苦難の二日間を終えられ、ただただ感謝2020年03月02日 06時28分55秒

★月末29日のコンサートまで一時の安らぎを

 また雨の朝である。このところ我の帰宅時になると弱い雨が降り出す。今朝はまだそれが残っているが、日中は上がるだろう。
 暖かい朝だ。6時過ぎまで、三本脚の猫を傍らに泥のように深く眠った。

 我にとってほぼ初の体験ともいえる、二日間の連続ライブ「出演」は、自分の出来はともかく、心配していた観客も来られて無事に終えられた。
 終えて今ただ深く安堵している。あらためてこの場で、観客、演者、場の提供者、関わって頂いたすべての皆様にただただ感謝いたしたい。
 疲れ果てたがともかく終えられたのだ。コンサートは成立したのだ。これでやっと自分のこと、家のことに向き合うことができる。

 私事だが実は、このところまたウチの犬猫たちが体調悪く、胃液を吐いたり、ほとんど何も食べられていないで痩せてきた。どうしたものか気にかかっていたが、動物病院に連れて行く時間もなく、落ち着いて世話することもできなかった。
 一匹は、先にもいちど診察をあおいだ老猫で、もう一匹は、唯一我家に今いる犬のベルコである。もうこの二週間以上、何が原因なのか、どこが悪いのかほとんど何も食べてくれない。老猫もほぼ同様の状況である。
 我の多忙はともかくこれでいったん終わったわけで、今日はまず犬から順次近所の、昔から懇意にしている動物病院に連れて行く。三本脚となった猫のキジ子が世話になった大型動物病院は支払いもまだ残っているので、何か行きづらい。

 たかが動物なのである。何を騒ぐと嗤う方もいよう。が、我には大事な家族なのだ。
 動物など飼っていると、いや、家族として共に生活していると、次から次へケガや病気ばかり起きて、その都度心痛め対応に追われて気が休まらない。ともかく世話も面倒で手ばかりかかる。
 が、彼らがいなかったら、我の家族は父だけなので、その父はもう余命いくばくもないのだから、家族としての動物たちがいなくなれば我は真に天涯孤独となってしまう。
 人は一人で生まれ一人で死ぬ者だとわかってはいるし、じっさい皆多くの人がそうして生きているわけだが、一人だからこそ、我には動物でも「家族」がいないと生きていけやしない。ほんとうに一人ぼっちになってしまえば、それでも大丈夫だと思えるほど強くはない。

 人は犬猫に限らず誰かに求められ、それに応えて生きている。求められもせず求めない人生は、真に孤独であり、それは「絶望」と同義のように我は思える。
 どんなことであれ人、動物に限らず求められ、求め合って、それに応えていくことこそが、ニンゲンなのだと信ずる。
 だからこそ大事なことは「出会い」である。

 コンサートの企画など世のため人のためだなんて思わないけれど、ともかく歌い手同士、場の店主、観客も含めてヒトとヒトとの関係を、「出会い」として結び付けられれば、我の使命、役割は果たせたと言えるかと思う。
 そう、それは、我が大昔に吉祥寺の「ぐゎらん堂」で学び得たことであり、近年は亡きのみ亭で、そして今はかけこみ亭で得たもの全てだ。

 だが、近年「出会い」は、そんな風に直接どこかに出向かなくとも今はネットの中で、じっさいにカンタンにできるようである。SNS、フェイスブックなどを活用すれば、情報発信だけでなく、自分にマッチした「友達」を、そうした人たちの場をセットしてくれる。
 こちらがこんなニンゲンだと明かし情報をアップすれば、システムがおオススメのグループ、気の合いそうな仲間たちを教示してくれるし、見た人は向うから友達申請してくれる。そうして友達の数、フォロワー数っていうのか、まったくの市井の方でも何千人も持つ人もいるようだ。
 しかし、何か違う。それはやはり真のトモダチではない。いいね!の数の多寡が幸福の度合いでは全くないことは言うまでもない。

 誰が言ってたか、コンサート開演前に、出演者の一人が話していた・・・・ライブの告知をする。すると、いいね!という反応はたくさん返ってくる。が、実際の集客はそれとは関係ない。だから、100のいいね!よりも一人のお客、実際に来られた人の方が有難い、と。
 「100のいいね!より一人の観客」。巧いことを言うと思って記憶に残った。
 そうなのである。人が人になにかを求めそしてそれに応える、何か少しでもできる返せるということは、スマホやパソコンの中だけではなかなか難しい。むろん義援金のように「送金」することはできるし、アマゾンなどで注文して宅配にプレゼントとして何でも頼むこともできよう。
 が、やはり何よりも人は直に会って、共に同じ場を過ごし語らうことからこそ、また新たな何かが始まるのではないか。

 人は一人では絶対に生きていけない。もし無限に使える電池があって、インターネットの受信環境があって、スマホだけ渡されて無人島で暮らすことになったら、人は生きていけるだろうか。今の人はともかく、我は絶対に無理である。人恋しくて頭がおかしくなることだろう。

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