7月の終わりに思うもろもろのこと・続き ― 2018年07月31日 01時03分19秒
★特別な人生、特別な時間なんてどこにもないし、必要なかった。
逆走颱風は過ぎ去り、以後このところ曇りがちのいくぶん涼しい日が続いて明日からは八月。どうやらまた猛暑がぶりかえすと天気予報士は言っている。
考えてみれば八月はこれからで、まさにいよいよ夏本番なのである。が、心なしか日も短くなってきたからか朝夕はしのぎやすく、もう40℃なんて記録的暑さは来ないように思えるしそう期待するしかない。
さておき、台風の後、幾日かやや涼しい日が続き暑さも一段落していた。が、我はバカだから、相変わらず裸同然のまま何もかけずに扇風機をつけたまま眠っていたら、夏風邪をひいてしまった。
何か頭や喉が痛くて体調はすぐれない。父も施設に行って不在の日だったのでこれ幸いとひたすら一日葛根湯を飲んで眠り続けた。その日は晩飯も食べずともかく眠った。そして様々な夢を見た。
旧知のフォークシンガーが何人か出て来て、何か一緒にあちこち行ったりしたりとりとめのない夢も見たが、最後の夢、明け方に見た夢ではまた母が出て来た。いや、正しくは母はもういなかった。
その夢の最初のほうは憶えていない。そのときは母は元気に出て来ていたのかもしれないが、はっきり覚えているのは、どこか家族皆で出かけることになっていて、時間は迫っているのに母がいないのである。
まったくどこへ行っちゃんたんだろう、と父とイライラしつつ帰って来るのを待っている。あちこち電話かけたりもしたかもしれない。
が、最後になって、突然、夢の中なのに、母はもう死んでしましまったのだ!だからもう帰っては来ないのだ!とはたと気がついて愕然とし落胆する。
そして映画のラストシーンのように、その夢の最後のカットは、生前母が寝ていた二段ベッドの下のほう、母が使ったままの空のベットのアップで終わるのである。
かけ布団もかかっていて、母が起きて抜け出したまま、母の寝ていた跡がなまなましくそのまま残っている。が、中身はからっぽで母の姿はそこにない。
今まで何度も繰り返し夢の中に母はいろんな姿で出て来て、夢の中では常に元気で死んではなかった。たいてい夢から覚めて、ああ、これは夢だったんだ、現実ではもう死んでしまってこの世にいないのだ、と気づき泣いたりもした。
が、今まで一度でも夢の中では死んではいなかったし常にそのことに気づかないでいたのだ。しかし母はついに夢の中でも死んでしまった。たぶんもう出てくることはないだろう。
ものすごく哀しい。とてつもなく辛い。が、我もまたあの世へ行けばまた必ず再会できると信じているし、母とのこと、死んでしまった人たちのことはもうここらで考えるのは終わりにしろという啓示かとも思う。
そう、死んでしまった人たちのことより、今もまだ生きている人と、残り少ない日々をしっかり生きて行かねばならない。
ずっと何ヵ月も引きこもって、過去と対峙し向き合っていたけれど、けっきょく慚愧の念ばかり肥大し悔恨の思いに押し潰されるばかりであった。
ひたすら籠っていても誰も助けてくれないし誰も来ない。※いや、何人か心ある友人知人はわれを案じてメールくれたり集まりに誘ってくれたり、直に家に来てもくれたりもしたが、ろくに返事も応対も気分的にできなかったのだ。申し訳ないとしか言葉がない。
つまるところ、森田療法的に言えば、何があろうと何であれ、人は普通の生活を続けるしかないのである。特別なことなど何もないし、人生の中に「ソノコト」だけに専念する特別な時間を作ってはならない。
ただいつもどおりに、日々の生活の中で、それをやっていくしかない。しかし時間は限りがある。あれもこれもできるはずもない。ならば、もうこれからはできるだけ何もかも減らして、特に新たなことには一切手を広げずに、もうこれ以上絶対増やさずごくごくミニマムに、いま在るものだけで、やっていくしかない。そう、特別な人生なんてないのである。
すべてスッキリシンプルに。基本もうこれ以上求めないし溜めない、増やさない、そのままにしない。人生も先が見え出した。ならば、人もモノも、「本当に良いもの」だけで、それも少しでかまわない。
60年も生きて、そして母を喪くしてようやくわかった。
すべてをもっと軽く、簡素にして、あらゆる無駄と失敗をなくしていこう。
逆走颱風は過ぎ去り、以後このところ曇りがちのいくぶん涼しい日が続いて明日からは八月。どうやらまた猛暑がぶりかえすと天気予報士は言っている。
考えてみれば八月はこれからで、まさにいよいよ夏本番なのである。が、心なしか日も短くなってきたからか朝夕はしのぎやすく、もう40℃なんて記録的暑さは来ないように思えるしそう期待するしかない。
さておき、台風の後、幾日かやや涼しい日が続き暑さも一段落していた。が、我はバカだから、相変わらず裸同然のまま何もかけずに扇風機をつけたまま眠っていたら、夏風邪をひいてしまった。
何か頭や喉が痛くて体調はすぐれない。父も施設に行って不在の日だったのでこれ幸いとひたすら一日葛根湯を飲んで眠り続けた。その日は晩飯も食べずともかく眠った。そして様々な夢を見た。
旧知のフォークシンガーが何人か出て来て、何か一緒にあちこち行ったりしたりとりとめのない夢も見たが、最後の夢、明け方に見た夢ではまた母が出て来た。いや、正しくは母はもういなかった。
その夢の最初のほうは憶えていない。そのときは母は元気に出て来ていたのかもしれないが、はっきり覚えているのは、どこか家族皆で出かけることになっていて、時間は迫っているのに母がいないのである。
まったくどこへ行っちゃんたんだろう、と父とイライラしつつ帰って来るのを待っている。あちこち電話かけたりもしたかもしれない。
が、最後になって、突然、夢の中なのに、母はもう死んでしましまったのだ!だからもう帰っては来ないのだ!とはたと気がついて愕然とし落胆する。
そして映画のラストシーンのように、その夢の最後のカットは、生前母が寝ていた二段ベッドの下のほう、母が使ったままの空のベットのアップで終わるのである。
かけ布団もかかっていて、母が起きて抜け出したまま、母の寝ていた跡がなまなましくそのまま残っている。が、中身はからっぽで母の姿はそこにない。
今まで何度も繰り返し夢の中に母はいろんな姿で出て来て、夢の中では常に元気で死んではなかった。たいてい夢から覚めて、ああ、これは夢だったんだ、現実ではもう死んでしまってこの世にいないのだ、と気づき泣いたりもした。
が、今まで一度でも夢の中では死んではいなかったし常にそのことに気づかないでいたのだ。しかし母はついに夢の中でも死んでしまった。たぶんもう出てくることはないだろう。
ものすごく哀しい。とてつもなく辛い。が、我もまたあの世へ行けばまた必ず再会できると信じているし、母とのこと、死んでしまった人たちのことはもうここらで考えるのは終わりにしろという啓示かとも思う。
そう、死んでしまった人たちのことより、今もまだ生きている人と、残り少ない日々をしっかり生きて行かねばならない。
ずっと何ヵ月も引きこもって、過去と対峙し向き合っていたけれど、けっきょく慚愧の念ばかり肥大し悔恨の思いに押し潰されるばかりであった。
ひたすら籠っていても誰も助けてくれないし誰も来ない。※いや、何人か心ある友人知人はわれを案じてメールくれたり集まりに誘ってくれたり、直に家に来てもくれたりもしたが、ろくに返事も応対も気分的にできなかったのだ。申し訳ないとしか言葉がない。
つまるところ、森田療法的に言えば、何があろうと何であれ、人は普通の生活を続けるしかないのである。特別なことなど何もないし、人生の中に「ソノコト」だけに専念する特別な時間を作ってはならない。
ただいつもどおりに、日々の生活の中で、それをやっていくしかない。しかし時間は限りがある。あれもこれもできるはずもない。ならば、もうこれからはできるだけ何もかも減らして、特に新たなことには一切手を広げずに、もうこれ以上絶対増やさずごくごくミニマムに、いま在るものだけで、やっていくしかない。そう、特別な人生なんてないのである。
すべてスッキリシンプルに。基本もうこれ以上求めないし溜めない、増やさない、そのままにしない。人生も先が見え出した。ならば、人もモノも、「本当に良いもの」だけで、それも少しでかまわない。
60年も生きて、そして母を喪くしてようやくわかった。
すべてをもっと軽く、簡素にして、あらゆる無駄と失敗をなくしていこう。
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