あ~暑かった!2013年08月11日 21時54分20秒

★記録的猛暑日は過ぎた!?

 このところ例年夏は暑いものだし、記録的猛暑にも慣れたはずだったが、さすがに38度にはまいった。四国のどこそこでは40度を超したときくが、人はそんな環境で生きていけるのだろうか。

 マス坊の住まいは、東京でも西のはずれ奥多摩の入口で、住宅街とはいえ都心に比べれば緑は多い。しかもこの家は狭い庭にケヤキやイチョウの高木が聳えおそらく他所の家より樹が多いだけ木陰もあるし涼しいはずだ。しかし、7日の立秋から始まった8月の猛暑、予報通り10日土曜日から翌日にかけてがピークであった。

 拙宅の玄関先に湿度計付温度計がかかっている。昨日10日の日中は拙宅観測史上初の39度を示していた。それが夕方のときでも下がらない。気象庁発表の東京の温度よりじっさいの外気温は高かったことになる。
 もうそうなると、部屋は冷房の温度を一番低く設定してもちっとも涼しくならない。じんわり汗ばむ30度ぐらいのままなのである。さすがに困惑した。深夜になってようやく室内は29度に下がってきて犬のブラ彦と絨毯の上で浅い眠りをとった。他の冷房のない部屋は熱気でサウナ風呂状態で数分いても汗が噴き出た。
 そして今朝がまた朝から暑かった。夜になっても気温は全く下がらず朝の気温が30度を超していてちっとも下がっていない。朝になっても犬たち外へ出せず、庭先で用便させてすぐにまた室内に入れさせるしかなかった。都心で一日の気温が30度以下に下がらなかったのは観測史上初めてだという。

 ただ、幸いなことに今日は午後から曇ってきてゴロゴロ雷も鳴ったので夕立がありそうだった。じっさい近隣の府中市では豪雨が降ったというのに、マス坊の町では音だけで雨はなく、雨で涼しくなるかとの期待は裏切られた。しかし、夕刻の温度は31度で、夜には30度を切ったのでようやく犬たちも散歩に行けた。

 これでひとまず記録的猛暑高温のピークは過ぎたと思える。しかしまだ8月半ばにもなっていない。9月になってもまた異常に暑い日がある可能性も高い。そして今年は済んだとしても年々暑さのピーク、最高気温は更新されていくのだろうから今後はさらに殺人的猛暑日は増していく。もう電力を費やす応急処置的な冷房機器に頼ることは願わくばしたくない。
 これ以上暑くなると都心でなくとももはや大都市圏には住めないのではないか。夏のあいだの避暑とかそんな優雅かつ姑息な対策ではなく、自分も将来的には居をもっと涼しい地方かもっと山麓に移そうかと考えた。

夏を乗り切るだけで命からがら2013年08月12日 22時40分29秒

★雷雨がありいくぶん涼しい合間に アクセスランキング192位

 高知県四万十市では国内最高気温の41度が観測されたときく。これを機に四万十ではなく四十一度市に市名変更したらどうかとは悪いネットジョークであるが、笑って歓迎すべき事態ではあるまい。気温41度とは大変な高温であろう。

 亡き祖母は常々暑い日には、「昔から体温を超すと人死にが出る」とこぼしていたことをこのところよく思い出す。確かに人の体温が36度だとすれば、38度、39度とはインフルエンザなどで高熱が出て水枕などで慌てて冷やさないと人体、つまり命に危険な段階なのである。扇風機程度では対処できるだろうか。
 そんな体温より高い環境に身をおけばどうなってしまうか誰だって考えなくたってわかる。幸い今は冷房という文明の利器がどの家庭にも備わっているから電力代はかかろうともそれでこの猛暑酷暑を乗り切れる。
 ウチでは外気温が30度を超した段階で窓はすべて締め切ってカーテンを下し冷房のスイッチを入れて野外の犬たちは全員室内に連れ込む。そして陽が落ちいくぶんは涼しくなるまで老親たちは昼寝させたりして息を潜めてこの暑さをやりすごす。もう今できることはそれだけしかない。

 今夏は、現時点で熱中症で搬送された人は既に4万人。梅雨明けからの死亡者は確認できただけで78人、この猛暑がぶり返してからだけでも10人だとニュースは報じていた。

 この猛暑はおそらく今後も来年先も続く。輸入原材料の高騰などでまたさらに電気代は上がるだろう。そして化石燃料に頼らないクリーンな発電としてまたもや原子力発電が世界的に注目されるかと推測する。
 この世界的異常気象も人類が、現代文明が引き起こしたものだとすれば、それを抑止していくのも人類の責任である。しかし、どれほど「安全性が確認された」としても原発の再稼働及び増設は地球規模の異常気象のさなかにまさに火中に栗を投げることになりはしないか。百年に一度、千年に一度、あるいは観測史上初の異常が多発するときあらゆる「想定」は意味など持たないのではないか。つまり誰も予測も想定もできないし人は安易に「安全」と想定してはならないのである。

 安全性が確認された、さあ、再稼働と口にするならば、まずは福島第一から海へとただ漏れし続ける汚染水が完全に停止し、本当に「収束」し終えてからだと自分は考える。
 それはそれ、これはこれ、未だフクシマの事故は解決してないけれど、日本の原発の技術は世界最高、絶対安全と諸外国に売り込むできる人の心理が全く理解できない。これを厚顔無恥、鉄面皮と言うのである。

何故に過去を未来へと語り継ぐ必要があるのか2013年08月13日 17時20分04秒

★人は生きていくのに「過去」なんて必要ないはずだが・・・
アクセスランキング: 186位 

 過ぎてしまった過去ではなく、「今」とこれからこそが大事なのだとつくづく思う。それは失敗ばかり繰り返した恥多き人生を送ってきた者だからこそそう思う。いや、それは誰にだって同じ事であろう。過ぎてしまったことはもう一度やり直せないならば良い思い出にできる過去はともかく、思い出したくもないような出来事は思い出すどころか語り継ぐ必要なんてない。忘れてしまえば「なかったことになる」。

 しかし、個人個人はともかく、民族や国家、人類総体としては絶対に忘れてはならない過去もあるしゆえに未来に語り継いでいかねばならない「過去」もある。

 それは西欧においてはナチズムというファシズムによって引き起こされた第二次世界大戦と呼ばれる戦禍であり、アジア地域においては、そのファシズムと同盟し呼応した日本が引き起こした大東亜戦争、のちに太平洋戦争とも呼ばれた大きな戦争である。

 それらを忘れ去り、過ぎた大昔のこと、なかったかのようにしてしまえばおそらくまた近い将来に同様の戦争は再び起きるだろう。その忌まわしい過去の「記憶」は侵略され辛い被害を受けた側ばかりではなく本来は侵略した側、つまり日本と日本人が他のどこよりも忘れずに代々語り継いで抱き続けねばならなかったはずだ。

 戦争とはある時期の歴史の必然であり、その是非は構成の歴史家の判断にゆだねるべきとか、戦争の勝者が敗者を裁くのはアンフェアであり戦争指導者は誰もが国家のことを思っていたといった論は理屈や心情には訴えてはきても戦争が起こした悲惨な「現実」には正しく向き合っていない。

 間もなく終戦記念日。あれから68年もの歳月が経つ。忘れてはならない過去、未来へ語り伝えるべき過去のことについて改めて考えてみたい。

無頼庵8月の映画塾のお知らせ2013年08月14日 17時20分32秒

★7回 映画塾「納涼!大ゾンビ映画塾」8月18日(日)15:30~無頼庵
※アクセスランキング: 146位

またまた直前のご案内になってしまって申しわけありません。
大いに盛り上がった前回「大ドラゴン映画塾」に続いて、今月はなんと「納涼!大ゾンビ映画塾」です!
殺人的な極暑(もはや日本は亜熱帯ですね)をみんなの大好きなゾンビ映画で吹き飛ばしましょう。
今回は「映画塾」のレギュラー参加者でライターのゾンビ大王・殿井君人さんをゲストに迎え、殿井さん制作の「大ゾンビ映像絵巻」(すでに伝説のイベントと化した「映画におけるゾンビの歴史と変遷」=ホラー&ダークファンタジー専門誌『ナイトランド』主催=で流れためくるめくゾンビ映像絵巻の「映画塾」特別編集版)を上映ししつつ、古今、和洋、大・小、傑・怪作を取り混ぜたゾンビ映画の歴史をナビゲートしてもらいます。ここでしか観られないレアなゾンビもたくさん登場!
「参加者のみなさんの突っ込み、応援大歓迎」と殿井大王。秘蔵のゾンビ映像の持ち込みも大歓迎です。
お盆休みの時期ではありますが、みなさんふるってご参加ください。たのしくてこわい濃厚な時間を約束します。
続く懇親会では素晴らしい映画グッズの数々がもれなく当たる大抽選会もあります。
(我こそは!の放出品がありましたらぜひお持ちください。みんなでしあわせを分けあいましょう)
恒例!三留特製カレーは今回はゾンビカレーです。どんなものになるのかは本人にもわかりません。こちらもご期待を!!


【第7回 映画塾「納涼!大ゾンビ映画塾」】

◆2013年8月18日(日) 15:00開場 15:30開演

◆参加費:¥1000(お茶菓子代) 

◆懇親会:¥1000 午後6時~ 
※懇親会のみの参加も大歓迎です。食べもの、お酒の持ち込みも大大歓迎です。

◆会場:古本音楽ハウス・ブックカフェ無頼庵

※会場までの地図が必要な方には即メールでお送りします。

◆参加申し込み・問い合わせ 無頼庵:マスダ 090-8175-8479

または三留、もしくは今回は殿井さん宛にご連絡ください。

みなさん、お誘い合わせの上ぜひいらしてください。
ふらりとご参加も大歓迎です。
―――――― 三留まゆみ

68年目の「終戦」の日に2013年08月15日 21時34分21秒

★過去の戦争は遠くへ、そしてまた新たな戦争が近づく ランキング183位

 人の一代は、約30年だと言われている。つまり生まれて約30年で子が出来、またその子が30年で子を作る。つまり60歳ともなれば孫がいて当然だという計算になる。そんなことは当たり前だと言われるだろうが。
 すると戦後68年ということは戦争を少しでも知っている世代、戦争体験者は今の若者たちの祖父母、もしくは曽祖父ということとなる。今の若い世代、一番多い30代前半の層の親たちは戦後生まれの団塊の世代に当たるわけだから、場合によっては彼らにはもう戦争を知る祖父母たちはいなくなっていることも多いだろう。

 自分のことを語れば、我が父は今88歳、大正末の生まれで、一兵卒として戦争に行った世代である。そして母は80代前半、終戦の時女学生だった。そして自分は長男で今50代半ばである。もし自分に子がいればおそらくそろそろ結婚してまた新たな次の世代を生む頃かと思う。が、残念なことに独身なので、次の世代はもうありえない。
 周りを見回すと早い人はもう孫ができたという話もちらほら聞く。確実に早や三代、命の営みは未来へと受け継がれていく。

 終戦の年から68年だとすると、かろうじて戦争の記憶がある人でももはや70歳をとうに過ぎた老人たちである。まして戦争に兵士として参加した者は我が父のように八十代半ば以降のはずだ。ということは生きている者などごく僅かであろう。女性の平均寿命は長いが男は八十歳そこらなのだから。

 明治は遠くになりにけり、という俳句がひところ人口に膾炙したが、日清や日露の戦争でなくとも、親たちが体験した戦争でさえもずいぶん遠くになったものだなあと深い感慨がわく。つまりそれだけ戦争体験者がいなくなったからこそ、今改憲がとりざたされ、実質的武力行使、つまり日本が侵略されない段階でも戦争を可能とする集団的自衛権の行使がとりざたされる時代となったのだと嘆息するのである。

 今の政治家たち、のみならずマスコミも含め日本を動かしている者たちはまずほとんどが戦争の記憶すらない世代である。彼らの父が母が戦禍の犠牲になった者ならばともかく、その親世代すらも戦争を知らない戦後世代であれば、戦争なんて映画やテレビドラマ、そして漫画やゲームの世界の話であろう。

 韓国や中国が日本の領海を侵犯し、尖閣や竹島など日本の領土を勝手に占有しようとしている。ならばそこに軍事的衝突も辞さない覚悟で、戦闘行為も含む強硬手段に出れば良いという論もある。また、愚かな三代目を首領様に担ぐ無法国家もアジアの平和と安定に大きな脅威である。彼らが核ミサイル打ち上げる妄動に出る前に先制攻撃し大量破壊兵器は事前に破壊尽くさねばならない。

 しかし、そうした武力に頼る解決策を自分は支持しない。断固反対する。何故ならば大なり小なり戦闘行為は、当事者双方に死者を生み勝っても負けてもまた新たな禍根や遺恨を残していくからだ。

 私ごとを言えば、母方の父、つまり祖父とその家、母が生まれ育った都内北区にあった実家は、祖父もろとも米軍機の空襲、1トン爆弾で破壊され、祖父は瀕死の重傷を負った。女学生だった母や妹、弟たちと母の母、つまり祖母は親戚を頼り栃木県佐野市に疎開していたから難を逃れた。しかし、彼らの戦後は無一文での焼け跡からのスタートであったし、戦後の苦難はうんざりするほど聞かされて自分は育った。
 また、父は徴兵で大陸へ一兵卒として駆り出され、命からがら運よく復員できた。しかし中国で彼は何をしたのかそれは今もほとんど語ることはない。語ることなく認知症が進んでしまった。
 そして父の親戚、甥っ子は長崎の原爆で命を落としている。

 戦争とはプロの兵士たちによるアクション映画のようなスリリングだがカッコ良いバトルだと今の人は考えるだろう。自分とは関係のない別世界の話だと。じっさいはこうして民間人、それも身内の者たちが瀕死の極限的状況に置かれることなのである。
 たとえそれがごく限定された地域での戦闘で終わったとしても、国家と国家、民族と民族との戦いである限り、様々なトラブルが多発する。仮に中国、韓国を例にとれば、現地の在留邦人や日本企業も多大な被害を受ける。日本国内の中華系の人たち、コリアンタウン、中華学校、朝鮮学校の生徒たちも襲われたり迫害を受けるだろう。
 また、戦争が起きたときは、いや、戦争に向かうには国内ではまず言論統制が当然起こる。国家の安全確保、機密保持のため反体制活動家や反戦主義者はマークされ非国民、要注意人物と目され逮捕拘禁されていく。徴兵、徴用に応じない者は、自民党石破氏曰く「軍事法廷で死刑」なのである。
 
 自分は母や父から戦争とはどんなものか、戦時下とはどんな有様か子供の時からくどいほど聞かされて育った。軍隊の中でなくともその時代は全てが統制され全体主義におおわれ個人の自由なんてないに等しかった。それは日本が負けたからではない。戦争そのもの、戦争をする時代の風潮が個人の自由や尊厳なんてものは許さないのである。だから戦争を体験した世代は戦争はうんざりだ、戦争は絶対懲り懲りだと誰もが口にするのである。
 それがかつて日本が歩んだ道なのだ。その道を再び繰り返してよいものか。

 だが今、戦後68年も経つと、そんな戦争の時代の国民的記憶も薄れてきて、国際情勢も不穏、米国の要請にそって日本も同盟国として対等なパートナーとして、そろそろじっさいの戦闘に参加できるようにしないと国際貢献ではないとまで言いだしそのために足枷となる憲法を変えようという話になるのである。

 自衛隊ではこれまで訓練や作業中の事故で死亡した者は1830名に上るとのことだが、戦闘行為で死んだ者、戦争の犠牲者はただの一人もいない。また、逆に日本が戦闘で他国の人を殺した数もゼロなのである。それが戦後68年であり、平和ボケ日本と揶揄されようともそのことは世界に堂々と誇るべきことではないのか。
 日本はあの大戦後、その反省に立ち誰も殺しはしないし、誰にも殺されなかった。そんな「奇跡」が続いたのは日本国憲法があったからだ。憲法の制約があったから日本は再び戦争への道へと戻れなかったのである。

 戦争とはどんなものなのか、戦時下とはどんな状態か、体験した者、知る者は語り継がねばならない。そしてそれを記録し国民的記憶にしていかねばならない。再びあの戦禍の時代に戻さないために。

私の夏は明日も続く・・・2013年08月16日 23時10分40秒

★アクセスランキング: 145位

 慌ただしく終戦記念日が終わると、8月も残り半ば。それまでは広島、長崎の原爆忌があり、迎える15日は、毎年真夏のメインイベントといった感がある。
 そして帰省ラッシュのお盆休みも終わると海はもはやクラゲが出たり土用波が高く、海水浴や観光地も人出は減り子供たちは宿題に追われていく。終戦記念日の後の半月、そんな8月後半は毎度のことながら野球で言えば消化試合のような、何か目的を欠いたような虚無感がある。ただ暑いだけでそこには何ももう意味も価値もないような・・・。
 
 だが、自分はそんな今からの夏が好きだ。毎年恒例の真夏のセレモニー、お盆休みと戦争犠牲者を悼む一連の行事が過ぎればあとはただ暑さに身を投げ出し怠惰にもぼうっと来るべき秋の気配を待つだけとなる。そうこうしているうちに何回か夕立が続き、一雨ごとに気温は下がり、陽も短くなって気がつくと季節は秋へ変わっている。そんな古い映画のような色褪せていく夏が好きだ。

 終戦の日の喧噪、靖国神社をめぐる騒動や安倍首相の演説などについて思うところ大で掘り下げて書きたいことも多々ある。が、実は今日、老犬たちの体調が悪くなったので様子見もかねて落ち着いてブログに向かえない。このところずっと注意はしていたのだが、さすがにいつまでも続く猛暑についにバテて来たようなのだ。今日も気温は真夏日というほど高くはないが、湿度が高く、鈍くずっしりとボディブローのようにじわじわ堪える暑さである。

 頭の中では、石川セリが物憂げに歌う「八月の濡れた砂」が鳴り響いている。そう、自分にとっての夏はこれから、25日のサマークリスマスが待っているのだ。自分にとっての過ぎた時代を追悼するのはその日なのである。

明日は「映画塾」ホラー映画大会、そして来週はサマークリスマス!2013年08月17日 17時06分41秒

★アクセスランキング: 147位

 今日はいくぶん涼しい。風もあり湿度が低くからっとしていたからだ。それでも日中は多摩の田舎でも33度。いっときの体温より高い異常な暑さではないが、長引く連日の猛暑にさすがに疲れが溜まってきている。
 皆さん大丈夫ですか。ここが踏ん張りどころだと、ここを乗り切ればと汗まみれで自らを叱咤激励している。

 さて、8月も残すは二週間。18日、25日と二週連続して無頼庵ではイベントが企画されている。
 明日は、月一恒例の「三留まゆみの映画塾」。さすがに回を重ねて常連客も増えて多くが親しく馴染み客となったこともあり、ホスト側としては非常に運営が楽になってきた。

 場所を整え、料理などを提供するだけで、あとは来られた皆さんで好き勝手に手配してほぼ片づけまでもやってくれる。適切な喩えではないが、昔中坊の頃に、夏の林間学校で行かされた埼玉県長瀞少年の家でのサマーキャンプを思い出す。要するに使う者が自主的に運営してもらうという形式だ。

 まあ、オレがやっていることはもとより商売ではないし、これを商売にしてはならないとも考えることなので、そうした来られた皆さんが勝手にやって頂ければそれはそれで構わないし、いや、それこそ望ましい。
 よく自宅でイベントやっている人や長年手がけたコンサートを主催する者で、ここは自分ちだとか、コンサートはオレのものという意識を振りかざす輩が多々いるが、そうなっては絶対ならぬと自戒するところだ。
 土地でも家でも本来自分のものではない。モノだって本当はそうだ。生きている間、その一時借りているにすぎない。この世の全てがそう。ただそれが生産性を生むから「所有」が生まれそこから「利潤」や「搾取」が発生してくる。オレはそれを否定したい。

 まっ、話は長くなる。ともかくこちとらは場を提供する。そしてそれぞれ来られた方がそこを利用してうまく使って何か精神的生産を発してほしいと望む。新しい意識でも知的活動でもいい。自分の目で耳で確かめ、自らの頭で考えつかみとることだ。

 故林美雄さんは自らの放送の中で、ずっとそのことを語り続けていた。上から与えられた情報をうのみにしてはならない。まずは自らが動いて足を運び確かめること、そして自らもまた情報の発信者にならなくてはならないのである。

 実はそれこそが人が生きるということなのである。

映画塾画像2013年08月18日 11時28分32秒

★今回も大盛況でした。

人はいかに死すべきか2013年08月18日 22時19分45秒

★山口富士男の死にかこつけて思うことなど  ランキング・156位

 相変わらずうんざりするほど暑い。
 今日は三留まゆみ映画塾で、夏季休暇中でもあり、帰省したりしている人もいるのでさほど人は来ないと三留は言ってたが、ふたを開けてみればしっかり16人。けっこう新規の参加者もいて、予想はしていたが、この企画、常に外れはない。満足できた。今終えてほっとしている。ただ、こう暑いともはや冷房が効かず、最低限度にセットしても部屋は熱い参加者の映画熱で、コミケ会場のように暑いままなのだ。冷たい飲み物がいくら補充してもたちどころに消えた。

 今その来客を送ってこれを記す。16人でもう十分なのである。かつてウチにもオープニングのとき30人ぐらい入れた記憶もあるが、そうなると収拾つかないし、座る場所もなくなる。ただ人がいっぱいであたふたがたがたしているうちにイベントは終わってしまう。
 何回か、拙宅でイベントをやって見えてきたことは一つの部屋で皆で集まるにはせいぜい15人ぐらいで十分なのである。それを越すと、どんなイベントや集まりでも気が分散して場がいくつかに拡散してしまう。濃い一つに集中した、双方向の人間関係を共に築くには15名ぐらいが限度だと見えてきた。それ以上はもう一つ場に人は統合できない。

 まあともかくこうして常にコンスタントに15名前後の人たちが来てくれるのだから、この企画は成功したし、ホスト側としては満足である。気になるのはどこまで広く新たな参加者が増えるかであり、今日などは所要で来れない人の分を常に新規の参加者で埋めていっているのだから理想的だと思える。あまりいつも常連客だけで満席というのは有り難くも手放しで喜べる事態ではないし、かといって一度来てくれた方が二度と来ないのでは情けない。基本、入れ替わり立ち変わり人がコンスタントに一定してきてくれるのが一番望ましい。今はこの映画塾、それができている。主人公三留まゆみの人徳なのであろう。さすが自主映画一筋30有余年である。

 さて、本題、山口富士男である。けっこう新聞やネットで三面記事の下にときに顔写真入りで訃報が報じられて、ちょっと意外な気がした。故人には申し訳ないが、そんな有名人でニュースになる人なの?って感じである。じっさい、今の人たちにとってその名を訊いたって、誰それ?ではないのか。

 でも俺にとっては、マーク・ボランやレノンに匹敵するカリスマ的な人物であり、驚きはしないが、その死に、死に方にまた複雑な思いがある。この数日じっさい彼のことばかりずっと考えている。死んでも仕方ないと思う反面、何でかなー、何もこんな死に方でなくてもという思いにずっと苛まれている。それは中島らものときにも思った気持ちだ。

 一言でいえば、ジャンキー的うっかり死というべきか。健康な普通の人ならば、それでウカツにも死ぬなんてありえない死に方のことを言ってる。いや、オレもその仲間だからそう強く感じるのかもしれない。

 実はわたくし今ヘロヘロべろべろ、きょうのお客様の接待で、料理は作って出したが自らは基本ほとんど昼から何も食べず、呑みまくって泥酔状態である。この山口富士男のことも素面では書けなかった。書きたくても躊躇していた。でも今酔っているからうっかり書き始めてしまった。
 泣きはしない。人の死にいつも思うのは、何でだ!っという憤るような気持ちだけだ。そんなつまらないくだらない死に方するなよ、である。まったくもー。でもそれもまた人生の幕引き、末路なのかという諦めのような気持ちもある。

 本当に最後の伝説の男が死んだ。もうあの時代を生きた、カリスマたる伝説の人はいないのではないか。今まで生きていたこと自体が不思議な気持ちさえ今思う。自分にとって浅川マキと並ぶ最後のカリスマであったのだと今気がついた。
 彼のことはもう一回素面で書いておきたい。

続・人はいかに死すべきか2013年08月19日 09時40分38秒

★人はことさらに命縮めることなかれ アクセスランキング: 174位

 伝説のバンド、村八分のギタリストである。しかし当然ながら自分はリアルタイムで彼らを観ていない。
 よく、はっぴいえんどと並び称され、黎明期の「日本語によるロック」で語られることは多いが、前者が常にメジャーシーン、解散後もメンバー全員が日本のポップシーンで活躍したのに対して村八は常にマイナーであり陽と陰、光と影の陰であった。
 ビートルズとストーンズに近い関係でもあったが、ストーンズは独自の立ち位置を深め確固たる地位を築けたが、残念ながら彼らは伝説だけを残してけっきょくこれで「自然消滅」してしまったことになる。ある意味、それこそがほんものの「ロック」、その精神に殉じたと思える。


  富士男の死も新聞報道によるかぎり、福生の駅前でタクシー待ちをしているとき、米兵と口論になり突き飛ばされ頭をうって意識不明になって結局回復しなかったと記されている。ということは彼もこの近所、福生界隈に住んでいたのか。
 実はつい先日、その友人Dと国立で呑んだときも、山口富士男の話が出た。Dが過日観た、どこそこのライブにゲストで?出た富士男はギター弾いたもののもうヨレヨレぐずぐずの出来で「大丈夫か!?」と周囲を慌てさせたほど体調はかなり悪かったそうだ。その話をした矢先の死の知らせである。

 似たような死に方をしたのはあの中島らもである。階段から転げ落ち、頭を強く打ちけっきょくそのまま意識が戻らず死んでしまったのだ。
 思うに、若い時からドラッグやアルコールに長く深く親しむと、老いてきてつぶしがきかない。むろん歳とればだれもが体にガタがくる。しかし長年のアルコールやドラッグに浸かった人は血管が詰まる云々以前に特に命がか弱くなっているように思える。

 肉体と魂とをつなぐ見えない線が誰にでもある。若い時は頑健でちょっとやそっとでその線は切れることはまずない。事故にあっても生還率は高い。しかし老いてきて、しかも若い時からそうした無理を肉体に強いてきた人はその線がごく細くなっている。そして些細なことで線は簡単に切れてしまう。考えてみれば高田渡もその仲間であろうか。この死に方は倒れればそのまま意識が戻ることはない。

 自分は若い時はかなり無茶したが、幸いドラッグの類はやらなかった。福生という土地柄、高校の後輩には覚醒剤で逮捕されたやつもいたが、今どうしているだろうか。
 ドラッグというものはアルコールでさえも長く飲み続けると命を縮めていく。このところ出かけられないストレスでやや飲酒が進んでいた。告白すると昨日のようなイベントがあると料理作りながら手持無沙汰につい呑んでしまう。気がつくと焼酎のボトル、金宮がほぼ空になっている。一人で氷入れてついつい呑んでしまったのだ。

 一晩たち宿酔はしていないが、気分はひどく落ち込んでいる。これも過度の飲酒の仕業だ。まったく情けない。もう酒はやめたのではなかったのか。今深く反省気味である。

 今度また藤野に行ったとき、富士夫が若い時愛用していたというダイナミックギターを弾かせてもらおう。自分もまたうっかり迂闊に死ぬことのないよう願いながら。
山口富士男 合掌