憲法記念日に2013年05月03日 20時21分41秒

★改憲論者たちの真意を探れ。

 憲法記念日である。あちこちで護憲、改憲双方の集会が開かれたことかと思う。自分も暇なら護憲派の記念集会とデモに参加する気でいたのだが、あいにく山梨県に出かける用事ができ、渋滞の中央道で北杜市の山間へ行ってきた。そのこについては後日報告できるかと。

 「タメにする」という言い方がある。自らのためになるよううまく話を取り繕い詭弁を弄するというようなことだ。
 安倍首相は海外へ、中近東の訪問国で原発売込みに躍起になっていたが、そもそも未だ放射能をまき散らし続け、汚染水は留まらず「収束」のメドがまったく立たないフクシマ原発を抱えてよくも安全性と高い技術力を口にできるものだとその厚顔さに呆れはてる。
 自分の尻が拭けないやつこそ他人をとやかく言うものであるが、自国のことを棚に上げて原発は「安全」だ、どうです、お一つ、と勧められてもそれを真に受けるものは大馬鹿かまた売国奴であろう。

 まあ、政治家なんて輩はどこの国も、国民や国の安全のことよりも自らとその一族の懐を肥やすことしか頭にないのだから意外に安倍セールスも効をそうし、発展途上国など世界中に原発がさらに増えるかもしれない。
 エネルギーは安定供給されるようになるかもしれないが、この地球は核のゴミで溢れかえることとなろう。増え続ける汚染水のタンクではないが、核廃棄物は世界中に溢れ出し人類は破滅へと突き進む。
 自民党が政権に復帰し、ウルトラ保守政治家たちが国政を担っているのだから驚くにあたらない。まあ、未曽有の大事故を起こしたのに、今も原発は安全だと言い続けるのは究極のタメにする論であろうか。

 そして憲法改正である。現行憲法が誕生して66年、一度も改定されていないのは異常だという理屈もまた、タメにする論であるし、変えたいが故にまず96条という窓口を変えて、簡単に変えやすくするというのもまた同様の発想でしかない。要するに詭弁であり屁理屈でありいったい何故に彼らは変えたいのか、変えてその先に何があるか見極めなくてはならない。

 一度も憲法が変わらないでいたことの利点と損失を考えてみる。平和憲法により武力を行使できなかったが故に、日本人は一人も戦闘で他国の人を殺さなかったし日本の兵士もまた戦闘で一人も死ななかった。憲法九条がなかったら日本人も韓国と同じくベトナム戦争に駆り出され内外多くの死傷者が出ただろう。米国と共に他国を侵略し戦闘行為と殺戮を行うことが国際貢献だとはタカ派であろうも言い難いはずだ。殺しも殺されずもしなかった。それだけでもこの憲法は価値があるのではないか。

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