ヨボヨボの爺さんの行くところ、帰るところ2018年07月06日 18時30分24秒

★父はどこに帰りたいのか


 僕がヨボヨボの
  じいさんになったならば
  僕は君をつれ
  この街を出るんだ
    
 きっと待ってるさ
  ふるさとの 山や河が
  生まれ 育った
  あの土の におい

  僕たちが ゆくところ
  僕たちの 住むところ
 ふるさとの あの丘さ
  あの雲の下さ

 ――とは、このところ疎遠になってはいるが、おそらく今も山口県でお元気で活躍されているかと思う、我がずっと敬愛している優れたシンガー・中塚正人さんの名曲『風景』の歌詞である。
 この曲が作られ唄われた頃は、まだ二十代の若者だったはずだが、彼ももはや六十代後半になられるはずで、よぼよぼのじいさんになっていないとしてもある意味、「うた」が現実に追いついてきたと複雑な思いで唄い聴かれることが多くなってきたかもしれない。

 さておき、そんなよぼよほの爺さんや婆さんが行くところ、住むところはいったいどこであろうか。歌の世界の中では、理想として、生まれ育ったふるさとの山や河がイメージされている。
 が、現実の問題としては、よぼよぼの爺さんになってしまったらば、当然、要支援、要介護となり介護保険や福祉の世話にならねばならぬ。
 ただ、そういう状態になっても、人にはどこか、今ここではない、別の場所があって、そこを求め続けているようにも思える。

 我が父は、このところ家にいると、夕刻どき晩飯前に昼寝でもさせると、起こすと寝ぼけて、「帰る」と言い出す。「今日は帰る日じゃなかった?」と我に問うこともよくある。自宅の自室で短時間眠った後のことである。
 今週は、わけあって、父は水曜から今日金曜までずっと家にいた。明日の朝土曜日、またショートステイに送り出し、来週は途中一晩だけ家に戻るもののまた木曜夜までずっと施設に行ってもらう予定でいる。
 そしてこのところ、そうして父が家にいて、我が犬の散歩や買い物などの所用で家を空ける時は、父は裏の自室に入れて鍵かけて閉じ込めておくようにしている。
 実は、先日のこと、水曜の夕方父が帰って来てから、着替えさせ水分摂らせてから自室のベッドで昼寝させて、我は夕方の犬たちの散歩にのんびり出かけた。

 先にも記したかと思うが、今、ウチには、この春?産まれた二匹の子猫がいて、基本二階に餌場もトイレも置いて、未だ外へは勝手に出ないよう部屋飼いしている。あの前回の失踪の轍を踏み、まだ猫ドアから自由に外に出ないよう厳重監視の状態にして犬たちに見張ってもらっている。
 いや、正確には、老犬が始終家の中、居間の四畳半に横たわっているので、猫たちはその犬の前を通らねば外には出られない。
 大人の猫たちは、旧知の犬だから怖れずに出入りしているけれど、子猫はまだ犬を知らないので、その巨体を前に母猫の後をついて外へはまだ行けてないのである。ほとんど日がな一日眠ってばかりの甲斐犬だが、これもまた一つの抑止力となっている。

 で、金曜の夕方のこと、ショートステイから戻った父に留守を頼んで、我は老犬は部屋に残して、まずは若い雌犬ベルコとやや長めの散歩に出かけた。父にはくれぐれも絶対に玄関を開けないよう、開けておくと子猫が外に出てしまうから、と、きつく言いつけて頼んで出た。
 ウチは二階への階段は玄関の上がり框にあり、玄関が開いていれば子猫たちは老犬の前を通って猫ドアを使わずとも二階から階段を下ってすぐさま外に出られる構造なのである。
 ところが帰ったら、玄関の引き戸が10㎝ほどしっかり開け放してある。電気も煌々と付けっ放し。父は四畳半の居間でうつらうつらしていた。

 慌てて二階に駆け上がり、猫たちを確認したら幸いそのときは母猫もいたので、親が監視していたせいか、子猫たちは階段を下りることなく親子三匹二階の踊り場に勢ぞろいしていた。ほっと安堵した。
 そして父に、何故あれだけ言ったのに、玄関を開け放したのか‼と問いただすと、その黒親子ではない、前からウチにいる灰色の猫が、このところ帰ってこないので、その猫が入れるよう開けておいた、と言う。

 大人猫たちは台所脇の猫ドアからいつも自分で出たり入ったりしているし、そこはいつも開いているのだから、玄関からは入ってこない、危うく子猫たちがそこから外に出てまた去年の子たちみたいに失踪するところだったじゃないかと叱っても、帰らない猫のために開けておいた、といって恬としてまったく反省ない。
 ぼけ爺さんは、あれだけきつく玄関は開けるなと言いつけておいたのに一時間もしないのに失念してしまったのである。いや、猫ドアがあることすらも忘れてしまったのだ。ついまた我は激高してしまった。

 以後、もはやいくら父にきつく言いつけ、約束させたとしても絶対に記憶が続かないから無駄だと確信したので、短時間でも父を家に残して我が外出するときは、玄関か父の部屋に鍵かけて、父が外に出られないよう、あるいは戸を開け放すことのないよう「仕掛け」しておくことに決めた。
 ただ、玄関の鍵は元から調子が悪く、外からうまく施錠できないので、戸に錠前を外からつけてロックキーをつけたのに、先日父が馬鹿力で、内側から開けようとしてその錠前を壊してしまったので、今玄関はうまく鍵がかけられない。
 で、今日は、我が夕方の本の発送のとき、一時間で戻るから部屋にいてと頼み、父をベッドある自室に閉じ込めて鍵かけて出かけた。

 用事を済ませて夕方戻り、晩飯の支度を、と思っていたら、裏の部屋の閉まったドアを父がまた力まかせに開けようと騒いでいる。
 開けてくれーと戸をドンドン叩きまくりともかく騒がしい。晩飯の支度中だからもう少ししたら開けるから大人しく待ってろ、諭しても聞かず、挙句に、「今日は帰る日じゃないのか」「帰る~、帰りたい!」と騒いでいる。

 いったいどこへ帰るのか、ここは自分の家だろうと言っても、ここはNというデイサービスだとか、Mといういつも泊まる施設だとか言って、我家だとわからないようだ。
 ではなんでそこに職員ではなく息子がいるのか?施設はこんな汚く乱雑なのか?と訊き返してもきょとんとして、ここがどこかワシはわからないと言う。鍵開けて、居間に連れ出しても、ここが自分の家だとわからないようだ。
 さすがに呆れ果て、ともかくもう少し眠るなり頭冷やせ!と怒鳴りつけてまた裏の部屋に入れて鍵かけたら、さすがに騒がなくなった。
 それから30分位して、鍵開けて父を呼び居間に連れてきたらやっと正気に戻ったらしく、ここはどこか、いまは何月何日で朝か夜か、いまとごにいるのかと確認したら時間はかかったけれど混乱なくここは自分の家に決まってるじゃないか、とまっとうな返答があってほっとした。

 当人はさっきは寝ぼけていたから、勘違いしたとか言い繕っていたが、前にも何度かこうした「帰りたい、帰らせてくれ~」という自宅にいながら、「帰宅願望」を口にしたこともあり、おそらくこのままだと、うっかり目を離すと、勝手に一人で、「帰ってしまう」かもしれないと確信した。
 友人の父で、もう先年亡くなられたが、やはりアルツハイマー型の認知症を患っていて、最後は家で手に負えなくなり病院施設に入れたと聞いたが、その人もやはりこうした自宅にいながら「帰宅願望」を常に口にしていたことを思い出した。

 そこの老いた父も妻や子を前に晩飯を食べていて、食べ終わると、突然ごちそうさまでした、と言ったか知らないが、家族に、では これで失礼しますと頭下げて、玄関に行き、どこかへ帰ろうとするのだそうだ。
 その誰もが帰る先は、かつて長年住んだ昔ながらの故郷なのかもしれない。
 我が父も今住むこの地に来る前の、我が生まれた高円寺の家のことを口にしていた事もあった。彼の呆けた頭の中には、半世紀も前の住み慣れた、父の父母たちが健在だった頃の懐かしい昔の家の様子がはっきり残っているのかもしれない。
 そう考えると少し悲しく哀れにも思えなくもない。

 ただ、だからといって勝手に帰られたらそれは大変なことで、事件となってしまう。世間では徘徊とそれを呼び、もう自力では絶対に戻れず、やがては市内に流れる野外放送で「行方不明の方のお知らせ」されてしまうのである。
 父には申し訳ないが、やはり家にいるとき、我が出かけなくてはならないときは、鍵かけて閉じ込めておくしかないと思う。人間の尊厳!?それ以前に、一人で外に出たらよぼよぼフラフラなのだから、転倒してそれっきりとなることだろう。
 帰る場所が「帰天」ならば、また帰るというのもわからなくはないが、それだって自分勝手に帰られては家族は困るのである。

 よぼよぼの爺さんや婆さんたちは皆いったいどこへ帰りたいと願うのか。我もそんな歳になったとき、どこかへ帰りたいと騒ぐのであろうか。
 ともかくここではないどこかへ。そんな場所があるだけ彼らは幸福なのかもしれない。

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