どこまで続くぬかるみぞ2017年12月05日 23時19分26秒

★明日ケアマネと父のことを相談する

 今日は、父をショートステイに送り出したあと、どっと疲れが出てひたすら眠って夕方近くに起きた。といっても洗濯もの干したり庭先の落葉を掃いたり、明け方からやるべきことは済ませてからだが。
 昨日のブログを書いてアップした後も、何か下の部屋で物音がするので気になって降りたら、父のベッドはもぬけのカラである。
 既にパジャマに着替えさせ、お漏らししないよう紙パンツのパットも何重にもセットもしベッドに入れて、布団かけて、おやすみなさいと言葉を交わして電気も消し寝かしつけたはずなのに、だ。

 外へ出たのか!と慌てて玄関を見たが、靴とかはそのままで戸に鍵もかかっている。ならば、と家の中を探したら、台所の横の廊下、猫たちが出入りする、少しだけ隙間を開けてある窓のところで、父はごそごそ何やらしていた。
 訊けば、猫の戸が開いているか、猫が入って来れるか確認しに起きたのだと言う。我が家は、基本、猫は放し飼いにしているので、24時間猫が出入りできるよう、その窓は猫一匹分の隙間が空いている。それをいちいち閉めたりしたことはない。何でそれを心配しにやっと寝かしつけたのにまた起きだしたのか。
 また、これは徘徊が始まったのか、と怒髪天突き、嫌がる父を抱きかかえてまたベッドに連れて行き、布団かけて、もう起きだしても父の自室から出られないようドアに鍵もかけて、我は不安と怒り心頭、自分のベッドに入ったもののコーフンしてなかなか寝付けなかった。
 ベッド上の大便騒動もだが、寝かしつけた後も徘徊まで始まれば、息子一人では深夜も不眠不休で様子見せねばならず、とても体力が持たない。
 じっさい、このところずっと 風邪気味で、喉も痛く微熱もあるのだが、辛くても父が家にいればおちおち昼寝もできやしない。風邪薬でも吞んで、二三日安静にしていれば快癒するかと思うが、我一人ではとてもその余裕がない。
 けっきょく、今朝起こしたらまたもや父のベッド上は、紙パンツからあふれ出た小便の世界地図で、糞便のシーツや毛布に加えてまたさらにシーツやパジャマを朝から洗うことになった。
 このところ、父が家にいるとき、我家で一晩過ごし寝て起きた後は、必ずベッドには大失禁で、洗濯に追われてさすがにうんざりしている。

 介護のコツとして、父のちんちん、つまり男性器自体を小さめのパッドでくるめば、吸収力が増す、外には漏れないと、介護の現場で働いている我が妹から教わった。それで、今は、紙パンツの中に、まず一晩5回以上用と記してある巨大な吸収パッドも入れ、さらにちんちんをそうして紙パッドでさらに巻いている。
 最初は、それで何とか外に漏れださずに収まっていた。が、彼が寝かしつけた後も起きだしたり、何度も寝がえりうったりすると、その巻いたパッドが外れるのか、またシーツはぐっしょり世界地図となる。
 けっきょく、昨晩もまた起きだして室内で徘徊したため、巻いたパッドも元の木阿弥、またもやベッドで壮大なお漏らしとなった。じっさい、朝起こして紙パンツ類を交換してやると、ものすごい量の小便がパッド、紙パンツに吸収されている。5キロぐらいあるかと思う。
 父は、日中ももう自らトイレで排便の習慣はなくなってしまい、基本的に昼夜終日履かせている紙パンツの中に大小便は垂れ流しなのだが、それでも昼間は意識あるせいか、それほど漏れてはいない。
 それが眠ってしまうと、昼寝でも同じく下のバルブが全開となるらしく、小便の蛇口は開け放しとなって、これほど大量に小便は出るのかと驚くほどの量が垂れ流しとなる。
 我思うに、どれほど何重にパッドを入れようが、その漏れ出る小便の量が多すぎて、紙パンツ類では吸収は不可能なのではないのか。
 紙パンツ式ではなく、紙オムツに変えて、まずそれで中に紙パッドを入れて、さらにその上にカバーとして紙パンツをさらに履かせて、三重、四重にしたらどうかと考えている。実際昨晩はそうしてオムツの上に、紙パンツを穿かせて寝かしつけた。がそれからまた起きだして徘徊してしまったため、その策は失敗に終わった。

 いずれにせよ、もうあと何年もないのである。新年が来れば、昔で言う、数えでなら父は95歳になる。百歳近いのだ。長く生きてせいぜい1~2年かと思う。死ぬときは意外にあっという間に、あっけなく死ぬものだと母のときの経験からわかっている。
 が、我一人で、毎朝毎晩、洗濯とシーツ交換、ベッドのセッティングに追われているとさすがに心が倦み疲れてくる。もうすぐそこに終わりがあるのはわかってはいても、いいかげんにしてくれと思う。
 ベッド上での大小便の垂れ流しに加えて、徘徊症状も出れば、そろそろ潮時かとも思う。我自身がもう限界に近づいて来た。が、どのようにして父を施設に入れるか、当人をどう理解させ納得させるか、ケアマネとも相談するが、あと少しの辛抱だとも思う反面、昔の軍歌の一節、どこまで続く泥濘ぞ、という気持ちでいる。