古民家かたづけ隊参加者募集! ― 2014年05月12日 06時29分44秒
★今夏のサマーキャンプは来夏へと順延。 アクセスランキング: 228位
書いてもしょうないことだが、このところ風邪気味ということもあるのかどうにも体調悪く、ともかく起きていられず寝てばかり、ほぼ半病人という有様のマス坊である。
朝起きると大したことは何もしていないのに体の節々が痛く、両腕ではパンパンに腫れて痛い。眠っている最中にいったい何をやっているのか、誰かに監視してほしいとさえ思う。体は常にだるく頭は鈍く痛いという体調不良の状態が続いている。何で疲れているのか。
理由はなくもない。実は老犬バドが末期的状況に入ってきて、今は夜は玄関に寝かせているのだが、要注意なのでおちおち寝ていられないこともある。糞尿垂れ流し状態なので、便意で騒ぎだしたとき人間が抱きかかえて庭に連れて行ってさせたりと気の休まるときがない。ほったらかしにしておくと、糞まみれとなってまたその始末に大変なこととなる。
今まで冬の間は室内、暖房の効いた親たちの部屋で寝かせていたのだが、夜中に徘徊したり騒ぐので世話する人間のほうが、つまりウチの母がバテてしまい老々介護ならぬ、老々老犬介護はそろそろ限界になってきた。
幸いだいぶ暖かくもなってきたので、今は昼間は外の木の下で寝かせ、陽の照りつけてくる午後からは玄関に入れ、合間合間に抱きかかえて小便など庭先でさせて夜はまた玄関で寝かせている。しかし、時々マヒした下半身でも大小便のときは騒ぎだすので夜中でもその都度また庭先に連れ出すという日々である。
そんなでマス坊は、このところ朝も早く起きるし夜も深夜一時頃まで起きている。その代わり午後は昼食後、倒れこむようにどっと泥のように眠る。それから夕方には起きて大慌てで本の梱包、発送に追われる。そして晩飯の支度。
しかしそんな不規則な生活だからか鼻風邪は慢性化しているし心身の疲労倦怠感は恒常化してしまったというわけだ。今後に向けてやるべきことは山積してそれも頭痛いが、そんなこんなで作業は滞りなかなか先へと進んでいかない。万事生活雑事、日々をやり過ごすだけで精いっぱいなのが情けない限りである。
さて、先にまた思い付きで、この夏は山梨の古民家で、サマーキャンプができたらと書いた。詩の朗読とフォークソングの合宿のようなことだ。
が、あれから冷静になってみると、もう5月も半ばであまり時間がないことと実はまだ向こうはほとんど片付いていない、いや、場所はあっても多くの人が来て「生活」するにはあまりに準備不足、体制が整っていないことに思い至った。先にも書いたがまだ処分していない古いガラクタ類が山積みであり、そうした先住の方のゴミ、不用品を全部処分しないことには人を招いてそこで何かを始められないと気づいた。
むろん夏までにそれを全部自分が片づけてスッキリできていれば良いだけの話だ。しかし、今の諸状況を見る限り、とても二か月そこらで一人で向こうを整理整頓、整備することは絶対に不可能だと判断した。何しろこちら、自分の家だって片付かずしっちゃかめっちゃかな状態なのである。シバのライブまでに会場設営できるのかだ。
というわけで、サマーキャンプは来夏へ持越し、今年はまず古民家に手を入れて不用品の処分と掃除、多人数でも難なく活用に向けて整備していこうと「下準備」に費やすことにした。冬が来たら寒くて何もできないので晩秋までが勝負かと思う。
で、今体力無しの自分としてはぜひ人手を、皆さんのお力を貸して頂きたいと切望する。向こうのゴミの処分と掃除、「片づけ」はとても一人では限界がある。だいいち重たいものを運びだすなどの力仕事は不可能だ。ウチの「社員」もいるが、自宅待機なので、そう頻繁に茨城県から呼び出せない。
これから毎月、土日中心に基本日帰りで月に二回ほど行けたらと考えている。土日でなくてもこちらは構わないのだが、やはり皆さんのご都合を考慮すれば平日は避けたほうが来やすいだろう。
むろん泊まるのも可能なので、泊まりたい、泊まれるのであらばそのほうが移動は楽なのでこちらも助かる。が、基本的にはそのお手伝いの方のご都合に沿う方向で予定していく。
今月は、24日、25日の土日いずれかと31日、6/1日を予定している。むろんお手伝いして頂くので、交通費などは一切とらないし、向こうでの飲食はこちらが出すつもりでいる。ただ、謝礼などは出ないのとウチの近くまで自腹でお越し願いたい。駅までお迎えに行き、即ウチの車で山梨へ向かう。ただし「片づけ隊」参加者には今後向こうでの宿泊は無料かつ自由にいつでも使用できる特典を差し上げます。
そんなで、もしお時間がとれ古民家と田舎暮らしに関心のある方は、ぜひお気軽にご連絡ください。マスダの携帯 もしくは拙ブログのコメント欄に連絡先など書き込んでください。非表示なのでご安心ください。
というわけで古民家片づけ隊ボランティア募集中!!
※画像は二階部屋のありさま。不要となった使われなくなった家具が山積みのままだった。
書いてもしょうないことだが、このところ風邪気味ということもあるのかどうにも体調悪く、ともかく起きていられず寝てばかり、ほぼ半病人という有様のマス坊である。
朝起きると大したことは何もしていないのに体の節々が痛く、両腕ではパンパンに腫れて痛い。眠っている最中にいったい何をやっているのか、誰かに監視してほしいとさえ思う。体は常にだるく頭は鈍く痛いという体調不良の状態が続いている。何で疲れているのか。
理由はなくもない。実は老犬バドが末期的状況に入ってきて、今は夜は玄関に寝かせているのだが、要注意なのでおちおち寝ていられないこともある。糞尿垂れ流し状態なので、便意で騒ぎだしたとき人間が抱きかかえて庭に連れて行ってさせたりと気の休まるときがない。ほったらかしにしておくと、糞まみれとなってまたその始末に大変なこととなる。
今まで冬の間は室内、暖房の効いた親たちの部屋で寝かせていたのだが、夜中に徘徊したり騒ぐので世話する人間のほうが、つまりウチの母がバテてしまい老々介護ならぬ、老々老犬介護はそろそろ限界になってきた。
幸いだいぶ暖かくもなってきたので、今は昼間は外の木の下で寝かせ、陽の照りつけてくる午後からは玄関に入れ、合間合間に抱きかかえて小便など庭先でさせて夜はまた玄関で寝かせている。しかし、時々マヒした下半身でも大小便のときは騒ぎだすので夜中でもその都度また庭先に連れ出すという日々である。
そんなでマス坊は、このところ朝も早く起きるし夜も深夜一時頃まで起きている。その代わり午後は昼食後、倒れこむようにどっと泥のように眠る。それから夕方には起きて大慌てで本の梱包、発送に追われる。そして晩飯の支度。
しかしそんな不規則な生活だからか鼻風邪は慢性化しているし心身の疲労倦怠感は恒常化してしまったというわけだ。今後に向けてやるべきことは山積してそれも頭痛いが、そんなこんなで作業は滞りなかなか先へと進んでいかない。万事生活雑事、日々をやり過ごすだけで精いっぱいなのが情けない限りである。
さて、先にまた思い付きで、この夏は山梨の古民家で、サマーキャンプができたらと書いた。詩の朗読とフォークソングの合宿のようなことだ。
が、あれから冷静になってみると、もう5月も半ばであまり時間がないことと実はまだ向こうはほとんど片付いていない、いや、場所はあっても多くの人が来て「生活」するにはあまりに準備不足、体制が整っていないことに思い至った。先にも書いたがまだ処分していない古いガラクタ類が山積みであり、そうした先住の方のゴミ、不用品を全部処分しないことには人を招いてそこで何かを始められないと気づいた。
むろん夏までにそれを全部自分が片づけてスッキリできていれば良いだけの話だ。しかし、今の諸状況を見る限り、とても二か月そこらで一人で向こうを整理整頓、整備することは絶対に不可能だと判断した。何しろこちら、自分の家だって片付かずしっちゃかめっちゃかな状態なのである。シバのライブまでに会場設営できるのかだ。
というわけで、サマーキャンプは来夏へ持越し、今年はまず古民家に手を入れて不用品の処分と掃除、多人数でも難なく活用に向けて整備していこうと「下準備」に費やすことにした。冬が来たら寒くて何もできないので晩秋までが勝負かと思う。
で、今体力無しの自分としてはぜひ人手を、皆さんのお力を貸して頂きたいと切望する。向こうのゴミの処分と掃除、「片づけ」はとても一人では限界がある。だいいち重たいものを運びだすなどの力仕事は不可能だ。ウチの「社員」もいるが、自宅待機なので、そう頻繁に茨城県から呼び出せない。
これから毎月、土日中心に基本日帰りで月に二回ほど行けたらと考えている。土日でなくてもこちらは構わないのだが、やはり皆さんのご都合を考慮すれば平日は避けたほうが来やすいだろう。
むろん泊まるのも可能なので、泊まりたい、泊まれるのであらばそのほうが移動は楽なのでこちらも助かる。が、基本的にはそのお手伝いの方のご都合に沿う方向で予定していく。
今月は、24日、25日の土日いずれかと31日、6/1日を予定している。むろんお手伝いして頂くので、交通費などは一切とらないし、向こうでの飲食はこちらが出すつもりでいる。ただ、謝礼などは出ないのとウチの近くまで自腹でお越し願いたい。駅までお迎えに行き、即ウチの車で山梨へ向かう。ただし「片づけ隊」参加者には今後向こうでの宿泊は無料かつ自由にいつでも使用できる特典を差し上げます。
そんなで、もしお時間がとれ古民家と田舎暮らしに関心のある方は、ぜひお気軽にご連絡ください。マスダの携帯 もしくは拙ブログのコメント欄に連絡先など書き込んでください。非表示なのでご安心ください。
というわけで古民家片づけ隊ボランティア募集中!!
※画像は二階部屋のありさま。不要となった使われなくなった家具が山積みのままだった。
動物を飼うこと、看取ること ― 2014年05月13日 22時11分24秒
★老々老犬介護という日常が続く アクセスランキング: 152位
季節の変わり目である。このところずっと無頼な強い風が吹き荒れている。日中晴れれば暑いが夜などは上着だけでは寒いほど冷え込む。暑いんだか寒いんだかよくわからず体が戸惑っている。そんなこともあって風邪気味、体調を崩したのかとも思える。
このところもう覚悟決めて無理せずあれこれビタミンとか摂って寝込んでたらようやく体調はやや上向いてきた。が、基本的に不規則な生活は変わらないのでいつ起きてもスッキリせず寝足りない倦怠感は続いている。
特に午後、昼食食べてから本格的に3時間ほど眠ってしまうと夕刻5時頃に起きたときのだるさはひとしおで、食後の胃がもたれているせいか必ず悪夢を見る。一昨日は、知らない街でホームレス状態になってどこそこの建物の中のトイレで暮らしている夢を見たし、先ほどの夢は、何かのライブイベントでうたう羽目になったが、持ち歌がなく大いに焦ってうろ覚えで知ってる歌謡曲を演っている情けない夢だった。覚えていない夢でもたいてい辛い苦しい夢だという味わいが残っている。
どの夢もちょうど映画1本ぐらいの長さと密度があり、かなり内容ある本格的な夢で、その夢だけでどっと疲れてしまう。ならば昼寝などしないで起きて作業すれば良いはずなのだが、もう今は生活時間がめちゃくちゃなのでどこかでしっかり眠らないと体がもたない。
さておき、老犬バドが後ろ肢がマヒして自力では歩けなくなってからちょうど一年が経つ。去年の今頃の拙ブログにそのことを記してベルトで持ち上げて散歩させている画像も載せたはずだ。
それから実にしぶといと言うべきか、強い生命力だと感嘆もするが、ほぼ寝たきり状態となりつつも猛夏を越し大雪の厳冬を越し、今また夏を迎えようとしている。さすがにこの数日食欲も落ちてきて心配したが、いろいろ餌をまた変えたりしたら回復したのでもうしばらくは生き長らえると思える。
秋になると19歳。ゴールデン・ラブラドルの家系を考えると大型犬としてはギネスブック級ではないかと思う。普通大型の犬は12歳、長くても15歳までしか生きないとされている。まさかこれほど長生きするとは長くたくさんの犬を飼ってきた自分も驚いている。
基本頑健で、大した病気もしたことがなく、好き嫌いは一切なく何でもしっかり食べる犬だったからここまで生き長らえたのかと思える。また、経験上、夏の暑さで熱射病で弱った犬もいたので、今は細心の注意で犬たちの様子を見ている。そうして人間がほぼ24時間介護しているからこれほどの長寿であるのだとの自負もある。しかしウチにはニンゲンのボケ老人もいるので正直こちらがバテテ来ている。
先日、新聞で、そうした家族も疲れて面倒見切れなくなってきた犬たちを預かる介護保養施設が載っていた。そこに入れれば専門の職員が24時間交代で世話してくれ最後まで看取ってくれるのだ。むろん飼い主は好きな時に会いに行けば良い。それは心ひかれたがお値段も半端ではない。入居費用の他に毎月の介護費も何万もかかる。よほど生活に余裕のある人しか利用できない。
そんな金があるならばウチではまずニンゲン=親父のほうを預けたいと思う。それに動物の側でもやはり最後まで長年住み慣れた自宅で死を迎えたいと願っているのではないか。大変であろうとも生まれて数か月でこの家に来て以来20年近く過ごした家と家族と共に最後の日まで過ごしたいと犬も飼い主も願う。あと何か月、いや何週間彼が生きているのかわからないが、最後の最後まで面倒を見てやりたいしまだそれは可能だと思える。
ただ、それは自分が今50代で体調悪いといってもまだ動けるからで、これが母たちの世代で彼らだけであったらやはりその世話は無理であろう。となると今一番若いベル子はバドに倣えばまだあと15年は生きるはずだから、自分は70代半ば、そのとき果たしてどうなっているか。
ということは今でさえもう動物はそろそろ飼える限界の歳だと気づく。もしそのときにバドと同じく寝たきりとなってしまえば同時に飼い主の人間も寝たきりとなっているかもしれない。それではそうした介護施設に人も犬も同時に入らねばならない。しかしそんな金はどこにあるのか。
先のことをあれこれ考えて憂鬱になるのはバカらしい。そのときはそのときだし今仮定の話で悩むのは意味がない。ただこうも考える。
たぶん、自分はどんな歳になっても動物、犬もたぶん猫も飼っていることだろう。猫は大して好きではないが、幼少の頃より常に欠かさず共に暮らしている動物であるし、犬も考えてみれば子供の頃からずっと飼い続けている。いないときがない。近年でも一時は5匹もいたことがある。大人の犬でそれも最近流行りの小型犬でもない本格的な犬をそんなに飼うなんて常識外れだと今は思うが、それでも散歩と餌代が大変ぐらいで、苦なんて思ったことはなかった。
今だってベル子たちの間に子犬が産まれたらと願い一昨年栃木県佐野まで行ってもらってきたぐらい犬が好きだからたぶん自分が将来もっと老いてもやはり犬は飼っていると思う。
この世にはペット、それは小鳥でも金魚でも亀であろうとも動物がいなくても平気で生きられる人間、動物なんて飼ったことがない人間と、動物なしで生きられない人間がいると考える。それはそれぞれの生き方、志向であり、個人のライフスタイルの違いでしかないから人のことはとやかく言わない。
しかし、動物好き、動物を飼っている人と動物嫌いで飼わない人とどちらにシンパシーを抱くかといえば当然動物好きの人であり、動物に寄せる愛情を持つ人は無条件に信頼している。むろん動物嫌いは悪、動物好きは善なんて単純な図式は間違っている。しかし、大事なことは植物などの自然も含めた他者への「愛」こそが実はもっとも大切なのではないだろうか。この世にはむろん自己愛というものは大事である。しかし、家畜ではないペットの動物という基本大して役立たずの生き物を飼い養うことに人間にとって何か大切なものが潜んでいるような気がしている。その気持ちをなくさず育てることこそが人としての教育や成長なのではないか。
ペット動物は基本ほぼ何の役にも立たない。実に世話と金がかかり大変だ。しかし彼らは自分に多くのものを与えてくれこちらが与えたものの何倍も返してくれる。
ならば最後の最後まで面倒を見てともに過ごしたい。そこまで面倒みれることこそが至福なのだから。
季節の変わり目である。このところずっと無頼な強い風が吹き荒れている。日中晴れれば暑いが夜などは上着だけでは寒いほど冷え込む。暑いんだか寒いんだかよくわからず体が戸惑っている。そんなこともあって風邪気味、体調を崩したのかとも思える。
このところもう覚悟決めて無理せずあれこれビタミンとか摂って寝込んでたらようやく体調はやや上向いてきた。が、基本的に不規則な生活は変わらないのでいつ起きてもスッキリせず寝足りない倦怠感は続いている。
特に午後、昼食食べてから本格的に3時間ほど眠ってしまうと夕刻5時頃に起きたときのだるさはひとしおで、食後の胃がもたれているせいか必ず悪夢を見る。一昨日は、知らない街でホームレス状態になってどこそこの建物の中のトイレで暮らしている夢を見たし、先ほどの夢は、何かのライブイベントでうたう羽目になったが、持ち歌がなく大いに焦ってうろ覚えで知ってる歌謡曲を演っている情けない夢だった。覚えていない夢でもたいてい辛い苦しい夢だという味わいが残っている。
どの夢もちょうど映画1本ぐらいの長さと密度があり、かなり内容ある本格的な夢で、その夢だけでどっと疲れてしまう。ならば昼寝などしないで起きて作業すれば良いはずなのだが、もう今は生活時間がめちゃくちゃなのでどこかでしっかり眠らないと体がもたない。
さておき、老犬バドが後ろ肢がマヒして自力では歩けなくなってからちょうど一年が経つ。去年の今頃の拙ブログにそのことを記してベルトで持ち上げて散歩させている画像も載せたはずだ。
それから実にしぶといと言うべきか、強い生命力だと感嘆もするが、ほぼ寝たきり状態となりつつも猛夏を越し大雪の厳冬を越し、今また夏を迎えようとしている。さすがにこの数日食欲も落ちてきて心配したが、いろいろ餌をまた変えたりしたら回復したのでもうしばらくは生き長らえると思える。
秋になると19歳。ゴールデン・ラブラドルの家系を考えると大型犬としてはギネスブック級ではないかと思う。普通大型の犬は12歳、長くても15歳までしか生きないとされている。まさかこれほど長生きするとは長くたくさんの犬を飼ってきた自分も驚いている。
基本頑健で、大した病気もしたことがなく、好き嫌いは一切なく何でもしっかり食べる犬だったからここまで生き長らえたのかと思える。また、経験上、夏の暑さで熱射病で弱った犬もいたので、今は細心の注意で犬たちの様子を見ている。そうして人間がほぼ24時間介護しているからこれほどの長寿であるのだとの自負もある。しかしウチにはニンゲンのボケ老人もいるので正直こちらがバテテ来ている。
先日、新聞で、そうした家族も疲れて面倒見切れなくなってきた犬たちを預かる介護保養施設が載っていた。そこに入れれば専門の職員が24時間交代で世話してくれ最後まで看取ってくれるのだ。むろん飼い主は好きな時に会いに行けば良い。それは心ひかれたがお値段も半端ではない。入居費用の他に毎月の介護費も何万もかかる。よほど生活に余裕のある人しか利用できない。
そんな金があるならばウチではまずニンゲン=親父のほうを預けたいと思う。それに動物の側でもやはり最後まで長年住み慣れた自宅で死を迎えたいと願っているのではないか。大変であろうとも生まれて数か月でこの家に来て以来20年近く過ごした家と家族と共に最後の日まで過ごしたいと犬も飼い主も願う。あと何か月、いや何週間彼が生きているのかわからないが、最後の最後まで面倒を見てやりたいしまだそれは可能だと思える。
ただ、それは自分が今50代で体調悪いといってもまだ動けるからで、これが母たちの世代で彼らだけであったらやはりその世話は無理であろう。となると今一番若いベル子はバドに倣えばまだあと15年は生きるはずだから、自分は70代半ば、そのとき果たしてどうなっているか。
ということは今でさえもう動物はそろそろ飼える限界の歳だと気づく。もしそのときにバドと同じく寝たきりとなってしまえば同時に飼い主の人間も寝たきりとなっているかもしれない。それではそうした介護施設に人も犬も同時に入らねばならない。しかしそんな金はどこにあるのか。
先のことをあれこれ考えて憂鬱になるのはバカらしい。そのときはそのときだし今仮定の話で悩むのは意味がない。ただこうも考える。
たぶん、自分はどんな歳になっても動物、犬もたぶん猫も飼っていることだろう。猫は大して好きではないが、幼少の頃より常に欠かさず共に暮らしている動物であるし、犬も考えてみれば子供の頃からずっと飼い続けている。いないときがない。近年でも一時は5匹もいたことがある。大人の犬でそれも最近流行りの小型犬でもない本格的な犬をそんなに飼うなんて常識外れだと今は思うが、それでも散歩と餌代が大変ぐらいで、苦なんて思ったことはなかった。
今だってベル子たちの間に子犬が産まれたらと願い一昨年栃木県佐野まで行ってもらってきたぐらい犬が好きだからたぶん自分が将来もっと老いてもやはり犬は飼っていると思う。
この世にはペット、それは小鳥でも金魚でも亀であろうとも動物がいなくても平気で生きられる人間、動物なんて飼ったことがない人間と、動物なしで生きられない人間がいると考える。それはそれぞれの生き方、志向であり、個人のライフスタイルの違いでしかないから人のことはとやかく言わない。
しかし、動物好き、動物を飼っている人と動物嫌いで飼わない人とどちらにシンパシーを抱くかといえば当然動物好きの人であり、動物に寄せる愛情を持つ人は無条件に信頼している。むろん動物嫌いは悪、動物好きは善なんて単純な図式は間違っている。しかし、大事なことは植物などの自然も含めた他者への「愛」こそが実はもっとも大切なのではないだろうか。この世にはむろん自己愛というものは大事である。しかし、家畜ではないペットの動物という基本大して役立たずの生き物を飼い養うことに人間にとって何か大切なものが潜んでいるような気がしている。その気持ちをなくさず育てることこそが人としての教育や成長なのではないか。
ペット動物は基本ほぼ何の役にも立たない。実に世話と金がかかり大変だ。しかし彼らは自分に多くのものを与えてくれこちらが与えたものの何倍も返してくれる。
ならば最後の最後まで面倒を見てともに過ごしたい。そこまで面倒みれることこそが至福なのだから。
ブルーズの師匠をお招きする喜び ― 2014年05月15日 22時14分36秒
★シバの無頼庵ライブ明後日に近づく アクセスランキング: 173位
このところ無頼な風が吹き荒れている。俺のちっぽけな感傷やプライドを嘲笑うように吹き飛ばしていく。
うんと昔、それこそ40年も前の話。まだ高校生だった頃、大人の入り口に立ち、ようやく地元以外に足を伸ばし出したとき、三多摩の田舎、青梅線に住むヤングにとっては一番身近な繁華な街は吉祥寺だった。
そう、吉祥寺は今も昔も若者文化花盛りの町で、むろん渋谷や原宿、青山辺りまで行けばもっと最先端の情報と文化に出会えただろうが、田舎のティーンエイジャーにとって手近な憧れの町は吉祥寺で自分もガールフレンドと待ち合わせては路地をぶらつき公園で休み映画を見たりして休日を過ごした。そのときの子の名前も顔も誰だったか今では思い出せないのに、今もはっきり覚えている記憶を記す。
その店、正式名称、武蔵野火薬庫ぐゎらん堂はいったいどうして知ったのか。ガロ編集部を通して、伸坊こと南さんが手配してくれて出会ったマンガ家鈴木翁二さんに連れて行ってもらう前からそこは知っていたような気がするが、北口の東急デパートの裏にあった女子高へ向かう道の三階建ての小さなビルの三階にその店はあった。
今もそのビルは残っているが、先年前を通ったら外からの階段はつぶされペットショップに変わっていたが、今はどうなっているのか。人生を変えた出会いがあるならば、その店こそ自分を変え今の自分にしてくれた店であり、今の自分の嗜好や思考、そして指向までぐゎらん堂を知ったから、そこでの世界があったから今こうしていると断言する。
十代半ばの子供にとっては全く新しい知的で自由でわくわくコーフンするとてつもなく面白い素晴らしい場所であった。※たぶん大阪の方なら同時期に難波にあったディランという店を、京都ならほんやら洞を思い浮かべてもらえればイメージできるのではないか。
そこは日中は喫茶店で様々な新しい音楽をかけてくれて、置いてあるチラシやポスターで様々なコンサートや演劇、自主映画などの情報と出会える場であり、夜からはそうした若者文化の当事者たちが集う溜まり場であった。
週一間隔で生ギター生歌のライブがあって、そこで初めて日本のフォークソングというものに出会った。今もはっきり覚えているのは高田渡と友部正人とシバであり、他にも印象深いシンガーを多数見た覚えがあるが、もうあまりに昔のことでその名前も定かではない。
そこで一番ショックは当然ながら友部であったが、それとは別の意味で驚かされ鮮明に覚えているのはブルースのシバであった。それまでそんな音楽はまったく聞いたことがなかったし、その不思議な歌とギタースタイルには戸惑いつつもやがては魅了され打ちのめされた。そしてやがて彼のやっている音楽こそがブルースだと知り、米国の本場シンガーのそれを知り、今ではその世界にどっぷりはまっている。それこそブルーズなければ夜も昼もあけないというほど浸かったときもあった。
そのブルーズの師匠、自分にその素晴らしき世界を教えてくれたご当人を我が家にお呼びできる。これはまさに夢のような気分だ。自分にとって40年の願いがついにかなう。
日本にも何人もブルーズシンガーと評される人たちはいる。しかし本当の本物は自分はシバしかいないと思うし、彼ほど日本人でありながら本物のブルーズを、そのスピリッツを表現できる人はいない。彼の唄、存在こそがブルーズなのである。
ブルーズとは何か。日本語で、漢字にすれば憂歌団の「憂歌」だと言われている。が、自分はむしろ「無頼」だと思う。とてもつもなく渋く野放図、切れ味鋭く甘さなどかけらもない。ブルーズとは「無頼唄」。ならばシバこそ無頼唄を、しかもここ無頼庵で唄えるのは彼しかいないではないか。
一番相応しく、いちばん呼びたかった人をついに招くことができる。ついに40年来の夢がかなうときが来た。ぜひぜひ盛況大成功とすべく多くの方々にお越し頂きたい。奇跡の一夜となる。
これが成功で終わったらオレはいつ死んでもいい。ようやく師匠に恩返しができるのならば。
このところ無頼な風が吹き荒れている。俺のちっぽけな感傷やプライドを嘲笑うように吹き飛ばしていく。
うんと昔、それこそ40年も前の話。まだ高校生だった頃、大人の入り口に立ち、ようやく地元以外に足を伸ばし出したとき、三多摩の田舎、青梅線に住むヤングにとっては一番身近な繁華な街は吉祥寺だった。
そう、吉祥寺は今も昔も若者文化花盛りの町で、むろん渋谷や原宿、青山辺りまで行けばもっと最先端の情報と文化に出会えただろうが、田舎のティーンエイジャーにとって手近な憧れの町は吉祥寺で自分もガールフレンドと待ち合わせては路地をぶらつき公園で休み映画を見たりして休日を過ごした。そのときの子の名前も顔も誰だったか今では思い出せないのに、今もはっきり覚えている記憶を記す。
その店、正式名称、武蔵野火薬庫ぐゎらん堂はいったいどうして知ったのか。ガロ編集部を通して、伸坊こと南さんが手配してくれて出会ったマンガ家鈴木翁二さんに連れて行ってもらう前からそこは知っていたような気がするが、北口の東急デパートの裏にあった女子高へ向かう道の三階建ての小さなビルの三階にその店はあった。
今もそのビルは残っているが、先年前を通ったら外からの階段はつぶされペットショップに変わっていたが、今はどうなっているのか。人生を変えた出会いがあるならば、その店こそ自分を変え今の自分にしてくれた店であり、今の自分の嗜好や思考、そして指向までぐゎらん堂を知ったから、そこでの世界があったから今こうしていると断言する。
十代半ばの子供にとっては全く新しい知的で自由でわくわくコーフンするとてつもなく面白い素晴らしい場所であった。※たぶん大阪の方なら同時期に難波にあったディランという店を、京都ならほんやら洞を思い浮かべてもらえればイメージできるのではないか。
そこは日中は喫茶店で様々な新しい音楽をかけてくれて、置いてあるチラシやポスターで様々なコンサートや演劇、自主映画などの情報と出会える場であり、夜からはそうした若者文化の当事者たちが集う溜まり場であった。
週一間隔で生ギター生歌のライブがあって、そこで初めて日本のフォークソングというものに出会った。今もはっきり覚えているのは高田渡と友部正人とシバであり、他にも印象深いシンガーを多数見た覚えがあるが、もうあまりに昔のことでその名前も定かではない。
そこで一番ショックは当然ながら友部であったが、それとは別の意味で驚かされ鮮明に覚えているのはブルースのシバであった。それまでそんな音楽はまったく聞いたことがなかったし、その不思議な歌とギタースタイルには戸惑いつつもやがては魅了され打ちのめされた。そしてやがて彼のやっている音楽こそがブルースだと知り、米国の本場シンガーのそれを知り、今ではその世界にどっぷりはまっている。それこそブルーズなければ夜も昼もあけないというほど浸かったときもあった。
そのブルーズの師匠、自分にその素晴らしき世界を教えてくれたご当人を我が家にお呼びできる。これはまさに夢のような気分だ。自分にとって40年の願いがついにかなう。
日本にも何人もブルーズシンガーと評される人たちはいる。しかし本当の本物は自分はシバしかいないと思うし、彼ほど日本人でありながら本物のブルーズを、そのスピリッツを表現できる人はいない。彼の唄、存在こそがブルーズなのである。
ブルーズとは何か。日本語で、漢字にすれば憂歌団の「憂歌」だと言われている。が、自分はむしろ「無頼」だと思う。とてもつもなく渋く野放図、切れ味鋭く甘さなどかけらもない。ブルーズとは「無頼唄」。ならばシバこそ無頼唄を、しかもここ無頼庵で唄えるのは彼しかいないではないか。
一番相応しく、いちばん呼びたかった人をついに招くことができる。ついに40年来の夢がかなうときが来た。ぜひぜひ盛況大成功とすべく多くの方々にお越し頂きたい。奇跡の一夜となる。
これが成功で終わったらオレはいつ死んでもいい。ようやく師匠に恩返しができるのならば。
トップの一個人の意思が国家の意思となっていく愚と過ち ― 2014年05月16日 00時00分43秒
★「過去」へ向かっていく政治を憂う アクセスランキング: 211位
今シバのライブの準備で頭がいっぱいで、政治のこと、時局については落ち着いて考えられない。今の状況に関して書きたいことも書かねばならぬと思うことも多々あるのだが、正直なところ気持ちが切り替えられない。
拙ブログの読者の方にも私ごとばかり書いて誠に申し訳ないと思う。もっと大事なこと、国の未来に関わること、大局について書かねばとも考える。が、今はどうしても目先のことと自らのこと、重箱の隅を突くようなことばかりとなってしまう。情けなくも申し訳ない。
ただ、今の安倍首相の暴走ぶりを見るにつけ、解釈改憲であれ、よくまあそうした勝手なこと、思い付きのようなことが許されまかり通るものだとそのことに呆れ感心すらしてしまう。あまりにも無理があり誰だって心から同意している者などいないと思う。
国民は当然ながらこの急展開、急進に疑義を抱いているし多くはその必要性を認めていないはずと信ずる。が、ことは国会で決めることであり、その国会議員自身がどうして一部の野党以外大声で反対しないのだろうか。政府自民党内でも異論反対論はあったはずだし今も内心は異議を唱える者も少なくないはずだ。なのにそうした異論、反対論はほとんど聞かれない。ただ皆沈黙し首相の顔色を伺いそれに唯々諾々おとなしく従っていく。
集団的自衛権の行使容認、解釈の変更、一言でいえば、これは安倍晋三という一個人、首相職にある者の考え、意志でしかない。思い付きと言っても良い。本来は国会がそれをしっかり監視して彼の「私案」をよく吟味しその問題点を突き撤回させるべきものであったはずだ。ところが、今は景気回復途上で支持率も高く彼一人に権力が集中しているから誰も異議を、暴走を諌めることも口をはさむこともできないのである。
こうして一個人の意思、その考え、政治信条が国会を引きずり国家を引きずって動かしていく。個人の意思がそのまま国家の意思となっていく。本来近代的民主国家ではこうしたことはあり得ないしあってはならないことのはずだ。アメリカを見たってオバマ大統領は議会との対立と調整に四苦八苦してなかなか彼の政策、考え、意思は国家の意思となって国は動いていないではないか。
歴史を見ると、そうした個人の意思が国家の意思そのものとなったもっとも極端な例は、ヒトラーとナチスドイツ、スターリンとソビエト連邦がまず思い浮かぶ。どちらも独裁者であり、国会、議会はあっても支配下におき、彼の妄想的政治思想がそのまま国家を破滅へと向かわせたのである。
むろん今もそれに近い国はなくはない。プーチン大統領とロシアも似た臭いがするし、北朝鮮も代が変わろうともトップの一個人の意思が国家をそのまま動かしている。しかしそれは議会制民主主義が遅れた国家の例であって、本来議会と内閣、それに司法はそれぞれ対立しけん制しあって国家をより安全な方向へと慎重に動かしていく仕組みがなくてはならないはずだ。それは近代ならばともかく現代の国家ならば当然そうした議会制民主主義がより成熟していくはずだと誰もが考える。
ところがこの国日本は、どうしたことか政権交代後民主主義はついに機能不全を起こしたようで、また再び戦前のような独裁的政治体制となっていくようだ。つまり大政翼賛会的に議会はほぼ一党に統合されそこでは民主的議論や討議は行われずただ数の力だけで、ときの権力者の思いのままに政治が決められていく。反対意見は一顧だにされず反対者はこのままだと抹殺されていく。
むろんそれを許したのは愚かな国民なのだからそれもまた仕方ないのかと思う。人は景気回復という鼻薬を嗅がされれば、憲法だって変えるのもやぶさかでないと思うものなのだ。戦前の日本、大陸へ無謀な侵略戦争へ突き進んだときも多くの国民は当初は好景気に湧きそれを許すどころか歓迎したのである。結果としてどんな結末が待っていたか。今も昔も全ては目先のこと、金金かねの世なのである。人の心は変わらない。
憲法九条は骨抜きにされ積極的平和主義の名の下、日本もこれから戦争のできる国へなっていく。そしてそのとき戦争に行くのは誰なのか。むろん安倍や石破ではない。彼らはただその指示を出すだけ。自らの命は危険にさらさない。一番安全なところで美味いものを食べながら若者たちを海外の危険地帯へ送り出す。それは古代ローマの頃から権力者はそうしてきた。
人類の歴史とは、政治とはただ同じことをひたすら繰り返すだけのものか。それともマルクスやキリスト教徒たちが思い描いたように段階的に上へ、より良いものへと発展上昇していくものか、この国を見る限りどうやらただ同じ愚を忘れてはまた繰り返すだけのようにも思える。
このことについてはまたよく考えて書いていきたい。
いずれにせよ、今、国民の側に歴史を取り戻すのか、それとも権力者の手に歴史を委ねるのか、その瀬戸際に立っている。ひとたび戦争への道筋ができてしまえば、もう後戻りはできやしない。国家権力は強大化し国民はまた奴隷のように従わされるだけだ。
なにかできること、声を上げていくための情報をお知らせ頂ければこの場で告知、お知らせしていく。
今シバのライブの準備で頭がいっぱいで、政治のこと、時局については落ち着いて考えられない。今の状況に関して書きたいことも書かねばならぬと思うことも多々あるのだが、正直なところ気持ちが切り替えられない。
拙ブログの読者の方にも私ごとばかり書いて誠に申し訳ないと思う。もっと大事なこと、国の未来に関わること、大局について書かねばとも考える。が、今はどうしても目先のことと自らのこと、重箱の隅を突くようなことばかりとなってしまう。情けなくも申し訳ない。
ただ、今の安倍首相の暴走ぶりを見るにつけ、解釈改憲であれ、よくまあそうした勝手なこと、思い付きのようなことが許されまかり通るものだとそのことに呆れ感心すらしてしまう。あまりにも無理があり誰だって心から同意している者などいないと思う。
国民は当然ながらこの急展開、急進に疑義を抱いているし多くはその必要性を認めていないはずと信ずる。が、ことは国会で決めることであり、その国会議員自身がどうして一部の野党以外大声で反対しないのだろうか。政府自民党内でも異論反対論はあったはずだし今も内心は異議を唱える者も少なくないはずだ。なのにそうした異論、反対論はほとんど聞かれない。ただ皆沈黙し首相の顔色を伺いそれに唯々諾々おとなしく従っていく。
集団的自衛権の行使容認、解釈の変更、一言でいえば、これは安倍晋三という一個人、首相職にある者の考え、意志でしかない。思い付きと言っても良い。本来は国会がそれをしっかり監視して彼の「私案」をよく吟味しその問題点を突き撤回させるべきものであったはずだ。ところが、今は景気回復途上で支持率も高く彼一人に権力が集中しているから誰も異議を、暴走を諌めることも口をはさむこともできないのである。
こうして一個人の意思、その考え、政治信条が国会を引きずり国家を引きずって動かしていく。個人の意思がそのまま国家の意思となっていく。本来近代的民主国家ではこうしたことはあり得ないしあってはならないことのはずだ。アメリカを見たってオバマ大統領は議会との対立と調整に四苦八苦してなかなか彼の政策、考え、意思は国家の意思となって国は動いていないではないか。
歴史を見ると、そうした個人の意思が国家の意思そのものとなったもっとも極端な例は、ヒトラーとナチスドイツ、スターリンとソビエト連邦がまず思い浮かぶ。どちらも独裁者であり、国会、議会はあっても支配下におき、彼の妄想的政治思想がそのまま国家を破滅へと向かわせたのである。
むろん今もそれに近い国はなくはない。プーチン大統領とロシアも似た臭いがするし、北朝鮮も代が変わろうともトップの一個人の意思が国家をそのまま動かしている。しかしそれは議会制民主主義が遅れた国家の例であって、本来議会と内閣、それに司法はそれぞれ対立しけん制しあって国家をより安全な方向へと慎重に動かしていく仕組みがなくてはならないはずだ。それは近代ならばともかく現代の国家ならば当然そうした議会制民主主義がより成熟していくはずだと誰もが考える。
ところがこの国日本は、どうしたことか政権交代後民主主義はついに機能不全を起こしたようで、また再び戦前のような独裁的政治体制となっていくようだ。つまり大政翼賛会的に議会はほぼ一党に統合されそこでは民主的議論や討議は行われずただ数の力だけで、ときの権力者の思いのままに政治が決められていく。反対意見は一顧だにされず反対者はこのままだと抹殺されていく。
むろんそれを許したのは愚かな国民なのだからそれもまた仕方ないのかと思う。人は景気回復という鼻薬を嗅がされれば、憲法だって変えるのもやぶさかでないと思うものなのだ。戦前の日本、大陸へ無謀な侵略戦争へ突き進んだときも多くの国民は当初は好景気に湧きそれを許すどころか歓迎したのである。結果としてどんな結末が待っていたか。今も昔も全ては目先のこと、金金かねの世なのである。人の心は変わらない。
憲法九条は骨抜きにされ積極的平和主義の名の下、日本もこれから戦争のできる国へなっていく。そしてそのとき戦争に行くのは誰なのか。むろん安倍や石破ではない。彼らはただその指示を出すだけ。自らの命は危険にさらさない。一番安全なところで美味いものを食べながら若者たちを海外の危険地帯へ送り出す。それは古代ローマの頃から権力者はそうしてきた。
人類の歴史とは、政治とはただ同じことをひたすら繰り返すだけのものか。それともマルクスやキリスト教徒たちが思い描いたように段階的に上へ、より良いものへと発展上昇していくものか、この国を見る限りどうやらただ同じ愚を忘れてはまた繰り返すだけのようにも思える。
このことについてはまたよく考えて書いていきたい。
いずれにせよ、今、国民の側に歴史を取り戻すのか、それとも権力者の手に歴史を委ねるのか、その瀬戸際に立っている。ひとたび戦争への道筋ができてしまえば、もう後戻りはできやしない。国家権力は強大化し国民はまた奴隷のように従わされるだけだ。
なにかできること、声を上げていくための情報をお知らせ頂ければこの場で告知、お知らせしていく。
本日のシバ無頼庵ライブ、まだ残席あります! ― 2014年05月17日 05時50分27秒
★5月17日(土) 午後5時半開場、6時開演 @無頼庵 アクセスランキング: 198位
シバ 無頼庵で語り歌う! 午後5時半開場、6時開演 OA西島寛二 ¥2000.
シバを囲んでの懇親会費¥1000. @無頼庵 問・予約 090-8175-8479マスダ ★予約者はワンドリンク付き。懇親会のみの参加も可。※シバの陶芸作品、マンガ作品の展示即売予定。
シバ 無頼庵で語り歌う! 午後5時半開場、6時開演 OA西島寛二 ¥2000.
シバを囲んでの懇親会費¥1000. @無頼庵 問・予約 090-8175-8479マスダ ★予約者はワンドリンク付き。懇親会のみの参加も可。※シバの陶芸作品、マンガ作品の展示即売予定。
40年目のシバ~我が生涯最良のライブの夕べ ― 2014年05月18日 01時59分48秒
★師匠に恩返しが少しでもできたか アクセスランキング: 162位
良いライブだった。シバを拙宅無頼庵にお迎えしてついに念願のライブとなった。客の入りは予定されていた方が不測の理由で2名来れなかったが、関係者も含めれば16名、良い入りではないかと思う。今、八王子のご自宅まで彼をお送りして戻ってこれを記す。
持ち込んだシバの陶器や漫画、CDも何点か売れたし、音楽以外でも「成果」はあったと思うが、何よりもソロで一時間半、巧みな話術を交え観客を笑わせつつ実に丁寧、丹念に彼のブルーズをたっぷり唄ってくれたことが嬉しい。肩は凝らないが渾身のステージだったと思える。来られた方々は皆大満足ではなかったか。
以前も書いたが、ライブを企画して痛感するのは、観客、アーチスト、そして主催側の三者皆が満足する出来のライブはまずないということだ。良いライブであっても客が入らず興行的には「失敗」ということは常にあるし、アーチストか客のどちらかが不満足、あるいは客もアーチストも満足したとしても企画した側が納得できないライブもなくはない。その場に関わる三者全員が満足できたライブなど記憶を辿ってもなかなか思い出せないほどだ。
が、今晩、2014年5月17日の無頼庵では。まず観客の入りもまずまずだったことに加えて客層、客の質がとても高く良く実に熱心にシバのうたに耳を傾けてくれた。当然シバもいつもよりリラックスしてたくさん語り、ギターにも歌にも気合が入った。皆が堪能したと思うが、その誰よりもこの自分が感動感激、大満足した。ここまで語りたっぷり唄い、熱く弾いたシバは大昔、吉祥寺のぐゎらん堂以来の衝撃的感動であった。そう、40年前、子供だった自分が初めてブルースという音楽を聴いたときの驚きと眩暈のような気分が蘇ってきた。
自分には幸いにして各分野にそれぞれ師匠がいる。詩の師匠は、有馬敲氏であり、フォークソングは中川五郎、古川豪両氏、漫画ではなく、酒は鈴木翁二さん、そしてブルーズはシバである。むろん頭下げて弟子にしてくださいと頼んで、「よし、弟子にしてやる」と承諾受け入門したわけではない。こちらが勝手に私淑して、密かに心の中で「この人は師匠」だと慕い思い敬愛しているだけの話だが、それでも師匠には変わりない。つまりその人に出会わねば自分の「それ」はないわけで、ならば「師匠」と尊敬するしかないではないか。
先にも書いたが、高校生になった頃、吉祥寺のぐゎらん堂でシバの生ライブを観て、その聴いたことのない不可思議な音楽を知りやがては深く魅了された。それこそが「ブルーズ」であり、その後、大阪や京都のブルースバンドのブルースも聞き、さらには本場米国のブルースにまで耳を伸ばしたが、そもそものきっかけはシバであった。自分にとってブルーズとは、あくまでもギター1本とハーモニカで演るスタイルのものであり、R&Bもゴスペルもソウルもラグタイムもどれもが好きだがそのルーツはすべてブルーズであることを思えばそれを教えてくれた方には心から感謝しないと罰があたろう。
その人に高校生の時、ライブで頭を殴られたほどのショックを受け、以来カッコいい~と憧れ続けた方をついに拙宅無頼庵へとお招きすることができた。今もまだ夢のような気分である。やはり改めてものすごくカッコいい~と思った。声もスタイルも顔もギターも全身がブルーズであり、何て無頼なんだと感嘆させられた。若い頃もすごいと思ったが、今は雰囲気、存在そのもののがブルーズマンであり、リリシズムはあっても一切の甘さを排除したステージのシバはいぶし銀という言葉しか思い浮かばないほど抜群の切れ味であった。うたも演奏も語りもすべてがプロ中のプロだと鳥肌が立つ。
自分が40年も前、彼を始めて知ったときの衝撃は今もそこにあった。長い間どれほど彼のことを思い、彼から教わったブルーズを愛してきたか。そのお礼をすることができたとは思えないが、帰りの車の中でそのことはぽつりぽつりと少しだけ話せた。ようやくようやく長い時間がかかったが、俺にブルーズを教えてくれた方に本当に有難うという気持ちをやっと話せた。
これで恩返しができたなんて思わない。が、コアで暖かく良い観客の方々が来てくれて彼らを前にシバも気持ちよく思う存分唄えたならば企画者冥利であるしほんの少しだが恩返しできたような気がする。
繰り返すが、歌い手も観客も企画側も全員が満足できたライブなんてまずありえない。が、今晩はそんな奇跡のライブとなりえた。どこにこんなにシバのファンがいたのかと思うほど、隠れキリシタン的にシバを慕うファンが勢ぞろいし夜遅くまで彼を囲んで話は尽きなかった。気がつけば11時半過ぎ、あの時間で皆さん無事に帰宅できたのだろうか。まさに夢の一夜となった。主宰者の自惚れかもしれないが、こんな奇跡の夜もあるのだ。
今夜のこのライブ、自分は生涯忘れない。その素晴らしいライブを拙宅でやれた幸せと満足感を今噛みしめている。皆さん有難うございました。無頼庵という場を設けて本当に初めて良かったと思えた、満足した晩であった。
次は6月29日の、さこ大介&みほこん。気持ちに火がつき弾みがついた。
良いライブだった。シバを拙宅無頼庵にお迎えしてついに念願のライブとなった。客の入りは予定されていた方が不測の理由で2名来れなかったが、関係者も含めれば16名、良い入りではないかと思う。今、八王子のご自宅まで彼をお送りして戻ってこれを記す。
持ち込んだシバの陶器や漫画、CDも何点か売れたし、音楽以外でも「成果」はあったと思うが、何よりもソロで一時間半、巧みな話術を交え観客を笑わせつつ実に丁寧、丹念に彼のブルーズをたっぷり唄ってくれたことが嬉しい。肩は凝らないが渾身のステージだったと思える。来られた方々は皆大満足ではなかったか。
以前も書いたが、ライブを企画して痛感するのは、観客、アーチスト、そして主催側の三者皆が満足する出来のライブはまずないということだ。良いライブであっても客が入らず興行的には「失敗」ということは常にあるし、アーチストか客のどちらかが不満足、あるいは客もアーチストも満足したとしても企画した側が納得できないライブもなくはない。その場に関わる三者全員が満足できたライブなど記憶を辿ってもなかなか思い出せないほどだ。
が、今晩、2014年5月17日の無頼庵では。まず観客の入りもまずまずだったことに加えて客層、客の質がとても高く良く実に熱心にシバのうたに耳を傾けてくれた。当然シバもいつもよりリラックスしてたくさん語り、ギターにも歌にも気合が入った。皆が堪能したと思うが、その誰よりもこの自分が感動感激、大満足した。ここまで語りたっぷり唄い、熱く弾いたシバは大昔、吉祥寺のぐゎらん堂以来の衝撃的感動であった。そう、40年前、子供だった自分が初めてブルースという音楽を聴いたときの驚きと眩暈のような気分が蘇ってきた。
自分には幸いにして各分野にそれぞれ師匠がいる。詩の師匠は、有馬敲氏であり、フォークソングは中川五郎、古川豪両氏、漫画ではなく、酒は鈴木翁二さん、そしてブルーズはシバである。むろん頭下げて弟子にしてくださいと頼んで、「よし、弟子にしてやる」と承諾受け入門したわけではない。こちらが勝手に私淑して、密かに心の中で「この人は師匠」だと慕い思い敬愛しているだけの話だが、それでも師匠には変わりない。つまりその人に出会わねば自分の「それ」はないわけで、ならば「師匠」と尊敬するしかないではないか。
先にも書いたが、高校生になった頃、吉祥寺のぐゎらん堂でシバの生ライブを観て、その聴いたことのない不可思議な音楽を知りやがては深く魅了された。それこそが「ブルーズ」であり、その後、大阪や京都のブルースバンドのブルースも聞き、さらには本場米国のブルースにまで耳を伸ばしたが、そもそものきっかけはシバであった。自分にとってブルーズとは、あくまでもギター1本とハーモニカで演るスタイルのものであり、R&Bもゴスペルもソウルもラグタイムもどれもが好きだがそのルーツはすべてブルーズであることを思えばそれを教えてくれた方には心から感謝しないと罰があたろう。
その人に高校生の時、ライブで頭を殴られたほどのショックを受け、以来カッコいい~と憧れ続けた方をついに拙宅無頼庵へとお招きすることができた。今もまだ夢のような気分である。やはり改めてものすごくカッコいい~と思った。声もスタイルも顔もギターも全身がブルーズであり、何て無頼なんだと感嘆させられた。若い頃もすごいと思ったが、今は雰囲気、存在そのもののがブルーズマンであり、リリシズムはあっても一切の甘さを排除したステージのシバはいぶし銀という言葉しか思い浮かばないほど抜群の切れ味であった。うたも演奏も語りもすべてがプロ中のプロだと鳥肌が立つ。
自分が40年も前、彼を始めて知ったときの衝撃は今もそこにあった。長い間どれほど彼のことを思い、彼から教わったブルーズを愛してきたか。そのお礼をすることができたとは思えないが、帰りの車の中でそのことはぽつりぽつりと少しだけ話せた。ようやくようやく長い時間がかかったが、俺にブルーズを教えてくれた方に本当に有難うという気持ちをやっと話せた。
これで恩返しができたなんて思わない。が、コアで暖かく良い観客の方々が来てくれて彼らを前にシバも気持ちよく思う存分唄えたならば企画者冥利であるしほんの少しだが恩返しできたような気がする。
繰り返すが、歌い手も観客も企画側も全員が満足できたライブなんてまずありえない。が、今晩はそんな奇跡のライブとなりえた。どこにこんなにシバのファンがいたのかと思うほど、隠れキリシタン的にシバを慕うファンが勢ぞろいし夜遅くまで彼を囲んで話は尽きなかった。気がつけば11時半過ぎ、あの時間で皆さん無事に帰宅できたのだろうか。まさに夢の一夜となった。主宰者の自惚れかもしれないが、こんな奇跡の夜もあるのだ。
今夜のこのライブ、自分は生涯忘れない。その素晴らしいライブを拙宅でやれた幸せと満足感を今噛みしめている。皆さん有難うございました。無頼庵という場を設けて本当に初めて良かったと思えた、満足した晩であった。
次は6月29日の、さこ大介&みほこん。気持ちに火がつき弾みがついた。
「無頼庵」の今後について ― 2014年05月19日 06時14分37秒
★シバのライブは成功したがこれからどうしたものか。 アクセスランキング: 145位
良いライブであったとしても終わればどっと疲れが出るし、初めての方も含め他者を招いて催すことなので、あれこれ至らぬ反省点、つまらぬ失敗が心にかかる。
昨年のクリスマスライブのときからずっと考えているのことだ。友人からも忠告されたが、そもそもお前一人ではこうしたイベント運営は無理なのではないのかという自問だ。
つまり自宅で、大勢の方を招きライブなどをやりつつ料理を作り飲食でもてなすということはマスダという一個人ではやはり限界、不可能ではないかという指摘である。当然自分でもそのことには気づいている。
むろんたいていは料理の手伝いとしては三留某女史に来てもらい台所に立ってもらうが、あくまでも主任はこちらであるし(彼女はサラダとカレーが担当、揚げ物などはしない)、他は飯炊きから会場設営、下準備、そして司会進行から(ときに出演までも!)撮影、録音などの記録、料理の手配まで一切合切をこの不器用な自分がやらないとならない。
後片付けも含めてそれが辛いとか大変だということではなく、結果として個人でできる限界が当然あり、様々な不備や失敗、限界が露呈して来られた方々に迷惑がかかるということこそが問題なのである。
昨年のクリスマス忘年会ライブでは来て頂いたミュージシャンの一人から、招かれて来たのに会場設営作業までやらせるのか、というご批判があった。まったくそれは正しい批判であるがもう当日はあまりに忙しくて頭がいっぱいで誰が誰やら何が何んだかわからないほどパニック状態に陥っていて正しく冷静な対応ができなかったのだ。後から指摘受け深く反省したがそうしたことは他のお客にも起こっていると思われる。先日の詩朗読ライブのときは筍ごはんの調理に失敗した。
つまりそもそも人手がなく、かつてはある程度スタッフ要員的に早くから来てお手伝いしてくれた友もいたけれど、死んでしまったり諸事情で来なくなったりしたのでイベントの規模は大きくなっていくのに自分という一個人の負担はさらに増えている。
金も頂いて客人を招くことなのだからすべてを完璧に、きちんとやらねばならないしやれると思い当日に望むが、まさに「手におえない」というのが現実なのである。対応ができないのならもう終わりにすべきかとも迷い迷うこの頃だ。気持ちとしては続けていきたくても結果、来られた方々に迷惑やご不快な思いをおかけするのならばもう終わりにすべきが本筋であろう。
今ライブの予定は今年前半のぶん、6月末の「さこ大介&みほこん」までは決まっているがその先の予定は何も入れていないのはそうした「迷い」があるからだ。
むろん再開オーダーが来ている「映画塾」のようなイベントならばさほど問題ない。場の提供と懇親会の料理を作って出すだけなので運営など進行には全くタッチしないで済む。つまり場だけ設けて当日始まれば料理の提供だけで良い。たぶん問題なく対応できると思える。しかしそれは完全な裏方であって楽でも気持ちとしてはあまり面白くも楽しくもない。何回か続くとストレスが溜まってくる。やる意義はあるのだが儲かりもしないのに何でこんなことをやっているのかという素朴な疑問がわいてくる。すると当然自分が前面に出て関われる、自らのやりたい企画を立てたくなる。しかし、現実的にはもうそれは人手がなく非力なマスダ一人では不可能に近いのである。いや、正直なところ不可能だと認めるしかない。
今回、5/17日のシバライブは、幸いにして「ハヤシクラブ」のほうから照明・録音など裏方担当のM氏が当日不意に来てくれたので清掃など場の設営も含めて大いに助かった。彼がいなかったら準備不足とトラブルで毎度ながらのパニックに陥ったことは間違いない。
しかし彼も個人的事情もあろうし多忙な土日を月一程度てあっても来て手伝ってもらうことは心苦しいだけでなく今後も常に、と当てにしてはならないはずだ。
ウチの家族、老母はこのところ老いが進んでほぼ何の手伝いの役にも立たないし友達の少ない自分には頼める人がそもそもいない。何かイベントの企画を立ててそれを盛況、成功にしたいと望むほどそもそもその受け皿となるウチ、無頼庵の体制自体を整えなければならないというジレンマに陥る。
ごくごく内輪の集い、それも知人友人だけでやるのなら一人でも対応処理は可能だと思えるが、やるからには今回のシバのように、広く世に宣伝してできるだけ多くの人に来てもらい謝礼が多く支払えるようイベントとして成功させねばならない。そのためには規模に応じたスタッフが必要なのだ。が、自分にはそれがいない。何人かの女友達はいてもスタッフとしては期待できないのである。
つまり現実的にもはや個人では対応処理できないので無頼庵の活動は終わりにするか、やるとしてもうんと数を減らして準備に丹念に時間かけ小規模にしてやるしかない。それなら問題や失敗少なくできるかと思える。
すぐに結論を出すべきことではないが、まずは今の現実について率直に書いた。むろんイベントごとにお手伝いスタッフが一人でも来てくれれば続けていけなくもないと思える。が、この大変な時代、皆どこを見回してもほぼたった一人で四苦八苦でやっている。それが現実ならば、続けるためにはもっとこの自分の体力気力と処理能力を高めてもう少しやってみるしかない。
今月いっぱいゆっくり考えてみて今年後半の予定を出す。今年一年は活動続ける予定であるが無頼庵は今後どうしていくか改めて発表いたしたい。
良いライブであったとしても終わればどっと疲れが出るし、初めての方も含め他者を招いて催すことなので、あれこれ至らぬ反省点、つまらぬ失敗が心にかかる。
昨年のクリスマスライブのときからずっと考えているのことだ。友人からも忠告されたが、そもそもお前一人ではこうしたイベント運営は無理なのではないのかという自問だ。
つまり自宅で、大勢の方を招きライブなどをやりつつ料理を作り飲食でもてなすということはマスダという一個人ではやはり限界、不可能ではないかという指摘である。当然自分でもそのことには気づいている。
むろんたいていは料理の手伝いとしては三留某女史に来てもらい台所に立ってもらうが、あくまでも主任はこちらであるし(彼女はサラダとカレーが担当、揚げ物などはしない)、他は飯炊きから会場設営、下準備、そして司会進行から(ときに出演までも!)撮影、録音などの記録、料理の手配まで一切合切をこの不器用な自分がやらないとならない。
後片付けも含めてそれが辛いとか大変だということではなく、結果として個人でできる限界が当然あり、様々な不備や失敗、限界が露呈して来られた方々に迷惑がかかるということこそが問題なのである。
昨年のクリスマス忘年会ライブでは来て頂いたミュージシャンの一人から、招かれて来たのに会場設営作業までやらせるのか、というご批判があった。まったくそれは正しい批判であるがもう当日はあまりに忙しくて頭がいっぱいで誰が誰やら何が何んだかわからないほどパニック状態に陥っていて正しく冷静な対応ができなかったのだ。後から指摘受け深く反省したがそうしたことは他のお客にも起こっていると思われる。先日の詩朗読ライブのときは筍ごはんの調理に失敗した。
つまりそもそも人手がなく、かつてはある程度スタッフ要員的に早くから来てお手伝いしてくれた友もいたけれど、死んでしまったり諸事情で来なくなったりしたのでイベントの規模は大きくなっていくのに自分という一個人の負担はさらに増えている。
金も頂いて客人を招くことなのだからすべてを完璧に、きちんとやらねばならないしやれると思い当日に望むが、まさに「手におえない」というのが現実なのである。対応ができないのならもう終わりにすべきかとも迷い迷うこの頃だ。気持ちとしては続けていきたくても結果、来られた方々に迷惑やご不快な思いをおかけするのならばもう終わりにすべきが本筋であろう。
今ライブの予定は今年前半のぶん、6月末の「さこ大介&みほこん」までは決まっているがその先の予定は何も入れていないのはそうした「迷い」があるからだ。
むろん再開オーダーが来ている「映画塾」のようなイベントならばさほど問題ない。場の提供と懇親会の料理を作って出すだけなので運営など進行には全くタッチしないで済む。つまり場だけ設けて当日始まれば料理の提供だけで良い。たぶん問題なく対応できると思える。しかしそれは完全な裏方であって楽でも気持ちとしてはあまり面白くも楽しくもない。何回か続くとストレスが溜まってくる。やる意義はあるのだが儲かりもしないのに何でこんなことをやっているのかという素朴な疑問がわいてくる。すると当然自分が前面に出て関われる、自らのやりたい企画を立てたくなる。しかし、現実的にはもうそれは人手がなく非力なマスダ一人では不可能に近いのである。いや、正直なところ不可能だと認めるしかない。
今回、5/17日のシバライブは、幸いにして「ハヤシクラブ」のほうから照明・録音など裏方担当のM氏が当日不意に来てくれたので清掃など場の設営も含めて大いに助かった。彼がいなかったら準備不足とトラブルで毎度ながらのパニックに陥ったことは間違いない。
しかし彼も個人的事情もあろうし多忙な土日を月一程度てあっても来て手伝ってもらうことは心苦しいだけでなく今後も常に、と当てにしてはならないはずだ。
ウチの家族、老母はこのところ老いが進んでほぼ何の手伝いの役にも立たないし友達の少ない自分には頼める人がそもそもいない。何かイベントの企画を立ててそれを盛況、成功にしたいと望むほどそもそもその受け皿となるウチ、無頼庵の体制自体を整えなければならないというジレンマに陥る。
ごくごく内輪の集い、それも知人友人だけでやるのなら一人でも対応処理は可能だと思えるが、やるからには今回のシバのように、広く世に宣伝してできるだけ多くの人に来てもらい謝礼が多く支払えるようイベントとして成功させねばならない。そのためには規模に応じたスタッフが必要なのだ。が、自分にはそれがいない。何人かの女友達はいてもスタッフとしては期待できないのである。
つまり現実的にもはや個人では対応処理できないので無頼庵の活動は終わりにするか、やるとしてもうんと数を減らして準備に丹念に時間かけ小規模にしてやるしかない。それなら問題や失敗少なくできるかと思える。
すぐに結論を出すべきことではないが、まずは今の現実について率直に書いた。むろんイベントごとにお手伝いスタッフが一人でも来てくれれば続けていけなくもないと思える。が、この大変な時代、皆どこを見回してもほぼたった一人で四苦八苦でやっている。それが現実ならば、続けるためにはもっとこの自分の体力気力と処理能力を高めてもう少しやってみるしかない。
今月いっぱいゆっくり考えてみて今年後半の予定を出す。今年一年は活動続ける予定であるが無頼庵は今後どうしていくか改めて発表いたしたい。
全て究められる人、きちんとできる人 ― 2014年05月20日 22時19分40秒
★ダ・ヴィンチ的シバについて思う アクセスランキング: 160位
この世には様々な芸術家、アーチストがいるが、大別すれば、レオナルド・ダヴィンチ的万能アーチストと山下清的一芸の人とにわけられるのではないか。
じっさいのところ才能ある人は、あの天才ダ・ヴィンチのように、一つのジャンルにとらわれることなく多岐の分野で多彩な芸術活動を行いそのどれもがトップレベルの業績を残す。日本人ならビート・たけし氏がまず思い浮かぶ。つまり才能ある人はどんな分野でも何をやっても素晴らしい仕事を残せるということだ。
一方、日常生活的には人並みのことはなかなかできなくてもある分野では特異な並外れた才能があり、音楽なり絵画なり唄うことなりある特定のジャンルにおいては突出した技能を示す人もいる。山下清画伯を例としてだすのは失礼か。画家やミュージシャンにはそうしたタイプが多いような気がする。昔の文士にはそうしたタイプもいた。多芸の人に対して一芸の人である。いずれにしても素晴らしい才能を世に示すことには違いない。
そうした才能溢れる人たちがいる一方、自分も含めて何か光る特異な能力、芸術的才能なく、いや何かあったとしてもそれを活かすことないまま、誰も気づかぬまま一生を終える凡人がいる。世間的には大部分の人がそうであろう。それもまた神の意志なのかとも思うがずいぶん不公平な気もする。なぜに才能を万人に公平に分け与えないのであろうか。
先日拙宅無頼庵で、ブルースシンガー、世間一般的にはフォークシンガーとして知られるシバこと三橋氏をお招きしてライブを催した。その際、ご近所ということもあって、彼の作陶作品と執筆された漫画の単行本も持ち込んで展示した。ご来場の方々にはかなり反響があり、何点何冊か販売もされた。自分もマグカップを一点また購入した。
今そのカップに珈琲を入れて飲みつつこれを記しているのだが、デザインから使い心地からすべてが素晴らしく実用的であり芸術的でありものすごく気に入っている。こうしたカップなど今では100円ショップでも安易に手に入るものだが、値段は何十倍したとしてもシバの作ったそれはモノとしての価値が全く違う。シバのカップは眺めても眺めても飽きることはないし実に確かな存在感がある。実用的日用品ではあるが立派な芸術作品だと断言できる。使うことで嬉しくなるというのか、それを使っていると心が豊かになっていく。
それは自分がシバのファンだからかとも思っていたが、陶芸の本場、笠間に住むうちの「社員」に見せたところ同様の反応があったので、シバの作ったものだからではなく作品として立派に自立していることが確認できた。
それにしても感心するのはシバが陶芸を始めてまださほど年数が経っていないということだ。つい先日、初の個展を開いたばかりで5年にも満たないのではないかと記憶する。それでもこれほどのレベルの「作品」を生み出すのだ。器用とか以前にまさに天才だと思える。すごいのは彼はもちろん、唄に、作詞に作曲にギター演奏にも突出した才があり、他にも写真、漫画、画家としての活動も知られている。盆栽も見たことはないがやっていたというし、つまり芸術全般にわたって多彩な活動をされるダ・ヴィンチ的天才マルチアーチストだと言えよう。そしてそれも下手の横好きではなくどれも本格的にプロ及びプロのレベルにあるのである。自分の周りにはそうした人は他にいないと思えるし、いたとしてもシバのレベルに及ぶ人など皆無だろう。
そうしたダ・ヴィンチ的多芸多才な人と我が身を比べても仕方ないし無意味だが、シバとその芸術活動を通してほんの少しであるが天才の「秘訣」のようなものが見えてきたようにも思える。自分と何がいったい違うのであろうか。そのことについてもう一回書いてみたい。
この世には様々な芸術家、アーチストがいるが、大別すれば、レオナルド・ダヴィンチ的万能アーチストと山下清的一芸の人とにわけられるのではないか。
じっさいのところ才能ある人は、あの天才ダ・ヴィンチのように、一つのジャンルにとらわれることなく多岐の分野で多彩な芸術活動を行いそのどれもがトップレベルの業績を残す。日本人ならビート・たけし氏がまず思い浮かぶ。つまり才能ある人はどんな分野でも何をやっても素晴らしい仕事を残せるということだ。
一方、日常生活的には人並みのことはなかなかできなくてもある分野では特異な並外れた才能があり、音楽なり絵画なり唄うことなりある特定のジャンルにおいては突出した技能を示す人もいる。山下清画伯を例としてだすのは失礼か。画家やミュージシャンにはそうしたタイプが多いような気がする。昔の文士にはそうしたタイプもいた。多芸の人に対して一芸の人である。いずれにしても素晴らしい才能を世に示すことには違いない。
そうした才能溢れる人たちがいる一方、自分も含めて何か光る特異な能力、芸術的才能なく、いや何かあったとしてもそれを活かすことないまま、誰も気づかぬまま一生を終える凡人がいる。世間的には大部分の人がそうであろう。それもまた神の意志なのかとも思うがずいぶん不公平な気もする。なぜに才能を万人に公平に分け与えないのであろうか。
先日拙宅無頼庵で、ブルースシンガー、世間一般的にはフォークシンガーとして知られるシバこと三橋氏をお招きしてライブを催した。その際、ご近所ということもあって、彼の作陶作品と執筆された漫画の単行本も持ち込んで展示した。ご来場の方々にはかなり反響があり、何点何冊か販売もされた。自分もマグカップを一点また購入した。
今そのカップに珈琲を入れて飲みつつこれを記しているのだが、デザインから使い心地からすべてが素晴らしく実用的であり芸術的でありものすごく気に入っている。こうしたカップなど今では100円ショップでも安易に手に入るものだが、値段は何十倍したとしてもシバの作ったそれはモノとしての価値が全く違う。シバのカップは眺めても眺めても飽きることはないし実に確かな存在感がある。実用的日用品ではあるが立派な芸術作品だと断言できる。使うことで嬉しくなるというのか、それを使っていると心が豊かになっていく。
それは自分がシバのファンだからかとも思っていたが、陶芸の本場、笠間に住むうちの「社員」に見せたところ同様の反応があったので、シバの作ったものだからではなく作品として立派に自立していることが確認できた。
それにしても感心するのはシバが陶芸を始めてまださほど年数が経っていないということだ。つい先日、初の個展を開いたばかりで5年にも満たないのではないかと記憶する。それでもこれほどのレベルの「作品」を生み出すのだ。器用とか以前にまさに天才だと思える。すごいのは彼はもちろん、唄に、作詞に作曲にギター演奏にも突出した才があり、他にも写真、漫画、画家としての活動も知られている。盆栽も見たことはないがやっていたというし、つまり芸術全般にわたって多彩な活動をされるダ・ヴィンチ的天才マルチアーチストだと言えよう。そしてそれも下手の横好きではなくどれも本格的にプロ及びプロのレベルにあるのである。自分の周りにはそうした人は他にいないと思えるし、いたとしてもシバのレベルに及ぶ人など皆無だろう。
そうしたダ・ヴィンチ的多芸多才な人と我が身を比べても仕方ないし無意味だが、シバとその芸術活動を通してほんの少しであるが天才の「秘訣」のようなものが見えてきたようにも思える。自分と何がいったい違うのであろうか。そのことについてもう一回書いてみたい。
古民家片づけ事情2014,5月 ― 2014年05月21日 11時26分58秒
★これから定期的に、行くとき行った時の報告をしていく。 アクセスランキング: 146位
外は昨夜からの雨が降り続いている。おまけに寒い。もう今年は着ることはないとしまったはずのジャンパーを羽織ってこれを書いている。
今年は春から雨が少なくイベントや行楽には恵まれたが、農家や園芸に携わる人たちは悩みの種であった。この久々のまとまった雨でやっと一息ついていることであろう。ウチの庭もカラカラだった。ただサムイのは困る。また鼻水が垂れている。
昨日20日は、また茨城から招いた社員氏と母を乗せて日帰りで山梨へ行ってきた。古民家の中に残っている前生活者の古い衣類などの整理、処分作業である。管理されていた係累の方に来てもらい一緒に分別して箪笥や納戸を空にしていった。
我々は出たゴミのまとめと移動、そして掃除に追われた。これでようやく衣類、布団などの分別確認作業はほぼ終わったかと思う。
ただ根本的に遺された物が減ったのではなく、これは綺麗でまだ使えるから、と残しておくモノへ母の判断で分別判定が変わっただけの話で、いくらかは片付き減ったと言えなくはないものの相変わらず箪笥の中は着物やら毛糸玉やら端切れやらでいっぱいである。
あとは本当にガラクタ、使われていない電気炬燵とか石油ストーブとか子供の学習机やイスとかカーペット類とか本来都会ならば買い替えのとき処分するべきものを田舎の広い家故スペースもありまた使うかもと納戸的小屋裏部屋に溜め込んできた不用品だけなので、こちらで勝手に処分してもかまわないと思える。※作業の最中、今回は古いヤマハの電気オルガンが発見された。幸い電気のスイッチ入れたらしっかり鳴った!近く無頼庵ライブでも活躍することであろう。
それでもまだかなりガラクタは山積みなので回収車を頼んでも一回ではとても終わらないはずで、年内、冬が来る前、秋までに終わればと思っている。
いずれにせよまた近く今度は土日中心に一人で行く。ガソリン代がバカ高くなって頭が痛いが、ともかく一人でも動かせるガラクタはゴミとして出していかねばならない。できるときにできるすべきことを少しでもやっていく。それが何においても人生のコツだとわかってきた。
「古民家片づけ隊」隊員参加者はご連絡頂ければご都合に合わせ調整して出掛けたい。
昨日は行きはすいすいとまったく渋滞もせずに着けたが、帰りは中央道の集中工事に巻き込まれて余計に一時間半近くもノロノロ運転を余儀なくさせられた。
が、これからこそが向こうはもっとも良い過ごしやすい季節。どなたでもぜひご参加願いたい。今は家庭の事情で日帰りとなるので行きやすいかと思う。
外は昨夜からの雨が降り続いている。おまけに寒い。もう今年は着ることはないとしまったはずのジャンパーを羽織ってこれを書いている。
今年は春から雨が少なくイベントや行楽には恵まれたが、農家や園芸に携わる人たちは悩みの種であった。この久々のまとまった雨でやっと一息ついていることであろう。ウチの庭もカラカラだった。ただサムイのは困る。また鼻水が垂れている。
昨日20日は、また茨城から招いた社員氏と母を乗せて日帰りで山梨へ行ってきた。古民家の中に残っている前生活者の古い衣類などの整理、処分作業である。管理されていた係累の方に来てもらい一緒に分別して箪笥や納戸を空にしていった。
我々は出たゴミのまとめと移動、そして掃除に追われた。これでようやく衣類、布団などの分別確認作業はほぼ終わったかと思う。
ただ根本的に遺された物が減ったのではなく、これは綺麗でまだ使えるから、と残しておくモノへ母の判断で分別判定が変わっただけの話で、いくらかは片付き減ったと言えなくはないものの相変わらず箪笥の中は着物やら毛糸玉やら端切れやらでいっぱいである。
あとは本当にガラクタ、使われていない電気炬燵とか石油ストーブとか子供の学習机やイスとかカーペット類とか本来都会ならば買い替えのとき処分するべきものを田舎の広い家故スペースもありまた使うかもと納戸的小屋裏部屋に溜め込んできた不用品だけなので、こちらで勝手に処分してもかまわないと思える。※作業の最中、今回は古いヤマハの電気オルガンが発見された。幸い電気のスイッチ入れたらしっかり鳴った!近く無頼庵ライブでも活躍することであろう。
それでもまだかなりガラクタは山積みなので回収車を頼んでも一回ではとても終わらないはずで、年内、冬が来る前、秋までに終わればと思っている。
いずれにせよまた近く今度は土日中心に一人で行く。ガソリン代がバカ高くなって頭が痛いが、ともかく一人でも動かせるガラクタはゴミとして出していかねばならない。できるときにできるすべきことを少しでもやっていく。それが何においても人生のコツだとわかってきた。
「古民家片づけ隊」隊員参加者はご連絡頂ければご都合に合わせ調整して出掛けたい。
昨日は行きはすいすいとまったく渋滞もせずに着けたが、帰りは中央道の集中工事に巻き込まれて余計に一時間半近くもノロノロ運転を余儀なくさせられた。
が、これからこそが向こうはもっとも良い過ごしやすい季節。どなたでもぜひご参加願いたい。今は家庭の事情で日帰りとなるので行きやすいかと思う。
続・「無頼庵」の今後について思う ― 2014年05月22日 05時04分24秒
★もとよりここは「商売」でやっていないのだから・・・ アクセスランキング: 141位
書いたものを読み手がどう読み、どうとらえるかはその人の自由であるけれど、書いた側の真意、表の文章の裏に流れる伏流水のようなものはなかなか伝わらないものなのだと今更だが思う。いや、それは単に書き手である自分の力不足、書き方が下手だからで、故滝口氏の口癖をお借りすれば「暗澹たる思い」にやや囚われている。あんなこと書かねば良かったのか。
つい先日のブログ、シバのライブの後に、ウチ無頼庵の今後について自分が今やや悩み迷っていることを愚痴話的に書いてしまった。そうしたらウチで企画・出演されている方が読まれて、マスダにずいぶん迷惑をかけていることを初めて知った、なので無頼庵で予定する企画を取り下げ撤退したいというお申し出があった。
そうじゃないんだよなー、伝わってねーなー全く。ウチで何かをやることは当然ツライとか大変だとかは確かにある。が、問題はグズで基本ダメの人間である自分が一人では対応できなくなってきていることが「問題」なのであって、辛いからやめたくて迷っていると書いたつもりはなかった。
イベントはこれからも続けていきたいし続けていくことを前提として、そうした難しい状況をどう打破、解決するか思案中だと経過報告的に書いたと思っていた。
見回せばもとよりどこも皆一人でもしこしこ続けている。それも商売として苦しく通年営業でもやれている。自分の場合、自宅で月一程度でもどうしてそれがうまくできないのかというと、要するに処理能力が足りないことと規模が大きすぎるからだと言えようか。
つまり仮に4~5人程度の催し、集いならば対応も含めて出す料理などは家庭料理の続きで事足りる。それは十分できる自信がある。しかしそれが20名近く、まして昨年のクリスマスライブのように断続的に参加者が来て総勢30名にも及ぶとなると当然来客一人一人に細かい対応はできなくなる。いろいろ不備、失敗が続出する。
料理がいきわたらないだけでなく、そこにライブもあり、進行役の仕事もあり、企画から運営、接待、調理、提供、記録まで全て一人ではできないことは見るまでもない。しかし、せっかくお招きした方に、人手不足だからは、言い訳にならないし、商売としてやっていなくてもせっかく来られた方をに不快な思いをさせて帰らせてはならないはずだ。
だが、人手不足からもはや規模が大きくなるほど万全の対応はできなくなっている現実、それが問題で、どうしたらよいだろうかと書いた。本意としては一人で全部きちんとやりたいのである。が、自らのことや日常生活だってきちんとできないこの人間にそんな超人的処理能力があるはずがない。
真意としては、読者の方の中からもしかしたら誰か奇特な方がスタッフとして「お手伝い」を名乗り出てくれることを期待したし(先だって書いた古民家片づけ隊には参加希望者が有難くも二人いた)、何か妙案が寄せられないかとも思っていた。また、自分の場合、書くことが=考えることなのだから書いている最中に「答え」も見えてくる。だから書いた。が、こちらの真意は伝わらない反応だけが帰ってきた。
で、結論である。
どんなイベントであっても自分がやりたい、やる価値があると思うイベントはこれからもいくらでも続けていく。※が、マスダの対応、関わり方は個々に異なることは了承頂きたい。
持ち込み企画のようなものに対しては、事前に基本的会場設営はしておくが、後はその企画関係者たちで当日の設営と運営、進行はやって頂く。調理の提供など「実費」でマスダが担当する。※映画塾はこうして近く再開の予定。
音楽ライブなどのイベントは、規模の大小にかかわらず、お手伝いのボランティアスタッフを事前に募集する。報酬は支払えないが、イベントの参加費と飲食は無償として。また下準備にしっかり時間を十分にかけて当日パニックに陥らないよう心しておく。
それと基本的に、ご来場者にお願いしたいことは、各自が皆それぞれ自主的に自己責任の範囲で何をやってもかまわないということだ。こちらは基本的に場の提供側だと心して、「商売」ではないのだから利用者が好き勝手にまさに「無頼」に自由に使ってほしい。そのほうがこちらは楽なのだ。
逆に全部マスダが万全にやらねばならないという状況になってしまうと、無理と限界が生じ心身経済全てに過重な負担がかかり無頼庵は早晩つぶれてしまう。もし利用者、参加希望者がこれからもここの存続を望むならば望み続けてほしい企画に関しては主体的に関わってもらえると有難いしぜひそれを期待する。
繰り返すが、自分としては今後も様々なイベント企画を続けていきたいし願わくば自己負担を軽くしてしかも来られた方々が満足して帰られる状況がうまく作れないかと夢想する。そもそもここは商売ではやっていないし、やりたいことは商売になることではない。儲けを度外視した上で来られた方それぞれが皆満足いく場はどうかうまく作れないものか。商売」ならばきちんとした代金を頂く代わりにきちんとしたサービスを提供しなくてはならない。かといって商売でないからといって失態不備があって参加者の不満を当然としてはならない。人としてきちんとすべき点、守らねばならないことはどこでもいつでも必ず存在する。多くの「運動」の失敗はそこにあるのである。
様々な生活難を抱えるこの身であるが、無頼庵は商売でないからこそできることがあると信ずるし続けていかねばならないと思っている。まあ、それも誰も来なくなれば自然消滅となろうがまだ役目はあると信ずる。我マスダはその負担は厭わない。
何であれ誰であれ、来る者は拒まず、去る者は追わない。子供じゃないんだから長くも生きてきたのだから自己責任の言葉を噛みしめて考えながらともかく動いていく。
書いたものを読み手がどう読み、どうとらえるかはその人の自由であるけれど、書いた側の真意、表の文章の裏に流れる伏流水のようなものはなかなか伝わらないものなのだと今更だが思う。いや、それは単に書き手である自分の力不足、書き方が下手だからで、故滝口氏の口癖をお借りすれば「暗澹たる思い」にやや囚われている。あんなこと書かねば良かったのか。
つい先日のブログ、シバのライブの後に、ウチ無頼庵の今後について自分が今やや悩み迷っていることを愚痴話的に書いてしまった。そうしたらウチで企画・出演されている方が読まれて、マスダにずいぶん迷惑をかけていることを初めて知った、なので無頼庵で予定する企画を取り下げ撤退したいというお申し出があった。
そうじゃないんだよなー、伝わってねーなー全く。ウチで何かをやることは当然ツライとか大変だとかは確かにある。が、問題はグズで基本ダメの人間である自分が一人では対応できなくなってきていることが「問題」なのであって、辛いからやめたくて迷っていると書いたつもりはなかった。
イベントはこれからも続けていきたいし続けていくことを前提として、そうした難しい状況をどう打破、解決するか思案中だと経過報告的に書いたと思っていた。
見回せばもとよりどこも皆一人でもしこしこ続けている。それも商売として苦しく通年営業でもやれている。自分の場合、自宅で月一程度でもどうしてそれがうまくできないのかというと、要するに処理能力が足りないことと規模が大きすぎるからだと言えようか。
つまり仮に4~5人程度の催し、集いならば対応も含めて出す料理などは家庭料理の続きで事足りる。それは十分できる自信がある。しかしそれが20名近く、まして昨年のクリスマスライブのように断続的に参加者が来て総勢30名にも及ぶとなると当然来客一人一人に細かい対応はできなくなる。いろいろ不備、失敗が続出する。
料理がいきわたらないだけでなく、そこにライブもあり、進行役の仕事もあり、企画から運営、接待、調理、提供、記録まで全て一人ではできないことは見るまでもない。しかし、せっかくお招きした方に、人手不足だからは、言い訳にならないし、商売としてやっていなくてもせっかく来られた方をに不快な思いをさせて帰らせてはならないはずだ。
だが、人手不足からもはや規模が大きくなるほど万全の対応はできなくなっている現実、それが問題で、どうしたらよいだろうかと書いた。本意としては一人で全部きちんとやりたいのである。が、自らのことや日常生活だってきちんとできないこの人間にそんな超人的処理能力があるはずがない。
真意としては、読者の方の中からもしかしたら誰か奇特な方がスタッフとして「お手伝い」を名乗り出てくれることを期待したし(先だって書いた古民家片づけ隊には参加希望者が有難くも二人いた)、何か妙案が寄せられないかとも思っていた。また、自分の場合、書くことが=考えることなのだから書いている最中に「答え」も見えてくる。だから書いた。が、こちらの真意は伝わらない反応だけが帰ってきた。
で、結論である。
どんなイベントであっても自分がやりたい、やる価値があると思うイベントはこれからもいくらでも続けていく。※が、マスダの対応、関わり方は個々に異なることは了承頂きたい。
持ち込み企画のようなものに対しては、事前に基本的会場設営はしておくが、後はその企画関係者たちで当日の設営と運営、進行はやって頂く。調理の提供など「実費」でマスダが担当する。※映画塾はこうして近く再開の予定。
音楽ライブなどのイベントは、規模の大小にかかわらず、お手伝いのボランティアスタッフを事前に募集する。報酬は支払えないが、イベントの参加費と飲食は無償として。また下準備にしっかり時間を十分にかけて当日パニックに陥らないよう心しておく。
それと基本的に、ご来場者にお願いしたいことは、各自が皆それぞれ自主的に自己責任の範囲で何をやってもかまわないということだ。こちらは基本的に場の提供側だと心して、「商売」ではないのだから利用者が好き勝手にまさに「無頼」に自由に使ってほしい。そのほうがこちらは楽なのだ。
逆に全部マスダが万全にやらねばならないという状況になってしまうと、無理と限界が生じ心身経済全てに過重な負担がかかり無頼庵は早晩つぶれてしまう。もし利用者、参加希望者がこれからもここの存続を望むならば望み続けてほしい企画に関しては主体的に関わってもらえると有難いしぜひそれを期待する。
繰り返すが、自分としては今後も様々なイベント企画を続けていきたいし願わくば自己負担を軽くしてしかも来られた方々が満足して帰られる状況がうまく作れないかと夢想する。そもそもここは商売ではやっていないし、やりたいことは商売になることではない。儲けを度外視した上で来られた方それぞれが皆満足いく場はどうかうまく作れないものか。商売」ならばきちんとした代金を頂く代わりにきちんとしたサービスを提供しなくてはならない。かといって商売でないからといって失態不備があって参加者の不満を当然としてはならない。人としてきちんとすべき点、守らねばならないことはどこでもいつでも必ず存在する。多くの「運動」の失敗はそこにあるのである。
様々な生活難を抱えるこの身であるが、無頼庵は商売でないからこそできることがあると信ずるし続けていかねばならないと思っている。まあ、それも誰も来なくなれば自然消滅となろうがまだ役目はあると信ずる。我マスダはその負担は厭わない。
何であれ誰であれ、来る者は拒まず、去る者は追わない。子供じゃないんだから長くも生きてきたのだから自己責任の言葉を噛みしめて考えながらともかく動いていく。



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