歳をとるとはこういうことか、と。2019年01月22日 21時04分31秒

★老年は、情けない話が花盛りであるが・・・

 父のことではなく、我もまたこのところ老いからの衰えを痛感している。情けない話、小便が近くて我慢できず困っている。

 人は生まれた時から成長し大人になり、やがては老いて死に向かう。それは生きるものすべてが同じ道筋であり、生まれて死に至るまでが、人生ということなのだから当然であり何も問題はない。
 そのはずなのだが、赤子が手がかかるように、老人もまたともかく手がかかる。我が父の呆けと心身の衰えについてはこれまでもくどいほど書いて来た。何しろ、高齢者といっても超高齢の九十半ばなのである。その歳で動けてとりあえずもデイサービスやショートステイに通えること自体がスゴイと言われるが、その父と暮らして介護する者こそスゴイ大変なのである。
 が、その我自身も父のこととは関係なく、六十過ぎてからは日々老いを痛感している。父の歳まで生きるなんて絶対思えないし願わずとも、このままだと父を見送れば、我もまた存外早く死んでしまう気がしてきた。
 まあ、六十代をいかに健康に気遣ってうまく乗り切るかがほんとうの老年期を寝たきりにならず日常生活を長く続けていくことに繋がると頭ではわかってることだが。今からこんな体調でこの先どのぐらい持つものかと不安になるときもある。
 まあ、それは周囲の同世代人を見回しても似たりよったりで、今は皆フェイスブックやブログなどで、誰に向けるともなく呟くように心境や近況を独白的に「発信」できるから、皆誰彼共に、このところ体調不良だとか急に調子が悪くなった、で、医者に診てもらったとか、そんな不景気な話題が花盛りで、みんな同じなんだと呆れつつも相憐れみて安心もできる。

 我も同様だが、そういうことを気軽に書ける場があるのは良いことであり、ぼやきとも愚痴ともつかぬことをこぼさずにはいられない状況、つまり年齢相応的体調になってきたということだろう。それは情けないことだと思うが、自然の流れとして当たり前のことだと受け容れるしかない。
 そしてその先に、やはり誰にも訪れる「死」が待っていて、それに直面すれば、もうあれこれぼやくことも愚痴をこぼすこともできずに、意識も遠のき心も身体も死んでいくのであろう。

 さておき、年とるとひとたび風邪ひくとなかなか治らず、特に我は喉、呼吸器が弱いので、咳の発作が長く続くので特に冬は辛い。
 毎度来る冬ではあるが、歳と共に寒さが辛くなったのは否めない。そしてこのところは季節とは関係なしに、ともかく小便が近くて、しかもしたいと思うと我慢がきかず、トイレに駆け込むまでにもときにチビルことすらあって、もうオレもここまで来たか、と感慨深い今日この頃だ。
 敬愛した山口瞳先生のエッセイ、『男性自身』でも、ときおりそうした悩みというか、小便にまつわる事件が記してあって、若いとき、それを呼んだときは、歳とるとそうしたものかと、単に「知識」として得、他人事に思っていた。

 が、現実のはなしとして自らのことになってくると、山口瞳の心境、その苦しみと大変さがようやく「我が事」としてひしひし近づいて来た。
 国立の街中で、選挙演説を聴いていたら、突然小便がしたくなりトイレがないので慌てふためいた話や、立川駅の公衆便所に駆け込んだが汚くて閉口した話、そして就寝中も何度も尿意に起こされて長く寝続けることができないこと、さらには尿閉になって苦しさのあまり脂汗流して救急車を呼んだ話など、断片的な記憶だが思い出し、今は切実に我もまたそうなるのかもと身に迫って来ている。

 幸いまだ我の場合、就寝中はそう何度も起きることはないし、やたら小便が近くなった程度で済んでるが、困るのは、意識すると突然したくなって制御できなくなることだ。精神的なこともあるように思える。
 いろいろ調べたら、それは過活動膀胱とかいう病気の一つで、それなりに薬もあるのだそうだが、今までは忙しさにかまけて診察は受けていない。
 仕方なく、尿漏れに効果があるとされる漢方薬、「八味地黄丸」をこのところ吞み続けている。

 これは父がもっと若い頃、やはり失禁が続いて困るので、今から10数年も前のこと京都に行った際に町の薬屋を営んでいたフォークシンガー古川豪さんのお店へ伺い、相談し処方してもらってからだ。
 身体を温める漢方だそうで、オシッコの近いことや尿漏れに効果があるだろうと、その八味地黄丸の顆粒を朝晩お湯に溶いて父に飲ませたら、その時は効果があって、父の「お漏らし」はずいぶん改善された。
 ならば、と我も父に倣い、その頃の父よりもずいぶん若い今、飲むことにしたのだ。果たして少しでも突発性の尿意は収まるのであろうか。

 ちなみにその父だが、今は、失禁どころか、尿意、便意すら自らはよく認識できないようで、水道の蛇口のパッキングが劣化して、始終水漏れがするが如く、小便は常に垂れ流し状態になってしまったので、近年はずっと終日紙パンツを履かせて、こまめに中のパッドを交換して対処している。
 もうそうなれば、漢方薬飲ませるどころではなく、ほんとうの老化、体の衰弱とは、尿意じたい感じなくなって垂れ流しに至るのだと知った。
 まあ、まだ我はそこまでは行っていない。が、そういう垂れ流し、ダダ漏れの状態になったとき、オムツ交換も含めて我を介護してくれる人がいないのだから、状況はさらに悲惨となろう。
 自分で自らのオムツ交換する老人がいるのであろうか。

 いずれにせよ、山口瞳先生のおかげで、我は「老後」を若い時に知ることができた。ほんとうに有難いことである。
 彼が毎週、週刊新潮誌上で、コラムとして日記的に、そう、今でいうブログ的に、日々あったこと、思ったこと、考えたことなどを体調も含めて死ぬまで書き記してくれた。実に1963年から31年間、1614回、連続して死ぬまで続いたのである。
 一人の作家というより、一人の男性の中年期から老いて病み死ぬまでの記録としても、実に貴重な定点観測記ではなかろうか。
 ならば師に倣い、我もまた我がことを恥を忍んで、情けない体調をも包み隠さず記していかねばと思う。
 我が事である。しかし、たぶんそれは、今若い人にも男であれ女であれ、誰にでも起こることとして。

 そう、歳をとるのはこういうことか、と。そしてその先に死が待っているのだと。
 死んでいくのはこうしたものか、とは、当人として自らはなかなか書くことが難しいだろうから、まずは老年期の道筋を、道すがら折々我が人生とこのブログが続く限り書き記していきたい。そう、明日は我が身なのである。まさに、少年老い易く、であった。