現代商売考・12013年05月18日 06時05分14秒

★いつでも買えるはいつでも買わない。

 先日のこと、昔なじみの古本屋のオヤジさんと雑談をして「商売」について今さらながら耳目を開かされた。その話。

 駅前に昔ながらの古本屋さんが今もある。と、書くと今は驚かれる時代になってしまった。実はマス坊の利用している青梅線には現在組合に入っている実店舗の古書店はもはやその店一軒しかない。中央線の賑わいを思うと情けないが現実の話仕方ないのである。

 むろんブックオフのような昔はなかった形式の郊外型大型古物商は町ごとにいくらでも今はある。が、あれは古本屋とは呼べない。単に古本も扱っているスーパーマーケットのようなもので、従業員の一人として古本に対する愛も関心も知識もない。それは自分の中のイメージする町の古本屋さんではない。ご理解頂けるかと思う。

 古書店という堅苦しい言い方でなく、そもそも町の「古本屋さん」とは、ある程度歳のいったオヤジ、もしくは老夫婦が店番をしていて、間口はさほど広くはないが床から天井までびっしりと本棚に囲まれた空間であり、店頭には処分品の平台か棚が置かれている。神田のそれのような高額の稀覯書類はないが、漫画から実用書まで幅広く低価格で扱い、ある意味新刊書店と図書館の間をつなぐような品揃えを保っている。

 そうした店の主人は総じてヘンクツであり一見無愛想で子供にはおっかないが、顔なじみになると本のことから世間話まで存外話好きで話し込むようになっていく。古本屋とは本好きの人の手頃な娯楽の場であり、駅の帰りにたまに覗いては、掘り出し物を探したり何もなくても三冊200円均一の棚から面白そうな本を選び店主とあれこれ世間話をする。
 古書マニアは古本屋地図を片手に路線ごとそうした古本屋を回るのも休日の楽しみであった。

 皆さんの町、駅前にはそうした古本屋さんが今もありますか。

 昔はそうした古本屋が各沿線ごと駅前には必ず一軒はあった。が、文化の果つる地とも揶揄される西多摩地区、青梅線沿線には今は昔ながらの新刊書店でさえ消えていく一方で、もはや古本屋はその店一軒なのだ。※実店舗を持たないネットやカタログ販売の古書店主は何人かいる。これは組合に加入している「本職」の人のことで自分のような古物商の鑑札はあっても組合に入っていない者のことは加えていない。

 その駅前の古本屋とはもう学生の頃からの馴染みだから40年ぐらいの付き合いか。いつしか顔なじみになり行けばついあれこれ話し込む仲だ。彼も自分もだいぶ相応に歳とった。ただ、彼は八王子にももう一軒別店舗があるので、その店に行き、こっちの店はバイトに任せ近年ずっと不在であった。が、このところは週に何日か戻ってまた店番をしている。
 だがこちらも居職で通勤はせず駅までも行くことは稀なので、なかなか顔を合わし話す機会もなかった。ただ、思うと自分にとっての古本屋の師はじっさいのところ彼であり、勝手に私淑し倣い彼の店のような古本屋に憧れていた。※ネット古書店のほうの「師匠」は今や売れっ子・北尾トロ氏であるが。

 と、前置きが例によって長くなった。
 その店主と昨今の古本商売についてあれこれ話した。中でも気づかされ興味深く思ったのは、復刻、復刊本についての話である。絶版だった書籍がたまに再版復刊されて再び世に出るけれどそれは意外にも売れやしない。何故ならば人は、いつでも買えるとなると逆に買わなくなるからなのだ。【この話長くなったのでもう一回】

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