続・老いて死に行く父と最期の時まで逃げずに向き合えるか2020年03月19日 14時20分12秒

★【続き】

 疲れも出たのか、つい寝坊してしまい、明け方の父のオムツ交換をさぼって自分が起きたのは午前7時だった。

 父の寝ている部屋の引き戸は下の方が外されているが、上の掛け金の部分はそのままかかったままで枠から外れていない。
 だから、まだ父は部屋の中にいるとまずは思っていた。が、居間に行くと、廊下の猫の餌皿の位置が動かされていたり、誰かが置いてあるものをいじった後がある。おかしい、と気づきもしやと慌てて父の部屋を開けてみるとベッドはもぬけの空であった。布団や毛布はまとめて畳んである。
 慌てて家の中の裏側、父が以前、母と一緒に使っていた元の寝室も覗いたが、父の姿はない。玄関の戸は変わらず鍵がしっかりかかったままだが。
 いったいどこへ・・・と不安な気持ちで台所に行き、ふと外を見たら、いつも閉めてある台所のガラスの入った引き戸が、全開になっていてそこから庭が見えて風が吹き込んでいる。父はここから外に出てしまったのだ!!

 血の気が引くという言葉があるが、まさにその通りの気分で、仰天卒倒しそうになった。
 玄関の戸を開けて庭に出た。このところやや暖かくなってきたとはいえまだ3月、気温は零度近い早朝である。しかも父は最近はパジャマは着ずに父の言う「コシタ」、つまりオムツの上には股引しか履かず、上は長袖のシャツの上に薄いスエットのようなものしか着ていないのだ。
 頭をよぎったのは、凍死はしないまでも外で倒れて意識失っているという事態だ。杖ついたとしてもフラフラで自力ではろくに歩けない状態なのだ。それが1人で深夜だか早朝に薄着で外に出て徘徊しているのだから無事のはずがない。間違いなく転んで頭から血が出ている姿が頭をよぎった。
 また、これはまず警察に連絡すべきか、どう対処したら良いのかパニック状態ながらもあれこれ考えた。いったい父は動けぬ身体でどこへ消えてしまったのか。ともかく大変なことが起こった。立ちすくむしかなかった。

 と、ふと、停めてある我が愛車を見ると、父はその運転席と助手席に横になって眠っているではないか!
 ドアを開けて揺り動かすと意識はあって、こちらの大丈夫かとの問いかけに「寒いよ~」などと返事はある。
 抱き起してともかく家の中に入れてまずトイレに連れて行った。まだ外していなかった濡れたオムツ類を交換して着てたものも全部着替えさせた。股引などはかなり薄汚れていたが幸いにして身体にケガなどはないようで、体温も低かったがその時点では風邪などひいた様子はなかった。
 コタツで体を温めて、担当のケアマネージャーに連絡報告して、どうしたものか相談した。幸い当人も自分がしたことの記憶はなかったが、通常の意識もあった。何のつもりかと問うと、そんなことをワシはしたのか、何でだろうと、自ら不思議がっている。
 その日はショートステイに行く日だったので、軽く朝食を摂らせて迎えに来た若い職員に事情を説明してともかく送り出すことにした。もし容態に何かあったらすぐに連絡してくれと頼んで。

 父を施設に送り出してから改めて状況を確認した。元々モノで溢れていた台所は積み上げた食材も含めて椅子や皿が落ちたり倒されたりしてまるで大震災の直後のようである。とてもそこへ入れやしない。※元に戻すだけで一日かかった。
 まず父の寝てた部屋の引き戸だって、下の隙間から出るのだって一苦労である。上部は掛け金で固定されているのだからあの大男がどうやってそんなわずかな隙間から外に出られたのか。無理やり押し倒したのだろうがよく嵌めてあるガラスが割れて落ちずにすんだものだと不思議でならない。

 呆れ果てるしかないのは、狭い台所をあらゆるものをなぎ倒して、戸を押し倒して開けて、その台所の前の庭先、積み上げたガラクタの山をさらに乗り越えて外に出たパワーである。その破壊の力はまるでゴジラが上陸したごとくである。普段は自力で立ち上がることもできない老人が、杖もなしでどうしてそんなことができるのであろうか。転んだりしていないのか。

 さらに感心するのは、車に入って(我はこのところ車の鍵はかけていなかった思うしその日は窓も空いていた)、彼は運転席と助手席のシートをまず外して二枚重ねて縦に並べてマット上にして、その上に長く横になり、車内にあった膝掛のようなものを毛布代わりにまとい、ちゃんと枕のようなものまでも、あり合わせの車内にあったもので拵えて寝ていたことだ。
 外に出てから、ふと正気に戻ってどこかの段階で、これは困った、寒い、大変だと考えて対処したのであろうか。
 そもそもいったい何で外に出ようと大暴れしてしまったのか。閉じ込められている暖かい自室のベッドを抜け出し薄着で寒空の早朝?に外に出ようとする付き起こされる気持ちはどこから来たのか。
 もし車のキーがみつかれば彼は運転してどこかへ行こうとしていたのか。そうなったら間違いなく事故起こしてたことだろう。
 その騒動の当人は健在だが、そのときの意識は皆無なので何でそんなことをしたのかは永久にわからない。
 ただ今回だけは有難くもそんな大騒動、大徘徊にも関わらず、父は全く怪我もせず、その後心配された発熱などもなくともかくまた無事に今もまだ生きている。
 まさに神のご加護があったというべきか、強運の男としてまさに今回も運が良かったと有難く喜ぶしかない。

 しかし以後、我は、父がいる晩は、ほぼ一睡もできなくなってしまったし、父不在の日でも夜中に頻繁に起きる習慣がついてしまい体調が崩れてしまった。
 また、その父もこの大騒動で精根尽きたのか、以後は一気に体力が落ちてしまい、さらに筋力が落ちたのかもはや自力で立ち上がることはできなくなってしまった。
 さらに汚い話だが、小便のみならず大便までも始終垂れ流し状態となり、便秘より良いかもしれないが、オムツ交換も含めて下の世話に時間とられることがさらに長くなってしまった。いやはやどうしたものか。
 今も父を施設に預けていてもいつ向うから体調が急にオカシクなったと連絡があるかと深夜でも不安でならない。
 
 そんな大騒動があった。今回は無事で終わったと報告して良いと今はやっと思えるが、いよいよまさに命運尽きようとしている、この秋96歳となる超老人を抱えて、「そのとき」に備えて覚悟と準備を急がねばと今は強く感じている。
 我が抱える月刊共謀コンサート、何とかそれが続くこの一年間は、父も無事であろうと漠然と考えてはいたが、それはきわめて甘い楽観的な考えだと思えてきた。

 が、それから二週間過ぎ、幸いにしてともかく少しはまた持ち直してきたと思うようにして、消えかかるロウソクの灯を、消えないようにそっと手で覆うがごとくに、大事に大切に、その父の命を少しでも長く灯していこうと今は思っている。

 もう自分は逃げない。最後の最期のときまで、このおいてどうしようもなくなった父と生きていく。
 今日は木曜日、あと少ししたらその父も帰宅する。今日は風はあるがボカボカ陽気なので、陽のあるうちに少し車で公園にでも連れて行き手を引いて散歩しようかと考えている。何しろあと少しなのだ。