事において、どう適切な判断、対応がとれるか、だ。2021年04月14日 19時07分29秒

★事態をさらに悪化させないために

 久しぶりに音楽の話を少し。
 このところ我は、盟友太田三造さんと一緒に「うた」の活動を続けて、彼と共作でいくつものうたが生まれている。
 何か自分でも信じられない気がするが、このところ「詞」のようなものは、次々と我が内側から湧いて出て来て、それに曲も借り歌的についてくる。
 そうしてともかくできた詞を太田さんに渡すと、彼は即メロディーをつけてくれて歌にして唄ってくれる。これまでに4曲はできたか。
 自ら言うのもセンエツだろうが、このコロナ禍をうたった名曲『二人の恋はアフターコロナ』もそんな風にしてできたし、一番新しいところでは、『家なき女の淋しい死』といううたがある。

 これは、昨年の秋に起きた、渋谷区幡ヶ谷のバス停でのホームレスの女殺人事件を物語り歌にしたもので、約15分にもわたる事件の記録曲である。メロディーはディラン好きな人はわかるかと思う。
 自分ではとても唄う力はないのだが、太田さんはその長い長いうたを、聴き手を飽きさせず淡々と切切と唄ってくれている。元詞を創った我自身も泣かされた素晴らしいうただと記しておく。ぜひ機会あらばご一聴お願いしたい。

 そのうたのサビは、基本こうだ。
 
 ♩ いったい何が起きたのか どうすれば良かったのか 誰かおしえてほしい どうすればよかったのかと

 このところ、我自身もずっとこの部分を気がつくと繰り返している。その事件のことから離れ自らの問題として自問しているのだ。
 そして今もまだなかなか答えはみつからない。

 が、はっきりわかることはある。何か事件が起きた場合、その萌芽というべきかまず発端の部分でいかに適切な対応がとれるかが肝要なのだと。そしてそれを正しくメッセージとして外に、行動に出していくことだと。

 適切な例えではないかもしれないが、あの太平洋戦時下、日本は降伏の時期を見誤ったことは誰もが指摘することだ。
 そもそも戦争論によると、その国家は「制空権」を失った場合、そこから勝つことは不可能であり、今日の戦争では襲い来る空爆を地上戦で阻止することは絶対的無理なのである。
 歴史的事実として、日本は敗色が濃くなってきた1944年頃から米軍機により日本全土に空襲が蔓延してきた。地上からの迫撃砲のような対抗措置もあったようだが、日常的に本土上空に敵機が来襲できるような状況は、既に制空権は失われた状況であり、もはやそこからの反撃、反転攻勢は絶対的に不可能であった。

 ところが、この国は、負けられません勝つまでは、と、空襲に対しバケツリレーで消火訓練、敵の上陸に備えて竹やり訓練したり、警報時には防空壕に入ってしのぐという前時代的対応にかまけて降伏そのものは先延ばしにさせられた。※多くの人命が防空壕避難時にも失われた。
 その結果が、東京や大阪の大空襲による記録的な死者数であり、広島、長崎への原爆投下であった。
 1945年の年開け早々にでも降伏を申し出ていれば、東京の下町は壊滅的被害も受けなかったし戦後の復興も早かったのである。
 つまり事においてはいかに適切な判断、対応を早くとるべきか、そうできるかということだ。
 それは正義とか善悪の基準とは限らない。結果としていかに事態をさらに悪化させないで済むかという一点だけで考えるべきことだと思える。

 今、東京オリンピックを前に100日を切って、コロナウイルス第4波かはともかく、感染拡大が今またさらに進んでいるこの現状でもオリンピック開催ありき、でそのための聖火リレーを全国で強行するというのは、まさに愚行であり誤ったメッセージであろう。
 先のGoToトラベルも同様だったが、日本の政府は、常に今も昔も大事な局面において誤ったメッセージを出しては適切な判断を遅らせていると指弾せざるえない。

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