何故に過去を未来へと語り継ぐ必要があるのか2013年08月13日 17時20分04秒

★人は生きていくのに「過去」なんて必要ないはずだが・・・
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 過ぎてしまった過去ではなく、「今」とこれからこそが大事なのだとつくづく思う。それは失敗ばかり繰り返した恥多き人生を送ってきた者だからこそそう思う。いや、それは誰にだって同じ事であろう。過ぎてしまったことはもう一度やり直せないならば良い思い出にできる過去はともかく、思い出したくもないような出来事は思い出すどころか語り継ぐ必要なんてない。忘れてしまえば「なかったことになる」。

 しかし、個人個人はともかく、民族や国家、人類総体としては絶対に忘れてはならない過去もあるしゆえに未来に語り継いでいかねばならない「過去」もある。

 それは西欧においてはナチズムというファシズムによって引き起こされた第二次世界大戦と呼ばれる戦禍であり、アジア地域においては、そのファシズムと同盟し呼応した日本が引き起こした大東亜戦争、のちに太平洋戦争とも呼ばれた大きな戦争である。

 それらを忘れ去り、過ぎた大昔のこと、なかったかのようにしてしまえばおそらくまた近い将来に同様の戦争は再び起きるだろう。その忌まわしい過去の「記憶」は侵略され辛い被害を受けた側ばかりではなく本来は侵略した側、つまり日本と日本人が他のどこよりも忘れずに代々語り継いで抱き続けねばならなかったはずだ。

 戦争とはある時期の歴史の必然であり、その是非は構成の歴史家の判断にゆだねるべきとか、戦争の勝者が敗者を裁くのはアンフェアであり戦争指導者は誰もが国家のことを思っていたといった論は理屈や心情には訴えてはきても戦争が起こした悲惨な「現実」には正しく向き合っていない。

 間もなく終戦記念日。あれから68年もの歳月が経つ。忘れてはならない過去、未来へ語り伝えるべき過去のことについて改めて考えてみたい。

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