新年1月の終わりに思う2017年01月31日 11時46分34秒

★人生がようやくほんの少しだけど動き出した。

 外は風が強いが晴れて陽射しある早春の昼時である。父をデイケアに送り出して、昼食を兼ねた遅い朝食をとり、満たされ心落ち着いた気分で今パソコンに向かいこれを記している。今日で新年一月も終わる。今思うことを記していく。

 昨年9月の母の死から近く五カ月が過ぎる。先だっての拙宅での「新年会」を終え、ようやく我が人生が戻って来た、またほんの少しづつだけれど人生が動き出したという感触を得た。
 物心ついてから半世紀以上生きて来た我が人生最大の衝撃的出来事、母の突然の死という事件から、一時期はもう立ち直れないかと思っていた。
 そのショックのあまり心が壊れて悲嘆と無常感、虚無感に囚われて、ただ生きてはいたものの父の世話とかどうしてもやらねばならぬ義務的家事以外は何一つできず、する気も起きず悶々鬱々と家にこもっていた。
 突然泣き叫んだり怒りに任せて暴れたりと感情も制御できず、あるいはAmazonのタイムセールで無意味な買い物に夢中になったりと何ヵ月も「発狂」していたのだと今思う。

 Amazonなどでのネット通販は、母が生きていた時から、出かけられないこともあってやたらネットで買いまくるようになっていて、それで介護用品などはずいぶん早く安く配達してもらって大いに助かったのだけれど、母の死後もそれが依存症的に続いてしまっていた。恥ずかしい話、12月末締め分だけでも支払い総額はこの3カ月で計50万にもなった。
 どこにそんな金があったかというと、母にかけていた生命保険金がおりて、我の口座に振り込まれ、当面は月々の金の工面に頭痛めなくてすむ状況になっていたからだ。
 外食や飲食などに使ったわけではない。ただひたすら、主にアマゾンなどのタイムセールをチェックしては、特売になっていた、ちょっと欲しい、あると便利な、前から欲しいとは思っていた物々を、深く考えもなしにクリックしては買い物籠に入れていたのだ。

 パソコンもまた新しいのを買ったし、プリンター、HDDの類、それにデジカメや、ライブのためのICレコーダー、ビデオカメラもまた新たに買った。CDなども。それらは届いたもののまだ全然使っていないどころか、パッケージを開封していないものすらある。
 「あれば便利とは、なくても平気」、とは言ったもので、まさに本当はなくてもこれまでは平気だったのである。そもそも金がなかったし。ただ、母の死後、何となく見れば欲しくて、これから使うからと、とりあえず支払いの心配もなくなっていたので後先考えずにクリックしまくった。
 消費は快楽という言葉はあるけれど、実のところちっとも快楽でもなく、ヤマト運輸の配達員が毎日のように家に来ることすらしだいに苦痛になって来た。ただ何だか自分でもよくわからず、ネットを見れば買いたくてただひたすら買いまくっていたのだ。

 そうした「病気」は、年明けてようやく今月半ばからは治って来た。父との確執的ぶつかり合いもこのところは収まっている。つまるところ心が壊れて全ての感情が制御できなくなり、冷静さを欠き自制できなくなっていたのだろう。それでもまだ今月の支払いは10万近くなるかもしれない。
 せっかく母が遺してくれた「遺産」もそんなふうにしてほぼ使い果たしてしまい、新年1月も終わりとなり、ようやく落ち着いた心持でこの五カ月間を振り返っている。
 何とか今は抜け出せて、また以前の感情が戻って良かったと心から思える。お金のことは無駄遣いしたと悔やむ気持ちもあるけれど、その時はそれしか救いはなかったのだとも思う。

 我には我のことを心配し思う、暖かく有難い友は多々いるけれど、じっさいに生活を共にして助けに来てくれる人はいない。母は突然死に去り、呆けて元より不仲の父と二人だけで残されて、その新たな生活スタイルに慣れるまでは、くだらないが買い物とか「消費」で空虚な心を埋めるしかなかった。この五か月間はとても「生産」まで至らなかった。新しいことは何一つできず、する気も起きず、ひたすら無駄買いに夢中になっていたのだ。それでその時は救われたのだ。
 そう、それもこれも仕方ない。どうしようもない人間の中でも我はさらにどうしようもないのだから。全てを赦すのならば、まず自らをも赦し認めるしかない。

 今、心を取り戻し、狂気から覚めて、さあ、これからだと思う。昨晩は父が寝静まってから久々にギター弾きまくっていた。柔になった左手の指の腹は痛いが、手が、心が、音楽を強く欲していた。次々と唄いたいうた、演りたいうたが浮かんでくる。音楽もまた戻ってきたのだ。
 まだ完全に立ち直ったなんてとても思えないが、五カ月で戻れたのだとしたら、我としては上出来ではないか。
 あげく年明けすぐに交通事故もしでかしたが、幸い大事に至らなかった。そしてようやくそれをきっかけに目が覚めた。はっきり状況が見えて来た。理解した。我はこの間ずっと発狂していたのだと気づかされた。

 今、去年からこの半年間を振り返り全ては天の配剤、神の計らいだと心からそう思える。もう一時期は俺もダメかと覚悟もした。もう戻れないかと不安になった。父を殺し我も自殺することすら考えもした。母を喪いそれまでだってどうしようもない行き詰ってた人生はますます破綻してしまった。

 が、また生かされた、まだ生きている。ならば、これからはがんばりたいし頑張らねばと強く思う。こんな人間がまだ生きている。きっとそこに意味や理由もあるのだと信じたい。
 そして与えられた最後のチャンスを活かして期待に応えたい。
 読者の皆様、よろしかったら今後ともお付き合い下さい。