老いのとば口で老親を看取ること・続き2015年03月17日 09時08分55秒

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 雨上がりの爽やかな暖かい朝だ。強い春の陽射しが差し込んでくる。
どこからともなく、沈丁花の匂いが漂っている。
 大好きな小坂忠さんがのんびりとした歌声で頭の中で、♪庭はぽかぽか、心ウキウキ~とうたっている。
 春眠暁を覚えず。一晩ぐっすり寝たら背中から腰にかけての凝った痛みは軽くなった。

 さて、私事はともかく、周りを見回すと、今、その老いた親の最後を看取るために日々昼夜問わず介護に追われている人たちがいる。
 寝たきりとなっても最後は家で、家族に看取られて旅立つことは、老人病院に預けることに比べて当人は満足できるだろうし何より望むことであろう。しかし、数時間おきにオムツを取り換えたり、体の向きを変えたりするのは介護保険を利用したとしても家族には大変な負担となる。
 ある友は夫婦交互に、時に息子まで動員してそれぞれ時間帯を決めて担当を決めて死にゆく親の面倒を見ている。とても仕事どころではないので、退職し現在は介護だけ、介護漬けの日々がずっと続いているそうだ。その精神的負担はどれほどのものであろうか。

 また、ある友は、夫婦と、ときに彼の妹に来てもらい、日々の仕事の合間をぬって介護に追われている。つまるところ、家族総出で、頼れる親族をも動員して何とか老親の世話をしているのである。
 24時間、昼夜を問わず痴呆も含めた老いた病人を介助しなくてはならないのは、本当に大変だ。自分の親だから仕方ないと彼らは言うが、疲弊した様子は言葉の端々からうかがえた。

 思うに、こうした状態は決して改善はしないし、いつまで親が生きるのかすら定かではない。むろん死を待ち望みはしないだろうが、先は見えず精神的肉体的にも負担がかかる日常がひたすら続いていく。
 これが「子育て」ならば、同じ24時間世話に追われるとしても、じょじょに赤子は成長もし、負担の程度は軽くもなっていく。辛さの中に、希望や喜びもあるはずだ。が、死にゆく老親の介護には何の希望もない。いつまでその地獄が続くのかわからないまま子の方こそ追い詰められていく。

 行政や国家に、こうした事態の改善を求め、何か対策を、と政治の問題として考えることもできなくはない。しかし、個人的にはこれもまた子供の務めであり、それができることは良いことだとも思えなくもない。
 親を早く亡くした人にはこうした親孝行をしたくても不可能なわけで、最後の最後まで自ら親と深く関われることは間違いなく良いことだと今は思う。
 しかし、そんなことを言えるのは、まだそのとば口に居るからであって、じっさいに自分一人で老親二人が寝たきりになったとしたら絶対に面倒など見きれるはずもない。妻子がいたとしても大変なのである。
 それを初老の腰痛持ちの、しかもろくに収入もないこの我が一人でどうできるのか。自分にもたった一人の妹はいる。が、遠く九州の地に嫁ぎ、向こうは向こうでダンナの老親という介護せねばならない家族を抱えている。彼女にいったい何を頼めるのか。

 今は音楽のこととかにウツツを抜かして好き勝手なことを書いたりやっている我だが、間もなく近く間違いなく地獄が始まる。たった一人でどこまでやれるか何ができるかまったく自信はない。しかし、それすらも自らの負債であり、親に対する償いであり、恩返しであり、責務だと今は思える。そう、人としての務めだと。いわば年貢の納め時だと。

 そして、これは書かないつもりであったが、近くふれねばならないことなのでやはり書くが、母の癌が再発した。先日の検査で判明した。まだ入院は決まっていないが、そんなで今我が家はあたふたし始めている。癌は手術後3年はおとなしくしているが、3~4年すると再発すると聞いていたがウチもそうであった。
 もう手術はできないと医者は言うし、歳も歳なので抗がん剤も与えるかまだわからない。これから先のことはまだなにも見えていないが、いよいよ終わりの時が近づいてきたと思える。

 まあ、ウチは親たちも結婚遅かったので、親の歳に比べればまだ我は若い。これが自らも還暦過ぎ、70歳近くとなっては老親の世話することはできないだろう。体力はないが我はまだ動ける。親たちを無事見送られれば、まだ少しはその先の人生もあるかもしれない。

 むろんこれからどうなるかまったくわからない。意外と親たちの方が頑健で長生きしてしまい子のほうが介護に疲れて気も病み自殺してしまう可能性すらある。あるいはさほど介護の必要もなくぽっくり逝くかもしれない。

 そうしたこと全て、あからさまに正直に書き記していく。むろん本当に嫌なこと、読み手にとって辛くなるようなことは書かないし書けない。できるだけ読み物として面白可笑しく書いていきたい。もし宜しければ今後ともお付き合いください。愚かだがこんな人生があるのだと何か後学のためにもなるかとも。