3日連続のライブ観覧を終えて2015年03月15日 22時02分18秒

★体は限界だが今、心は燃えている          アクセスランキング: 143位

 ぎっくり腰は癒えたのだが、パソコンでのビデオ編集の仕事で長時間椅子に座っていたので、腰痛状態が慢性化してしまい、3.11の頃は山梨の古民家に湯治に行っていた。向こうは冷たい強風が吹き荒れてものすごく寒かった。あまりの強風に、高速使わず帰ってきたので運転時間が長く、あんまり体調回復にはならなかったが、気持ちはリフレッシュできた。

 で、戻ったらば金曜13日から、今日15日まで三日連日ライブに出かけなくてはならなくて、ようやく今夕それがすべて終わった。当初は三日全部出るのは体がもたずたぶん不可能だと予測していたのだが。
 今の体調は、腰の痛みが背中全体に広がり、かちんかちんに固まって息も苦しいという状態である。おまけに頭までが鈍く痛い。が、気持ちはすごく高揚している。ハイになっていると言ってもよい。

 何はともあれ、この三日間の難事を成し終えたからだが、合計すれば十数時間、各アーチスト数にすれば20組にも及ぶ様々多彩なシンガーたちのうたを連日たっぷり聴いて、多くのことを考えさせられ気づき、得たものが大きかったからだ。

 長くなるし詳しく書いたとしても伝わるかわからないことだが、簡単に記すと、ようやく「うた」とは何かわかった。見えてきた。そして自分がすべきことも定まった。さらに自分が何故ダメであったかということすらもはっきりわかった。敷衍すれば、残りの人生、どう生きて行くべきかすらも。

 一言でいえば、音楽とはその文字の如く、観客も表現者も共に音を楽しむことだが、歌とは、その中からさらに抽出されたスピリッツの部分であり、思いであり愛なのだとようやくわかった。それがつかめた。
 歌の上手い下手、テクニックの巧拙はそこに関係ない。歌に託してうたを通して伝えたい強い思い=愛があるかどうかであった。

 ようやくわかった。金になるかどうかとか、観客の多寡は関係ない。そうした本物の、ほんとうのうた を求めて、残りの人生を費やしていく。今まで何がしたいのか、何をすべきなのかずっと迷っていた。バカだからよくわからなかった。あれこれ迷ってばかりいた。
 ようやくつかんだ。つかめた気がしている。いや、今、今はまだその掴めたと思った手を開いて、手のひらをまじまじと見つめている段階だが、その感触ははっきりと覚えている。

 うたに限らない。全ての本当に大事なことはすぐそこにあった。だがなかなか届かないし行きつけない。しかし、道は一つ。もう焦りも迷いもしない。ずいぶん時間がかかったが、神は我を見捨てなかった。ようやく光が、光に続く道が見えた。もう迷わないし何も怖れない。