死んでいく者の身勝手、呆ける者の身勝手、介護する者の身勝手と。2016年08月26日 21時52分54秒

★この期に及んでそれぞれが身勝手をぶつけ合う地獄

 いったい今日一日で何度泣いたことか。もう最後の最後に来ているのに、いまだ家族それぞれがエゴをぶつけ合い大声張り上げている。ほんと情けない。記すも恥ずかしい。

 このところ朝の散歩のつど、祈るのは、もう全てを神に委ね、我は何も考えず何も思わず粛々と日々やることだけやっていけたらということだ。さすればもう何も心配もしないし不安に襲われることはない。心静かにいられるはずだ。

 が、現実は、一日の中でも怖れと不安そして失望、はたまた安堵と希望が寄せては返す波のように心の中でせめぎ合う。手が震えるほどの強い不安、絶望的恐怖に囚われることもあるし、少しでも良い兆しがあるときはやはり神様ははからってくれているという深い喜びと落ち着きに包まれることもある。
 
 母の残された日々は医師の見立てでは後一か月もないというのに、今日は、母と父と我三人で、また大声を張り上げてそれぞれの身勝手さをぶつけ合った。つくづく業だと思う。
 どうしてもっとお互いをいたわり合い、助け合い気遣い、やさしく心静かにすごせないのであろうか。最後の最後まで和解てきず、それぞれが自分勝手なことを言い張っている。
 つくづく情けなく、憤りのあまり感極まって、我は怒り爆発して泣いてしまった。そこに溜まりに溜まったストレスもあるのだと今気づく。

 びろうな話で申し訳ないがあるがままに書く。母のウンコの話である。

 妹が九州から来て帰った日から、何故か母の便は止まってしまい、一昼夜以上出ないので困惑した。何度も書いたが、腸管のバイパス手術後は、下痢、軟便が日に多い時は5回も7回も食後や昼夜を問わず突発的に出るのである。
 それでは当人もオムツ交換する側もおちおち安心して深く眠れないし、まず母自身が食べても消化吸収できず栄養失調で足からむくみ始めてしまった。そして今それが腹部や両手まで及んでいる。
 ただ、このところはやや回数は減少気味で、せいぜい一日3回程度に落ち着いていた。それなら痔も痛くないし、介護する側もさほどの手間ではない。夜中、明け方に便が出たと母のチャイムで起こされたとしても二度寝もできていた。

 それが夜中も一度も出ない日があって、喜んだのも束の間、とうとう24時間以上止まってしまった。となるとまたイリウス、腸閉塞の疑いも出てくる。
 じっさい、そうなってきたら便が溜まり、母は毎食時のときに、ただでえ少ない食べる量が、口をつけた途端、お腹やら胃が痛い痛いと騒ぎ出し、ろくに食べなくなってしまった。
 医師たちの話では、下痢はもう仕方ないが、また腸閉塞を起こすと危険だとのことで、出ないより出たほうが良いと言われていたので、ともかく下痢でもかまわないので、出てくれるよう母の腹をマッサージすることしかできなかった。

 幸い便は、こちらの願いが通じたのか、昨日の昼食後にドバっと大量に出てほっとした。が、今度はまた以前のように、以後かなりユルイ便が数時間おきに多発してしまい、その都度オムツを交換し陰部をお湯で流し拭いて綺麗にしてもまた同じことの繰り返しで、出ないより出た方が嬉しいとしてもややうんざりしてきた。
 が、そんなことで家族は諍いは起きない。

 今回の退院後、ほぼ寝たきりとなってさらに衰弱してきた母だが、それでも意識はまだしっかりしてやや体調が良い時はベッドの中からあれこれ口うるさい。やれ、何々をしろとか、あれはどうしたとか自分は一切動けないこともあり、こちらに指示する。むろんそれに我は従うわけだが、俺は母専用に買われてきた黒人奴隷じゃないんだぞとさすがにむっとするときもある。
 元々母は温和温厚な人で、いつもにこやかで優しい人だと思っていたのだが、それは健康な余裕ある時のことで、こうして病み衰え動けない状態となると、かなりワガママな剣呑な本性の部分が見えて来た。我もそうだが、B型的我がまま、他者に気遣いのない自分勝手さである。

 今の我の唯一の楽しみと気晴らしは、犬の散歩と近くのスーパーまでの買い物だけなのだが、それすらも不安だから行ったとしても早く帰って来てくれと自由を束縛してくる。いつ突発的下痢が起きるかわからない瀕死の今、それも仕方ないとしても、毎食時ごとにあれこれ工夫と苦労して母が食べそうな献立を作って出しても少しでも箸つけるならまだしもほとんど食べないことはままある。食べ始めたと思ったらすぐ、もう食べた食べた、お腹いっぱい、苦しい、ベッド倒して、と食事はあっという間に終わってしまう。作っても作っても残って冷蔵庫にも収まり切れない。一度出したものはすぐ飽きて二度は食べてくれない。手間暇かけて作って出す側としてはすごいストレスとなっていく。

 今は、母のベッドの上にわたす移動式テーブルで、父もそこに呼んで一緒とらせている。父は父で、誤嚥しないよう水気のある飲料、スープ類は全部トロミをつけなくてはならない。そして誤嚥しないよう監視もしないとならない。しかも常に父も食べたくないと必ず抗うのである。が、食べ始めればこちらが制止しないとパクパク早いスピードでしっかり全部食べられるのだ。

 テーブルが狭いこともあるが、我は料理を出し、彼らに食べさせるだけで、一緒に食事はこのところした記憶がない。たいてい缶ビールか何か飲みながら傍らで給仕して、終えたらすぐに残ったものを片付けつつ残飯を口に運んで食事にしている。
 ときに、母が食べ終わったとたんに便が出、すぐに取り替えて、早く早くと騒げば、我は朝も昼もきちんと食事しないときもままあるのである。さすがにオムツ交換した後に、さあ、では飯食うかという気分になれるはずもない。

 今日は、母の便が再開し、何度もオムツを替えた後に、夕方近く、我は近くのパン屋に行こうとしたら、母は行くな、ちょっと待てと言うので、キレてしまった。そのパン屋でサンドイッチなど調理パンを買っておけば、我の食事づくりは一回は楽になる。また、かねてより馴染みの店で、向うもウチの親たちのことを心配して気遣ってくれていたのだ。
 ところが、母自身があまり食べたくなかったのだろう。もっと遅く店の閉まる頃に行けと指示する。
 我としては、犬の散歩もあるし、その前に買い物とかの用事済ませたら、晩飯の支度までの間、ほんの一時間でも仮眠したかったのである。※今日は朝まだ暗いうちから起きて、眠っている母の様子を確認してから、喪服とか探すために階の納戸へ続く部屋隅のガラクタを動かす作業していたのだ。昼まで洗濯にも追われた。もう疲れてフラフラで頭痛がしていた。
 そこに父は父で、夜眠れないから、睡眠薬出してくれ、探したけどないので買いに行く、頼む、連れてってくれと騒ぎ出した。このままではワシは睡眠不足で死んでしまう、といういつものパターンである。薬がないなら、安いワインを買いたいと言い出す。※昨日も夕方から昼寝しているのを夕食時に起こしたら、しばらく朝だか夜だか父はわからないほど爆睡しているのである。
 しかしそんな風に薬やアルコールを認知症の当人に与えたら結果は見えている。また意識朦朧としてふらつき転んで骨折することは間違いない。絶対にそれはダメだと諭してもきく耳もたず、睡眠不足でワシが死んだら困るだろうとまた勝手なことを言い収まらない。

 母のわがままな言いもあってついに我は切れた。死に臨む老人たちに対して怒るのもバカらしい。しかし、堪忍袋の緒が切れたというように、溜まっていたストレスが一気に噴き出した。
 俺は自分の事は百%放棄して、家の事、親たちのことに奉仕している。食事から下の世話、家のことも全て一人で全部やっている。なのにさらに彼らは我に勝手なことを求めてくる。死にたいのは、死んでしまうのはこちらなのである。もう情けなくて、今の今さら母が余命一か月を切った我が家なのに何でこんなふうに皆身勝手なのだろうか。涙が止まらなかった。

 そしてふと気がついた。人間とは最後の最後までこうした身勝手、自分勝手なものなのだ。
 死ぬ者、死んでいくのもその人の身勝手、自分勝手な事情であり、呆けるのもまた同じ。さらに言えば、我がこうして親たちの介護していることだってそれもまた我のワガママ、身勝手さであり、自分勝手にやっているだけのことなのである。別に彼らに懇願されたわけでもないしそもそも子だからいってそうせねばならない義務はない。我自身、親孝行したいとか、人としてすべきことだと思ってやっているのではない。
 そう、これもまた勝手な自己陶酔的ヒーロー願望であり、大変だ大変だ、辛い辛いとあちこちに書き、周りに同情を買うよう愚痴をこぼしながら好きでやっているのである。
 ならばなんと人は最後の時まで、最後に及んでも自分勝手でも仕方ないではないか。皆、誰もが自分の都合、自分の気持ち、自分のことしか考えない。健康で心身に余裕あれば他者の状況も思いやったり忖度することもあろう。
 しかし、こうした末期の時、死に臨んでいるからこそ、それぞれ皆がたとえ親子であろうとも自分の都合しか考えていない。息子がどれほど介護に大変か思い至らない。子も死に行く者たちの苦しみ痛みがわからない。でも仕方ないのである。そうしたものが人間なのだ。この身勝手な我も含めて。人は皆自分のことしか考えない。

 絶望したか? いや、だからこそそこに我が身を捨てて磔刑に遭い、裏切った弟子たちのみならず、全ての人を赦した人のことを思った。
 二千年も前にそうした人が説いた、何よりも大切な「愛」という教えを今さらながら思い描いている。そこに救いがある。