続・「無頼庵」の今後について思う2014年05月22日 05時04分24秒

★もとよりここは「商売」でやっていないのだから・・・ アクセスランキング: 141位

 書いたものを読み手がどう読み、どうとらえるかはその人の自由であるけれど、書いた側の真意、表の文章の裏に流れる伏流水のようなものはなかなか伝わらないものなのだと今更だが思う。いや、それは単に書き手である自分の力不足、書き方が下手だからで、故滝口氏の口癖をお借りすれば「暗澹たる思い」にやや囚われている。あんなこと書かねば良かったのか。

 つい先日のブログ、シバのライブの後に、ウチ無頼庵の今後について自分が今やや悩み迷っていることを愚痴話的に書いてしまった。そうしたらウチで企画・出演されている方が読まれて、マスダにずいぶん迷惑をかけていることを初めて知った、なので無頼庵で予定する企画を取り下げ撤退したいというお申し出があった。
 そうじゃないんだよなー、伝わってねーなー全く。ウチで何かをやることは当然ツライとか大変だとかは確かにある。が、問題はグズで基本ダメの人間である自分が一人では対応できなくなってきていることが「問題」なのであって、辛いからやめたくて迷っていると書いたつもりはなかった。
 イベントはこれからも続けていきたいし続けていくことを前提として、そうした難しい状況をどう打破、解決するか思案中だと経過報告的に書いたと思っていた。

 見回せばもとよりどこも皆一人でもしこしこ続けている。それも商売として苦しく通年営業でもやれている。自分の場合、自宅で月一程度でもどうしてそれがうまくできないのかというと、要するに処理能力が足りないことと規模が大きすぎるからだと言えようか。
 つまり仮に4~5人程度の催し、集いならば対応も含めて出す料理などは家庭料理の続きで事足りる。それは十分できる自信がある。しかしそれが20名近く、まして昨年のクリスマスライブのように断続的に参加者が来て総勢30名にも及ぶとなると当然来客一人一人に細かい対応はできなくなる。いろいろ不備、失敗が続出する。
 料理がいきわたらないだけでなく、そこにライブもあり、進行役の仕事もあり、企画から運営、接待、調理、提供、記録まで全て一人ではできないことは見るまでもない。しかし、せっかくお招きした方に、人手不足だからは、言い訳にならないし、商売としてやっていなくてもせっかく来られた方をに不快な思いをさせて帰らせてはならないはずだ。

 だが、人手不足からもはや規模が大きくなるほど万全の対応はできなくなっている現実、それが問題で、どうしたらよいだろうかと書いた。本意としては一人で全部きちんとやりたいのである。が、自らのことや日常生活だってきちんとできないこの人間にそんな超人的処理能力があるはずがない。
 真意としては、読者の方の中からもしかしたら誰か奇特な方がスタッフとして「お手伝い」を名乗り出てくれることを期待したし(先だって書いた古民家片づけ隊には参加希望者が有難くも二人いた)、何か妙案が寄せられないかとも思っていた。また、自分の場合、書くことが=考えることなのだから書いている最中に「答え」も見えてくる。だから書いた。が、こちらの真意は伝わらない反応だけが帰ってきた。

 で、結論である。

 どんなイベントであっても自分がやりたい、やる価値があると思うイベントはこれからもいくらでも続けていく。※が、マスダの対応、関わり方は個々に異なることは了承頂きたい。

 持ち込み企画のようなものに対しては、事前に基本的会場設営はしておくが、後はその企画関係者たちで当日の設営と運営、進行はやって頂く。調理の提供など「実費」でマスダが担当する。※映画塾はこうして近く再開の予定。

 音楽ライブなどのイベントは、規模の大小にかかわらず、お手伝いのボランティアスタッフを事前に募集する。報酬は支払えないが、イベントの参加費と飲食は無償として。また下準備にしっかり時間を十分にかけて当日パニックに陥らないよう心しておく。

 それと基本的に、ご来場者にお願いしたいことは、各自が皆それぞれ自主的に自己責任の範囲で何をやってもかまわないということだ。こちらは基本的に場の提供側だと心して、「商売」ではないのだから利用者が好き勝手にまさに「無頼」に自由に使ってほしい。そのほうがこちらは楽なのだ。
 逆に全部マスダが万全にやらねばならないという状況になってしまうと、無理と限界が生じ心身経済全てに過重な負担がかかり無頼庵は早晩つぶれてしまう。もし利用者、参加希望者がこれからもここの存続を望むならば望み続けてほしい企画に関しては主体的に関わってもらえると有難いしぜひそれを期待する。

 繰り返すが、自分としては今後も様々なイベント企画を続けていきたいし願わくば自己負担を軽くしてしかも来られた方々が満足して帰られる状況がうまく作れないかと夢想する。そもそもここは商売ではやっていないし、やりたいことは商売になることではない。儲けを度外視した上で来られた方それぞれが皆満足いく場はどうかうまく作れないものか。商売」ならばきちんとした代金を頂く代わりにきちんとしたサービスを提供しなくてはならない。かといって商売でないからといって失態不備があって参加者の不満を当然としてはならない。人としてきちんとすべき点、守らねばならないことはどこでもいつでも必ず存在する。多くの「運動」の失敗はそこにあるのである。

 様々な生活難を抱えるこの身であるが、無頼庵は商売でないからこそできることがあると信ずるし続けていかねばならないと思っている。まあ、それも誰も来なくなれば自然消滅となろうがまだ役目はあると信ずる。我マスダはその負担は厭わない。

 何であれ誰であれ、来る者は拒まず、去る者は追わない。子供じゃないんだから長くも生きてきたのだから自己責任の言葉を噛みしめて考えながらともかく動いていく。