夏を乗り切るだけで命からがら2013年08月12日 22時40分29秒

★雷雨がありいくぶん涼しい合間に アクセスランキング192位

 高知県四万十市では国内最高気温の41度が観測されたときく。これを機に四万十ではなく四十一度市に市名変更したらどうかとは悪いネットジョークであるが、笑って歓迎すべき事態ではあるまい。気温41度とは大変な高温であろう。

 亡き祖母は常々暑い日には、「昔から体温を超すと人死にが出る」とこぼしていたことをこのところよく思い出す。確かに人の体温が36度だとすれば、38度、39度とはインフルエンザなどで高熱が出て水枕などで慌てて冷やさないと人体、つまり命に危険な段階なのである。扇風機程度では対処できるだろうか。
 そんな体温より高い環境に身をおけばどうなってしまうか誰だって考えなくたってわかる。幸い今は冷房という文明の利器がどの家庭にも備わっているから電力代はかかろうともそれでこの猛暑酷暑を乗り切れる。
 ウチでは外気温が30度を超した段階で窓はすべて締め切ってカーテンを下し冷房のスイッチを入れて野外の犬たちは全員室内に連れ込む。そして陽が落ちいくぶんは涼しくなるまで老親たちは昼寝させたりして息を潜めてこの暑さをやりすごす。もう今できることはそれだけしかない。

 今夏は、現時点で熱中症で搬送された人は既に4万人。梅雨明けからの死亡者は確認できただけで78人、この猛暑がぶり返してからだけでも10人だとニュースは報じていた。

 この猛暑はおそらく今後も来年先も続く。輸入原材料の高騰などでまたさらに電気代は上がるだろう。そして化石燃料に頼らないクリーンな発電としてまたもや原子力発電が世界的に注目されるかと推測する。
 この世界的異常気象も人類が、現代文明が引き起こしたものだとすれば、それを抑止していくのも人類の責任である。しかし、どれほど「安全性が確認された」としても原発の再稼働及び増設は地球規模の異常気象のさなかにまさに火中に栗を投げることになりはしないか。百年に一度、千年に一度、あるいは観測史上初の異常が多発するときあらゆる「想定」は意味など持たないのではないか。つまり誰も予測も想定もできないし人は安易に「安全」と想定してはならないのである。

 安全性が確認された、さあ、再稼働と口にするならば、まずは福島第一から海へとただ漏れし続ける汚染水が完全に停止し、本当に「収束」し終えてからだと自分は考える。
 それはそれ、これはこれ、未だフクシマの事故は解決してないけれど、日本の原発の技術は世界最高、絶対安全と諸外国に売り込むできる人の心理が全く理解できない。これを厚顔無恥、鉄面皮と言うのである。