愛は必ず終わる2014年05月02日 23時17分29秒

★永遠に続く愛なんてない。 アクセスランキング: 121位

 愛について書こうと思う。
 今日のニュースでもまたどこそかで、ストーカー男が好いた女を挙句の果てに殺した事件が報じられていた。いくらストーカー行為を規制する法律ができようとバカの数は減るわけがないのだからこれからもこうした事件は起きるだろう。
 いつも呆れるのは若いときならまだしも男も女もかなりいい歳しての話が多く今回の事件も男は自分と同世代、どうやら行きつけのスナック?だかでバイトしていた30代の女性に惚れての凶行らしい。※しかも女性には妻子もあったとのことである。
 おまけに正気か本当かどうかわからぬが、男は、女を殺して自分も後から死ねばあの世で二人で暮らせると思ったと話しているとのこと。アホかって! あの世があるとしてもこの世で嫌われていた者が、どうしてあの世で二人で暮らせるのか。あの世でもやはり嫌われると考えないのか。殺すほど愛していると相手に思い知らせばあの世でその思いに応えてくれるのか女は。もう本当に情けない。バカも極まりだと嘆ずる。

 そんなバカに一方的に好かれ惚れられた者こそいい迷惑であろう。それは男女関係なく起きる話だとは思うが、やはり圧倒的に男が女に執拗に言い寄るケースが多く、最後にはたいていこうして女を殺して時に自分も自殺して終わる悲劇的結末となる。たぶんこうしたストーカーは自らの行為を「愛」だと思っているのだろう。が、それこそそれは愛ではなく、単なる妄想的執着にすぎない。バカだからそれがわからない。これはどこまで逃げようと警察が逮捕しようとその愚かな情熱が冷めるまで、自らが自らの愚かさに気づくまで続く。

 この自分に恋愛及び結婚と愛について語る資格なんてそもそもない。結婚の経験も付き合っている相手もなく独身歴、独り身が長いこの俺が人様のことをとやかく言うべきではないのはわかっている。が、ホント、こうしたニュースを見聞きする度、バカだなあと心底呆れるし愛に関する幻想は今もかなりの男女の間で存在していることにも気づく。※むろん被害者には落ち度はなくご同情深くするが。

 男も女も、あるいは同性であろうと付き合ったはじめはかなり熱くなり、愛の存在を信じて本気も本気、永遠の愛を誓う。が、それは最初だけで、互いにそうした関係になってしまえばやがては愛は徐々に冷めていく。互いの欠陥にも気づくし互いに思いがかなってしまえばその先はもうないのである。
 むろん、子はかすがいというように、子供ができたり共通の責任も発生すれば、愛が薄れようとも結婚生活は続いていく。つまりそこに共通の利害は保たれ結婚し続ける、さらに付き合い続ける理由も散在するからだ。が、たいがいは約3年ほどで最初の熱は冷め、後はだらだらとした腐れ縁的関係へとなっていく。子もなく結婚の届けもせず周囲にきちんと報告もしていなければまず3年で愛は消え失せ何かのきっかけで関係はふいに終わる。

 それは自分の経験上のことで、結果として自分の場合いつも女のほうから別れを切り出され、いつも他に好きな人ができたからとの理由で、関係は終了となった。こちらとしては「愛」は残っていたとしても相手にそれがないのだからもはやそれは仕方ない。
 ストーカー的要素や情熱もあれば、もっと執拗に女に付きまとって寄りを戻してくれ、悪かった、帰ってきてくれと懇願しどんなことでもしたかと思うが、もう相手に愛がない、つまりこちらを愛してくれなくなったのだからそれ以上どんなに努力したって無駄なのである。むろんショックだし哀しいし辛かったが、それは相手の気持ちなのだから致し方ない。まして本当に相手のことを思うのならそれに従うしかないではないか。自分が嫌われるのにもワケがあり、一度離れた、冷めた心は戻りはしないのである。

 そうした失敗した恋愛を何回か繰り返してわかったことは、愛なんてそもそも幻想であり、どんなに熱く燃えようともいつか必ず冷めて終わりが来るということだ。むろん若いときなら互いに燃えもしよう。24時間寝ても覚めても相手のことを思うだろう。そうした恋愛をしたこともある。が、相手が応えてくれて成就したとしてもいつか必ず終わってしまうものなのだからまして一方的に、向こうは好いてくれないのに思いを寄せるのは愚の骨頂以外のものでない。ストーカーはウブでバカだからそれがわからない。その思いを寄せる執着を愛だと思い込んでいるのである。

 もし古本屋として何か「対策」はないかと尋ねられたら一つだけ答えられる。近代ストーカー私小説の大家、近松秋江を読めと。彼の一連の私小説、今でいうストーカー文学を読めば、ストーカーが抱えている愛なんて実にバカバカしいことに思い至るであろう。知る限りもっとも情けない私小説を書き続けた秋江は、今ならばストーカーのはしりであった。ただ彼がそうした殺人事件を起こすに至らなかったのは、文学があったからで、彼を捨て逃げた女を思う屈託や焦燥を臆面なくペンに託して世に発表したから彼自身は救われた。そして今その小説を読むとき、いつの時代も愛なんてものに囚われて時間を無駄にしたバカがいたことに気づかされ愛に悩み苦しむ者は必ず救われるであろう。

 と、こう書いてきたが、むろん家庭の愛、家族愛というものは確かに存在する。ただ、それは男女の痴情的恋愛とはまったく異なる。いつも相手のことを思い、常に気になるというような熱き衝動的恋愛はしたほうが良いとは思うが、長続きしない故それは愛でないことがわかるはずだ。
 恋愛とは文字の如く、愛に恋している状態なのである。人は本当の愛を求め知らなくてはならない。