「猫の日」に思う ― 2022年02月22日 21時39分24秒
★ますむらひろしの猫たちに教わったことから
今日は、2月22日、数字の並びがニャンニャンということで、知らなかったが、「猫の日」なのだそうだ。しかも今年は、2022年なので、スーパー猫の日なんだと。
BSなどでは、猫番組の特番やってたり、どうやらあちこちで、猫で盛り上がってるらしい。
ウチにも今数十匹の猫たちがいるが、彼らはそんな恩恵はまったくなく、貰い手がなく家に残って狭い室内に閉じ込められてストレスいっぱいで大騒ぎしている。
さておき、先日買った童話本専門誌『moe』誌でも猫作家たちの一大特集をやっていて、画家、イラストレターだけでなく敬愛する大島弓子先生もとうぜん『綿の国星』などで取り上げられていたが、なぜか、猫マンガと言えば、ますむらひろしのはずなのに、彼はなぜか欠落していた。ヒデヨシがかわいそうではないか。
今日では、擬人化した猫たちが活躍する活劇ファンタジー漫画家としてコアなファンを抱く、ますむら・ひろしであるが(いつの間にか表記に中黒・が入っていた)、我がそもそも知る、月刊漫画誌「ガロ」でデビューしたときは、猫たちは、今よりはるかに極めてリアルに描かれ、顔の毛の1本まで綿密に細かく描きこまれた細密画的特異な世界の作家であった。
ストーリーなど特になく、猫たちが作者の思いを淡々とただ語るというような随筆のような漫画でともかく斬新で我はすぐに魅せられた。
そのデビュー作ではなかったと思うが、ある回では、一人の猫がぽつんと他の猫に呟く。今、手元にその号が出てこないので、正確ではないと思うが、こう言うのである。
「ビートルズを聞いたとき、自分は、9時から5時まで働くような大人にならないと決めたんだ」と。
まだ社会に出てないどころか中学生だったか、高校生だった我は、その言葉に驚きひどく魅かれて、そうか、会社員などにならない生き方、ライフスタイルもあるのか、ならばそうしようと決意した。
むろんその他にも、かつての「宝島」誌(植草甚一責任編集と銘打ってた)や晶文社の「就職しないで生きるには」シリーズとか、様々な自由な生き方、働き方を教唆する本と出合ったことも大きく影響していると思う。
が、今の自分、まっとうな勤め人、会社員などにはならず、つまり生涯フリーランス的な生き方を選んだ、カタギではない生き方のきっかけは、そのますむらひろしの猫漫画のそのコマの一言によるところが大きいような気がする。
ただそれだけのことだが、じっさいの猫との出会いで、救われた人とか人生が変わったとかいう心温まる話はよく聞くが、我は、本物の猫には、ただ手を焼き振り回され、ケガや手術などで次々と出費がかさみ本当に頭痛い。
猫の日だから書くが、この数年で、キジ子としんのすけという二匹の猫の病院代だけで百万円以上消えてしまった。※命はかけがえがないものだからその金が惜しいとは思わないが、カードの引き落としの前日など金の工面であれこれ悩むときなど、なんでこんなことが我に起こるのか!!とつい天を仰いでしまう。
猫の恩返しというようなことは当然ながら何もなく、どんなに世話しても逆に引っかかれたり嚙まれたりして、良いことは一つもない。そう、我は猫より犬のほうがはるかに好きだ。大きな声で叫びたい。
が、自分の生き方を決めるきっかけになったのは、やはりその漫画の中の猫の一言であるわけで、思うに、リアルに描かれた猫だからこそ言葉が我に届いたのだと気づく。
我がうんと幼児のとき、本当の赤ん坊のときの写真にも傍らに猫が写っていた。好むと好まざるとは関係なく、たぶん我は猫とは一生縁が切れないのだと思う。
ブックカフェは断念して猫カフェでも始めるか。
今日は、2月22日、数字の並びがニャンニャンということで、知らなかったが、「猫の日」なのだそうだ。しかも今年は、2022年なので、スーパー猫の日なんだと。
BSなどでは、猫番組の特番やってたり、どうやらあちこちで、猫で盛り上がってるらしい。
ウチにも今数十匹の猫たちがいるが、彼らはそんな恩恵はまったくなく、貰い手がなく家に残って狭い室内に閉じ込められてストレスいっぱいで大騒ぎしている。
さておき、先日買った童話本専門誌『moe』誌でも猫作家たちの一大特集をやっていて、画家、イラストレターだけでなく敬愛する大島弓子先生もとうぜん『綿の国星』などで取り上げられていたが、なぜか、猫マンガと言えば、ますむらひろしのはずなのに、彼はなぜか欠落していた。ヒデヨシがかわいそうではないか。
今日では、擬人化した猫たちが活躍する活劇ファンタジー漫画家としてコアなファンを抱く、ますむら・ひろしであるが(いつの間にか表記に中黒・が入っていた)、我がそもそも知る、月刊漫画誌「ガロ」でデビューしたときは、猫たちは、今よりはるかに極めてリアルに描かれ、顔の毛の1本まで綿密に細かく描きこまれた細密画的特異な世界の作家であった。
ストーリーなど特になく、猫たちが作者の思いを淡々とただ語るというような随筆のような漫画でともかく斬新で我はすぐに魅せられた。
そのデビュー作ではなかったと思うが、ある回では、一人の猫がぽつんと他の猫に呟く。今、手元にその号が出てこないので、正確ではないと思うが、こう言うのである。
「ビートルズを聞いたとき、自分は、9時から5時まで働くような大人にならないと決めたんだ」と。
まだ社会に出てないどころか中学生だったか、高校生だった我は、その言葉に驚きひどく魅かれて、そうか、会社員などにならない生き方、ライフスタイルもあるのか、ならばそうしようと決意した。
むろんその他にも、かつての「宝島」誌(植草甚一責任編集と銘打ってた)や晶文社の「就職しないで生きるには」シリーズとか、様々な自由な生き方、働き方を教唆する本と出合ったことも大きく影響していると思う。
が、今の自分、まっとうな勤め人、会社員などにはならず、つまり生涯フリーランス的な生き方を選んだ、カタギではない生き方のきっかけは、そのますむらひろしの猫漫画のそのコマの一言によるところが大きいような気がする。
ただそれだけのことだが、じっさいの猫との出会いで、救われた人とか人生が変わったとかいう心温まる話はよく聞くが、我は、本物の猫には、ただ手を焼き振り回され、ケガや手術などで次々と出費がかさみ本当に頭痛い。
猫の日だから書くが、この数年で、キジ子としんのすけという二匹の猫の病院代だけで百万円以上消えてしまった。※命はかけがえがないものだからその金が惜しいとは思わないが、カードの引き落としの前日など金の工面であれこれ悩むときなど、なんでこんなことが我に起こるのか!!とつい天を仰いでしまう。
猫の恩返しというようなことは当然ながら何もなく、どんなに世話しても逆に引っかかれたり嚙まれたりして、良いことは一つもない。そう、我は猫より犬のほうがはるかに好きだ。大きな声で叫びたい。
が、自分の生き方を決めるきっかけになったのは、やはりその漫画の中の猫の一言であるわけで、思うに、リアルに描かれた猫だからこそ言葉が我に届いたのだと気づく。
我がうんと幼児のとき、本当の赤ん坊のときの写真にも傍らに猫が写っていた。好むと好まざるとは関係なく、たぶん我は猫とは一生縁が切れないのだと思う。
ブックカフェは断念して猫カフェでも始めるか。
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