今日から10月、今思うこと ― 2017年10月01日 13時24分28秒
★間もなく逝く父と暮らしながら
安倍晋三の身勝手な突然の解散総選挙で、急に慌ただしくなってしまったが、これこそ国難と言っても仕方ない。今日から10月、今年も残すは三か月である。
外は雲一つない秋の青空、まさに天高くの快晴である。風もあり実に爽やかで心地よい秋の日曜日だ。陽射しのあるところは汗ばむほどだが、日陰や朝晩はそろそろ暖房が恋しいほど気温が低くなってきた。
昨晩は、溜まった紙ゴミや廃材を燃やすため今季初めて薪ストーブに火を入れた。炎に向き合う季節もすぐそこまで来ている。
政治の話は横に置くとして、さて、これからどうしたものか。とにもかくにもさらに老いて弱って来た父の今後の扱いである。
我の父は今月の21日で93歳となる。一兵士として大陸へも行き、帰還後は、長男であったので下の妹や弟を喰わせる為に働き続け結婚も遅くなり、同じく長女で同環境にあった我が母と出会い、当時としては遅い結婚で我と妹が生まれた。
若い時に結核で入院もし、その後も前立腺癌をはじめ数々の病に見舞われたが、苛烈な戦争から戻って来れたのも頑健な身体であったのであろう、気がつけば一族の誰よりも長生きして、去年五つ歳下の妻のほうが先に逝ってしまった。
今は、独身のまま還暦となる息子=我との男同士二人暮らしである。我としてはまさかこの人がこんなに長生きするとは、そして父もまた、妻を先に亡くして息子と二人で遺されるとは思いもよらなかったに違いない。そう、こんな余生、末期が待っているとは誰も予想もしなかった。
ただこのところ今夏が過ぎてから父はめっきり衰えて来て、介護施設に勤めて同様の老人の世話をしてきた我が妹の予見では、もうそれほど長くはないだろうとのことである。
父の具合を説明したら、まずは年内越して正月を迎えられるかどうかで、来年の夏まで難しいのではないかと妹は電話でいう。じっさい我もこのところの父の言動、体調を見るとそう思えなくもない。
ともかくこの秋になってからほとんど歩けなく食べられなくなり体調も減る傾向が止まらないからだ。そして頭のほうも比例して衰えて、ますます呆けが進み記憶が続かず何もわからなくなって来て共に暮らし介助する側としては困惑するばかりだ。
今日は昨日から一泊二日で民家型デイサービスへ、ショートでお泊りに行ってくれているので我はこうしてブログ書いたり父不在故のんびり好き勝手なことができる。
ただ今の感じでは、そうした通所型介護サービスも限界となろうから、特養もしくは入院介護施設へと当人の意思は関係なく嫌でも移らないとならなくなると思う。そう、本人はどれほど呆けて息子に過度の負担かけようとも最後の最後までこの家、自宅で暮らしたいと言い張っているのだ。
しかし、当人の意思や希望とは関係なく、高齢から?の老衰は確実に進み、今父は、自室の介護ベッドで寝起きしているのだが、もう自力ではそこから立ち上がること、起きて居間に来ることすらかなわなくなってきた。
これまでは廊下やあちこちに取り付けた手すりバーに掴まって、何とか一人でも移動できていたのが、息子が介助して起こして手を引いてでないと歩くことすらままならない。
ここまで弱って来てしまうと外出も自力では難しくまた車椅子を用いなければならないわけだが、我家は室内でそれは入らず、となればもう在宅での生活も困難だと判断せねばならない。
そして杖を用いて無理して立って歩けば、当然ふらつきと転倒も起きてしまうわけで、おそらくウチでなくても言った介護サービス施設内で転倒してまた骨折してしまうか、誤嚥からの肺炎を起こしたり風邪から肺炎に至ったりと、近いうちに嫌でも搬送、入院となることは必定かと考えている。
母の場合は、進行性の癌であり、意識もしっかり最後の日まであったから、我はこの家で、一人で寝ずの介護をし、精根尽き果てるまで看取ることができた。
が、父の場合は、ウチで寝たきりとなってしまえば、下の世話も含めて我は最後の最後まで一人で面倒みれるとは思えないしその気も正直なところ全然ない。呆けも進み意識もしだいに遠のいていくだろうししかもそういう人にどう食事を摂らせたらよいのか我は見当もつかない。
今はかろうじてまだ起きてきて世話焼けるけど紙パンツを交換して着替えさせて食事をつくって出せば、何とか自分の意志で食べられるし、週のうち何日かはショートステイで介護施設に行かせて預けられる。
それが出来なくなって、毎日父が家にいて、寝たきりとなってしまえば、我は24時間父の容態に注意をはらい側にいないとならない。
それではストレスで発狂してしまうだけでなくまず体力も続かない。母の時は大変だったけどまだ母と共に生きる希望や喜びが確かにあった。一日でも長く生かすことが目的でありまさに生き甲斐となりえた。 が、父の場合は、おそらくしだいにボケから呼びかけても反応もなくなるだろうし、意識もなくほぼ寝たきりの人を相手に、付ききりの生活が何日も続いたら我こそおかしくなって死んでしまうかもしれない。ならば介護専門病院に入ってもらうしかない。
そんな状況は願い下げしたいけれど、おそらく間もなく間違いなくやってくると予想している。
ならばあともう数か月、あるいは数週間かもしれない。父がこの家で暮らせて我が父と過ごせるのは。
我のたった一人の妹が九州大分の山中耶馬渓から近く今月半ば過ぎに上京してくる。今回は二泊三日程度だが、おそらくそれが意識ある父と対面する最後の機会かと思える。彼女もそのつもりで最後の別れに来るつもりだろう。
それにしても人の死に方は様々だとつくづく思い至る。のみ亭のやっちゃんのようにほぼ同世代で、癌がみつかって約半年かそこらで誰も予期せぬ死に見舞われることもある。
また母のように、若い時からほとんど病気もせず元気に様々な活動していた人が、老いてきたら癌に侵され、何度も手術や入院の挙句になす術もなく衰弱してまさに骨と皮と化し、精根尽き果てて逝く人もいる。
そして我が父のように、社会的活動は一切何もせず身勝手に生きてまさにただ馬齢を重ねて、立木が朽ち倒れるかのように全身が老衰により緩慢に死に向かう人もいる。
どんな死に方が理想的かとか、どう死にたいかなんて考えても意味ないわけで、誰一人望みも願いもせずとも確実にそれはやってくる。どんな死に方が訪れるのか、それは神のみぞ知ることだ。どれほど拒み抗おうと懸命に願い祈ろうが何もかなわない。
交通事故などは論外だが、あまり時間なく癌のように判明してから打つ手なくあっという間に死んでしまうのも嫌だが、父のように老いて緩慢にじょじょに衰弱し、しかも当人もオツムも呆けて何もわからなくなっていくのがマシなのか我はわからない。
ただはっきりしているのは、「その時」は生受けた者は誰にでも必ず来るし、いつ何歳で死に見舞われるか予想も想定もまったくできないということだ。平均年齢というものぐらい意味ないものはない。
さておき、ともかく父は間もなく間違いなく近く死んでしまうのだから、そのときに備えて覚悟と準備だけはしておかねばならないと言うことは間違いない。 が、告白すると、望まないことだからではなく、今は日々ともかく忙しくて、父と我は「今」を生きることだけ、金の工面と日常生活をやり過ごすだけでいっぱいいっぱいで、「その先」については何一つ準備も考えることができやしないのだ。
父のように、間違いなくもうそれほど先はない、長くはないとわかりきっていてもだ。
こういう切迫する「現実」、状況になってきても人は何事も真剣切実になかなか事態に向き合えないものだと今さらながら気づく。いや、これは我だけの性分なのか。
さあ、今日から10月。何とかまだ父がかろうじて元気で動けて、ショートステイなどに行けるうちにこそ、少しづつでいい、その時に備えて万全の準備をすることだ。
こうしたことで、我マス坊は我が友や知人、知り合いに、いろいろ不義理をかけているし、きちんと果たすべき約束事など放擲してしまっている。
しかし言い訳にはできないが、まずは父のことこそ最優先にせねばならず、我の用事も傍ら進めていくことも考えてはいるけれど、父に先はないが先の見えないこの状況なので、どうか何卒ご理解頂けたらと願うだけだ。
一日一日ともかく大事にし慈しむように大事に生きていくしかない。あと少しだからこそ。
安倍晋三の身勝手な突然の解散総選挙で、急に慌ただしくなってしまったが、これこそ国難と言っても仕方ない。今日から10月、今年も残すは三か月である。
外は雲一つない秋の青空、まさに天高くの快晴である。風もあり実に爽やかで心地よい秋の日曜日だ。陽射しのあるところは汗ばむほどだが、日陰や朝晩はそろそろ暖房が恋しいほど気温が低くなってきた。
昨晩は、溜まった紙ゴミや廃材を燃やすため今季初めて薪ストーブに火を入れた。炎に向き合う季節もすぐそこまで来ている。
政治の話は横に置くとして、さて、これからどうしたものか。とにもかくにもさらに老いて弱って来た父の今後の扱いである。
我の父は今月の21日で93歳となる。一兵士として大陸へも行き、帰還後は、長男であったので下の妹や弟を喰わせる為に働き続け結婚も遅くなり、同じく長女で同環境にあった我が母と出会い、当時としては遅い結婚で我と妹が生まれた。
若い時に結核で入院もし、その後も前立腺癌をはじめ数々の病に見舞われたが、苛烈な戦争から戻って来れたのも頑健な身体であったのであろう、気がつけば一族の誰よりも長生きして、去年五つ歳下の妻のほうが先に逝ってしまった。
今は、独身のまま還暦となる息子=我との男同士二人暮らしである。我としてはまさかこの人がこんなに長生きするとは、そして父もまた、妻を先に亡くして息子と二人で遺されるとは思いもよらなかったに違いない。そう、こんな余生、末期が待っているとは誰も予想もしなかった。
ただこのところ今夏が過ぎてから父はめっきり衰えて来て、介護施設に勤めて同様の老人の世話をしてきた我が妹の予見では、もうそれほど長くはないだろうとのことである。
父の具合を説明したら、まずは年内越して正月を迎えられるかどうかで、来年の夏まで難しいのではないかと妹は電話でいう。じっさい我もこのところの父の言動、体調を見るとそう思えなくもない。
ともかくこの秋になってからほとんど歩けなく食べられなくなり体調も減る傾向が止まらないからだ。そして頭のほうも比例して衰えて、ますます呆けが進み記憶が続かず何もわからなくなって来て共に暮らし介助する側としては困惑するばかりだ。
今日は昨日から一泊二日で民家型デイサービスへ、ショートでお泊りに行ってくれているので我はこうしてブログ書いたり父不在故のんびり好き勝手なことができる。
ただ今の感じでは、そうした通所型介護サービスも限界となろうから、特養もしくは入院介護施設へと当人の意思は関係なく嫌でも移らないとならなくなると思う。そう、本人はどれほど呆けて息子に過度の負担かけようとも最後の最後までこの家、自宅で暮らしたいと言い張っているのだ。
しかし、当人の意思や希望とは関係なく、高齢から?の老衰は確実に進み、今父は、自室の介護ベッドで寝起きしているのだが、もう自力ではそこから立ち上がること、起きて居間に来ることすらかなわなくなってきた。
これまでは廊下やあちこちに取り付けた手すりバーに掴まって、何とか一人でも移動できていたのが、息子が介助して起こして手を引いてでないと歩くことすらままならない。
ここまで弱って来てしまうと外出も自力では難しくまた車椅子を用いなければならないわけだが、我家は室内でそれは入らず、となればもう在宅での生活も困難だと判断せねばならない。
そして杖を用いて無理して立って歩けば、当然ふらつきと転倒も起きてしまうわけで、おそらくウチでなくても言った介護サービス施設内で転倒してまた骨折してしまうか、誤嚥からの肺炎を起こしたり風邪から肺炎に至ったりと、近いうちに嫌でも搬送、入院となることは必定かと考えている。
母の場合は、進行性の癌であり、意識もしっかり最後の日まであったから、我はこの家で、一人で寝ずの介護をし、精根尽き果てるまで看取ることができた。
が、父の場合は、ウチで寝たきりとなってしまえば、下の世話も含めて我は最後の最後まで一人で面倒みれるとは思えないしその気も正直なところ全然ない。呆けも進み意識もしだいに遠のいていくだろうししかもそういう人にどう食事を摂らせたらよいのか我は見当もつかない。
今はかろうじてまだ起きてきて世話焼けるけど紙パンツを交換して着替えさせて食事をつくって出せば、何とか自分の意志で食べられるし、週のうち何日かはショートステイで介護施設に行かせて預けられる。
それが出来なくなって、毎日父が家にいて、寝たきりとなってしまえば、我は24時間父の容態に注意をはらい側にいないとならない。
それではストレスで発狂してしまうだけでなくまず体力も続かない。母の時は大変だったけどまだ母と共に生きる希望や喜びが確かにあった。一日でも長く生かすことが目的でありまさに生き甲斐となりえた。 が、父の場合は、おそらくしだいにボケから呼びかけても反応もなくなるだろうし、意識もなくほぼ寝たきりの人を相手に、付ききりの生活が何日も続いたら我こそおかしくなって死んでしまうかもしれない。ならば介護専門病院に入ってもらうしかない。
そんな状況は願い下げしたいけれど、おそらく間もなく間違いなくやってくると予想している。
ならばあともう数か月、あるいは数週間かもしれない。父がこの家で暮らせて我が父と過ごせるのは。
我のたった一人の妹が九州大分の山中耶馬渓から近く今月半ば過ぎに上京してくる。今回は二泊三日程度だが、おそらくそれが意識ある父と対面する最後の機会かと思える。彼女もそのつもりで最後の別れに来るつもりだろう。
それにしても人の死に方は様々だとつくづく思い至る。のみ亭のやっちゃんのようにほぼ同世代で、癌がみつかって約半年かそこらで誰も予期せぬ死に見舞われることもある。
また母のように、若い時からほとんど病気もせず元気に様々な活動していた人が、老いてきたら癌に侵され、何度も手術や入院の挙句になす術もなく衰弱してまさに骨と皮と化し、精根尽き果てて逝く人もいる。
そして我が父のように、社会的活動は一切何もせず身勝手に生きてまさにただ馬齢を重ねて、立木が朽ち倒れるかのように全身が老衰により緩慢に死に向かう人もいる。
どんな死に方が理想的かとか、どう死にたいかなんて考えても意味ないわけで、誰一人望みも願いもせずとも確実にそれはやってくる。どんな死に方が訪れるのか、それは神のみぞ知ることだ。どれほど拒み抗おうと懸命に願い祈ろうが何もかなわない。
交通事故などは論外だが、あまり時間なく癌のように判明してから打つ手なくあっという間に死んでしまうのも嫌だが、父のように老いて緩慢にじょじょに衰弱し、しかも当人もオツムも呆けて何もわからなくなっていくのがマシなのか我はわからない。
ただはっきりしているのは、「その時」は生受けた者は誰にでも必ず来るし、いつ何歳で死に見舞われるか予想も想定もまったくできないということだ。平均年齢というものぐらい意味ないものはない。
さておき、ともかく父は間もなく間違いなく近く死んでしまうのだから、そのときに備えて覚悟と準備だけはしておかねばならないと言うことは間違いない。 が、告白すると、望まないことだからではなく、今は日々ともかく忙しくて、父と我は「今」を生きることだけ、金の工面と日常生活をやり過ごすだけでいっぱいいっぱいで、「その先」については何一つ準備も考えることができやしないのだ。
父のように、間違いなくもうそれほど先はない、長くはないとわかりきっていてもだ。
こういう切迫する「現実」、状況になってきても人は何事も真剣切実になかなか事態に向き合えないものだと今さらながら気づく。いや、これは我だけの性分なのか。
さあ、今日から10月。何とかまだ父がかろうじて元気で動けて、ショートステイなどに行けるうちにこそ、少しづつでいい、その時に備えて万全の準備をすることだ。
こうしたことで、我マス坊は我が友や知人、知り合いに、いろいろ不義理をかけているし、きちんと果たすべき約束事など放擲してしまっている。
しかし言い訳にはできないが、まずは父のことこそ最優先にせねばならず、我の用事も傍ら進めていくことも考えてはいるけれど、父に先はないが先の見えないこの状況なので、どうか何卒ご理解頂けたらと願うだけだ。
一日一日ともかく大事にし慈しむように大事に生きていくしかない。あと少しだからこそ。
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