新たな出会いと継承と2013年08月24日 21時38分45秒

★明日は無頼庵でのサマークリスマス あっ、ブッブー!
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 茨城県笠間市からまた「社員」を招いて、昨日今日と部屋の移動というか片づけをせっせっとやっていた。ほんの少しだが、「映画塾」のときより広くはなった。使っていないオーディオ機器や平積みにしておいたグラフ誌、ムックなどを別室に無理やり押し込んでスペースを作った。

 あとは明日もう一度掃除機かけて冷凍品など買出しに行き、昼頃から提供する料理をすぐ出せるよう予め仕込んでおくだけだ。進行に関しては特に何か凝ったことは全く考えていないし、誰が来ようと来まいともう何も思わないし何も考えていない。ともかく始めて粛々と進めていけば良い。

 別な見方をすれば毎度のこと、この自分の破綻ぶりを来られた皆さんにお見せして呆れられ顰蹙を買うだけだとも思うが、それもまたとことんバカ、愚か者としての生き方なのだから仕方あるまい。でも少しでも関心を持ってこうした「集い」に関わろと思う人が一人でもいれば、そしてそういう人が来てくれて一堂出会えればそれだけで良いのである。

 人生は出会いというかめぐり合いに過ぎない。すべては偶然で、ある人とあるとき出会い知り合い、関わり合いを持つことになる。それが長続きするときもあればバタッと切れてそれっきりになることもあるし、つかず離れず何十年も長続きする関係もまたある。人は人とどのようにして出会いどのようにどれだけ関われるのだろうか。

 1970年代というともはや大昔。自分がまだ本当に若かった頃、学校や家庭以外の世の中、外の社会を知ろうとし始めたとき、出会ったのはラジオであり、深夜放送だった。むろん、様々なDJはいっぱいいたし、レモンちゃん落合恵子のように憧れた女性や那智&チャコパックのよう夢中になって投稿に励んだ放送もあった。
  が、やはり一番心に深く残り多大な影響を受けたのはその金曜深夜、午前3時からの金曜二部のパックインミュージックであり、担当の林美雄アナウンサーであった。タレントでもないただの局アナがなぜにあんなに過激でとてつもなく偏向した放送を成しえたのか今でも不思議に思うが、彼から実に多くのことを学んだ。映画や音楽だけではなく生き方、考え方すらも。

 自分が今生きていてこうしてバカなことを性懲りもなくやっているのは実に林さんの放送、みどりぶたパックを聴いたからであり、もしあの頃彼と出会わなかったからいったいどんな人生を今過ごしていたかと思いもする。禁断の果実を食べなければずっと安泰な楽園にいられたかもしれないがそれは平穏でもごくごく退屈な刺激のない毎日だったのではないか。

 今は火宅の、それこそ日々の生活にも事欠くような半ば地獄の毎日だが、それでもやりたいことや書きたいこと、観たいもの、聴きたいものが今も一杯ある。それは全て林さんが放送の中で教えてくれたことが端を発している。
 荒井由実や山崎ハコ、ゴジら、もう今は自分にとってどうでも良い、関心外のものになってしまった人もいなくはないが、勇造さんや清志郎、頭脳警察などは今もって永遠に色褪せないだけでなくいつまでも常に新しく刺激的だ。

 原田芳雄や桑名が死に、もうあの時代やあの頃を知る者も少なくなってきている今だからこそ、かつて若者たちが熱狂した深夜放送の時代があり、その片隅に、いや極北に林美雄という特異なDJがいたことを語り継ぎたいと思う。それこそが自分のできることだと信じて。