実人生のリストラクション2015年01月27日 08時35分05秒

★とりあえず今年前半期の予定として               アクセスランキング: 179位

 雨上がりの暖かく爽やかな朝だ。近くのホームセンターの園芸売り場には色とりどりの春の花々の鉢がいっぱい並び始めた。しっとりした空気を胸いっぱいに吸い込んだ。もう春なのだ。

 どんなに好きな大切な人がいたとしても残念ながら人は他人の人生をどうにかすること、何とかしてやれることは何もない。これは厳然たる事実である。別個体であるがゆえだ。どうにかできると考えるのは絶対的間違いである。
 むろん応援や支援、励ましはいくらでもできる。様子見も含めて手助けは様々なかたちできる。しかしその人の人生はその人のものだから最終的決断や選択はその人のもので他者は関われないしどうこうしてはならない。尊重すべきである。それこそが自己責任であり、個々それぞれの人の大切な人生なのだと思う。

 その大事な他者に対して我の無力さに暗澹たる気持ちにもなるけれどだからこそ、ナザレのイエズスは説いた。「汝の欲することを隣人にもせよ」と。自分がしてほしいことを他者にして我が身のように愛せよと。
 せめてその一点のみでも徹して他者を愛していくしかない。そう心して生きていくしかないわけだが、自分が望むことでも他者にとっては不要かつよけいなこと、望まぬ場合も多々あるのでなかなか難しい。思う気持ちは伝わらない。

 とにもかくにもシリアで狂信者たちに囚われた日本人人質の無事解放を我々は祈ることしかできない。

 さて、1月もそろそろ終わる。2015年の予定を出さねばならないのだが、今後について迷うところもありなかなか決められなかった。映画塾も詩の朗読ライブも、また音楽のライブも話は昨年から出ているのだが、いろいろあって日程確定できず、ずるずるとここまで来てしまった。もし期待して待たれた方がいたとしたらまずお詫びしたい。

 今月中に日時を発表して2月から無頼庵の活動をスタートすると年明けには考えていた。が、関係する何人かが体調を崩したり連絡がうまくとれなくなったり予定だけ先行させるわけにもいかずなかなか決められなかった。
 そしてなにはともかく過去の、終えたイベントの後始末もまだきちんと終えていないどころかどうすべきか先が見えていない。むろん並行してまた新たなことに取り掛かり動き出すということもできよう。しかし今年のモットーは、すべてきちんとさせていく、としたこともあり、これまでのように常に先へ先へと過去を過ぎたこととしてほったらかし、放擲することは絶対にすべきではないと考えた。

 また、これは個人的なことだが、昨年の大きなイベントもあったことで、今経済的にとても苦しくなった。昨年後半からいろいろ必要経費としてあれこれ機材なども買い込んだりしたこともあり、出費が重なり、今年になって気がついたのだが、引き落とし用の通帳はずっとマイナスであった。
 マス坊は、Amazonとかからの入金とカード決済で引き落としされる銀行は別にしているのだが、引き落とし用の「ゆうちょ銀行」はいつしか、残高不足でもとりあえず引き落とし日に引き落とされるようになっていたのだ。
 毎月、カード会社とかから請求された金額をそのゆうちょの口座に入れて引き落とされていくわけだが、前月のぶんもそこに入れた額より引き落とし額が大きくて、足りないかなあと思っていたら何もトラブルはなかった。
 が、じっさいは、ゆうちょ銀行のほうから融資扱いで、立て替えてもらっていたようで、今月になり通帳を確認したらマイナスの数字が記されていて、さらに今月決済の額を入金したらしっかり貸付利子も引かれてしまっていた。こんなことは初めてである。知らぬ間に借金していたのである。

 今はたいていは生鮮食品以外に何か買うとすればAmazonとかからネット上でカードで買い物をする。ずいぶん音響、録音に関連した機材を買い求めた。またイベントでも出費が大きかった。カードは支払が一月以上遅れるので、まだ来月も請求される額は大きいはずだ。
 ハズカシイ話、そうしたことも考えてしまうと、今は金がなくて拙宅でさえもイベントが難しいと思えてきた。

 自分がやろうとしてること、外でのイベントでなく拙宅での集いのようなものでもやるからにはそれなりの準備や支度をせねばならない。つまりある程度の食材や飲料を買い求めたり事前の準備とその後の後片付けもしなくてはならない。
 それは苦ではないが、当日だけで終わるわけではないので、やはり相応に時間と金もかかってしまう。そして問題は、大概の場合、そうしたイベントは、先の「教育と貧困」もそうであったが、企画者側の持ち出しとなる。
 満席となっても赤という場合も多々あるだけでなく、基本まずいっぱい観客が来ることなどない世界だから、常に赤字、持ち出し出費となってしまう。ならばある意味、いちばん金を使わないのは何もしないことということになる。
 むろん金回りがよく、バブル期の企業のように、余った金をどう使うか頭を痛める人も今もいよう。しかし現実のはなし、決して金持ちでない、自分を含めてどちらかといえば低所得層の人たちが身銭を切ってこうしたイベントを開催しているのである。

 だから、イベントを企画するにせよ外では会場費など出費がかかるので自分は自宅でささやかにやり続けて行こうと考えた。が、今は情けない話、出費、支払いがかさんでしまいそれで金がなくて金がいくらかでもかかることが難しくなってきた。
 できなくはないしすべきだとも考える。ただ、今は、この数か月は溜まった支払いが終わるまでは新たなことは企画すべきではないと昨日考えがまとまった。繰り返すが何かをするには仕込みに金も時間もかかりそれが回収される保証はないのである。ならばそれをするのならばある程度の「余裕」がない限り本来すべきではないであろう。そして今はその金の余裕がない。先も見えない。

 そして金のこと、経済的なこととは別にして、これまでの自分がやってきたこと、まだきちんとカタチにしていない数多くのことも少しでもカタチにして関係した人たちに返していかねばならないと思い至った。
 つまりライブを企画したり参加しても撮ったり録ったものが忙しさにかまけてこのところ未だほぼ全て未編集なのである。大げさに言えば、自分が日本のフォークソングと関わりを持ち始めた高校生からの頃のものが、カセットテープなどでそっくりそのまま保管というより投げ出してある。それらをデジタル化しないとこのままでは消えて散逸してしまう。

 先だっての京都ほんやら洞全焼の報を知ってから、つくづくこうしたフォークソング文化はきちんと保存保管しておくべきであったと痛感した。世間はどう考えるかはともかく、自分が長年撮り録り溜めたそうした貴重なフォークソング関連の音源や写真をそろそろきちんと整理しバックアップとって管理していかねばと強く考えた。

 今までは暇になったらとか、落ち着いて様々な余裕出来たら腰据えて取り掛かろうと考えていた。いわば老後の楽しみのように。しかし、考えてみれば俺にはそんなときは絶対に来ないのである。世話してくれるパートナーもない孤独かつ狷介な老人はおそらく日々生きていくのに必死であろう。体が動く限り清掃員とか倉庫番とかやって生活費を得なくてはならない。

 家はあっても年金はないのである。そして生業の古本稼業も先も見えている。金が入ってくる当てはどこにもないのだ。

 しかしそんなことで絶望もあれこれ今さら悩みもしない。そういうところは基本がバカなので「明日のことは思い煩わない」。
 ただ、とりあえず、今年の3月までは拙宅でのイベントは休止し無頼庵での活動は休業としようと考えた。理由は先に記したようなことで、金欠ともう少しこれまでやってきたことの整理整頓、録り溜めたものを個々に作品としていく作業に専念しようと思った。自分自身の能力も高めたい。

 また何かを●日にやると決めてしまうとその準備と後始末がまたそこに加わる。何事も器用に並行してできる人はいるだろうが、自分は愚図だから一つのことしかできない。いや、一つのことすらきちんとできやしない。まずは足元を固めたい。
そう、本来の意味でのリストラ、つまり我が人生の再建と構築=リストラクションを進めて行こうと決意した。

 というわけで、とりあえず2015年は、3月まで無頼庵はお休みとします。個人的には、他の場所でスタッフ的に関わるイベントはいくつかあるのでまた個々に詳しく宣伝も兼ねて発表します。

 4月以降確定しているのは、詩と映画以外では、館野公一の世界新たな企画として再開することと、新しくライブシリーズとして女性シンガーにスポットを当てていく「今をうたうおんなたち2015」というライブを無頼庵で始めます。
 トップは、まずマス坊、10代の頃からフォークアイドル、憧れの人だった大好きな「よしだよしこ」さんが内定している。共演にみほこんをお願いする予定。楽しみにしてお待ちください。

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