病の床で、夜の音を聞きながら考えたこと・② ― 2025年01月27日 21時09分08秒
★悔いばかり残るが、ヒトは必ず死ぬ、全てに終わりが来るのだから
一昨年から続いていた、我の家の内外での混乱、トラブルは、昨年ピークに達した。
以前も書いたが、我が家の家電製品のほとんどが壊れて使えなくなり、パソコンは、モニター画面を交換してからは、まだ問題なく使えてはいるが、エアコンにはじまり、テレビ、電子レンジ、宅電の他家中のほぼすべての家電が壊れてしまった。
おまけに猫が原因だと思うが、室内での漏水騒動で、請求された水道代が20万円ちかくとなって、分割払いとなり今年ようやく二回目の四万弱を先日何とか支払ったところだ。
そこに山梨からもウチにわざわざ固定資産税を督促に来る。嗚呼!!
唯一の収入元であったAmazonマーケットプレイスでの古本稼業も、購買者とのトラブルがあってから休止したままで、無収入なのに金は湯水のように出ていく。そこに次々税金や介護保険などの督促の請求が届く。ただ頭を抱えた。
そんなこんなで以前は定期的に、かけこみ亭で催していたコンサートの企画も時間的にも経済的にも、何より精神的余裕がなくなりもう断念するしかなかった。
まずは、生活再建、人生をきちんとさせてからだ。きちんと定収を得ることからだ。その思いは今も変わらない。
そうした窮状に、心配して友人たちから支援カンパが届き、親たちの遺してくれた預金を取り崩したうえで何とかこれまで凌いでいる。
改めてそのお志に深く感謝するしかない。ほんとうに助かっている。
また何人かの友からは、我の収入方法として、今住むこの家を担保のようなカタチにして、月々収入を得ることを勧められた。我の死後、この家は明け渡す:契約として。
また、山梨の倉庫のような古民家でも生活はできるのだから、そちらに拠点を移して、この家は売るなり貸すなりすれば良いという声も。
いろいろご心配かけて本当に有難く思う。我もあれこれの良い悩み検討いたした。
が、現時点では、ともかくもう少しこの家で、まず片づけを進めながら収入を得る道を模索したいと思ってる。
ともかく溜まりに溜まった古本、レコード類だけでなく、猫たちも含めて抱えているモノが多すぎて、まずそれを処分していかないことにはまさに身動きとれないのだ。
そんな状況の中、亡き母の知り合いで、市内あちこちに家作を持っておられる高齢の方から、今は空家となっている寮の食堂ホールを使って、何かフリマでもやらないかね、という話があった。
そこは名門スピーカーメーカー、フォステックスの元社員寮だった建物で、三階建てでかなりデカく、食堂も広い。が、かれこれもう20年?以上そこは空家状態となっていた。
正直、当初は気乗りが進まず話半分に聞いていたが、ふと、フリマはともかくもそこに空いてる広いスペースがあり、自由に使えるのならば、ライブイベント、フォークコンサートもできるではないか、と気がついた。
フリマは、あくまでも客寄せとして、コンサートを定期的に続けていけば、やがては、春一番で知り合った友が、三重県河芸の漁師小屋で、(今も?)毎年夏に続けている『ええかげん祭り』のように、多くのプロシンガーも登場する音楽イベントを地元でやれるかもしれない。
夢は広がった。で、地元でアマチュアミュージシャンたちに声かけて毎月野外で無料フォークコンサートを続けている方に相談したら、それは良いことだとご協力の快諾も得た。
で、まず昨年10月に、大慌てで第1回目の、そのフリマ&フォークコンサートを開催したのだ。
準備期間が短く、宣伝も市内に住む知人たちに声かけたりチラシを撒く程度しかできなかったが、初回としてはまあまあ人は集まった。旧い友もかけつけてくれて急遽手伝ってくれて大いに助かった。
で、二か月先として、12月に二回目をやったのだが、何故か客どころか歌い手自体も我が声かけた方以外には、ほぼ誰も来ない。客も初回より少なく、いや、数えるほどしか来なくてコンサートは大失敗に終わった。
ただフリマ自体は、一回目のときよりはまとめ買いの方が来てくれたので売り上げは良く、経費自体はまあ補填はできたが。
自分はいったい何をやっているのだろう? これからいったいどうすれば良いのか。この年末年始、咳の発作に苦しみながらベッドであれこれ考えた。
友人に金を融資してもらい、ライブ用のかなり大きい本格的なヤマハ製のスピーカーとPAのセットも二回目に向けて購入しホールにセットしたのに。宝の持ち腐れとはこのことだ。
そして改めてまた考えたのは、こんなことをやる余裕が自分にあるのか、ということだ。経済的な事はともかく、当日だけでなく宣伝や下準備などで、イベントにはかなり時間と体力が奪われる。
こんなことよりもまずは、家の片づけと、まず生活安定のための糧を得るための活動をすべきではないのか。
はっきり言って、フリマにせよフォークソングにせよ、それで飯が食えることなんてありえないのだから。
ただ今はこう思う。自分の人生は何につけても悔いばかり常に残り結果として、「失敗」の苦い味を噛みしめる。
が、何であれ先送り、先延ばしにして、先ずは自らの生活を安定させてから、このゴミ屋敷が片づいてからだ、とひたすら家にこもり自分のことだけに向き合っていたら、おそらくもうそれだけで、時間切れとなるだろう。
たぶんどんなイベントにせよCD製作にせよ、何一つできないまま関係者も自らも死んでしまい、すべては未遂に終わるのではないか。愚図な我だから間違いない。
これがまだ30代、40代ならまだしも、我の周りは、我も含めて皆アラ還ならぬ、アラ古希、つまり70歳前後なのである。
昨年も親しくして頂いた友人知人二人突然亡くなった。どんなことでも、いつかそのうちとか、これが終わってからと、先延ばしや後回しにしている余裕はもはや誰にもないのである。
ヒトは必ず死ぬ。どんな結果結末になろうと、ともかく生きているうちに、何ができるか、何をすべきか、だと気がついた。
そう、自分はいったい何がしたいのか、自分に何ができるのか。すべてに終わりが来る前に。
一昨年から続いていた、我の家の内外での混乱、トラブルは、昨年ピークに達した。
以前も書いたが、我が家の家電製品のほとんどが壊れて使えなくなり、パソコンは、モニター画面を交換してからは、まだ問題なく使えてはいるが、エアコンにはじまり、テレビ、電子レンジ、宅電の他家中のほぼすべての家電が壊れてしまった。
おまけに猫が原因だと思うが、室内での漏水騒動で、請求された水道代が20万円ちかくとなって、分割払いとなり今年ようやく二回目の四万弱を先日何とか支払ったところだ。
そこに山梨からもウチにわざわざ固定資産税を督促に来る。嗚呼!!
唯一の収入元であったAmazonマーケットプレイスでの古本稼業も、購買者とのトラブルがあってから休止したままで、無収入なのに金は湯水のように出ていく。そこに次々税金や介護保険などの督促の請求が届く。ただ頭を抱えた。
そんなこんなで以前は定期的に、かけこみ亭で催していたコンサートの企画も時間的にも経済的にも、何より精神的余裕がなくなりもう断念するしかなかった。
まずは、生活再建、人生をきちんとさせてからだ。きちんと定収を得ることからだ。その思いは今も変わらない。
そうした窮状に、心配して友人たちから支援カンパが届き、親たちの遺してくれた預金を取り崩したうえで何とかこれまで凌いでいる。
改めてそのお志に深く感謝するしかない。ほんとうに助かっている。
また何人かの友からは、我の収入方法として、今住むこの家を担保のようなカタチにして、月々収入を得ることを勧められた。我の死後、この家は明け渡す:契約として。
また、山梨の倉庫のような古民家でも生活はできるのだから、そちらに拠点を移して、この家は売るなり貸すなりすれば良いという声も。
いろいろご心配かけて本当に有難く思う。我もあれこれの良い悩み検討いたした。
が、現時点では、ともかくもう少しこの家で、まず片づけを進めながら収入を得る道を模索したいと思ってる。
ともかく溜まりに溜まった古本、レコード類だけでなく、猫たちも含めて抱えているモノが多すぎて、まずそれを処分していかないことにはまさに身動きとれないのだ。
そんな状況の中、亡き母の知り合いで、市内あちこちに家作を持っておられる高齢の方から、今は空家となっている寮の食堂ホールを使って、何かフリマでもやらないかね、という話があった。
そこは名門スピーカーメーカー、フォステックスの元社員寮だった建物で、三階建てでかなりデカく、食堂も広い。が、かれこれもう20年?以上そこは空家状態となっていた。
正直、当初は気乗りが進まず話半分に聞いていたが、ふと、フリマはともかくもそこに空いてる広いスペースがあり、自由に使えるのならば、ライブイベント、フォークコンサートもできるではないか、と気がついた。
フリマは、あくまでも客寄せとして、コンサートを定期的に続けていけば、やがては、春一番で知り合った友が、三重県河芸の漁師小屋で、(今も?)毎年夏に続けている『ええかげん祭り』のように、多くのプロシンガーも登場する音楽イベントを地元でやれるかもしれない。
夢は広がった。で、地元でアマチュアミュージシャンたちに声かけて毎月野外で無料フォークコンサートを続けている方に相談したら、それは良いことだとご協力の快諾も得た。
で、まず昨年10月に、大慌てで第1回目の、そのフリマ&フォークコンサートを開催したのだ。
準備期間が短く、宣伝も市内に住む知人たちに声かけたりチラシを撒く程度しかできなかったが、初回としてはまあまあ人は集まった。旧い友もかけつけてくれて急遽手伝ってくれて大いに助かった。
で、二か月先として、12月に二回目をやったのだが、何故か客どころか歌い手自体も我が声かけた方以外には、ほぼ誰も来ない。客も初回より少なく、いや、数えるほどしか来なくてコンサートは大失敗に終わった。
ただフリマ自体は、一回目のときよりはまとめ買いの方が来てくれたので売り上げは良く、経費自体はまあ補填はできたが。
自分はいったい何をやっているのだろう? これからいったいどうすれば良いのか。この年末年始、咳の発作に苦しみながらベッドであれこれ考えた。
友人に金を融資してもらい、ライブ用のかなり大きい本格的なヤマハ製のスピーカーとPAのセットも二回目に向けて購入しホールにセットしたのに。宝の持ち腐れとはこのことだ。
そして改めてまた考えたのは、こんなことをやる余裕が自分にあるのか、ということだ。経済的な事はともかく、当日だけでなく宣伝や下準備などで、イベントにはかなり時間と体力が奪われる。
こんなことよりもまずは、家の片づけと、まず生活安定のための糧を得るための活動をすべきではないのか。
はっきり言って、フリマにせよフォークソングにせよ、それで飯が食えることなんてありえないのだから。
ただ今はこう思う。自分の人生は何につけても悔いばかり常に残り結果として、「失敗」の苦い味を噛みしめる。
が、何であれ先送り、先延ばしにして、先ずは自らの生活を安定させてから、このゴミ屋敷が片づいてからだ、とひたすら家にこもり自分のことだけに向き合っていたら、おそらくもうそれだけで、時間切れとなるだろう。
たぶんどんなイベントにせよCD製作にせよ、何一つできないまま関係者も自らも死んでしまい、すべては未遂に終わるのではないか。愚図な我だから間違いない。
これがまだ30代、40代ならまだしも、我の周りは、我も含めて皆アラ還ならぬ、アラ古希、つまり70歳前後なのである。
昨年も親しくして頂いた友人知人二人突然亡くなった。どんなことでも、いつかそのうちとか、これが終わってからと、先延ばしや後回しにしている余裕はもはや誰にもないのである。
ヒトは必ず死ぬ。どんな結果結末になろうと、ともかく生きているうちに、何ができるか、何をすべきか、だと気がついた。
そう、自分はいったい何がしたいのか、自分に何ができるのか。すべてに終わりが来る前に。
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