長い冬を前にして2016年11月26日 22時48分31秒

★夢も希望もないねって

 雪は二日でほぼ消えた。まだ植え込みの日陰の隅にはほんの少し残っているが、記憶にもない、観測史上初の11月の積雪はあっけなく消えた。昨日はカラッと朝から晴れたので外は、終日溶けた雪が滴り落ちる音がしていた。
 東京では、雪はこのところ年内に降ることはまずなく、降らない年もままあり、降ったとしても二月か三月、春先にどかっと降るものであった。
 それがこうしてまだ紅葉の頃、落葉の前に積もるほど降ると、昨日など溶けていく雪を見ていると、このまま春になっていくような錯覚を覚えた。
 しかし、まだ12月にもなっていないのである。冬はこれからが本番であっていよいよこれから本格的な冬が来るのだった。考えただけでうんざりする。
 この感じでは今年は厳しい寒さの長い冬になるのではないだろうか。

 このところ少しづつでも人生がやっとまた動き出したと思えていたのだが、昨日は、また体調悪くて、起きてられずブログも書けなかった。大して疲れるようなことは何もしていない。父と犬の世話だけで倦み疲れて、この寒さのせいもあるが、またメマイとふらつきがあって、犬たちと夜の散歩していたら、咳が止まらなくなって道端でげえげえ夕食に食べたものを吐いてしまった。
 戻って、強い酒を流し込んで、また咳が出ないうちにと倒れ込むように寝てしまったのだ。
 そしたら寝ながら突然こんな言葉が頭に浮かんだ。「夢も希望もないね」と。そう、ずうずう弁で呟いて、笑いをとったのは、東京ぼん太であったか。
 そんな大昔の、とっくに死んだ芸人の言葉をなんで今頃思い出したのか訝しく思うが、確かに夢も希望もないのであった。困ったなあと思う。

 以前も、若い時からもだが、大志というようなものは我になく、~だったらいいなあ、というぼんやりとした願望と思いつきはいくらでもあったが、将来的な夢とか希望と呼べるようなものは何もなかった。
 が、やりたいことや行きたいところはいくらでもあったし、また、それが我にとって、役割だとかやるべき使命だとか思えたことも多々あった。
 しかし、このところ母が死んでから特に、そうしたものはなくなってしまい、我を突き動かす「思いつき」でさえわかなくなってしまった。
 何かに夢中になる、「情熱」というものが我が内になくなってしまったと気づく。かつての我には、何かに夢中になれる「情熱」だけは誰よりもおおくあったと自負している。それはバカだったからだが、なくなって利口になったとはとても思えない。

 今は、ほぼすべてがどうでもいい感じで、無頼というのと虚無は違うと思えるが、虚しさと淋しさがカードの裏表のように、我が心の中で、カラカラと回っている。
 父のことも含めてまだまだやるべきことは山積みだから、簡単に死ぬわけにはいかないが、我が身我が事ながら困った事態だと自ら思う。こんな気持ちだとうっかり迂闊に死んでしまうかもしれない。
 今週中に病院に行けば良かったのだが、雪が降ったりあれこれ慌ただしくて週末になってしまったのだ。

 むろん他人様とのことで果たすべき義理はいくらでもあるけれど、我において我に成すべきことはまだあると思いたい。
 前回の続きも書くべきだったが、まだ咳が続いていて根気強くきちんと書けない。今晩もこのままお休みしようかとも考えたが、間が空くよりも現状報告だけしようと考えた。

 この冬は生涯で一番長い冬になりそうで今から憂鬱だ。ささやかでも夢と希望をみつけたい。成すべき義務ではない、もっと楽しい、考えだけでワクワクして夢中になれるようなことを。