とりあえず、終わりに2024年02月26日 23時48分28秒

★あと1~2回書いてこのブログは終わりにします

 自分のどうでもいいことばかり書いて、ほとんど誰にも読まれていないと思う。※当ブログはアクセス数で、ランキングが出るのだが、じっさい日々低下し続けている。
 でも、経緯も含めてこうしたことを書かないと、このブログも終わりにできなかったわけで、自分のためにも書けて良かった、ほっとした気持ちで今いる。

 アタマのオカシイ、何一つきちんとできない、誰からも呆れ果てられ疎んぜられてしまった男が、それでも臆面なく生きてきた。
 その心の窓として、唯一、外界との繋がりであったこのここのブログ、今のようなカタチではもう書くべきではないと考えるし、これからも生きて生活し続けるためにも、別なところへ移行せねばならないことは確かだ。
 行き詰ってしまった人生を打開し、これからもあと少し天命のままもう少しだけ生きるためにも、存分に書きたいことを書き、やりたいこと、やるべきことを果たしたいと思う。
 それには残念ながらここ、このスタイルでは難しい。まだ新たな居場所は見つけられていないが、近いうち、遅くても数か月内には、別なところで新たなブログ再開したいと考えている。

 今さらだが、自分は、全てにおいて誰に対しても不誠実だった。学生時代に知り合い、半世紀近くも経つ旧い女友達に、久しぶりに連絡とろうとしたら、なかなか繋がらず、やっと先日、向こうからSMで、もう連絡はしないでくれ、と絶交の短いメッセージが届いた。
 彼女とはその結婚後も、子供が生まれても家族ぐるみで付き合い、まさに家族のように思っていただけに、その申し出に驚き、ただ残念だが、それも仕方ないと思える。我はそれだけのことをしてきたのだろう。ずっと不誠実で、向こうを怒らせ呆れ果てるようなことをずっとしてきたのだから、ついに終わりの時が来たのだ。

 学生時代の多くの他の友たちとも皆そうして疎遠になっていく。誰もが歳と共に自分のことだけで手いっぱいで、こんな足を引っ張るだけの、不真面目かつだらしないダメ人間は相手にしている暇はない。
 そう、情けないが、それが現実であり、我はそれ相応の無価値な無意味な人間なのだから。
 しかし、だからといって、自ら死のうとは思わない。彼らの為に我は在り、生きているわけではないのだから、どれほど自分勝手、非道と思われようとも、自分らしくこれからも生きて行くしかない。一人でも。

 敬愛するシンガー田中研二の昔のうたの一節に、僕は離れていく鎖の輪だ、という一節があったと記憶するが、一時でもそうした鎖の輪の中にいた自分こそがそもそも間違い、失敗だったと思えるぐらい、我はどこだっていつもイレギュラーだった。
 誰からも求められず相手にされはしなくとも、我は我であり、自分なりの自負やプライドもある。人の顔色を窺い、助けを請うことはそもそも無意味なのだった。拙を守り我が才を恃むしかない。やっとわかった。
 自分は自分でしかない。

 我は、あと5年ぐらいはまだ生きられると思う。ならばその中でとことん自由に、真に我がままに、まず自分自身に対して誠実に、果たすべきことを果たしていこうと思う。
 まだまだやりたいこととやるべきこと、果たさねばならぬことがいっぱいある。もう何も奪われない。何も失わない。逆に取り戻していく。
 なにくそっ!!という思いだ。主よ、憐れみたまえ。

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