ブルーズの師匠をお招きする喜び ― 2014年05月15日 22時14分36秒
★シバの無頼庵ライブ明後日に近づく アクセスランキング: 173位
このところ無頼な風が吹き荒れている。俺のちっぽけな感傷やプライドを嘲笑うように吹き飛ばしていく。
うんと昔、それこそ40年も前の話。まだ高校生だった頃、大人の入り口に立ち、ようやく地元以外に足を伸ばし出したとき、三多摩の田舎、青梅線に住むヤングにとっては一番身近な繁華な街は吉祥寺だった。
そう、吉祥寺は今も昔も若者文化花盛りの町で、むろん渋谷や原宿、青山辺りまで行けばもっと最先端の情報と文化に出会えただろうが、田舎のティーンエイジャーにとって手近な憧れの町は吉祥寺で自分もガールフレンドと待ち合わせては路地をぶらつき公園で休み映画を見たりして休日を過ごした。そのときの子の名前も顔も誰だったか今では思い出せないのに、今もはっきり覚えている記憶を記す。
その店、正式名称、武蔵野火薬庫ぐゎらん堂はいったいどうして知ったのか。ガロ編集部を通して、伸坊こと南さんが手配してくれて出会ったマンガ家鈴木翁二さんに連れて行ってもらう前からそこは知っていたような気がするが、北口の東急デパートの裏にあった女子高へ向かう道の三階建ての小さなビルの三階にその店はあった。
今もそのビルは残っているが、先年前を通ったら外からの階段はつぶされペットショップに変わっていたが、今はどうなっているのか。人生を変えた出会いがあるならば、その店こそ自分を変え今の自分にしてくれた店であり、今の自分の嗜好や思考、そして指向までぐゎらん堂を知ったから、そこでの世界があったから今こうしていると断言する。
十代半ばの子供にとっては全く新しい知的で自由でわくわくコーフンするとてつもなく面白い素晴らしい場所であった。※たぶん大阪の方なら同時期に難波にあったディランという店を、京都ならほんやら洞を思い浮かべてもらえればイメージできるのではないか。
そこは日中は喫茶店で様々な新しい音楽をかけてくれて、置いてあるチラシやポスターで様々なコンサートや演劇、自主映画などの情報と出会える場であり、夜からはそうした若者文化の当事者たちが集う溜まり場であった。
週一間隔で生ギター生歌のライブがあって、そこで初めて日本のフォークソングというものに出会った。今もはっきり覚えているのは高田渡と友部正人とシバであり、他にも印象深いシンガーを多数見た覚えがあるが、もうあまりに昔のことでその名前も定かではない。
そこで一番ショックは当然ながら友部であったが、それとは別の意味で驚かされ鮮明に覚えているのはブルースのシバであった。それまでそんな音楽はまったく聞いたことがなかったし、その不思議な歌とギタースタイルには戸惑いつつもやがては魅了され打ちのめされた。そしてやがて彼のやっている音楽こそがブルースだと知り、米国の本場シンガーのそれを知り、今ではその世界にどっぷりはまっている。それこそブルーズなければ夜も昼もあけないというほど浸かったときもあった。
そのブルーズの師匠、自分にその素晴らしき世界を教えてくれたご当人を我が家にお呼びできる。これはまさに夢のような気分だ。自分にとって40年の願いがついにかなう。
日本にも何人もブルーズシンガーと評される人たちはいる。しかし本当の本物は自分はシバしかいないと思うし、彼ほど日本人でありながら本物のブルーズを、そのスピリッツを表現できる人はいない。彼の唄、存在こそがブルーズなのである。
ブルーズとは何か。日本語で、漢字にすれば憂歌団の「憂歌」だと言われている。が、自分はむしろ「無頼」だと思う。とてもつもなく渋く野放図、切れ味鋭く甘さなどかけらもない。ブルーズとは「無頼唄」。ならばシバこそ無頼唄を、しかもここ無頼庵で唄えるのは彼しかいないではないか。
一番相応しく、いちばん呼びたかった人をついに招くことができる。ついに40年来の夢がかなうときが来た。ぜひぜひ盛況大成功とすべく多くの方々にお越し頂きたい。奇跡の一夜となる。
これが成功で終わったらオレはいつ死んでもいい。ようやく師匠に恩返しができるのならば。
このところ無頼な風が吹き荒れている。俺のちっぽけな感傷やプライドを嘲笑うように吹き飛ばしていく。
うんと昔、それこそ40年も前の話。まだ高校生だった頃、大人の入り口に立ち、ようやく地元以外に足を伸ばし出したとき、三多摩の田舎、青梅線に住むヤングにとっては一番身近な繁華な街は吉祥寺だった。
そう、吉祥寺は今も昔も若者文化花盛りの町で、むろん渋谷や原宿、青山辺りまで行けばもっと最先端の情報と文化に出会えただろうが、田舎のティーンエイジャーにとって手近な憧れの町は吉祥寺で自分もガールフレンドと待ち合わせては路地をぶらつき公園で休み映画を見たりして休日を過ごした。そのときの子の名前も顔も誰だったか今では思い出せないのに、今もはっきり覚えている記憶を記す。
その店、正式名称、武蔵野火薬庫ぐゎらん堂はいったいどうして知ったのか。ガロ編集部を通して、伸坊こと南さんが手配してくれて出会ったマンガ家鈴木翁二さんに連れて行ってもらう前からそこは知っていたような気がするが、北口の東急デパートの裏にあった女子高へ向かう道の三階建ての小さなビルの三階にその店はあった。
今もそのビルは残っているが、先年前を通ったら外からの階段はつぶされペットショップに変わっていたが、今はどうなっているのか。人生を変えた出会いがあるならば、その店こそ自分を変え今の自分にしてくれた店であり、今の自分の嗜好や思考、そして指向までぐゎらん堂を知ったから、そこでの世界があったから今こうしていると断言する。
十代半ばの子供にとっては全く新しい知的で自由でわくわくコーフンするとてつもなく面白い素晴らしい場所であった。※たぶん大阪の方なら同時期に難波にあったディランという店を、京都ならほんやら洞を思い浮かべてもらえればイメージできるのではないか。
そこは日中は喫茶店で様々な新しい音楽をかけてくれて、置いてあるチラシやポスターで様々なコンサートや演劇、自主映画などの情報と出会える場であり、夜からはそうした若者文化の当事者たちが集う溜まり場であった。
週一間隔で生ギター生歌のライブがあって、そこで初めて日本のフォークソングというものに出会った。今もはっきり覚えているのは高田渡と友部正人とシバであり、他にも印象深いシンガーを多数見た覚えがあるが、もうあまりに昔のことでその名前も定かではない。
そこで一番ショックは当然ながら友部であったが、それとは別の意味で驚かされ鮮明に覚えているのはブルースのシバであった。それまでそんな音楽はまったく聞いたことがなかったし、その不思議な歌とギタースタイルには戸惑いつつもやがては魅了され打ちのめされた。そしてやがて彼のやっている音楽こそがブルースだと知り、米国の本場シンガーのそれを知り、今ではその世界にどっぷりはまっている。それこそブルーズなければ夜も昼もあけないというほど浸かったときもあった。
そのブルーズの師匠、自分にその素晴らしき世界を教えてくれたご当人を我が家にお呼びできる。これはまさに夢のような気分だ。自分にとって40年の願いがついにかなう。
日本にも何人もブルーズシンガーと評される人たちはいる。しかし本当の本物は自分はシバしかいないと思うし、彼ほど日本人でありながら本物のブルーズを、そのスピリッツを表現できる人はいない。彼の唄、存在こそがブルーズなのである。
ブルーズとは何か。日本語で、漢字にすれば憂歌団の「憂歌」だと言われている。が、自分はむしろ「無頼」だと思う。とてもつもなく渋く野放図、切れ味鋭く甘さなどかけらもない。ブルーズとは「無頼唄」。ならばシバこそ無頼唄を、しかもここ無頼庵で唄えるのは彼しかいないではないか。
一番相応しく、いちばん呼びたかった人をついに招くことができる。ついに40年来の夢がかなうときが来た。ぜひぜひ盛況大成功とすべく多くの方々にお越し頂きたい。奇跡の一夜となる。
これが成功で終わったらオレはいつ死んでもいい。ようやく師匠に恩返しができるのならば。
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