京都行は断念、願わくば北海道へ2015年04月04日 23時36分02秒

西立川の残堀川河畔の桜並木
★少しだけ先のことが見えてきた。               アクセスランキング: 位

 今日は一日どんよりとした曇り空。このところの汗ばむほどの陽気に慣れた身にはうすら寒い。ザーと一雨降るかと怖れたが幸い雨には降られなかった。
 公園や学校、川端の桜は今日が満開。この土日が見納めであろう。個人的には老親連れて、西立川の残堀川沿いの桜並木に出掛けてきた。来年もまた彼ら連れて再びここに来られることを願って。

 さて、いくつかの懸案のことに少しだけ動きがあった。いや、実際に動き出したのではなく、ようやく我が自ら内側で方向性が定まった。何をどう動かしていくか、我は何をすべきか、どう動くか今後の方向、進むべき道が決まった。
 今までは人間関係からどうしたら良いものか、待つだけで身動きとれず何も決められなかったが、ようやく案もまとまり方向も気持ちも決まった。後はそのシナリオに沿い調整しつつ進んでいけば目的の場所にたどり着く。つまり完成となる。
 列車に喩えれば、今までは行き先はあってもいつ出発するのか、乗務員も乗客も定まらずいつまでもただホームに停車していたわけだ。が、点検を終えてこれからいよいよ出発進行となる。列車は動きだせば後は一路目的地へとひた走る。転覆や急停車など事故さえ起こさなければと祈り願うだけだ。

 今日、4日は、昨年12月に亡くなられた笠木透さん追悼のライブイベントが、岐阜であったはずだ。昔の我ならば、万難を排してもそのライブに出向いたかと思うが、お誘いを受けて迷いもしたが諦めた。
 また、この11、12の土日には、京都拾得で、故藤村直樹さん追悼のやはり大きなフォークコンサートがある。詩の師匠、有馬敲さんも出られるとのことで、彼からも来るよう呼ばれているのだが、たぶん断念することとなりそうだ。
 先にもチラシを拙ブログに載せたが、故人縁あるすごいメンバーが勢ぞろいし記念ライブとしてフォーク史に残るものとなると思いぜひ参加したいと願い行く計画もしていた。が、もう直前である。
 じっさいのところ、有馬さんともまだ相談中で、高速バスとかとれて交通費を安く浮かせられるなら久々の春の京都旅行へとまだ心動かされている。今、京都で遊興中の両国の眺花亭主人とも向こうで会う口約束してしまったほどだ。

 が、金も時間も今はないこともだが、懸案のことの先行きが見えも進みもしていない現状で、また新たなことに関わること、結果として手を広げることはすべきではないと思えてきた。
 行けば何日かは時間がとられる。そしてその行為の責任をとり後片付けも報告もしなくてはならない。またそこで体力と気力、そして時間と金が奪われる。強行軍ともなろうから無事戻っても一週間は寝込むかもしれない。
 楽しみ以前に行けば得るところは大きいと信ずるし、有馬さんとの関わりにおいても役割はあるはずなのだが、今はいろんな意味で余裕がない。今の自分には、新たに何かを広げることよりも、これまでしてきたことを整理し減らすこと、断つことのほうが最優先ではないのかと内面の声は言っている。その声に耳を傾けると春の京都の誘惑も萎える。

 楽しみや喜びは優先すべきではない。まず辛いことや苦しいことでもなすべきことを終え、終わらなくとも軌道に乗せてから褒美としてそれらはあるのではないか。
 つまり刈り入れを終えない限り、次の種は蒔けないということだ。次から次へと種を蒔いても誰も刈り取ってくれないし、自分だって忙しくて収穫できない。ならばこそまずは、狭い自分の田畑をきちんと管理しこれまで蒔いた種を手入れしきちんと収穫して蔵に収めねばならない。
 そのうえで、また新たな種まきをすべきであろう。

 と、書きつつも実は、初夏の北海道浦河というところへ、その地に住むまたもう一人別の「師匠」を訪ねることもモウソウしている。そのモーソーを現実にするためにも懸案のことをともかく終わらせなくてはならないのだ。