音楽の聴き方再考2014年05月27日 22時37分18秒

★無頼庵でレコードコンサートを近く始めます。       アクセスランキング: 108位

 先日のシバのライブの打ち上げで、まあ初老の男ばかりでかなり夜遅くまでシバを囲んでだらだら呑んであれこれ音楽の話とかしていたのだ。そのとき、今の人たちの音楽の聴き方、買い方の話が出た。
 昔の我々なら、好きな歌手、気になる歌い手のそれはまずシングル盤で、さらにはLPレコード、アルバムで、という道筋を辿ったが、今の人はネット上でダウンロードして1曲のみ買うのだそうだ。フルアルバムでさえもCD本体そのものを買うことはないらしい。すべてデータ、ファイルだけのやりとりで事足りるらしい。ふーむと唸った。

 また、これは自分が若い人たちと付き合って気が付いたことだが、今の人たちは音楽はそもそもヘッドホーンで聴くものと思っているようで、音そのものを外部に出して、それもデカい音でスピーカーを鳴らすという経験を持たない人もいるようだ。
 以前ウチに来た30代の歌い手に、レコードでディランをかけて聴かせたら、全然音が違うと驚いていたことを思い出す。つまりその人にとっては住宅環境もあるのだろうが、音楽を自ら演っていたとしても聴く音楽はデジタルのiPod等からヘッドホーンを通してで、せいぜい小型ラジカセ程度しかオーディオ機器は持っていたことはないらしい。そのときもうーむと唸った。

 まあ、そうした彼らと我々オジンたちとの違いはそこにウォークマンという画期的オーディオ製品が分水嶺のようにあるからで、我々その前から音楽を聴いていた世代はラジカセ程度のミニコンポであれ音楽とは外に鳴らして音を出して聴くものだととうぜん思い込んでいた。
 ヘッドフォーン、イアホーンは持ってはいてもそれはラジオで深夜放送を親に隠れて聞くときに使う程度で、時にカセットテープで恋する人にプレゼントする、「自分のお気に入り」テープでも編集するとき以外、使った記憶がないほどだった。

 それが今では誰もがいつどこでも携帯から、小型端末から、あるいはワイヤレスでもヘッドフォーン、イアホーンでどこでも聴いている。音楽とはそうして個人で楽しむものとなった。※カセットテープ再生専用のウォークマンが出たとき、スピーカーがないことに当初すごく違和感を抱いたがそれが今ではオーディオの主流になった。

 我々が若者だった頃は、レコードも高かったから気軽になかなか音楽は買えなかった。だからラジオの深夜放送で聴きたい曲をリクエストしハガキを送ったり、好むジャンルに応じて都会ではジャズ喫茶、クラッシック喫茶、ロック喫茶もあり、そうした店で珈琲一杯でねばってデカいスピーカーの大音量を堪能したものだった。そしていつか自分もこんな良いオーディオシステムを自宅で鳴らしたいと夢見たものだった。
 むろん自分もそうして高校生の頃からオーディオマニアの端くれとなり秋葉原に足しげく通ってはレコードのカートリッジをいくつも揃え、スピーカーリスニングルームでアンプやスピーカーの違いに耳を澄ませたものであった。どでかいスピーカーは憧れであった。

 むろん今も昔も金はないからJBLとかタンノイなんてスピーカーや高級アンプは買えるはずがない。しかし、自らあれこれシステムを組み直しては少しでも良い音でスピーカーを鳴らすことに腐心した。憧れはやはりロック喫茶のそれであり、それこそ友達が来たりすれば隣近所から文句が出るほど、窓ガラスが振動で震えるほどデカい音で音楽を鳴らしていた。そういうものが音楽、音楽を聴くことだと思っていた。そうして鳴らした音を一人で聴くよりも皆で聴くことが音楽でもあった。

 それがいつしか小型の端末から外に音を漏らすことなく一人で、誰もが一人づつ聴くことが音楽鑑賞となった。まさに隔世の感とはこのことか。しかしそれで音楽を聴いたと言えるのだろうか。

 レコード芸術という言葉がかつてあったが、レコードをかけて聴くという行為は、要するにそこに閉じ込められた音場を再現することであったと自分は思う。つまりライブアルバムならばそのライブ会場の雰囲気をそっくり再現することであったし、ジャズなどのスタジオ録音でもそのスタジオにいるような熱気、パッションをいかに自宅のシステムでうまく蘇らすかということであった。つまりじっさいに鳴らして、音を出して音楽の場をそこに再現できるかであった。

 今のヘッドフォーンで聴く音楽にそれがてきるのか、いや、そもそも今の若者たちが好み聴く音楽はそうした目的はそもそもそこにないのだろう。あくまでもキャッチなメロディーとノリノリのサウンドがあって自分だけが乗れて楽しめれば良いし、飽きたら消せば済むだけの話なのだろう。

 これは年寄りの繰言だとも思うが、しかしそんな音楽の聴き方はモツタイナイと自分は考える。まあ、今の新しい音楽ならそれでもかまわないが、昔のロックやジャズならばそんな聴き方では本来の魅力、素晴らしさは伝わらないはずだ。ビートルズであれ、何であろうとそもそもアナログで録音されたものはデジタルリマスターされたものが綺麗に聞こえたとしてもやはりオリジナルのレコード盤をアナログシステムで再生し鳴らすべきものだと信ずる。
 特に自分が今も愛好する昔の歌謡曲、それも昭和40年代あたりのシングル盤は今デジタル化されオムニバスCDに入っているものを聴くと音質が全く違う。パンチもないし昔聞いた時の衝撃も感動もデジタル化されたものでは伝わってこない。やはり昔ながらのシステムでレコードに針を落としてスクラッチノイズと共に聴かない限りその凄さ、野太さ、ダイナミックさは再現できない。

 なので、これから定期的に無頼庵では、月一間隔でもレコードをかけてそれらを皆で聴くレコードコンサートをやっていこうと考えた。実はマス坊はアナログレコードのコレクターなのでもある。その数は自分でもわからないが、何万枚かあるかと思う。昔数寄屋橋の中古レコードセンター「ハンター」中心に、来日していたニュージーランド人のレコードコレクターの友と狂ったように週末ごとに待ち合わせてはレコード漁りに繰り出した。そうしたレコードも今は棚で埃をかぶったままだ。それでは勿体ない。

 毎月かけるジャンルを決めて、例えば日本のフォークの日、海外ロックの日、昭和歌謡のシングル盤の日、モダンジャズの日、クラシックの日、映画音楽・イージーリスニングの日とか決めて同行の士と今の若い音楽ファンを招きたい。むろん、レコードの持ち込みも自由とする。
 飯とか料理は出すと面倒なので、珈琲とお菓子類程度で、休みの日の昼から夕刻までとしておく。予約も不要で、やる日だけ事前に告知するので、誰が来ても来なくてもかまわない。

 いちおう6月から始められたと思っている。どうでしょう。関心ある方いらっしゃいますか。面白い企画だと自分では思っている。アナログレコードのその奥深い世界を知らない方こそ来て頂きたいと願う。

 音楽の聴き方を21世紀の今こそ実践を通して考え直してみたい。