんなでやることは山積し、日々の家庭生活、家事介護だけで一日があっという間に過ぎていく。気がつけば、大したことは何もできないまま、今年2015年も半分が過ぎてしまった。
 まあ、怠けて遊び歩いたり飲んだくれていたのではないのだから、何もできなくとも老いた親たちが無事生きているだけでも良しとせねばとも思う。

 しかし、人生とはそれだけではいけないという焦る気持ちも強くある。老いた親たちの面倒を見るのは当たり前だし、孝行できるのも今のうちなのだから一人息子としてどんなに大変だとしてもこれは仕方ない。その覚悟はできている。が、では、自分はいったいどこにいる? 何をしているのか、いったい何がしたいのか、何をすべきかという問いが常にわいてくる。
 親たちが長生きするのは有難い。が、同時に、その息子もまたその世話に追われて何もできないうちにどんどん老いていく。
 親たち夫婦は仲良く老いて夫唱婦随、偕老同穴、常に生活を共にし連れ添っている。が、息子にはそんな相手はいない。親たちが去った後に来るはずの自由とは、実は孤独でしかないのではという不安がよぎる。

 が、それもまた人生であり、何はともあれ今できる、すべきことをまずやっていくしかない。日々神に祈り感謝していく。
 どうしようもない人生だが、これが今できることならばまずそれをすべきかと自問し続けつつ。

 余談だが、母連れて、また山梨へ湯治に行く予定である。が、父も一緒だとともかく手がかかり温泉でも目が離せない。連れて行けばこちらがのんびりできるどころか疲れに行くだけとなる。父がいると気が休まらない。
 だからといって、一人家に置いて置くと火事しでかす可能性もあり、通っているデイサービスの施設に預けることも相談した。が、金額を確かめたら一泊二日で一万五千円は軽くかかる。それではウチのような貧乏な年金生活では、とても気軽に利用できない。仕方なく、その分の金で、山梨で美味しいものを皆で食べることにして、父も連れて行くことにした。
 うんざりだが、仕方ない。息子がもっとバリバリ働いて余裕あればそれもできたが、ろくに稼ぎもないのだから仕方ない。

 人生とはこうしたものだ。そしてこれもまた人生なのだと。我にも一人妹がいて、今は九州の農家に嫁いでいる。もう五十過ぎただろう。そして向こうでは仕事もちつつ嫁ぎ先の親たちの介護に追われている。ならば、他人の親ではない我が親の面倒をみるのだから辛いとか文句など言えないではないか。
 
 とにもかくにも生きていく。このままでは新幹線内での「頭から油をかぶったお客様」とならないように。